エピローグ 天下三嫁

「勝った! 俺たち義勇兵が、あの夏侯惇に勝った! 夢みてぇだ!」


「二代目劉備さまが、夏侯惇の兜に矢を当てて落馬させたんだってよ!」


「つええええええ! 商売上手の上に、武術もいけるのか! さすがは劉備玄徳の名を継いだお方だ!」


「本人も強い上に、関羽さまたち一騎当千の姫武官に加えて頭のいい軍師さまが二人も仕官してくれた。二代目劉備さまの軍は今まで以上に強力になるぞお!」


「今夜は祭りだああああ!」


 ほとんど犠牲を出すことなく、劉備軍は新野に凱旋していた。新野の町が勝利に沸き返る中、政庁に戻り「関羽、張飛、そして徐庶の兄貴。よく、俺が叩いた無茶な銅鑼の指示に従ってくれた。みんな、ご苦労さま! だが、曹操はさらなる増援を出してくるだろう。これからが大変だぜ」「漢王室復興の夢のために再起の第一歩を刻みましたね!」「あたしはなぜ逆転勝ちできたのか今でもわからないよ。どうやったんだ、孔明?」「孔明のやつはなにか考え事があるとか言って奥の部屋に引きこもってるぜ張張。いいから小僧、仕事料をよこせーっ!」と食卓に四川料理を並べて盛り上がっていたミズキたちのもとに、またしても趙雲がふらりと現れて、

「ミズキくん。夏侯惇や于禁には逃げられたけれど、夏侯一族の夏侯蘭をたまたま捕らえてしまったから、ミズキくんに奴隷として献上するよ……きみももう、一介の影武者じゃない。今やかくれなき群雄の一人・二代目劉備玄徳なんだ。身の回りの世話をしてくれる人間が必要だろう?」


 と、抜き差しならないことを言いだした。

 そして、垂れ目をうるうると潤ませている幼ない少女が一人、ミズキの前に献上されてしまった。童顔で小柄な少女だが、出るところは出ている。こ、この子を、お、俺の、ど、奴隷に? 思わずミズキは生唾を飲み込んでしまった。


「ふえええん。子龍ちゃん? ひ、酷いです。ら、ら、蘭ちゃんは子龍ちゃんの幼なじみなのに」


「うん……悪かったよ。わざとじゃないんだけれど、運悪く蘭と鉢合わせしてしまって……根っからの奴隷体質の蘭ならば、ミズキくんの寝首を掻いたりはしないだろうし、いずれこちらの誰かが人質に取られた時の交換要員にできるからね。ミズキくんは優しいから、蘭を傷つけるようなことはしないと、この趙雲子龍が保証するよ」


「ひぐう。うっく、うっく。ででででも奴隷って、よよよ夜伽を命じられるんですよね? ご主人さまの閨で、あんなことやこんなことを……蘭ちゃんはお嫁入り前の大事な身体なのに……あうう。くすんくすん」


「あ、いや。ミズキくんはおっぱい好きでスケベだけれど、そんな無体なことはしないんじゃないかな……た、たぶん……ミズキくんのもとが、蘭にとっていちばん安全な場所……のはずだよ?」


「なんとなく言葉がたどたどしいよぅ、子龍ちゃんっ?」


 かわいそうだよ、解放してあげてよ趙雲、とミズキは夏侯蘭の戒めを解いてあげたが、徐庶が「いやいやいや、仮にも夏侯一族の姫武官を無償で解放なんてありえねえ! 曹操はいつ何時俺さまのおかんを誘拐するかわからねえ奴だ。俺さま抜きで劉備一家は保たないからな。この子は万一の時のための大事な交換要員だ――小僧が遠慮するなら、俺さまがこの子を奴隷として飼ってやってもいいんだぜえ。ぐふ、ぐふふふ」とほくそ笑んでいるので、ミズキは仕方なく「それじゃ俺の奴隷ということで。だいじょうぶだよ。俺はたしかにスケベさでは徐庶の兄貴や的盧といい勝負だが、気が小さ……いや、どうて……いやいや、劉備さんのような徳人を目指してるんだ!」と夏侯蘭の身柄を引き受けた。


「曹操は、人質として捕らえた関羽と劉備さんの奥さんたちを丁重に扱ってくれた。俺もそうするから、安心してくれていいぜ! 趙雲師匠の幼なじみなら、なおさらだ!」


 予想外のミズキの優しい言葉を聞いた夏侯蘭の表情が、ぱあっと明るくなった。地獄に救世主を見つけたかのように上気しながら、夏侯蘭は直立不動の姿勢でミズキに奴隷としての忠誠を誓ったのだった。


「は、はい! わ、わかりました、ご主人さま! よかったです。こんな優しい殿方にお仕えできるなんて、蘭ちゃんは幸せです! や、優しくお願いします……で、では、閨の準備をしておきますね?」


「いや、だから、夜伽はいらないから! ま、まあでも、ら、蘭ちゃんがどうしてもと言うのなら……あ、いや、なんでもない。ごほ、ごほ」


「ミズキ、鼻の下が延びていますよ! 許婚の私を差し置いて、奴隷にした人質を甘い言葉で籠絡して夜伽に持ち込むだなんて、この関羽雲長は認めませんよ!」


「あたしも反対だ! 夏侯蘭はあたしの奴隷にする! ミズキに媚びを売ったら鞭打ちの刑だからな!」


「ふええええ。やっぱり劉備一家って怖いです。子龍ちゃん、助けてください!」


「くす。関羽も張飛も、ミズキくんの正妻の座を狙っているからねえ」


 ようやく策がまとまったのだろう。

 道士服姿で宴会場に現れた孔明が、さらなる爆弾発言を投下した――。


「待ちなさいミズキ、夏侯蘭との同衾は不許可よ。今宵から、あなたの夜伽役は正軍師となったこの諸葛亮孔明が務めるのよ。いいわね?」


「そうそう。俺の夜伽の相手は軍師の孔明が……って、ちょっと待った! 突然なにを言いだすんだ孔明!? 俺ときみとは君臣関係だろう? どうしてきみが、夜伽相手に」


「あら、もう忘れてしまったの? 世の中、タダで動くのは地震だけなのよ。私は、あなたの軍師として生涯犬馬の労を尽くしてあげると誓った代わりに等価交換を要求したでしょう、ミズキ?」


「そういえば……わかった、なんでも言う通りにしよう。で、俺はなにを捧げればいいんだ?」


「鈍いのね。私を、あなたの嫁にしなさい。いくら二代目劉備を襲名したとはいえ、あなたには先代の奥方・麋竺や甘夫人を妻に迎えることはできないわ。漢人にはそういう風習はないの。だから私があなたの嫁に最適任なのよ」


「げーっ? 孔明!? な、なにを言って。いったいなんの罠なんだ、これは?」


「妻ならば、四六時中あなたとともに過ごせるし、愚かなあなたを君主として徹底的に教育できるし、だいいちあなたが他の女といちゃつくのを眺めているのはなんとなく気にくわないわ。イラッと来て殺意がわいて火計で屠ってあげたくなるわ。それとも、私と『水魚の交わり』を結ぶと言ったのは嘘だったのかしら? あなたは私がいなければ一日も生きられないのでしょう? いいのよ、人前では厳しく躾けてあげるけれど、寝室では毎晩あなたを甘やかしてあげるわ」


「水魚の交わりを結ぶと言ったのは嘘じゃない! でもそれは主君と家臣としての関係であって! そんなばぶみのような関係を孔明に要求した記憶は」


「笑わせないで。初代劉備ならそれでよかったでしょうけれど、未来の倭国から来たあなたを再教育して育成するためには公私ともに私が手取り足取り面倒を見てあげる必要があるのよ。別に、あなたに恋をしたとか、心を奪われたとか、そういうことではないから誤解しないで」


「お、俺には結婚は早すぎる。俺はまだ隆中を三度訪ねただけじゃないか。もう少し時間を重ねてから考えさせてください、と答えたら?」


「今のは嘘よ。私はあなたに心を奪われたのよ。押し倒されて身体も奪われたしね」


「待ってくれ! 少なくとも、身体を奪った覚えはない!」


「等価交換の約束を反故にするというのならば、私は隆中へ帰るわ。あなたに強引に押し倒されて慰み者にされたあげく捨てられたという心の傷を生涯抱えながら」


「そ、そ、それは困る! 頼むから帰らないでくれ孔明! あと、俺に関するニセ情報をばらまくな!」


「では、私を嫁に迎えるのね? ああこれで、『孔明の婿取りを真似するな』、と私は末代まで荊州中の笑いものだわ。望めば神仙として生きることもできた諸葛亮孔明ともあろう者が、憐れなものね……そうね、子供は三人がいいわ。長女、長男、長女の順番に産み分けましょう。子守役は彭侯たちに任せるから心配はいらないわ」


 お、お、お前、やっと宴会に顔を出したと思ったら、なにを言いだすんだあああ! と張飛がポニーテールの尻尾をふるふると震わせながら蛇矛を手に取り、関羽は無言のまま全身を真っ赤に染めて青龍偃月刀を掲げていた。徐庶は「小僧、でかしたあああ! 孔明を口説き落としやがったんだな、てめえ! 俺さまの強制修行が功を奏したんだな。やったぜ! これで天下統一だーっ!」とはしゃいでいるが、「いやあ、修羅場だね……やっぱりミズキくんには天然の女たらしの素養があったんだね。自覚がないだけタチが悪いよ。家臣と奥方をきっちり切り分けていた初代劉備くんよりも、ある意味やばいよね……」と冷静な趙雲が思わず天を仰ぐ。


「趙雲? 私はなにもミズキに惚れ込んで押しかけ女房になろうなどとはしたない真似をしているのではないのよ。聞きなさい、関羽、張飛。これはミズキを二代目劉備玄徳として押し立てて、漢王室を復興するためのわが策の一環なのよ。嘘だけど。ほんとうはミズキを巡る恋敵となったあなたたちをこの場で煮殺してやりたい、そんな素直な気持ちよ。でも、あなたたちのような馬鹿みたいな戦闘力を誇る便利な姫武官どもがいないとへっぽこなミズキはまともに戦えないから、我慢するわ」


「い、言わせておけば、この女……えーい黙りなさい! これは劉備一家の大事ですから、最初にはっきりさせておきましょう。ミズキの許婚はこの関羽雲長です! ミズキの初夜を奪ったりしたら、軍師といえど斬りますよ!」


「いや、許婚はあたしだってば。天下統一を果たしたら、蛇矛を手放して、ミズキと二人で豚まん屋さんを経営するんだ……ほっこり温かい家庭を築くんだ。豚まんまんもいるしな」


「ぶきー、ぶきー♪」


「いいから聞きなさい。漢王室を復興するという大義は私たちにあるけれど、戦を繰り返せばそれだけ兵士が死に、民も苦しむのよ。それに、この私が軍師を務めてあげてなお、強大な曹操を武力だけで打倒するのは困難。そこで私は、荊州を足がかりに蜀を取って曹操・孫家とこの大陸を三分割して中原を窺うという『天下三分の計』を、一部修正することにしたわ。ミズキからヨーロッパの歴史を聞かされたことから、新たに閃いたのよ。少々悔しいけれど、ミズキのおかげね」


「え、えええ? 天下三分の計を修正する、だって? 孔明、いったいどんな新たな策を閃いたんだ?」


「まず、ミズキが荊州と蜀を乗っ取って一国の主となり、中原の曹操・江南の孫家と天下をいったん三分する。この過程ではむろん曹操と戦わねばらならず、厳しい戦が続くけれど、呉の孫家と同盟を結んで乗りきるわ。ここまでは既定路線ね。ここからが初代劉備のために考えていた策と違うの。ミズキの正妻となった私が蜀の主となり、初代劉備玄徳の遺児・阿斗の義母として阿斗が成人するまで後見する。その間に、ミズキは国盗りに奔走して独身のまま過ごしているだろう曹操と、そして江南の孫家一族の姫を、ともに妻にするのよ――もしも嫁が二人ならば相争うことになるけれど、三人ならばそれぞれの力が拮抗するから安定させられるはずだわ。かくして曹操を妻としたミズキは許より帝を古都・洛陽へお迎えし、三国はひとつに再統一され、戦乱の世は終わるのよ。西ローマ帝国が滅亡したあと、分裂したヨーロッパの大部分を婚姻政策によって再統一したというハプスブルク家に習い、ミズキの天然の女たらしぶりを武よりも強大な力として用い、できるかぎり血を流さずに漢王室を再統一するのよ。名付けて『天下三嫁の計』。ただし、あくまでも私が正妻よ。この一点だけは絶対に譲れないわ」


 なにやら途中で頬を赤らめたりミズキの視線から目をそらしたりと、孔明らしくもない喋りぶりだった。ミズキは、声を失っていた。いくら姫将軍が国を統べる世界だとはいえ、それは無茶というものだろう。いつ俺が天然の女たらしに? いったいどういうつもりなんだ孔明いいいいい!?


「なんですか、それは。私は断固反対です! 天下女衒の計ではないですか! そもそも孔明、なぜあなたがミズキの正妻にならねばならないのか、納得できる理由がありません! 阿斗さまの義母になる者は、兄上の一の妹だった私であるべきです!」


「『蜀の主』ってさらりと言っているけれど、どーゆーことだよっ! 劉備一家の主はミズキで、その次の主は阿斗ちゃんだろっ? なんでお前が割り込むんだ孔明!」


「嫁を鼎立させる以上、その扱いに不公平は許されないわ。三国それぞれをミズキの嫁が統治する、という平等な形式でやっていかなければならないのよ。ミズキには帝と三国の嫁たちの間に立ってもらい、調停役をやらせるわ。そもそも、三嫁鼎立状態の維持は融通の利かない関羽には無理よ。必ず孫家と揉めて私の計を台無しにするもの。もちろん短気な張飛は論外。だから蜀を治めるミズキの正妻は、天下一の智者にして天下一の美少女である私しかいないの」


 て、て、天下一の美少女とは! あなたはこの私よりも美しいと言い張るのですかっ! ミズキ、私の黒髪と孔明の銀髪、どちらがより美しいか今すぐ決めてください! と誇り高き関羽の激怒スイッチが入り、さすがの徐庶も孔明と関羽・張飛が醸し出すただならぬ雰囲気に危機感を覚えて「オイオイオイオイ! 痴話ゲンカで自滅するつもりか、おめーら! 一人くらい、俺さまの嫁に立候補してくれてもよう」と三人の間に割って入る。盛り上がっていた戦勝会の場は一転、一触即発の険悪な空気に――。


「こ、こんな時は、ど、どうすればいいんだ……修羅場を切り抜ける修行なんて俺は積んでいないぞ。教えてくれ、趙雲師匠!」


「初代劉備くんは女の子の扱いが絶妙にうまかったんだけれどもね~。孔明をちょっとばかり情熱的に説得しすぎたんだねえ。女の子とつきあった経験がないミズキくんの最大の弱点だね。でもまあ、孔明はその弱点をきみの強さに変えようとしているんだよ。とはいえ、影武者修行と恋愛修行を重ねるうちにミズキくんと距離が近づいてしまった関羽と張飛が折れるとは思えないし。どうすればいいのかねえ」


 そもそも、『水魚の交わり』とはなんなのですか孔明! さ、さ、三度目の隆中訪問の際に、あなたがたは交わったのですね! 私たちが博望で命を賭けて義勇兵たちとともに戦っている最中に、なんという不埒な……! 妄想を膨らませる関羽の怒りはどんどんエスカレートする一方。張飛は、すでに出入り口の扉の前に立って孔明の逃げ場を塞いでいる。


「君臣水魚の交わり」は比喩だよ関羽! 言葉の綾だ! とミズキが弁明するが、孔明が「ふふ。隆中でなにがあったのかは、あなた方のご想像にお任せするわ。まあ、しょせん行き遅れの処女どもの貧困な想像力なんて、たかが知れたものだろうけれど」とたっぷりと勝ち誇って胸を張った――しかも、孔明は華奢なのに胸はあった、たっぷりと――ついに、関羽の忍耐力が決壊した。青龍偃月刀がうなりを上げる。ミズキは呆れた。なんてことだ。天下の智者・孔明たる者が、男女関係の機微に関してはまるで童女のようだ!


「あ、あああ。も、もう、終わりだ……!」


 だが、この時。

 今となっては男の娘だというだけでミズキにとっての心のオアシス的存在と化した孫乾が、曹操からの手紙を持って、張飛が塞いでいる扉の隙間から強引に割り込んできた。「こらっ宴会場に俺を入れろーっ! 関羽のおっぱいでぱふぱふさせてくれよ相棒! ブヒヒヒン!」と荒ぶる的盧が、宴会場に乱入する「口実」にするべく、敢えて男の娘・孫乾を背中に乗せて運んできたのだ。


「宴会は中止ですううう! 夏侯惇敗れると知った曹操自らが、対袁紹戦から急遽主力部隊を呼び戻してまっしぐらに南下してきましたああ! こ、これが、曹操からの書状ですぅ! 『やるじゃないミズキ! やっぱり兵力分散はダメね。袁紹は後回しにしたわ。先に全力でもって二代目劉備玄徳を倒す。ミズキ、漢王室などにはもう見切りをつけて、さっさと降伏して私に忠誠を誓いなさい!』、と……!」


 号して、百万。実数は二十万から三十万だろう、と孫乾は言う。いずれにせよ空前の大兵力である。


「そ、曹操……この段階で、全軍で荊州に? 袁紹は何をしているんだ!? 曹操が河北戦線をがら空きにしてほぼ全軍で荊州に攻め込んでくるなんて、『正史』と順番が違う! 官渡で敗れてなお強大な袁紹の勢力を滅ぼして河北を統一するのが先だったはずだ!」


 すでにミズキという未来人が運命に干渉していることを曹操は知っているわ。しかも、夏侯惇を破ったことで、ミズキの力は決してあなどれないと曹操ははっきり悟った。だから本来の自らの運命をねじ曲げてでもここであなたを倒すつもりになったのよ――と、軍師の顔に戻った孔明が告げていた。


 しかも。

 孫乾に、曹操からの手紙を持ってきたその姫将軍こそは――。


「劉備さまあああ!」


「大変だああああ! とんでもない奴が、やってきやがった!」


「河北で袁紹と戦っていたはずの、あの姫将軍が……!」


 新野の城門前に、剽悍な騎馬兵を引き連れて姿を現した、その姫将軍の名は。



「……わが名は、呂布。呂布奉先。関羽……赤兎を、返せ……」



 呂布だってえええええ! そんな馬鹿な? 呂布は、劉備さんから徐州を奪い取ったあと、曹操と劉備さんの連合軍に滅ぼされて斬首されたはずだ! とミズキは城外に展開している呂布軍団の勇姿を窓から眺めつつ叫んでいた。


「関羽。孔明。これは俺の知っている『正史』とも違うし、『演義』とも違う! どうして呂布が生きているんだ。歩兵を曹操が、騎兵を呂布が率いたら、この大陸の誰ももう戦では勝てないぞ!」


 かつて徐州の城を水攻めにして呂布を捕縛した際、曹操は迷った。呂布は騎馬兵を率いれば古の項羽にも匹敵する最強の武人。しかし、主君の丁原と董卓を次々と斬った裏切り常習者の呂布を配下にしていいものかどうか。その時、玄徳の馬鹿野郎が『曹操ちゃんと呂布ちゃんが組めば、天下統一は容易いぜ』と曹操に進言して、呂布を助命しちまったんだ、とそれまで一人で黙々と酒を飲んでいた簡雍がミズキの耳元に囁いていた――。


「なんだって? そうか。劉備さんは、『呂布や曹操が女だから助けたわけじゃない』と言っていた! 呂布を助けたという言葉の意味は、放浪の呂布を徐州に迎えたことではなく、文字通り呂布の命を救ったということだったのか! だが、どうしてだ、劉備さん……!?」


「私が劉備玄徳に未来を予言したためよ。運命を変えるために、劉備は重大な局面で常に『逆張り』を続けたのね。その結果、呂布と曹操が、組んだんだわ。歴史は、大きく変わったわ。私たちの難易度は最高にあがってしまったのよ、ミズキ……ごめんなさい……」


 孔明が、羽毛扇で顔を隠しながら、ミズキに申し訳なさそうに告げていた。

 だが、ミズキは事情を飲み込むと同時に、劉備玄徳の「気」が激しく燃え上がるその熱を己の丹田のあたりに感じていた。

 そうだよな。今の状況を「戦国BASARAオンライン」でたとえれば、難易度・超級。「神」レベルってところだ! だが、これくらいのハンディがなきゃ、未来人の俺にとっては三国志人生、イージーすぎる。この最大の危機を乗り越えてこそ、二代目劉備玄徳が未来から召喚された意味があるってものだ!


「そうか! だったら! 呂布を生かしたかったという劉備さんの遺志をも、俺は受け継がなきゃあな! 孔明。きみの今までの選択は間違っていなかったと、俺たちは証明してみせる! ここからが本番だぜ! 俺たちがまるっと運命を乗り換えられるかどうかの大勝負だ!」


 なんと。これほどの窮地だというのに、ミズキはまるで動揺していない……私は「赤兎を呂布に返しておけばよかった、あああ」と頭を抱えていたというのに……ミズキはむしろ、この困難な状況を前にして胸を躍らせている。まさしく兄上に匹敵する器の持ち主……と関羽が感嘆し、孔明が「そのようね。たった今ここで、『無能、天に通ず』という新たな諺が誕生したわ」とうなずいていた。


「関羽。張飛。嫁争いはいったん休戦にしましょう。私たちはこれより、ミズキのもとに一丸となって死力を尽くす。全員で、この劉備一家最大の危地を乗り越えましょう。ほんとうに、私の今までの選択は間違いではなかったと証明してくれるわね、ミズキ? ……あ、あなたを、信じてるわ」


「ああ。俺を『水』としてこの乱世を泳げ、孔明! 関羽! 張飛! そして趙雲!」


「オイオイオイオイ徐庶さまを忘れるなよ小僧ーっ! 色を知った途端に、俺さまを追い抜いていっちまうのかあ? そりゃあねえぜーっ!」


「そもそも最初に徐州を呂布に横取りされたのはあたしの失策だったんだ。呂布との決着はあたしがつけてやる!」


「いえ張飛。呂布は、赤兎を帰さないままここまで来てしまった私の首を狙ってくるでしょう。この関羽雲長が、すべてを賭けて呂布と戦います。必ずや、ミズキに勝利を」


「うん。いいね。呂布が現れてくれたおかげで、分裂寸前だった劉備一家の結束が蘇ったよ。次は、呂布を捕らえてミズキくんの奴隷にできるように、本気で頑張ろうかなぁ。ふふっ」

 そしてこの時――呂布率いる精鋭騎馬隊の後方に、曹操自らが率いる大軍勢がひたひたと迫っていた。


「三国志」を彩る最強の武人、二人。知の曹操と武の呂布が率いる二十万越えの大軍勢。

 対するは、わずかな義勇兵とともに新野の小城に籠もるミズキたち。

 決戦の時が、迫っていた。

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影武者劉備玄徳 春日みかげ(在野) @kasuga-m

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