あるダンサーの死
塚本ハリ
第1話
劇場大ホールの入り口には「深山レナ 情熱のスパニッシュ・ナイト」と書かれたポスターや立て看板が見え、関係者からの花が飾られている。客の入りも上々だ。
アンコールの拍手が止まない。緞帳が再び上がり、ギタリストや群舞のダンサーたちが登場。そして最後にレナが現れる。衣装はシンプルな黒のワンピース型。髪は後ろで一つに束ねただけ。着飾らないのが却って彼女の美しさを引き立てている。会場の拍手も一層大きくなった。
レナが舞台中央に進む。客席から数人の女性ファンが、花束を抱え舞台前に駆け寄る。レナは笑顔でそれらを受け取ろうとした。
と、その中に一人の若い男が混じっていた。彼は大胆にもそのまま舞台に上がり、花束ごとレナにぶつかり、レナもろとも倒れた。他のダンサーや舞台スタッフ、警備員らがレナと男を引き剥がす。観客席がざわめいた。と、ステージの最前列から悲鳴が上がった。何があったのか。観客もそう思ったことだろう。それは、舞台のレナも同様だったらしい。何が起きたのか分からないといった表情のまま、スタッフに抱えられているレナ。
「幕!幕を降ろして!」「救急車呼べーっ!」
女性の悲鳴や男性の怒号が入り混じり、舞台は騒然となる。観客席も大騒ぎになった。
舞台に残されたのは、血で染まった花束。スタッフはその花束の真ん中にナイフが仕込まれていたのを知った。
「人気フラメンコダンサー・深山レナ刺殺される!」
「恋多き踊り子・レナ、元カレに舞台で刺され死亡」
「深山レナ、恋に生き、恋に死んだその生涯」
新聞や雑誌の見出しには、どれもセンセーショナルな言葉が羅列する。
【救急隊員・後藤信二(28歳)の証言】
角刈り頭にがっしりした体つきの真面目そうな青年だった。救急病院前にて、制服姿でヘルメットを片手に、質問に答える。
自分たちが到着したときは、まだレナさんの意識もはっきりしていました。ただ、救急車の中では非常に取り乱したというか、興奮した感じでしたね。そりゃ、いきなり刺されたのですからパニックにもなりますが。
どんなふうにって? そうですねぇ、痛いとか、苦しいとか、そういうのではなかったです。ただ、一緒に乗り込んだスタッフや自分たちに向かって、何度も何度も「もう踊れないの?」と泣きそうな顔で尋ねていたのを覚えています。
その時、一緒に救急車に乗っていた人……マネージャーさんですかね、その人が「足を折ったわけじゃないんだから、また踊れるよ」と、子どもをあやすみたいに言いますと、少し安心したように見えたのですが……出血がひどかったせいでしょうか、病院に到着した時には既に意識が朦朧としている状態で、自分たちの呼びかけにも応じなくなっておりました。病院に入ってまもなく、心肺停止状態になったと聞いております。
レナさんのことですか? そりゃ、有名な方ですから知っていましたよ。何か、いろんな人と付き合っているからって、雑誌やテレビでも言われていましたよね。だからって、昔の恋人に刺されるというのは……。
……正直、もっとチャラチャラした感じの人を想像していたんですよ。でも、本物はものすごく真面目な人だったんだなぁと。死ぬ間際まで「踊れないの?」なんて聞いてくるあたり、やはり踊りのプロだったんでしょうね。
ただ、意外だったのは刺した人については、何も言っていませんでしたね。別れた恋人だという話でしたけど、何と言うか、恋人のことなんか全然眼中にないような感じで……それがちょっと不思議な気がしましたね。
【観客の一人・千葉芳江(25歳)の証言】
会社の制服姿。真っ黒な髪をバレッタで一つに束ね、眼鏡をかけた地味な感じのOLだった。昼休みに会社近くの喫茶店にてインタビューに応じてくれた。
あの日は、ちょうど給料日の後だったせいもあって、奮発して大きい花束を作ってもらったんですよ。ええ、あの近くにお花屋さんがあるので、そこでね。アンコールのときにステージに近づいていったのは、私を含めて五~六人はいましたね。ただ、男の人は彼だけでしたから「あれ、珍しいな」って。
そんなこと思っていたら、その人がいきなり舞台に上って…。もう後は何がなんだか…気がついたらレナさんは倒れているし、周囲の人は騒然となっているし。警察の人とかに名前とか連絡先とか聞かれて、そのあとも新聞記者さんとかテレビの人とかにいろいろ聞かれて…。次の日、会社で「ニュースに出ていたね」って散々言われました。私、会社でも存在感薄いから、今回の事件でちょっとだけ注目浴びて気持ちよかったなぁ…って、不謹慎ですね(苦笑)。
彼女のどこが好きかって? そんなの全部ですよ、全部。あの人の踊りはもちろん、クールビューティなルックスも、そのくせ見た目とは違って、熱くて奔放な生き方も、すべてひっくるめて大好きなんです。いっぱい恋愛して、失恋もして、踊りもとことん踊って…生き方が奔放でカッコいいじゃないですか。
私なんて小心者だから、いっつも自分を押し殺しているような感じなんですよ。だからこそ、彼女の生き方に憧れたのかもしれませんね。それに……不謹慎かもしれませんけど、あんな、昔の恋人に刺し殺される、なんていうのも「あぁ、レナさんらしいなぁ」って……。ああいう死に方に、何となく納得している自分もいるんですよねぇ……。
【生花店「ベルフラワー」店員・柏木美佐子(29歳)の証言】
閉店後の店内で取材に応じる彼女は、ショートカットのナチュラルな雰囲気の女性。Tシャツとジーンズにエプロンを着け、ゴム長をはいて店の後片付けや掃除をしながらインタビューに応じる。てきぱきと働き、口調もハキハキした感じ。
ええ、警察の方にもお話しました。犯人の人が手にしていた花束は、あの日の夕方近くに私が犯人の人から注文を受けて作ったものに間違いないです。花束を作るとき、真ん中にプレゼントを仕込むので、そこだけ隙間を空けて欲しいと言われたので、よく覚えているんです。警察の方に教えてもらったのですが、その隙間にナイフを仕込んでいたって…。実際、この眼でも確認しました。花びらに、血がいっぱい付いていて……嫌な気持ちでしたよ。自分が作った花束が、よりによって人を殺すために使われたんですからね。
レナさんですか? うーん、もちろん本人と会ったことはないから、マスコミとかで言われるイメージですけど。やっぱフラメンコの人だし、恋多き人だったし。だから、ベタですけど「真っ赤なバラ」みたいなイメージが……。そういえば、あの「カルメン」も最後は恋人に刺し殺されるんですよね?
【遠藤清美(40歳)女性誌「ヴィヴァーチェ」副編集長】
編集部の応接室にてインタビュー。きれいな巻き髪に仕立ての良いスーツ。セレブ感が漂う、いかにもファッション誌の編集者といったルックス。
レナさんには、本当に何とお悔やみ申し上げればよいのか……。あの日、わたくしも招待席で見ていたものですから……。
彼女は二年前から、わたくしどもの雑誌の表紙モデルを務めて頂いておりました。
と申しますのは、わたくしどもの雑誌は「自由な30代」というのをコンセプトにしておりましてね。そのイメージにレナさんがふさわしいと思ったものですから。この年代の女性は、仕事でも相応の立場に立つことが多いでしょう? あるいは、結婚して家事や育児に懸命な立場でもありますよね? そういう年代だからこそ、自分らしく生きましょうというのが主なコンセプトなのです。そういう意味では、レナさんはふさわしい方でしたから。本業のフラメンコも熱心でいらしたし、数多くの恋愛で「自由」かつ「自分らしく」生きていらしたから……。
レナさんの雑誌での仕事振りですか? 実に真面目でいらっしゃいました。撮影前にコンディションを整えるあたりも徹底していましてね、下手なモデルよりもキッチリ自己管理なさっていましたわ。撮影の折も、カメラマンと「どうすればきれいに写るか」と何度も尋ねては、飽きもせずポージングを繰り返して……。
……マスコミでは彼女ばかりを悪し様に言っていますけど、あれほど真面目ですばらしい女性はいませんでしたよ。私どもの編集部には、いまだに彼女宛のファンレターが届いていますもの……。ああ、ごめんなさい。お見苦しいわね。でも、涙が……。
【芸能リポーター・柿本勝(55歳)の証言】
テレビ局のスタジオの一角にて取材。ADやタレントらが歩き回る雑然とした雰囲気の中、柿本が汗を拭き拭き巨体を揺すらせるように歩いてくる。もじゃもじゃ頭で眉間に大きなホクロ。分厚い唇とたれ目で、一見すると人のよさそうな感じだが、目つきは鋭い。パイプ椅子にどっかと座り、インタビューが始まる。
イヤイヤ、どーもどーも。お待たせしました。すみませんねぇ、待ちぼうけだったでしょ? あ、山ちゃん、コーヒーもらえる? うん、砂糖とミルク、た~っぷりねぇ。
で、深山レナさんのことだそうですが……。ええ、ええ、ホンットーに恋多き女性でしたねぇ……。僕なんか、ディレクターやプロデューサーなんかによく言われましたよ。「なに、ネタがない? じゃあ、レナちゃん使う?」ってな感じで。で、僕自身も「困ったときのレナ頼み」みたいな感じでしてねぇ。
何でそんなに拾えるかって? だってホント、とっかえひっかえだったもん。
僕が最初にスクープしたのは、歌舞伎役者の笹川吉衛門さんのときですね。そのとき、彼女はまだ無名に近かったんですよ。
あれはちょうど、彼女がフラメンコ留学でスペインから帰ってきたばかりの時だったんじゃないかな? 大手広告代理店がウイスキーのCMを作るって話があってね。その時に縁があって、彼女の踊りを取り入れようって話になったんですよ。何でもCMディレクターがラテン音楽好きで、フラメンコにも詳しかったのがキッカケだったそうですよ。
で、CMの話に戻りますけど、その時に共演したのが笹川吉衛門さんだったんですねぇ。ほら、色男だし、以前からいろんな艶聞のあった人ですからね。で、当時二十歳そこそこのレナさんにチョッカイ出したってぇわけですよ。
もともと吉衛門さんは「女は芸の肥やし」って考えの持ち主なんですよ。ご自身が女形ということもあって、女性の仕草とか、女心なんかを学ぶという大義名分もありますからねぇ、羨ましいっちゃ羨ましい話ですよねぇ~。
結局、そのCMとそれに付随したスキャンダルのせいで、彼女は世間に名を知られるようになったわけなんですよ。……でもまぁ、結局は半年も保たなかったんじゃないですかねぇ。別れ話ですか? う~ん、これが実のところハッキリしないんですよ。吉衛門さんが飽きたとも、逆に彼女から別れを切り出したとも言われています。
まぁ、レナさんに別の男ができた、というのが一番信憑性がありますかね。と言うのも、その後はもうご承知の通り、まさにとっかえひっかえでしたからねぇ。アイドルグループ「ジャンプ!」のメンバーだった志村達哉クンもそうだけど、他にもお笑いの嵐屋三太とか、作家の田辺純一とか、ああホラ、IT実業家の堀田隆弘とかね。かと思うと、全く無名の役者とかカメラマンとか、ごく普通のサラリーマンとかね。ひどいのになると歌舞伎町のホスト崩れとか、プー太郎のヒモみたいなのとも付き合っていましたからねぇ。これで芸能リポーターが喰い付かないわけがないでしょ? どっかの政治家じゃないけど「恋愛騒動の総合商社」ですよ、アハハ……。
……ただねぇ、僕も長年この商売やってますけど、彼女は最後まで「分からない」人でしたよ、うん。
「分からない」ってのはね、彼女が付き合う男たちに、まったくもって共通するものがないってことなんですよ。普通、人には「好み」ってモンがあるじゃないですか? 例えば、ちょっと不良っぽい―今で言う「ちょいワル」みたいなのが好きとか、マッチョ系が好きとか、優男タイプに弱いとか、そういうのね?
ところが彼女に関していうなら、そういう好みが全く見えなかったの。さっき言ったような歌舞伎役者とか作家とか、インテリ派が好きなのかと思いきや、人気アイドルとかお笑いのような人とも付き合うし。かと思えば、僕らみたいなヤクザな商売している連中から見ても、もう本当にどうしようもない男ともくっつくワケ。僕はそこに違和感を覚えたんだよなぁ~。
あとね、男をとっかえひっかえするような女性にありがちな野心がないのよ、彼女には。意味が分からない? あのね、とにかくその筋の有力者に取り入ったり、愛人になったりして着々と自分の地位を築いてくタイプの子っているじゃない? まぁ、誰とは言わないけどさ、あの子とかあの子とか(笑)。イヤイヤ、冗談はさておき、そういう子でなけりゃ、この芸能界は生きていけないもんね。そういう意味では、彼女は変わっていましたよ。だってそうでしょ? 確かに吉衛門さんや志村クンみたいな…下種な言い方をするなら「のし上がるのに最適な」タイプと付き合うかと思えば、ホスト崩れで下手すりゃ自分の首を絞めるような男とも付き合うし。
だからねぇ、僕は「この子、恋愛依存症なんじゃないかな?」とも思ったの。とにかく、自分のそばに常に男がいないと不安になるタイプっていうの? ホラ、音楽プロデューサーの小村哲夫と別れてからダメになった歌手の佐原知美ちゃんみたいなタイプね。でもね、このタイプとも違うんだよなぁ。…っていうのはね、知美ちゃんの場合は失恋が原因で仕事をドタキャンしたりして、結局この業界でホサれちゃったじゃない? ところがレナちゃんに関しては、そういう話は一切ないのね。むしろ、仕事に関して言えばプロ意識はものすごく徹底していたからね。
そういう意味じゃ、もっと深く取材してみたかった女性ですよねぇ。
……すみませんねぇ、こんな話しか出ませんけど。お役に立てました? ああそう、そりゃ良かった。じゃ、僕、次の仕事があるんで、どーもどーも。
そこまで話して帰ろうとした柿本が、ふと、何かを思い出したかのように振り向いた。
ああ、そうだ。一つ言い忘れていましたよ。レナちゃんね、男が変わるキッカケの一つは舞台だったかもしれませんね。つまりね、一つの公演を終えると、男が変わるってことが、しばしばあったんです。これって、どういう意味だったんでしょうかねぇ……。
【歌舞伎役者・笹川吉衛門(52歳)の証言】
楽屋で支度をしている最中にインタビュー。楽屋入り口には家紋が染め抜かれたのれんが下がっている。楽屋の中には差し入れらしい高級そうな菓子折りがいくつも積まれており、「吉衛門さん江」と書かれた胡蝶蘭の鉢なども並んでいる。時折、ひいきの客なども入れ替わり立ち代り訪れ、雑然とした中にも華やかな雰囲気。
吉衛門、鏡台の前で羽二重を巻いた姿で化粧や衣装の着付けを始めながらインタビューに応じる。やや痩せぎすで線の細い、いかにも「名女形」という感じ。脇では付き人や弟子などが入れ替わり立ち代りで化粧や着替えを手伝っている。
……そりゃまぁ、アタシら役者ってぇのは「舞台で死ねりゃ本望」みたいな言い方しますけど、まさか本当に舞台で死ぬとはねぇ。
お聞きしたいのは、あたしとレナさんのことですよね? どうせ世間様はアタシが若いお嬢ちゃんをたぶらかした、なぁんて思っているんでござんしょ? ま、そんな気持ちが全くなかったと言えば嘘になりますかねぇ、あはは。
きっかけはご承知のようにコマーシャルの撮影現場ですよ。本物のフラメンコってぇのはどんなモンだか見てみたくってねぇ……ちょいと覗いてみたんですよ。それが、初めて見た彼女だったんですよ。
ま、巧かったですよ、踊りは。でもね、そんだけ。
そりゃ、アタシはフラメンコについてはトーシローですけど、ガキの頃から舞台やっていますからね。ジャンルが違えども、相通じるものはありますよ。マスコミは、踊る彼女にアタシが一目ぼれした、なんて無責任に書きたてたけど、ありゃ嘘っぱちですよ。あんなモンに惚れるほど、アタシの目は腐っちゃあいませんよ。
いえね、下手なんじゃないんですよ、これが。何ですか、あの独特のリズムにもまったくブレたりしないし、こうカカカカッって足音も小気味良い感じでねぇ。でもね、ただ「お上手」なだけってぇのは、なまじ「お上手」なだけに余計タチが悪い。
彼女の何がいけないって? そりゃアナタ、「色気」ですよ。もうね、これが全くないってんですから致命的じゃあござんせんか。あれならお人形にネジ巻いて踊らせろってなモンですよ。
まぁ一回こっきりの撮影だし、アタシごときが口を出すつもりなんて毛頭ございませんでしたよ。ところが撮影後に、代理店やスポンサーさんが一席設けてくださいましてね。そこでレナさんもご一緒したってわけですよ。その席で、彼女から「私の踊り、どうでしたか?」ってね。で、アタシも舞台人の性ってぇヤツでしょうかねぇ、さっき言ったようなことをコンコンと説いたワケですよ。アンタには色気がない、ただ「お上手」なだけじゃお客に感動なんぞ与えられない…ってぇなことを、こうクドクドとねぇ(苦笑)。アタシもいい加減酔っていたんでしょうかね、そこらのオッサンみたいに説教たれちまったんですよ。
そうしたらねぇ……レナさんったらこう、居ずまいを正して、アタシの前に手をついて「どうすれば色気が出せるんですか」って、そりゃあ真剣な顔してね。
……その真剣さにアタシが騙されたようなもんですよ。
そこまで話すと、彼は化粧も衣装の着替えも全て済ませ、きれいな女方姿でキリリと経った。
ささ、よござんしょ? アタシはこれから舞台なんでね、これで勘弁しておくんなさいよ。さ、さ、ごめんなさいよ。まぁ……正直言えば、こっちも助平心がありましたけどね。だからってアナタ、あんな小娘に「芸の肥やし」扱いされたひにゃ…ああ嫌だ、思い出すだけで腹が立ちますよ。
悔しそうな表情の吉衛門は、そのままプイっと楽屋を出て行った。
【舞台制作会社「ステージカンパニー」社員・渡辺房子(27歳)の証言】
事務所の応接室にてインタビュー。地味だが品のよいパンツとシャツ姿で登場。セミロングの髪をヘアクリップでラフにまとめている。活発そうな印象の女性だが、目の下にはクマができており、少し疲れている様子。
疲れているんじゃないかって? ええ、まぁ確かにここしばらくは大変でしたからね、マスコミ対応とか、警察の事情聴衆とか。
マスコミもねぇ、追い掛け回して話を聞くぐらいならいいんですよ。頭にきたのは、その記事のひどさです。どれもこれも、淫乱だの男狂いだのとえげつない悪口ばっかり……。どこをどう捻じ曲げたら、あんなひどいことが書けるんでしょうね。確かにレナさんはいろんな男の人と付き合っていましたよ。でもね、男が原因で舞台をどうこうした、なんて話は全くありませんよ。男は男、舞台は舞台でした。それは誰と付き合おうとも同じでしたよ。
それに、レナさんはいっつも真剣でしたから。「どんな恋愛だろうと、学ぶことはある」っていうのが口癖でしたもの。付き合う相手の気持ちや考え方から、何かを学び取ろうとする姿勢だけは、どの男性を相手にしていても変わらなかったと思います。例え、それがどんなにひどい男でもね。
実際、そういう男がいたんですよ。あのぉ、本名とかは出せないんですけど、大物演歌歌手の息子で、親の七光りだけで「舞台プロデューサー」だって偉そうに名乗っているのが、ね。その男がレナさんに目を付けて、彼女を主役に据えたフラメンコの舞台をやろうって言い出して……。もちろん、お目当てはレナさんですよ。自分の立場を利用して、レイプ同然にモノにしたって噂でした。しかも嫉妬深くって、レナさんがスタッフの男性と口をきくだけでも怒り狂って殴るような男でね。私ら、影で「暴君」って呼んでいましたよ。稽古場に青あざ作ってやって来るレナさんを何度も見かけましたから。
さすがに私も見かねて、レナさんに「あんなのと付き合う必要はない」って言ったんです。そしたらレナさん「今の私には、彼が必要だから」って。
最初は意味が分からなかったんですけどね、舞台観て納得しましたよ。あのね、その時に演った舞台ってのが、スペインの独裁者・フランコ将軍の時代に虐げられた民衆の苦悩をテーマにした舞踊劇だったんです。レナさんは、彼をフランコ将軍に見立てて役作りに励んでいたんですね。だから舞台が終わったとたん、彼には見向きもしなくなったんです。
要は捨てられたんですよ、彼。別れるときは相当モメたはずですけど、ほら、彼の父親がアレですから、下手に騒ぐとマスコミに全部バラすよって、レナさんが脅したみたいですよ。実際、表ざたにならなかったのはスキャンダルを恐れた彼の父親が、背後で手を回したからなんです。
正直、私らは「いい気味だ」って思いましたよ。……でもね、今にして思えば、彼もレナさんの役作りに利用されただけなんで、ちょっとは気の毒だったかな?
【写真家・新木唯義(70歳)の証言】
新宿のゴールデン街にある猥雑な感じの飲み屋にてインタビュー。禿げ上がった頭とちょび髭、まん丸のロイド風眼鏡。既に飲んでいるらしく結構ご機嫌。隣には、ちょっとぽっちゃり目で垢抜けないが男好きのする若い女性をはべらせている。
深山レナ? ああ、あのオネーちゃんね。そういやぁ、何とかって雑誌の企画でグラビア撮影したっけな。でも、つまんない女だったねー、ありゃ。
踊りのことしか頭にない、ギスギスのカカシみたいでさ。エロスってもんが全然ないの。アタシが思わず撮りたくなるようなエロスが、ぜ~んぜんないの!
へ? 男をとっかえひっかえしていたでしょうって? へん、あんなモン、恋愛でもなんでもないね。おおかた誰かが「いい恋をしないと、いい女になれないよ」とかほざいて、それを彼女がバカ正直に実行していただけでしょ。本当の恋愛なんて、ひとっつもしていないよ。世間じゃああいうのを「カッコいい」とか「恋多き女性」とか持ち上げているけど、アタシに言わせりゃ、このコの方がよっぽどいい女だよ。ね~、さゆりちゃ~ん。
新木、隣席の女性を抱きしめてキスをする。女性、だらしなく笑いながら応える。
それでも仕事だから撮らないといけないでしょ? アタシだって一応写真家の端くれですからね、撮る以上はいいもの撮りたいじゃん。仕方ないから、彼女に「踊って」って命令して、ようやく何とかマシなものが撮れたかなぁって感じ。エロスのなさは相変わらずだけど、それでも少しは見られたからね。
さ、もういいでしょ? アタシはこのコと遊びたいんだからさ。もう、帰ってよ。
【フラメンコ専門誌「サパテアード」編集長・逢坂武志(45歳)の証言】
編集部の一角にてインタビュー。眼鏡をかけ、シャツとズボンのラフな姿。机の上には雑誌が何冊も積み上げられ、脇にはゲラや原稿用紙も山と積まれている。
来月号で深山レナさんの追悼特集を組みます。そのための準備で大忙しですよ。昔のインタビュー記事とか、バックナンバーひっくり返して読み漁っています。
実は彼女、昔っからウチの雑誌の愛読者でもあったんですよ。こういう専門雑誌ですから、練習方法に関する記事や初心者への質問コーナーのページもあるでしょ? 彼女自身も何度か投稿しているんですよ。
ああ、これこれ。「ブエルタ(回転)のとき、腰がふらつくのを防ぐにはどうすればいいのでしょうか?」ってね。これ、当時中学生だった彼女が投稿した質問ですよ。当時から彼女が非常に練習熱心だったことが分かるエピソードでしょう?
彼女のフラメンコですか? ……そうですねぇ、正直なところ批評家からはあまり認められていませんでしたねぇ。確かに恋愛騒動ばかりがクローズアップされすぎるきらいがありましたからねぇ。「フラメンコをやる女性がみんな、あんな尻軽女だと思われたら困る」なんてキツイことを言う人もいましたからねぇ。
でもね、技術的にはそんなひどいものではなかったんです。いや、むしろ優れていたと思いますよ。そうでなければ、コンクールで賞とったり、高校卒業と同時にフラメンコ留学したりなんてできなかったでしょうし。ええ、十代の頃から頭角を現していましたからね。だから、決して下手ではないし、スキャンダルだけの人でもないんですよ。
ただねぇ、なんていうのかな、表現力や感性みたいなものが足りない。あ、そうだ、そのときの批評があったかな、ああこれだ。彼女がコンクールの高校生部門で優秀賞を獲得したときの記事。ほら、まだ若いし初々しいでしょ? ……で、ここが当時の批評。「複雑なリズムを難なくこなす才能は認める。しかし、表現力や情緒に欠けるきらいがあり、今後はそこをいかに克服していくかがカギになるだろう…」ってね。後に有名になって、ウチでもインタビューを何度も受けているんですが、レナさん自身、このときの批評は後々まで気にかけていたフシがありますねぇ。
【フラメンコ歌手・アントニオ・ゴメス(38歳)の証言】
鮨屋にてインタビュー。もじゃもじゃの巻き毛と太い眉、大きな目、長いまつげと、見るからに「濃い」ラテン系の顔立ちだが、陽気で親しみやすい雰囲気。カウンターに座り、出される鮨を次々とぱくつきながら話す。
日本は大好きでね。日本食も大好きさ。来日すると必ず、シャブシャブとスシを食べに行くと決めているんだ。それが日本公演の楽しみでもあるかな? それに、日本人が俺らのフラメンコを愛してくれることも嬉しいよ。みんな、観るだけじゃなくて、踊りやギター、歌も習おうって熱心なんだぜ。光栄だよ。
レナと一緒に舞台に立ったこともある。君が聞きたいのはそのことだね? ああ、彼女は印象的だったなぁ。いろんな踊り手と共演してきたけど、レナは実に不思議な女性だった。踊りだけなら誰にも引けをとらないのに、そこに魂がないんだ。
いや、魂がないっていうのは変かな? むしろ、踊りにかける情熱は凄かった。彼女の頭の中は、いつだって「どうすれば巧く踊れるか」ってことしかなかったよ。それ以外のことに関しては全く無関心なんだ。
レナは真面目だよね。俺らから見ると、少し息苦しいくらいなこともある。だから俺は、レナに対して「もっと肩の力を抜け」と言うのがクセになっていたぐらいだよ。すると今度は「肩の力を抜く」ことを一所懸命頑張るんだな、これが。……いやいや、笑い事じゃないけどさ。そういうことをやってしまうのがレナだったのさ。ひたむきなんだよ、踊ると言うことに。そのためには悪魔に魂すら売り飛ばしかねない感じだった。
いや、もしかしたら、売り飛ばしていたのかもしれないねぇ。あんな死に方をしたのも、もしかしたら悪魔のせいかもしれないぜ。
【舞踊評論家・平田渉(50歳)の証言】
彼の書斎にてインタビュー。本棚には書籍はもちろん、木彫りのマリア像やスペインの絵皿なども置かれている。机の脇にはギターが立てかけられている。学者のような風貌の平田がそこでパイプを磨きながら話し始める。
深山レナさんねぇ……。僕は彼女、嫌いだったな。だって、生真面目で、堅苦しくて「遊び」のない人だったもん。正直言って、フラメンコやるには向いていない人だったんじゃないかな。
彼女にとって悲劇だったのは、技術的にはかなり高いレベルにあったってことなんだよ。コレで下手くそだったらまだ諦めもつくけど、なまじ上手にできる人だったからねぇ。
もっとも、レナさんに限ったことじゃないんだけどね。日本人って、基本的に真面目だから、一所懸命に稽古を重ねて、テクニックを磨くのよ。だから水準は高いの。だけど、そこから先の「何を表現したいのか」というテーマに対して「自分はこれを演じたい」というカラーが出てこない。そこで行き詰まってしまうことが非常に多いんですな。結果として、堅苦しい、面白みもクソもないのばかりが登場するわけですよ。
フラメンコってのは、もっと魂を放出させるような自由奔放さが必要なんですよ。だから僕、彼女の踊りを見ていると窒息しそうな息苦しさを感じてしまうんだな、これが。
え、世間一般で言われている人物評と違うって? まぁ、一般的にはそうだろうねぇ。確かに彼女は、いろんな男と浮名を流したよね。そりゃ、周囲から見れば自由奔放で、それこそ「カルメン」みたいな印象があるんだろうな。でもねぇ、僕に言わせりゃそれすら「義務」みたいな感じでねぇ。
……実は僕、彼女が出たコンクールで審査員の末席にいてね。授賞式の際に「アンタは恋の踊りを踊っているくせに、恋というものを知らない」ってなことを言った記憶があるんだ。もしかしたら、あのときの一言が…なんて思うこともあるんだな、これが。もし彼女が生きていたら聞いてみたかったよね。「アンタの男漁りが激しかったのは、あの時の僕の一言が原因だったのか?」って、ね。
【「井上スペイン舞踊団」主宰・ペピータ・井上(66歳)の証言】
無人のダンススタジオにてインタビュー。小花模様のワンピースにニットのカーディガン、髪はネッカチーフで巻いている。足はダンス用の靴ではなく、地味なスリッパ。フラメンコの先生と言うよりは、どこか疲れた老女という雰囲気。
レナは……私がダメにしたようなものです。彼女がああいう死に方をしたのは、元をただせば私が原因です。
彼女が私のもとでフラメンコを習い始めたのは、中学生ぐらいでしたか。当初から踊ることが好きでたまらなかったのでしょう、飲み込みも早く、見る間に上達していきましてね。何とも教え甲斐のある子でした。
ただ……技術ばかりが先行したきらいがございましてね。コンクールで賞をとった時、審査員の方からその点を指摘されて……あの子なりに悩んだようです。何しろ寝てもさめても踊ってばかりという感じで、同じクラスの子が彼氏の話をしていても、全く興味を示さないような感じでしたから……。
なのに、私ときたら無責任にも「これからは恋をいっぱいして、もっと素敵に踊れるようにしなくてはね」とアドバイスをしてしまったのです。
彼女は最後まで私の教えを忠実に守ったのです。だからこそあれほど多くのスキャンダルを……。でも、最後の最後まで彼女は本当の恋をしていなかった。彼女にとって、あの恋愛遍歴はあくまでも「フラメンコのため」でしかなく、お相手の男性はすべて「芸の肥やし」でしかなかったのです……!
【犯人・久保恵一(26歳)の自供】
殺風景な拘置所の面談室にて。憔悴しきった表情。
レナは……俺を見ているようで、まったく見ていなかったんだ。
俺は彼女が好きだったし、一緒にいるときはもう夢中だった。付き合い始めた頃、彼女は既に有名だったから、俺としても確かに少し有頂天になっていたけど…。
でも実際の彼女はマスコミで言われるような奔放さとか、わがままなんか全然なくって、いつも黙ってニコニコしていた。二人きりでいると、黙って俺のことじーっと見つめて。それで俺が「何だよ」って言うと、少しだけ困ったような顔をして笑う…そんな感じだった。
今なら分かるんだ。レナは、彼女に惚れている俺の様子を観察して、その表情を自分のフラメンコに取り入れることばかりを考えていたんだって……!
俺は…いや、俺だけじゃねぇ、彼女が付き合っていた男はみんな、深山レナのフラメンコのために利用されただけだったんだよ。アイツは、俺らのことをフラメンコの教材としか思っていなかった。俺のことなぞ、愛してなどいなかったんだよ! そう、俺らみーんな、アイツの「芸の肥やし」さ。こんな屈辱的なこと、あるかい?
だってねぇ、俺がレナを刺したとき、アイツ、なんて言ったと思います?
「あなた、誰……?」ですよ! 俺のこと、覚えていなかったんです……!
あるダンサーの死 塚本ハリ @hari-tsukamoto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ことば/彩霞
★47 エッセイ・ノンフィクション 完結済 105話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます