第4話  無知の足掻き

「エルモ・アプソロン、ユーリア嬢との婚約が成立したらしいね、おめでとう」


 ルカーシュ第一王子に呼び出されることになったエルモは満面の笑みを浮かべると、

「殿下、ありがとうございます」

と、嬉しそうに答えた。

「色々とあったのですが、ユーリアと二人、協力して幸せな家庭を築いていこうと思っています」

「あっそ」


 ルカーシュはすげなく返答をすると、一枚の紙をエルモの前へ差し出したのだった。その紙を受け取ったエルモの手がブルブルと小刻みに震え出す、その手の震えを見ながらルカーシュは皮肉な笑みを浮かべた。


「エルモ・アプソロン、君を私の側近から罷免する。君のことを自分の補佐官にしたいと第二王子が言っていたから、君、今日から第二王子の補佐官だから」


「は?」


「それと、近々、帝国の次期皇帝が結婚式を挙げるでしょ?その披露目の宴にはうちの国も招待されているから、第二王子が出席するから君は補佐官としてついていくことになっているし、丁度良いから自分の婚約者も連れて帝国まで行って来なよ」


「え・・ええと・・それってどういう事なんでしょうか?」

「わかんないの?」

 ルカーシュはあからさまにため息を吐き出した。


「君がユーリア嬢と婚約した時点で、君も、君の生家であるアプソロン公爵家も、バルターク公爵家も、第二王子の陣営に移動することになったんだよ」

「えええ?そんなことになっていいんですか?」


 二つの公爵家が第二王子の陣営につくことになれば、ルカーシュ王子の王位継承が難しくなるのは間違いない。

「君らの婚約っていうのはそういう意味もあるからね」


 王子はあっさりとそう言うと、

「さっさと出て行ってくれる?顔も見たくないんだよね」

 と言って、侍従にエルモを追い出すよう指示を出したのだった。


 カーテンの影に隠れていたイトゥカは王子の執務机の近くまで行くと、王子の肩にそっと手を置いて、

「バカだから」

と、ぞんざいに言い出した。

「まあ、そうだね。彼は愛嬌はあるんだけど、基本バカだから起死回生は望めないだろうなぁ」

「イラーチェク公爵家としては万々歳ですけどね!」

 心底嬉しそうな婚約者の顔を見上げると、ルカーシュは大きなため息を吐き出した。


「そんな簡単な話じゃないでしょう?ああ、これから折衝が大変になるぞー!下手したら父の代で王国が滅びるかもしれないし!」

「滅びるならせめて孫かひ孫の代で滅びてほしいわ」

「縁起でもないこと言わないで!」


 そう言ってルカーシュは自分の顔を覆いながらも、これから起こることにワクワクしているのだった。



      ◇◇◇



 ティエス王国との国境を接するコウヴォラ帝国は、王国の国土の3倍から4倍の領土を持ち、安定した治世でも有名だ。


 帝国が多くの国々を併合して呑み込んでいったのは遥か昔のことであり、今は内政に力を入れているところである。そんな豊かな帝国を目指して、東大陸からの交易船が多く訪れる様になっている。帝国としても東大陸との貿易を増やしていきたいと考えているものの、帝国の最大の港ハシュマから東大陸を目指すことになれば、どうしても途中で経由地に寄って補給をする必要が出てくるのだ。


 東大陸を目指すための寄港地として候補に上がっているのが3カ国、その中にはティエス王国王都の港もある為、ティエス王国は他国を押し退けてでも帝国と、より良い関係を築く必要がある。


 帝国と東大陸との貿易にティエスが一枚噛むことが出来るのなら、王国は更なる発展をすることになるだろう。


「父上が帝国の結婚式に私を差し向けたのは、やはり、私を次の王にと願っての事ではないだろうか?」


 ティエス王国の第二王子はまだ十二歳、側妃の言葉を信じるのなら、自分こそがティエス王国の王に相応しい。周りの人間は皆、自分こそが王であるべきだと推しているのだから、やはり父王の次に王になるのは自分であるはずなのだ。


 母親に甘やかされて育った第二王子は、実はそれほど真剣に帝王学を学んではいない。第二王子はあくまでも第一王子のサブである。何か問題が起こった時に血統を守るために存在しているのであって、父王はそれほど熱い期待を抱いているわけではないのだった。


 ただ、側妃や周りの側近の都合の良いように利用されないようにするためにも、社会勉強として出席することにしただけのことなのだが、ティエス王国の代表、自分こそが国王にでもなったようなつもりで、結婚の宴に参加することになったのだ。


 帝国はティエス王国の国土の3倍から4倍の広さを有するが、王宮の大きさも、王国の2倍から3倍はあるように見える。ティエス王国のように尖塔がいくつも建つような建築方式ではなく、お椀型の巨大な屋根が太陽の光を浴びて輝くような、壮大な造りをしているのだった。披露宴が行われる会場も巨大なドームとなっており、世界各国から要人が訪れているのが良くわかる。


 特に目立っているのが東大陸からわざわざ祝いのために駆けつけた人々であり、鮮やかな蒼の衣装を身に纏った人々や、萌葱色の衣装を纏った人々が、まるで違った形式の豪奢な衣装を着ている様は、壮観の一言に尽きた。


「ねえ〜、エルモ様〜、私のドレス、やっぱり地味だったんじゃないでしょうかぁ?」


 補佐官として同行したエルモは婚約者を同伴することになったのだが、この宴に参加をするために目の玉が飛び出そうな金額のドレスを用意する羽目に陥った。


 婚約者であるユーリアのドレスを用意するのは、もちろん、婚約者であるエルモの役割となるのだが、それにしたって金額が桁違いとなっている。


 昨今、宝石をドレスに縫い付けるのが流行となっているのだが、ユーリアは宝石ではなく魔石を使いたいと言い出した。魔石を施したドレスに自分の魔力を流し込むと、虹色に輝く光に包み込まれるため、間違いなく会場で人の目を引くことになるだろう。だから、縫い付ける魔石は少なめに設定したのだ。


 これが何処かの国の王女であれば問題ない。幾らでも輝いてくれと言えるのだが、ここは帝国の大舞踏会会場である。他国からは田舎国と揶揄されることも多いティエス王国の、第二王子付き補佐官の婚約者なのである。分は弁えて欲しいとエルモは心の奥底から願っていた。


「ああ〜!エルモ様!始まるみたい!」

 自分の袖を引きながら小声で声をかけてくるユーリアの口を無理やり塞ぎたくなる衝動に襲われる。思えば、あれよあれよという間に、フェリシアとの婚約が解消されることになり、あっという間にエルモの次の婚約者が妹のユーリアに決まって、そうこうするうちにルカーシュ殿下の側近を外されることになったのだ。


「全ては国王陛下の差配によるものだろう!」

と、第二王子は言うけれど、エルモの心が晴れることはなかった。これで、アプソロン公爵家とバルターク公爵家が第二王子の傘下に入ることになったというのに、それが正解であるというような表情をルカーシュ殿下は浮かべていたのだ。


「殿下に切り捨てられた」


 侍従に部屋を追い出された時に思い浮かんだのはこの言葉だった。

 幼い時からいつも一緒にいたエルモは、殿下の最側近とも言われ、幼い頃から有望株だと目された。それが突然外されて、第二王子の元に配属されたのだ。


「だとしたら、次の王位は第二王子なのか?」

と、勘繰る人間も多いは多いが、それはどうなんだろうとエルモは思う。

「ねえ!エルモ様!いらっしゃったわよ!」

 袖を引きながらコメントをするのはやめてほしい、とにかく黙っていてほしい。


 高らかに鳴るファンファーレの音と共に、巨大な扉が両開きとなって開いていく。


 帝国の次期皇帝と目されるレナート・ヴァギネル・ドス・サントス・コウヴォラが妃を連れて公に出るのは初めての場。帝国の結婚の儀式は身内のみで行うことになるため、他国から来た要人はここで初めてレナート殿下の妃をその目にすることになるのだ。


「皆の者、良くぞわが国の慶事に集まってくださった」

 まず、挨拶をするのは帝国の皇帝であるアヌギヌス帝となる。

「我が息子がようやく素晴らしい伴侶を得ることとなり嬉しく思う。レナート、フェリシア、前へ」


 皇帝が新婚となった息子夫婦を壇上の前へと出てくるように促す中、ちらほらと視線がこちらの方へと向けられてくる。

 何故、皆の視線がこちらに向くのか疑問に思い、隣を見ると、婚約者であるユーリアのドレスが有り得ないほど眩しく輝いている。


「ユーリア、何故?」

「まあ!魔力を通せば望み通り輝くと言われたけれど、本当でしたのね!」


 嬉しそうに光り輝く自分のドレスから顔を上げたユーリアは、壇上に立つ純白の豪奢なドレスを身に纏った貴婦人を見上げて、『嘘でしょう!嘘でしょう!嘘でしょう!』と、心の中で悲鳴を上げたのだった。


 純白の軍服に身を包む美丈夫の隣に佇むのは、間違いなく家から追い出したはずの義姉フェリシア、ユーリアは帝国の皇子の結婚の宴に参加したはずなのに、皇子の妃として立つのはゴミまみれの汚物フェリシアだったのだ。


 ユーリアは一つ、大きく深呼吸をすると、母の言葉を思い出した。


「ユーリア、私たちは特別な女性なのです。私はただの子爵令嬢でしたが、特別な力によってマクシム様の妻となり、公爵夫人にもなれたのです。私の娘である貴女もまた、特別な娘なのよ。だからこそ、エルモ様はフェリシアではなく、貴女を選んだの」


 自分が身に纏うドレスが美しく輝き出したのは神の天啓に違いない。

 今、まさに、哀れな帝国の皇子がゴミから出てきたゴミクズの被害に遭おうとしている。

 この尊き方を助けるのは私以外に居ないのだわ。


「恐れながら申し上げます」


 自らのドレスが輝き出した為、周囲からの視線を集めてしまったユーリアは形ばかりのカーテシーをすると、皇帝の許しもない状態で声を上げたのだった。


「レナート殿下がお選びになったお妃様には、明らかに瑕疵がございます!」


 ユーリアの言葉に周囲の騒めきが大きくなった。その為、気を良くしたユーリアは胸を張って言い出したのだ。


「その女は我が国ティエス王国のゴミ溜めの中で生きてきたような女なのです、容姿が前バルターク公爵の夫人に似ているというだけで公爵家に入り込み、混乱に陥れた不和の種。姿が見えなくなったと思ったら、今度は帝国に入り込むだなんて!なんて卑しいのかしら!」


 ちなみに、ティエス王国は自国のゴミをそのまま何の処理もしないまま投げ捨てているのは有名な話で、疫病の観点から汚物とゴミ処理に力を入れている近隣諸国は、ティエスの行いに眉を顰めているところがある。


「我が妃、フェリシアはゴミ溜めの中で生きてきた女と言うか?その言葉に偽りないな?」


 前に出て来たのはレナート皇子であり、漆黒の髪の皇子はユーリアを見下ろして、その美しい口元に優美な笑みを浮かべる。


「ええ、神にかけて誓いますわ!その女は!赤子の頃からゴミ溜めで生活をしてきたゴミ屑のような女なのです!」


 ユーリアが胸を張って宣言をすると、周囲の人々は息を飲み、巻き込まれては堪ったものではないと言うように移動を開始した。その為、第二王子を中心としたティエス王国の人間だけが、ぽっかりと空いた空間に投げ出されたような形となる。


「確かに、フェリシアが赤子の頃にマカバ・ヌファヤットに捨てられたのは私も知っている」

 皇帝の言葉はユーリアの宣言を後押しするように聞こえた。

「君は、ティエス王国のバルターク公爵の娘、ユーリアであろう?」

 自分の名前を皇帝が覚えていたという誉にユーリアは興奮で頬を染めた。


「このユーリア嬢は、息子レナートの妃、フェリシアの義妹にあたる者だ。ううん、どうも令嬢のドレスが眩しすぎて気が散って仕方がない。フェリシア、何とかしてくれるか?」


「かしこまりました」


 フェリシアは恭しく皇帝に辞儀をすると、眩いばかりに輝くユーリアに向けて右手をかざす。するとフェリシアの瞳が虹色に輝き出し、月光を溶かし込んだと思われるような美しい銀色の髪が波打つように輝き出す。


 あっという間にユーリアのドレスが光を失うと、フェリシアは翳していた手を戻し、天に向かって両手を広げる。するとどうしたことだろうか、ドーム状の屋根に嵌め込まれた魔石のかけらが虹色の光をもって輝き出し、神の祝福にも見える光の粒が雨のように会場に降り注ぎ始めたのだ。


「フェリシア、これくらいで良いだろう」


 皇帝の言葉で光の雨は止まり、両腕を下ろしたフェリシアの腰を引き寄せたレナートは、彼女の頭にキスを落とし、皇帝は各国の要人を見渡しながら口を開いた。


「皆も知ってのことと思うが、この大陸で栄華を誇っていた聖サクチュアル王国、大神サリーナの加護を持つサクチュアル王家は特別な力を持っていた。それが宝石眼、力を失われた魔石を元に戻すのも、その効果を倍増するのも意のままに行うことが出来る貴重な力である。今、宝石眼を使ってそこの令嬢の無駄な魔石のエネルギーを吸収し、変換したのが皇子の妃フェリシアであり、天井の保護魔石に力を送って奇跡を起こしたことになる」


「我が母が病に倒れた時、病を回復する古代遺物を探してマカバ・ヌファヤットに向かったのは私だ」

 皇子は愛おしそうにフェリシアを見つめる。

「母の為、癒しの魔石を私に渡したのはフェリシアであり、以降、母の回復を以て彼女を聖女とし、我が帝国の保護下に置かれることになったのだ」


「ですが・・ですが!その女はゴミ溜めに居たのは間違いないことで!」


 自分は特別だと考えているユーリアは、どれだけフェリシアに変わった奇跡が起こせるのだとしても、自分が有利なことに変わりはないと思い込んでいる節がある。


「つい最近までゴミ溜めで這いつくばって生きていたんです!それは間違いないことなんです!」


「「まだ言うか!」」


 皇帝と皇子の一喝を受けて、ユーリアはその場に尻餅をついてしまった。

隣に立つエルモを見上げても、真っ青な顔のままこちらを助けようともしない。何かがおかしい、何かがおかしいと思いながら座り込んでいると、いつの間にか近くまで来ていた衛兵がユーリアの両肩を掴んで無理やり立たせた。


「我が帝国は大神サリーナを祀っている、ティエス王国はサリーナ神の娘である女神ファティを祀っていたはずだが、まだ分からないか!宝石眼を持つ者は神に愛された証、我が帝国では男であれば聖人、女であれば聖女と呼ぶ。貴様たち親子は聖女である前公爵夫人を亡き者にしただけでなく、聖女フェリシアをも殺そうとしたことは明らかとなっている!神に背く行いを行う異端者よ!我らは決して許さぬぞ!」


「そこのティエス王国の第二王子、お前にここで宣言しよう。この祝いの場において我が妻であり、聖女フェリシアを侮蔑したお前らの態度、断じて許せぬ。しかも、神の加護を持つフェリシアの母を暗殺した罪、フェリシアを誘拐し、暗殺しようとした罪、到底許されぬ行為と言えよう!我がコウヴォラ帝国はティエス王国に対して今、この時を以て宣戦布告をしよう!これは間違いなく聖戦であると宣言する!我らが大神を侮るお前らを破滅の淵へと追いやってやろう!」


 宣戦布告を叩きつけられた第二王子がどうなったのかというと、なんと、その場で気を失ってしまったのだ。侍従に抱き上げられた第二王子が何かを答えられるわけがない。そうして、この中で一番地位が上となる王子がもの言えぬ状態となったのなら、付き添い程度の自分達が何かを言えるわけがないのだ。だというのに・・


「嘘よ!嘘よ!嘘よ!その女が聖女なんて嘘よ!田舎臭い馬鹿みたいな喋り方しか出来ない女じゃない!そんな女が聖女なんてありえないわ!」


ここで大声を上げるユーリアは、確かに異常なほどの胆力の持ち主であると言えるだろう。だがしかし、訛りについての発言に帝国の貴族たちは顔を見合わせると、おかしくて仕方がないといった様子で揃って笑い出したのだった。


「なんという無知なのか、フェリシアの訛りは私が授けた魔道具によるもの。これは皇家でも秘伝の魔道具であり、サクチュアル訛りとなるその言葉は、心根卑き者が聞けば嫌悪の対象となり、心根優しき者が聞けば可愛らしい音色として耳に残る代物なのだ。フェリシア、試してみなさい」


「え?そうすると、わたくしが何かしらお話をしなければならないことになりませんか?」


 皇子の隣で困り果てたような顔をしたフェリシアは、自分の指をそっと撫でると言い出した。


「仕方ねえべ、義理の妹のユーリアも、義理の母親となるヘルミーナも、心根が真っ黒な奴らだものな。オレの部屋を生ゴミでぐちゃぐちゃにするだけでなく、こともあろうに豚の生首を置いていくような奴らだったもの」


 豚の生首と聞いて、周囲の人々が呆れ返った様子でユーリアを眺める。

「まず、無知な者のために説明しよう」


 皇子がニコニコ笑いながらフェリシアを抱きしめると言い出した。

「堕天使べランドの頭は豚、体は牛、尾は蛇と相場が決まっているとは思うのだが、豚の頭を持ち出す奴は、悪魔の使徒と相場が決まっているのだよ」


 レナート皇子はにっこりと笑ってユーリアを見つめた。


「我が妻の部屋を生ゴミで汚し、わざわざ使用人に命じて豚の頭を持ってきた。聖なる神の御子に対して豚の頭を持ってくる行いは、我こそは悪魔の使徒であると主張し、悪魔の使徒からの脅迫状という扱いで豚の頭を送ったことになるのだが、きちんと理解した上で行ったのかな?」


 ユーリアがそんなことを知るわけがない。教会で語られる聖なる話に悪の大元として豚の頭をした怪物が出てくるから、嫌がらせ目的で用意しただけのものなのだ。ただの嫌がらせのつもりだったのに・・


 ユーリアは泡を噴いて失神した。

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