11・表象の魔女 Great redemption
そこは青空の下でした。
天球の瞬間移動の魔法によって、ケンとハル、そしてハルの弟は、頭上一面を染め上げる青空に、穏やかに流れていく雲、そして平坦な芝がどこまでも広がっている空間に現れました。
しかしここが地球ではないことにケンはいち早く気づきます。地形の隆起が全く見られないからです。
完全に整地されたそこは、まるで偽物の地球が見た目だけでも地球に近づけようと努力しているようでした。
「美しいですか?」
天球の後ろからの声に一同はふり返り、そして息を呑みました。
そこには高さが五百メートルはあろう二本の巨大な象牙の塔(オベリスク)が中心にそびえる、霊殿都市の威風ある光景が、数百キロメートルにわたって広がっていたのです。
都市はその全てが薄く透けた黒曜石で出来ています。大きく開かれた門はもちろん、階段も石畳も、街並みの建物も、拝殿までもが同様な透け黒曜石のブロックで出来ていました。更にそのブロック一個ずつの幾ヶ所にも施された微細な金象嵌は、ため息が出るほどに見事なものです。
拝殿まで一直線に伸びる幅広な石畳の道。敷き石の黒曜石には白く細かな斑点が入っており、遠くからは明灰色に見えます。
道の端には細かな花のレリーフが彫られていました。
その道の左右に並ぶ、薄く紫がかった藍鉄色の街灯にも、蔓草を模した美麗な彩飾が施されています。
まるで都市全体が、一つの芸術品にも見えました。
「ここはどこなんだ……?」
「ここはオリンピアの七聖神を祀る場所……私たちは霊殿都市と呼んでいます」
ケンの疑問に天球が答えたその瞬間です。
そこに突如として黒いマントに身をつつんだ二十人の魔女が姿を現しました。宝石の魔女でした。
マントにはそれぞれの魔女にふさわしい色のついたリボンが縦に一筋縫われています。
魔女たちは地上に残されたニュクストルの施設全てを破壊し終え、ここへと集結したのです。
かつてケンたちが騎士級と呼んでいた宝石の魔女たちから感じられる、その壮観で飲み込まれそうな雰囲気に、ケンとハルは身震いしてしまいましたが、一番強く反応したのはカーランフィルでした。感動と驚きと興奮と畏敬の感情がごちゃ混ぜになり、口をぱくぱくさせて微かに呼吸することしかできないようです。
「天球様」
白い宝石の魔女が言います。
「ニュクストルの軍勢がこちらに向かっています。どうかご指示をください」
天球は指を鳴らしました。するとそれまでハルと手を繋いでいた弟の姿が消えました。
動揺するハルに天球が言います。
「ハル、心配には及びません。あなたの弟を地下の安全な領域へ避難させたまでです」
「それとも、あなたも弟と一緒に避難所へ移動させた方がよかったですか?」
天球の質問に、ハルは力強く答えました。
「いえ……僕はここで戦います。後悔はありません」
「よろしい」
「それでは、作戦を説明します」
*
「敵は全方位から同時に高速展開して来るでしょう。一騎当万とでも言うべき状況です」
天球の言葉に全員が緊張した表情をします。
「ですがこれはまたとない好機とも言えます。現在行軍中の敵の集結密度でしたら、正面から受け止めるのは不可能ですが、敵は結界を効率よく破壊するために展開するはずです。別れた敵であれば、各個撃破が狙えます」
「ケン」
「?」
「私たちは魔力を、あの白い塔から送られることで維持しています」
「戦場では魔力伝達妨害が起きるため、あなたにはハルと共に魔力中継機部隊の操縦員を任せたいです。いいですか?」
「俺にやれることなら、何でも任せてくれ」
「ありがとうございます」
「東西南の三方は三賢者に任せます。宝石の姉妹たち、あなた方は東西を六人で、南を八人で守ってください」
「分かりました」
「私は敵の伏兵や遊撃隊に備えます」
「カーランフィルは透明化マントと、このリュシングブーツ……空を飛ぶ魔導具を使って偵察を続けて下さい。連絡はこの角笛で。今度はもう崩れませんよ?」
くすりと小さく笑った天球に対し、カーランフィルも思い出したように笑顔になりました。
「恐らく、ニュクストルは何か最終手段を隠している筈ですので、適宜敵の行動を連絡してください」
「わかりました!」
「それと、フリザンテマの刀を貸してもらえないでしょうか?」
「え、あ、はい!」
そう言ってカーランフィルはフリザンテマの刀─魔力が切れて使えなくなってしまった──を、天球に渡しました。
「ありがとうございます。これは本当に素晴らしい武器です。フリザンテマとカーランフィル、貴方たちの友情に礼を捧げます」
「それでは各員、持ち場へ」
「宝石の魔女の皆さんは私のところへ。お話があります」
*
一面灰色の何もない空間に、紫色にゆらめく直径一万キロのワープホール。
その手前には、大きさが数キロメートルはある巨大な機動兵器が一万五千九百隻も横に並んでいました。
その兵器の前で、ニュクストルは演説を行ないます。
「戦争で最も効果的な防御とは何か? それは装甲板でも塹壕でも、ましてや攻撃でもありません! 存在を隠すことです! そしてそれは魔女の拠点のことでもあります! 我々は魔女の要塞を発見せねばなりません!」
「そして私たちは兵士の皆さんの努力と犠牲、そして捕獲した魔女から、ついに敵の本拠地の座標を見つけ出しました!」
「私たちの目的は要塞の中央にある魔女の首都を攻略し、拉致された人々を解放することです!」
「そのためには首都の中心にある巨大な牢獄……すなわち、魔女の魔力の源である、悪魔を殺す必要があります!」
「悪魔さえ無力化すれば魔女は何もできなくなるのです!」
「それには騎士級などの魔女が集結し抵抗してくるでしょう。そこで我々の作戦はこうします!」
「まず『高次元輸送衝角艦リヴァイアサン』と、『八次元戦闘機オーラオ』によって、敵の要塞を破壊、突破口を作ります!」
「要塞を突破後速やかにオーラオを回収し、そのまま敵地へ浸透、千二百キロを超えた地点で『戦域突破高速輸送艦ズメイ』を展開、東西南の三方向に別れ、首都直前十キロメートルに辿り着いた順から『戦域守衛用個人火器AH-2アバーチハルファンズ』とオーラオを展開させ、数的有利で敵を包囲殲滅します!」
「そして私は伏兵に備えて別動隊を率います!」
「これは憎き魔女に下す最後の鉄鎚、最終決戦です!」
「今こそ、あの大断罪の苦しみを、敵に味わわせてやりましょう!」
大歓声と共に演説は終わりました。
全長三十五メートルにも及ぶ巨大な蜘蛛に大砲をつけたような見た目の四本脚の高速機動兵器AH-2の操縦席で発艦を待ちながらニュクストルの演説を聴いていたジンも、興奮しながら叫びました。
「好きな女のために死ねるたぁ、これぞ漢の本懐ってモンよぉッ‼︎」
一万五千九百隻のリヴァイアサン──特殊合金で出来た頑丈な魚の骨を幾重にも重ねて、その上から大量の複雑な機械を取り付けたような姿──が見えない巨人に持ち上げられるようにゆっくりと浮かび上がり、ワープホールに入っていきます。
ニュクストルによる総攻撃が、いよいよ始まりました。
*
ワープホールを抜けると、そこは清々しい青空の下に一面鮮やかな牧草が広がる平らかな場所でした。
そんな風景に似つかわしいない巨大兵器が、ワープホールから続々と出てきます。
リヴァイアサンの大軍はマッハ九の超高速で飛行、結界に向かいました。
要塞までは百七十キロメートルも距離がありますが、リヴァイアサンにとってそれは近所へ買い物に行くよりも容易いことです。
要塞の高次元交差射影領域に着くと、リヴァイアサンの側面パネルが一斉に開き、中から一万機以上の八次元戦闘機オーラオ──その姿は、三十二メートルに巨大化した機械仕掛けのカトンボのようです──が出撃し、上空二千メートルの高さから可換化貫通爆弾を投下しました。
爆弾は見事に命中、要塞の多元体化効果と透明化の魔法が失われ、その壮大な姿──一面銀色の魔導合金で造られた──が露わになりました。
魔女の要塞のフラクタル次元は七・六八という異常な値であり、突破には八次元戦闘機とリヴァイアサンによる初撃が不可欠でした。
一万五千九百隻のリヴァイアサンが、要塞の綻びをその衝角で突き食い破るように突破しました。
要塞内部に入ると、次々にリヴァイアサンの姿が消えていきます。高次元領域へと入ったためです。高次元空間内でリヴァイアサンは三個の各方面軍に別れ、それぞれ中央の結界を包囲すべく展開していきました。
*
ニュクストルも要塞の崩壊場所から内部へと侵入、透明化マントと瞬間移動で戦線の裏側である霊殿都市の北口に出現しました。
そこで呪文を唱えると、三つの小さな魔法陣が現れて重なり合い一本の指揮棒が出てきました。ニュクストルがその指揮棒を持ち、大きく振るうと、地響きと共に地面が割れ、大量の土砂を持ち上げながら巨竜が姿を現しました。
その名は「フレビガロス(flebigalos)」。ニュクストルが創り出した究極の幻獣です。
しかしそこに、まるで全てを予期していたかのように待ち受けていたのは天球でした。
天球とニュクストル、そしてフレビガロスの戦いが始まります。
フレビガロスとは古代語で「不死の邪竜」を指しています。その全身は極めて頑丈な重金属でできており、その上斬られてもすぐに再生するのでした。
ニュクストルが呪文を唱えると、フレビガロスは頭が円錐形に変化し、六千八百キロメートルある全身が鉄棒のように真っ直ぐになるや、フレビガロスはマッハ百七十という猛スピードで頭を結界に突き刺しました。
それは、先端部が侵食崩壊と不死由来の再生を繰り返す超巨大な徹甲弾でした。
結界はこの運動エネルギーを吸収し衝撃を受け止めましたが、結界を生じさせている魔力変換器が防御許容量を超え破損。結界が失われてしまいました。
フレビガロスは結界を破壊してもなお直進を続け、霊殿都市の建物を薙ぎ倒しながら数億トンという膨大な量の神経ガス『ノビチョク』を噴射。
無数の触手を霊殿都市の建物に這い回しながら進んでいきます。
「そんな剣で何ができる!」
「剣ではない。刀です。これは私たちの結束を象徴する、菊の名を冠した、魔法の刀に他なりません」
天球は竜の腹側に飛び込み、そこで唱えました。
「──
次の瞬間、フレビガロスは無数の金属片と鉛色の血を吹き出してそのまま地面に崩れ落ちました。
ニュクストルは目を見開いて言葉を失います。
天球は手にした刀でフレビガロスを一秒間に二十六兆三千七十八億回切り刻んだのです。生命力を使い切ったことで邪竜は斃れました。
羈束纒開とは、自分の魔力流量を限界まで引き上げる呪文です。唱えることで魔法能力が底上げされます。
これは魔力を無限に供給できる霊殿都市が近くにある時のみ使える究極の奥義でした。
しかしこれは普通できないことです。それだけの魔力を身体に流すと、魔女は大電流で感電したように死んでしまうからです。
しかし天球はその魔力の全てをコントロールし、奥義を発動し切ったのでした。
「さて、邪魔者はいなくなったようです。それでは戦いを始めましょうか」
「テメェ……!」
涼しげな表情を浮かべる天球に対し、眉間にしわを寄せながらニュクストルが答えました。
*
北部を除く三方面ではシールドが割れたことで一万五千九百隻の高次元輸送衝角艦『リヴァイアサン』が津波のように押し寄せます。
その速度は実に秒速十四キロメートルにも達します。
西側に一人の魔女──「月」が、弓を引き絞り、そして放ちました。
一筋の青白い光が軍勢の中心を通り抜ける……と同時に、数百隻のリヴァイアサンが一斉に赤い閃光を放って爆発、墜落しました。
しかしその破片と爆炎を突き破り、更なる軍勢が押し寄せます。
そして霊殿都市から六百キロメートル圏内に入り込むや、全てのリヴァイアサンの腹尾部の装甲鈑が解放され、合わせて三十数万隻の戦域突破高速輸送艦『ズメイ』が一斉に発艦し、秒速八キロメートルで侵攻し始めました。
リヴァイアサンを数回りも小さくし、先頭に四本の衝角を取り付けたような見た目のズメイ。その一隻の中にはAH-2とオーラオが十二機ずつ搭載されています。
霊殿都市上空を囲うように展開すると、今度はズメイのハッチから計数百両の戦域守衛用個人火器アバーチハルファンズと、同じ数のオーラオ八次元戦闘機が出撃しました。
まさに兵器のマトリョーシカです。
赤い宝石の魔女は大量破壊魔法や空間圧縮魔法で敵に対処しようとしましたが、どれも魔導防護装置に阻まれて使えません。
次に巨大な杭を極超音速で飛翔させますが、これも魔導障壁に受け止められてしまいました。
そこで魔女は同士討ち回避機能をオフに。
そして唱えます。
「アグレトービス」
全長六キロメートルもあるリヴァイアサンの巨体はなす術もなく干し魚のようにぺしゃんこになり大爆発を起こして墜落しました。
魔導防護装置の対応次元数を超える領域から放たれた魔法に、リヴァイアサンはなす術がなかったのです。
しかしまだまだ、五千三百隻以上のリヴァイアサンが奥から次々に押し寄せてきます。
十二万五千四百隻のズメイが発進するや、オーラオとAH-2も百五十万機ずつの計三百万機が姿を現し、鋼の津波となって東西南の三方向から同時に押し寄せてきます。
更にズメイの両舷に設けられたハッチからは、無数の魔獣が出て来ました。魔獣の姿はぶよぶよに腐った人間の死体を、赤紫色の無数の触手が無理矢理持ち上げて運んでいるような姿をしています。
*
ジンを先頭に、AH-2と魔獣の軍勢が突進してきます。
そこに立ちはだかるのは、フレームドクリスタルを携えた青い宝石の魔女です。
青いフレームドクリスタルから照射されるレーザーによって、魔獣は次々とその体を両断されていきました。
「クソアマがぁぁ……邪魔なんだよ!」
ジンは叫ぶや、躊躇なく三十ミリ近接SHE砲弾を発砲しました。SHE砲弾、その正体は超重質量物質カリフォルニウムをプライマリに、重水素化リチウムをセカンダリにして出来た超小型の戦術用水爆です。
核爆発の衝撃でフレームドクリスタルを失った赤い宝石の魔女は、その噴煙を切り裂いて、全長七十三メートル、質量五十二トンの、切先がない、緩やかに反った鉈剣を振り下ろしてきました。
ジンは魔導障壁でこれをガード、機体を回転させて回避するも、すぐに剣を翻され、下からの切り上げ──これも魔導障壁で防ぎきり、回避に成功、距離をおいて再び核砲弾を放ちました。
ジンを支援しに、数百機のAH-2が副兵装の二百三十ミリ速射砲を連射して援護射撃を行ないますが、魔女はそれらを軽々と回避し、AH-2の隊列を片端から切り潰していきます。
魔女の激烈な妨害をものともせず、ジンは更に奥へと進行していきます。
地上を這う魔獣が無数の触手を伸ばし、青い宝石の魔女を襲います。その全てが魔女を魔導障壁ごと捉え、魔女の動きを封じました。しかし魔女は動じません。魔女はキルオーラの呪文を唱え、触手を一瞬で腐敗させると、大鉈剣を構え直し、魔獣の群れに飛び込んでいきました。
ジンはこれを機に更に奥へと進みます。
その時です。
ジンが乗るAH-2のコックピットを、背後から一本の槍が貫いたのです。
槍を放ったのは、先ほどの青い宝石の魔女でした。魔導障壁を貫徹するほどの運動エネルギーが込められた槍は、一直線に機体の装甲を貫き、ジンの腹部を突き抜けて、五センチほどの風穴をあけていきました。
「畜生! クソが……!」
それでもジンは軍勢を引き連れて先に進みます。操縦席の自動止血処理装置がジンの傷口に応急処置を施しました。
黒曜石の巨大な回廊を抜けると、ジンは更に広大な広場に出ました。地面は磨かれた黒曜石のタイルが敷き詰められており、冷たい光沢を放っています。
目の前には二本の巨大な白い塔が建っているのみです。塔から魔力反応は検出できませんでした。
この塔は純粋に宗教的な構造物でした。形而下の社会を治める神シーピアーと、全ての物質の祖である無機の王を祀る祭殿です。
それを除けば、そこは黒曜石のタイルが敷き詰められた庭園広場でしかありませんでした。
ジンはコックピット内のディスプレイに表示されているナビゲーションシステムの地図を何度も見返しました。最終目標である赤い点は、確かにジンが今いる場所を指しています。
しかしここは単なる広場です。
そうです。
初めから牢獄などなく、悪魔は幽閉などされていませんでした。
そこに再び、青い宝石の魔女が姿を現しました。
ジンは後方を振り返ります。そこには原型を止めていない無数の死体と大量の兵器が、ガラクタと内臓の道を作っていました。
ジンの引き連れた軍勢は、この一瞬のうちに全て殺されたのです。
魔女が言います。
「悪魔は存在しない。それはニュクストルの作り話だ」
それを聞くやジンは目を見開いて、そして打ちひしがれました。
「そんなはずはな……」
最後の力が尽きたのか、ジンは操縦席の中で失血死しました。機体は力尽きたように崩れ落ちます。
そのAH-2は、ジンの棺桶になりました。
*
ケンとハルが乗る、『魔力中継機』は、全長百二十メートルもある巨大な航空機でした。その姿は細長い杖に四基の推進装置と二人分の操縦席、そして先頭には巨大なテレビのアンテナのようなものが付いた形をしています。
そしてまさに今、ケンとハルが乗る魔力中継機は、数百機のオーラオに狙われながも戦場を縦横無尽に飛び回って逃げ続けていました。
ケンたちは撃ち落とされるわけにはいきません。もし墜落でもすれば、地上で戦っている魔女たちが魔力切れで敵の侵入を許してしまうからです。
しかし回避運動も虚しく、オーラオの射撃が動力部に命中、機体は空中を回転しながらもなんとか姿勢を立て直し不時着しました。
ケンとハルが機体から大急ぎで脱出すると、そこは二本の塔が立つ広大な広場でした。
ケンはそこで、一機のAH-2がしゃがみこむように倒れているのを見つけます。
二人はかけよって、操縦席を見るや、声を失ってしまいました。
そこにはジンの遺体があったのです。
ヘルメットを外してやると、鬼のような形相で何かを叫ぼうとした表情をしていました。
二人は血にまみれたジンの遺体を降ろし、まぶたをそっと閉ざしてやると、ケンとハルは機体に乗り込みました。
「VM54と同じ……?」
ケンは操縦装置の大半が、乗り慣れたVM54とほとんど一緒──悪く言えば使い回しであることに気づきました。足元が血溜まりなのはさておき、操縦システムは生きており、ケンの命令を待っています。
後部座席にはハルが乗り込み、周辺監視に務めました。
ケンはヘルメットを被ろうとしますが、身に着けた途端、ケンはヘルメットを脱ぎ捨てました。
「どうしたんですか?」
「洗脳装置だ……!」
ハルの問いにケンは身震いしながら応えました。
ヘルメットの正体は単なるディスプレイ付きゴーグルなどではなく、強烈な催眠パターンを脳に照射する洗脳装置だったのです。
ケンは自分が天球によって催眠を解除されたおかげで気づけましたが、今までずっとこんなものを被って戦場に出ていたと考えると、思わず身震いを起こしてしまいました。
ケンとハルはヘルメットの装着を諦めて、コックピット内のディスプレイから周辺の様子を見ることにしました。
ケンが操縦桿を握ると、力なく倒れ込んでいたAH-2が先程とは打って変わって機敏に走り出しました。
魔女の空中戦は激烈そのものでしたが、地上もそれに劣らぬ勢いでの激戦が繰り広げられていました。
無数の魔獣が押し寄せるなか、ケンはAH-2の僚機誤射防止装置を切り、SHE砲弾を発射して応戦します。
焼け死んだ魔獣の灰の中から、AH-2の軍勢が飛び出してきます。
しかしその波を橙や緑のリボンをつけた黒マントに身を包んだ四人の魔女が魔法によって踏み潰し、切り裂き、捻り砕きます。ケンとハルは魔女と共に神殿を防衛しました。
*
天球との魔法戦は、熾烈を極めました。全ての攻撃魔法と防御魔法の総動員による極めて高度な一騎打ちです。
ニュクストルはテレパスによって、自分の軍勢が侵攻のペースに対して次々と消耗していることをありありと感じとります。
ニュクストルの軍勢は魔女に各個撃破され、八割が全滅。もはや戦況は残敵掃討の段階に入りつつありました。
正面から戦える戦力はニュクストルを残すのみとなりました。
「おかしい……おかしいおかしいおかしい‼︎」
「お前たちいつからそんなに強くなったんだよおおおおお⁉︎」
ニュクストルは恐怖し、激昂しました。
天球が声をかけます。
「あなたは一つ、気づいていないことがあります」
「なんだと……?」
「恐らくあなたは、私たちがあらかじめ貯めておいた分の魔力をやりくりしながらでしか戦えないと思っていることでしょう」
「……」
ニュクストルの中で、まさか、という言葉が反芻します。
「ここ霊殿都市が魔女の中枢であることは間違いありません」
「しかしそれはこの都市の本質ではないのです」
「宇宙に浮かべられた魔導衛星から送られてくる、オリンピアの七聖神が治める運命星の加護と魔力を
「そんな……じゃあ」
「はい。あなたはここでの戦いが始まる前から、既に敗北していました」
ニュクストルは戦いの手を止め、天球から距離をとると、天を仰いで、何かを呟くや、指揮棒を落としました。
──と同時に、天球の背後数メートルの位置に瞬間移動したかと思えば「ならせめて、お前だけでも殺してから出直してきてやる」と言いました。その手には剣が持たれています。
ニュクストルは瞬間移動と同時に剣で天球の身体を数百回以上切りつけたのです。
ですが、壊れたのはニュクストルの持つ剣の方でした。
「な……」
ニュクストルが振り向いた瞬間、ニュクストルの両脚が切断され、身体が地面に落ちました。
どくどくと流れていく血にニュクストルは狼狽えながらも回復魔法をかけ、大急ぎで脚を繋ぎ直します。
「どうやらあなたは、まだこの霊殿都市の恐ろしさをわかっていないようですね……」
「あなたは瞬間移動しながら私を切りつけたと思い込んでるようですが、それは錯覚です」
攻撃を受けると自動迎撃するキルオーラの亜種か何かか? と考えますが、ニュクストルは一体何が起きたのか、全く把握できないでいました。しかしニュクストルのことなどかけらも気にかけることもなく、淡々と天球は語ります。
「あなたが瞬間移動する前に、私は時間を止め、あなたの両脚を切り落とし、剣を砕きました」
傷を直したニュクストルが息を上げながら反論します。
「時間魔法だと……⁉︎ ありえない! それならお前はその代償で魔力を使い切るか、身体にダメージを負っているはずだ!」
「代償も犠牲も要りませんよ。言ったでしょう、ここは霊殿都市だと」
「この都市は魔力の海。オリンピアの七聖神に誓いを立て、身を捧げた者には、魔力が常に供給され続けるのです」
ニュクストルは深呼吸し、うつむきながら再び立ち上がりました。天球が言います。
「まだ続けますか?」
ニュクストルは力を振り絞って顔を上げますが、そこで息が詰まってしまいました。
そこには戦いを終えた二十人の宝石の魔女が、天球を中心にずらりと横一列に並んでいたのです。
天球が剣を持ち直したと思ったその時です。今度はニュクストルの両腕が切り落とされました。
(また時間が飛んだ……!)
ニュクストルは地面に落ちた両腕を、呪文で繋げ直そうとしますが、次の瞬間には喉を掻き切られ血の泡を吹き出しました。これでは呪文が唱えられません。
手で印を組んで魔法を発動しようにも既に両腕は地面の上です。
もはやニュクストルに勝ち目などありませんでした。大量出血で意識が遠のく中、満身創痍となり倒れ込んだニュクストルに対し、天球が剣を納めて耳元で言葉をかけました。
「こんなとこまで探しに来てくれてありがとう」
その瞬間、ニュクストルは目を見開いて天球を見つめ直しました。
(まさか…そんな……本当なのか?)
ニュクストルはテレパスで天球に問います。
「うん。だからもう、大丈夫だよ」
そう言うや天球は、手にしたナイフでニュクストルの心臓を突き刺しました。
「ごめんね。もう行かなきゃ」
(サーシャ!)
天球は振り返って笑顔を見せました。それは優しげでしたが、どこか少し残念そうな表情でした。
(愛してる)
心配そうな表情のニュクストルに天球は
「大好き ありがとう 私も愛してるよ」
と言い、ニュクストルを愛おしそうに抱きしめながら、頬に軽くキスをしました。
それからどれくらいの時間が経ったでしょうか。数秒にも、数分にも感じられます。
ニュクストルは死にました。その表情は曇りのない、安らかなものでした。
天球はニュクストルの遺体をそっと地面に下ろし、斬られた両腕を魔法で繋げてやると、立ち上がって振り返り、今度は宝石の魔女たちに対して「みんな、今までありがとう」
と言い残すや、魔法で全員の首を刎ね飛ばしました。
宝石の魔女たちの血溜まりがじわじわと広がり、黒曜石のタイルの隙間を赤く染めます。
天球は瞬間移動してその場から消えました。
*
霊殿都市の奥にある、出入り口のない小さな部屋──二・五メートル四方の空間で、天球は右手に杖を持ち、左手で印を組みながら、魔法陣の上で呪詩を唱えていました。
「──我はよりよきもの。幾万の先人の果てに万物の祖として生まれるもの。虹の海を歩み、虹の山を呑み、虹の穴を食むもの。天地の因果よ、我が手に解き放たれよ」
戦場の英傑は道徳的責任の中心です。
光と共に天球の身体が消えていきます。天球は自身の質量をエネルギーとして代償に費やし、MRCP(道徳的責任媒介粒子)を編集する禁断の魔法を使いました。
それはニュクストルが背負っていたMRCPを、殺害によって天球が代わりに背負い、自らのMRCPを超臨界集積状態にし、エネルギーに変換することで時空間のMRCPを編集し、世界中の魔法で殺された死者の肉体を再構築することで世界を「過去の今」に戻すというものです。
魔法の名は「マクスウェルズ・デモン(エントロピー縮減魔法)」。
こうして大断罪や魔女の魔法によって死んだ人々は初めから死ななかった者として生き返り、ニュクストルは元の世界でユーヴォ博士として目覚め、天球が一人で担っていた全てのMRCPは平衡状態となり、世界は元の平和な状態に戻りました。
天球(セレスティア)は情報編集魔法を使った対価として自らの質量を情報の海に溶かし、存在を消し去りました。
*
それから後……長い月日が過ぎ去って……「ラプラスズ・デモン」と名付けられた因果逆算装置が開発され、人間を表象として再現前させる計画が立てられました。
計画名は「表象の魔女」
MRCP場の粒子の流れを辿ると一点の強力な場に辿り着く現象がユーヴォ博士によって発見されたことで始まった計画です。
MRCP場の流れを装置で逆算し、表象統御装置でMRCPを再構築すると、生体合成カプセルの中で一人の女性が目を覚ましました。
表象の魔女 錬磨百戦 @Hyakusen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます