第2話  あなた馬鹿なの?

「フェリや、見かけない奴がマカバ・ヌファヤットに入り込んでいるようだから、気を付けたほうがええぞぉ」


 マカバ・ヌファヤットに五十年住み暮らす老爺が、通りすがりのフェリシアを呼び止めて言い出した。

「奴ら剣を持っとる、何をするか分からん感じだった」

 ボロ布を身に纏うだけでほぼ裸状態の老爺は、ゴミとして捨てられた果物を齧りながら言い出した。


「よそ者は魔女を嫌厭しないからのお。斬りかかられて無駄死にしても何も良いことがないからな」

「あんれまぁ、王都から誰かが逃げ込んで来たんだべか?」

「それは分からんが、何にせよ気をつけろよ」


 異臭を撒き散らしながら立ち去る老爺を見送ったフェリシアは、

「今日は薬草の採取日和だって言うのに、まっだぐ、都会の奴らはどうしようもねぇなぁ」

 ため息まじりにそう言いながら、自分の天幕へと戻ることにした。


 今はレナが居ないので、あまり遠出はしないようにしているフェリシアは、

「そういや、水がなぐなっていたんだったな」

 雨水を溜めた貯水瓶の方へ水汲みに向かおうとしたところ、どさっと背中から覆いかぶさる重量感に押し潰されることになったのだ。


 ゴミの山の山、その先の小山の途中の人もあまり来ないような場所で、強制的におんぶ状態となって膝をつくと、

「た・・た・・助けて・・」

 と、背中の何かが言い出した。


「なんだおめえ?何処から来ただ?おめえ何者だ?」

 地面に膝をつきながらフェリシアが問いかけても、背中の何かは一向に答えない。

「嘘だろ!ホンド面倒くせえことになったなこれは!」


 フェリシアは、呪具によって見かけがアバタだらけの魔女状態になってはいるものの、中身は十六歳の少女である。毎日自分の背丈ほどもあるゴミを運んで歩いているので体力には自信があるが、背中の何かは恐らく成人男性、おんぶして歩くにはなかなかの重量がある。


「面倒くせえ!ホンドのホンドに面倒くせえ!オラ、よくよく善人に間違われがちだけど、そこまでの善人でもねえんだぞ?バッチャだったら女神様もびっくりの善人だけんど、オレはそんなことねえ!そんなことねえんだぞ!」


 文句を言いながらも、結局、何かを担いだままゴミの山を登り上がり、自分の天幕の中へと転がり込んだフェリシアは、背負っていた何かがどえらいほどに顔が綺麗な青年だということに気がついて、

「うわーーーっ!なんて面倒なもん拾っちまったんだぁ!冗談じゃねえぞぉーー!」

と、悲鳴に近い声を上げたのだった。



 ティエス王国にはニ人の王子が居る。一番目の王子は正妃の息子であり、二番目の王子は側妃の息子。二人の間の年齢差は十もあるため、世継ぎは一番目の王子で決定だというように上層部が話をまとめる中で、側妃は無駄な足掻きを始めることになったわけだ。


 地方の演習の見学に出向くことになったルカーシュ王子が事故に遭ったのが三日ほど前の事であり、谷底へと落ちる馬車から何とか脱出したルカーシュは刺客から逃げ続けることになったのだ。


 ゴミ溜めとして有名なマカバ・ヌファヤットに逃げ込むことで、何とか追手をまくことに成功したルカーシュは、そこで力尽きてしまったのだが、気を失う前に何故か鼻を突くような異臭ではなく、花のような芳しい香りに包み込まれるような錯覚を覚えたのだった。


 そうして目を開けてみれば、何処かの天幕の中のようだ。斬り付けられた傷の処置をしていた少女が顔を上げて、まじまじとルカーシュの顔を見つめたのだった。


 菫色の瞳に落ちかかる長いまつ毛は憂いを含んでいるように見え、肩の近くで結われた銀色の髪は月光を落とすようにさらりと揺れる。


 形の良い鼻梁の下の唇はまるで薔薇の花びらのようで、

「聖女様が・・助けてくださったのですか?」

 ルカーシュの問いかけに、美しい令嬢は自分の顔を両手で触りながら、

「聖女?嘘だろ?そんなわけねえべ?オレの顔は痘痕まみれで、とても、とても、そんな風には見えねえ醜女だぁ!」

 と言い出した。


「いえいえ、貴女様は聖女以外の何者でもない!哀れな私を助けてくれた聖女様!どうか貴女の美しい顔をこちらへ向けてください」


 美しい少女が顔を赤くしたり青くしたりしながら、ルカーシュを見下ろすと、

「ああああ!おめえ!あれだな!呪具外しの魔道具を持ってるんじゃねえのか?だからオレのことが醜女に見えねえとか!そんなトンチンカンなことを言い出して!」

 酷く慌てたように言い出した。


 確かにルカーシュは王族であるため、強力な魔道具を身につけている。魅了や幻惑効果など消滅させる強力なものとなるのだが、

「ああああ!壊れてる!おめえの所為で壊れてしまったでねえか!この馬鹿タレがぁ!」

 と、壊れた腕輪を拾い上げながら、少女が嘆き悲しんでいることに気がついた。


「私の所為で壊れたというのなら、その腕輪は魅了か幻惑を起こす呪具なはず。まさか、貴女は魅了を・・」


「魅了じゃねえ、幻惑だ!オレがこの見かけで外に出てみろ、すぐに手籠にあっちまうでねえかよ。あああ、なんてことしてくれただか、これと同等の呪具はなかなかここでも見つからねえっていうのに」


「ああ!なるほど!」

 少女はボロを身に纏ってはいるが、貴族令嬢として遜色ない容姿をしている。このような場所で、真実の姿で歩けば、即座に誘拐されてしまうだろう。


「聖女様、そのお顔を私にもう少し見せてはくれませんか?」

「聖女じゃあねえって言ってんベェ?だから、顔がなんだ?うるせえ奴だな」

「ああ・・聖女様、貴女の瞳には宝石眼の兆しが見えるではないですか」


 ルカーシュ王子は少女の顔を片手で押さえつけながら、菫色の瞳の奥に見える虹色の虹彩を確かめる。


 宝石眼は、今は滅びた聖サクチュアル王国の王族が持つものであり、今は亡きバルターク公爵夫人が所有していた特別な眼でもある。公爵と夫人の間には女児が生まれたのだが、十五年前に誘拐されて以降、発見されていないことをルカーシュは知っている。


 公爵夫人の絵姿を過去に一度だけ見たことがあるのだが、月光を溶かし込んだ銀色の髪の典雅な美人だったことを覚えている。


「殿下・・殿下・・殿下大丈夫ですか!殿下――!」


 大勢が移動する足音と共に、側近のエルモが叫びながら駆け上がってくる声が聞こえる。崩れ落ちるのではないかというほどの勢いで天幕を開けたエルモは、


「殿下・・魔女の生贄になっていやしないですよね・・」


 治療を受けるルカーシュと呆然と見上げてくる少女を見下ろすと、

「何?何?何?メチャクチャ美少女なんだけど?ゴミ溜めに美少女って!ゴミ溜めに美少女って!殿下!どんだけ引きが良いんですかーーー!」

と、大声を上げたのだった。



 昔と比べればだいぶ衰退したと言っても、日々、新しい魔道具が生み出されていくような世の中となる。王族であれば、緊急信号を出す魔道具の一つや二つは所持しているのは当たり前であるし、緊急時にはその信号を追って、信頼に値する家臣が追いかけてくることにはなっている。


 今回に限って言えば、毎日のようにゴミが集められるマカバ・ヌファヤットの近くにある渓谷で襲撃を受けたということもあって、うまく信号が送れないという事態に陥ってしまったようなのだ。


 襲撃者から逃げるのならマカバ・ヌファヤットを利用するだろうと考えたエルモが捜索の範囲を広げた為、ルカーシュを探していた刺客が退く形となり、無事に救出されることになったわけだ。


 ちなみに、側近のエルモは美少女に一目惚れしてしまったらしく、ゴミ溜めから美少女を連れ出すことを決意した。恐らく美少女はバルターク公爵の誘拐された娘となるため、アプソロン公爵家の嫡男であるエルモと身分的にも釣り合っているだろう。


 救出された令嬢(ゴミ溜めの中ではフェリシアと呼ばれていたそうなのだが、幸いなことに本名もフェリシアと言う)はバルターク公爵家へ引き取られることとなり、側近のエルモとの婚約もすぐさま成立することになったのだ。


 ルカーシュを襲った刺客は帝国が送り込んだ者だと主張する者が出て来てしまった為、側妃の悪行を表沙汰にすることは出来なかったが、ルカーシュがゴミ溜めへと逃げ込んだお陰で、エルモが運命的な出会いをすることになったのだ。


「私はもしかして、恋のキューピットの素質があるのかもしれないなぁ」

 なんとなくそんなことを言い出すルカーシュを冷めた眼差しで見るのは、ルカーシュの婚約者となるイトゥカ・イラーチェク公爵令嬢で、

「貴方って本当に世の噂に疎いですわよね!本当に呆れちゃうわ!」

と、言い出したのだった。

「え?どういうこと?」

「貴方バカなの?」

 不敬罪に問われるような言動を平気でイトゥカがし始めたということは、何か大きな問題が起こったのに違いない。

 その時、ルカーシュ王子は、この問題が国家存亡の危機にまで広がるとは、思いもしなかったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る