キゥロトディア

 東屋ガゼボでエヴェリーナが眠って、しばらくして。


「……デューラ。おるか?」


 キゥロトディアは四天王の一人デューラを呼んだ。


「はっ。ここに」


 返答とともに、何もない虚空から水の魔獣デューラの姿が現れる。

 水色の短髪と瞳、浅黒い肌、細身で筋肉質な長身、四本の腕と水竜に似た尾。四天王の中でも特に優れた知識と知恵を持つ参謀。

 魔王キゥロトディアが全幅の信頼を寄せる部下の一人だ。

 キゥロトディアは彼のほうを向かず、空を見上げている。

 デューラはそれをじっと見つめ、続く言葉を待った。


「今すぐ動ける魔獣を全部集めろ。人類を完全に滅ぼす」


 静かに。穏やかに。

 キゥロトディアは命令した。

 デューラの表情がわずかに強張る。


「……よろしいのですか、キゥロトディアさま」

「なんや、反対か?」

「いえ。もとより我々はそのために人間界このせかいに来たのです。反対する理由などありません」

「その割には不満そうやな」

「それは……」


 言葉に詰まり、デューラはあるじの隣に視線を向ける。

 キゥトロディアに寄り添うように、静かに眠る年老いた勇者エヴェリーナがそこにいた。

 この勇者が魔王城に身を寄せてからも、人間界を侵攻しないようにと常々主に言っていたことは知っている。主もそれを約束として守っていたことも。

 それを急にたがえようとする発言に疑問を持ったのだ。


「まあ、デューラがそんな顔をする理由はわかる。リーナこいつも最後まで迷っとったし。結局、どっちにするかは聞けてないし」

「では、どうして……」

「決まっとるやろ。


 言って、キゥロトディアはエヴェリーナの髪をそっと撫でた。


「多分……リーナはあたしがしようとしてることを知ったら、止めるやろな。勇者になって、理不尽なスキルを押し付けられて、戦えなくなって。恨みもぎょうさんあったやろ。けど、ホンマに最後の最期まで迷っとったんや。恨み骨髄の世界でも、やっぱり自分が生まれ育った世界やから、守りたいと思ったんやろ。優しすぎんねん、この子は」

「それを……キゥロトディアさまが壊すと……?」

「せや。何もかも壊しつくして、灰塵も残さんと消し去ったる」

「勇者がそれを望んでいなくても、ですか」

「あたしがそれを望んでる。リーナの望みは知らん。……


 ガゼボに吹き込む風に、エヴェリーナの髪が揺れる。

 小さく寝息を立てていた口は、もう動いていない。

 抱き寄せたその体も、ほとんど体温を失っていた。


「なあ、デューラ」

「はい」

「お前、許せるか? リーナと同じことがお前の身に起こったら」

「…………」


 問われ、デューラは沈黙した。

 エヴェリーナが魔王城に住むようになった原因のことを言っているというのはすぐに察しがついた。


 勇者と魔王が内密に話をつけ、茶番劇を演じることで人類侵攻を止めて、十五年。

 日々死闘を繰り広げている勇者に対して、人々はこう思うようになった。


『どうして勇者はいつまで経っても魔王を倒せないのか?』


 王国軍や冒険者の奮闘があって、魔王軍の侵攻は一進一退の均衡を保っていた。

 あとは勇者が魔王を倒すだけで世界は平和になるのに、何をやっているんだ。

 そう考える者が増えていった。

 もちろん、勇者と魔王の密約で人類に被害が出ないようにの侵攻が行われているから、勇者ほどの力を持たない王国軍や冒険者によって戦線の均衡が保たれているに過ぎない。

 だが、そうと知らない者の目には、人類が地力で均衡させているように映っていた。

 ゆえに、勇者の力不足で魔王を倒せず、世界が平和にならないと言われるようになった。


 そんな口さがない言葉が国を満たし、世界を満たし――事件が起こった。


「人類は自分らが誰に守られてるかを忘れた。誰のおかげでそこそこ平和に暮らせてるかを忘れた。自分らの力を勘違いした。その挙句が……やで。信じられるか?」

「…………」


 デューラに返せる言葉がない。


 ある日。

 エヴェリーナは魔王との戦闘で疲れ果てて王都に戻ってきた。年齢も三十歳を過ぎていて、少々無理がきかなくなってきたなと自嘲しながらも、平和のために頑張って茶番を演じなければと決意を新たに宿のベッドで眠った、その晩。

 国王が放った暗殺者アサシンの集団がエヴェリーナを襲った。疲れ果てて深い眠りについていた彼女を。

 不運なことに、女神のレアスキルは相手にしか発動せず、勇者に敵意と殺気を持ったは異空間に転移しない。

 魔物に襲われることはないと戦闘用スキルを解除して眠っていた無防備なエヴェリーナに不意打ちをかけて、勇者として致命的な傷を負わせた。まさか同じ人間に襲撃されるとは想像もしていなかったエヴェリーナは戸惑いのあまり反応が遅れ、かろうじて暗殺者全員を退けたが、利き腕の腱と神経を切り裂かれたのだ。

 そこですぐに超級回復薬エリクシルを使えば回復しただろう。死んでいなければ欠損した手足すらも再生してしまう奇跡の薬なら、間違いなく。

 しかし、周到な暗殺者たちはそうさせまいと、勇者と戦闘を行っているあいだに別の者が部屋の隅に置いてあったエヴェリーナのアイテムの一切を奪っていた。

 回復アイテムもなく、底をついていた体力と魔力が自然回復するのを待って治癒魔法を施したが、もはや手遅れで完全に治せず、握力がほとんどなくなってしまったのだ。

 その結果――今までのように剣を振るうことができなくなった勇者エヴェリーナは、世界を守護する者としての責務を果たせなくなった。それにともない、国王命令で聖剣を返上させられ、勇者を名乗ることを禁じられた。

 それだけではない。

 国王は役に立たなくなったエヴェリーナを魔王に引き渡し、侵攻をやめて撤退するように申し出るための『供物』にしたのだ。

 もちろん、そんなことをして魔王が侵攻をやめるはずがないのは国王も理解していた。

 なら、どうしてそんなことをしたのか。


「リーナから聞いた話やけどな。勇者として認められるのは、その時代に一人しかおらんねんて。せやから、次の勇者が誕生するにはらしいわ。そのためにあたしに勇者を差し出した。ホンマに人間ちゅうんはとんでもないことを思いつくもんやと感心したで。魔族も真っ青になる邪悪やな」


 苦笑しながらキゥロトディアは吐き捨てた。

 聖剣を返上しても、勇者を名乗らなくても、その時代の勇者の適性を持つのはただ一人、エヴェリーナのみ。

 その現勇者を魔王に殺させ、次代の勇者を誕生させて魔王を討伐させる。

 国王はそんなことを考えたのだ。

 もともとエヴェリーナは、王国内での評判がよくなかった。

 女だから。

 若すぎる。

 小娘には荷が重い。

 ――そんな理由で。

 レベルもステータスもカンストさせ、歴代最強となっても、その声は消えなかった。

 歴代最強なのに魔王を倒せず十五年も戦いが続いている。

 最強というのはただの誇張なのではないか。

 やはり小娘に勇者の肩書と責任は重すぎた。

 次代の勇者に任せたほうがいいのではないか。

 そんな意見が人の口から出るようになり、これ幸いと彼女をよく思っていなかった連中が彼女を排除しようと動くのは、ある意味必然だったのかもしれない。

 周囲をそそのかし、貴族をそそのかし、国王をもそそのかし。

 勇者に暗殺者を送り込んで。

 勇者を亡き者にできればそれでよし、できなくても勇者でいられなければ十分。さすがに次代の誕生のために処刑するというのは体裁上できなかったが、やりようはいくらでもある。なにせ世界でもっとも強い権力を持つ王がそれを命じるのだから。

 そうして勇者エヴェリーナは、あっさりと人類に見捨てられた。


「魔界でもこんな酷い話、あらへんで。今までさんざん世界のために戦わせた勇者をこんなふうにポイ捨てできる神経がわからん。恩知らずもええとこやないか」

「…………」

「デューラの言いたいことはわかる。やからな。勇者と魔王が水面下で手を組んで、世界を騙してたのは事実やから。けど、それで仮初めでも平和な時が訪れとったんや。茶番を始めてからリーナが勇者を追われるまでの十五年で、魔獣とのやり合いで戦死した人間は両手で足りるほどしかおらんはずや。真正面からやりうて、一回の戦闘で何十、何百と死んでたときに比べたら微々たるもんやないか。せやろ?」

「はい。キゥロトディアさまから『人間を殺さないように』と厳命されておりましたので、です。人間側の数人の死者は、同士討ちなどの不手際に起因する事故で出たものです」

「その命令をあたしに出させたのがリーナや。人間の死者が減ったのは勇者のおかげなんや。せやのに自分らの力が増したと勘違いして、勇者は役立たずやて文句言うて、暗殺まで企んで。こんなん、許せるわけないやろ」


 ざぁっ、とキゥロトディアから憎悪の気配がにじみ出る。四天王であるデューラが思わず顔をしかめてしまうほどに強く濃い『暗黒の魔力』が周囲を軋ませた。

 しかし、すぐ隣にいるエヴェリーナに目をやると、それはたちまち霧散した。


「けど……リーナは笑っとった。『さすがに酷くない? これ』って爆笑してた。自分のことやのに、他人事みたいに」

「はい。勇者はどこまでお人好しなのかと、呆れを通り越して怒りを感じたほどです」

「ああ、それでお前、女神のレアスキルセーフティジャーニーで異空間送りになったんやったな。あれは笑わせてもろたわ」

「お恥ずかしい限りです」

「せやねん。いくら聖剣を取り上げられようと、勇者を名乗れんようになろうと、利き腕が使えんようになろうと、リーナにはあたしに匹敵する力が……王国を簡単に消し炭にできるだけの力があったんや。女神を泣かせた、神に近しい力がな。けど、リーナはそれを使わんかった。人類を大切にしとったから、連中を滅するより自分が身を引いたほうがいいと思いよったんや」


 そういう人間ヤツなんや、こいつは。とキゥロトディアは誇らしげに呟く。


「なあ、デューラ。お前の意見を聞かせてほしい」

「はい」

「もし、人間の王にあたしらがやってることを話してたら、こうならんかったと思うか? 茶番で世界の仮初めの平和が保たれてるて知ったら、人間の王は何て言うたと思う? ……リーナが傷つけられることは、なかったと思うか?」

僭越せんえつながら申し上げます。わたしはそうは思いません。人間とは愚かな存在です。きっと『敵対者と通じた』などと物事の表面にしか目を向けずに喚いて、勇者を糾弾したでしょう。勇者とキゥロトディアさまの深遠なお考えなど理解もせずに」

「せやろな」


 同じことを思った、とキゥロトディアはうなずいた。

 人類に、数百年に渡って戦い続けている相手である魔王の話を聞く度量などない、と。

 だからこそ、勇者の称号を剥奪され、魔王の供物にされても、エヴェリーナは何も言わなかったのだ。

 誰よりも人類のことを考え、誰よりも人類を愛したエヴェリーナだから、偏執的な考えに凝り固まった連中には一切話が通じないことを誰よりも理解していた。


「そんなリーナを見て、あたしは決めた。絶対にリーナを長生きさせて、次代勇者の誕生を遅らせたるって」

「…………」

「人間どもが、次代の勇者が現れるまでの辛抱だ、頑張れ、ちゅーて魔族と必死に戦ってるところをニヤニヤしながら眺めてな。こっちが手抜きしてるから侵攻が止まってるだけやのに、自分らの力で食い止めてるて勘違いしとんねん。最高の茶番コメディやと思わんか?」


 くくっ、と魔族らしい悪意に満ちた笑みを浮かべるキゥロトディア。


「それを十分楽しんで――いつか来るリーナとの別れの日に、あたしは人類を滅ぼそうと決めてた。あたしの大事な親友に酷い仕打ちをしたやつらを、あたしは絶対に許さへん。リーナがそれを望んでへんかっても関係ない。人類を滅ぼさへんって約束したキゥロトディアは、リーナが旅立ったときに。せやから……今ここにおるのはキゥロトディアやない。人類を滅ぼすためにこの世界へやってきた魔王や。勇者もおらんこの世界で、本来の仕事をするだけの、魔族の王や」


 言って、は部下を見やった。


「人類が新たな勇者の誕生で浮かれとるところを。希望に満ちたところを、粉々に打ち砕いたるねん。希望が絶望に変わる瞬間を大笑いしながら見たいねん」

「はっ」

「デューラ。やってくれるか?」

「是非もございません。我ら四天王はもちろん、全軍をもってのお望みを叶えて見せます」

「そうか。……すまんな」


 ふ、と笑みをこぼし、魔王は勇者を抱き上げた。

 驚くほど軽くて、穏やかな寝顔が美しくて、魔王は少し目尻に涙をにじませた。


「あたしは部屋におる。準備に一日はかかるやろ、できたら呼びに来てや」

「御意」


 恭しく頭を下げ、デューラは魔王の背が城内に見えなくなるまで見送った。



       ◇   ◇   ◇



 世界の片隅で勇者の資質を持つ者が見つかったという知らせが、世界中に駆け巡った。

 新たな勇者は、二十歳を少し過ぎた、優しく正義感に溢れる逞しい青年だという。貴族や元老院のお偉方も納得するような好人物だった。

 勇者として成長すれば、必ず魔王を討ち滅ぼしてくれるだろう。

 世界の平和を取り戻してくれるだろう。

 そんな希望に満ちた知らせに王国中が湧き上がり、新たな勇者が王都に招かれ、国王が勇者に聖剣を授ける――その聖なる儀式の途中で、美しい金髪紅眼の少女が乱入した。


「君が新しい勇者か。なかなか男前やん。けど、先代には届かんなぁ」

「な、何者だお前は⁉ どうやってここに……警備兵はどうした⁉」

「警備兵? あー、働かせすぎちゃうんかな。外で寝とったで」

「寝て……? それはどういう……いや、そんなことより、お前は……!」

「初めまして、やな。国王サマ。あたしは君らが必死になって倒そうとしてる『魔王』や。新しい勇者の顔を見に来た」

「なんだと……? 冗談を申すな、貴様のような小娘が魔王だと?」

「別に信じてくれんでもええよ。ホンマ……どっちでもええ」


 す……と魔王の表情が消えたと思うと、

 その場にいた人間、数十人はまったく事態を理解できなかった。

 魔王を名乗る少女が現れ、勇者が一瞬で塵になって――それをやったのが目の前にいる金色の髪の少女だと、誰もが信じられないでいた。


「…………」


 エヴェリーナとキゥロトディアの間に交わされた密約の話をして、人間たちの反応を見ようと思っていた魔王だったが――国王の態度でそれがデューラの言うように無駄だと悟って、小さく息をつく。


「それではみなさま――さようなら。永遠とわに尽きることなき苦しみが、その魂に深く、深く、刻まれますよう、心より願っております」


 しん、と静まり返る儀式の間に、凛とした魔王の声が響く。

 人々は、ドレスの裾をつまんで持ち上げ、ゆっくり頭を下げる貴族のような美しい少女を目にした。

 それを最後に、視界のすべてが黒い奔流に飲み込まれて。




 世界は、滅んだ。




       終

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魔王がめちゃくちゃ(中略)に(中略)する(中略)そうです ~After Story~ 南村知深 @tomo_mina

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