魔王がめちゃくちゃ(中略)に(中略)する(中略)そうです ~After Story~

南村知深

エヴェリーナ

 周囲を高く険しい山に囲まれた、天を衝くような荘厳な城がそこにあった。

 陽光を眩く跳ね返す真白な壁と、蒼天を模した青い屋根。緑豊かで手入れの行き届いた庭園。色とりどりの花々が咲き誇る花壇。

 それらはまるで王宮に匹敵する美しさであった。



 その城の庭園の片隅にある東屋ガゼボ

 少し小高いところに建てられた小さな佇まいのそれは、大きさに反して、庭園と城、その後ろの山々をも一望できる絶好の景観を誇る。

 柔らかな日差しと緩やかな山下風の中、ささやかに備え付けられた木製のベンチに一人の老婆が座っていた。

 彼女は特に何をするでもなく、ただ美しい風景を眺め、穏やかに微笑んでいた。


「なんや、こんなところにおったんか」


 庭園の生垣を抜け、ガゼボにやってきた少女は、少し安堵したように息をついて言った。

 まだ二十歳前くらいだろうか、煌めく長い金の髪を背になびかせ、頭の両側から伸びる漆黒のツノに陽光を照り返し、切れ長の燃えるようなあかい瞳で老婆を優しく見つめている。


「ベッドにおらんかったから探したんやで」

「それは悪かったわ、キゥ。でもね、今日はすごくお天気が良かったから、外に出てみたくなったの」

「そうか。この陽気やったら気持ちはわからんでもないな」


 『キゥ』と呼ばれた少女は、ちらりと空を見上げ、雲一つない晴天に小さく笑みをこぼした。そして着ていたローブ脱いで老婆に着せてやり、その隣に座った。


「天気はええけど風が冷たいからな。風邪ひいたらアカンし」

「ありがとう」


 丁寧に礼を言って、老婆はキゥに微笑みかける。

 それだけでキゥは嬉しくなった。


「で? 何見てたんや?」

「お城をね、見ていたの。いつ見ても綺麗なお城だなって」

「まあ、せやね。これが魔王あたしの居城やて、普通は思わんわな」


 くく、と笑って、魔王キゥロトディアは老婆と同じように城を眺めた。

 ここに城が建って三百年余りになるが、魔王の魔力があれば朽ちることも崩れることもない。いつまでも美しい佇まいのままだ。築城した魔王から数えて五代目になるキゥロトディアが城主あるじとなってからも、何も変わっていない。


「初めて来たとき、本当に魔王がこんな綺麗な城に住んでいるのかって思ったのを、今でも覚えてる。これから魔王と戦わなきゃいけないのに、お城もお庭も立派で、見惚れてしまって」

「あのときは……せやな、あのスキルのせいで勇者リーナと会えんやったな」

「玉座の間まで誰にも会わなくて、魔王キゥと四天王をいっぺんに相手しなきゃならないのかなって怖くなって。でも、玉座の間には誰もいなかったのには驚いたわ。そのときは女神のレアスキルがいつの間にか付与されていたことに気づいていなくて、まさかそのスキルのせいで魔王が異空間に飛ばされて消えているなんて思いもしなかったわ……」


 くすくすと笑い――急に老婆は小さく咳き込んだ。

 キゥロトディアがそっと老婆の背に手をやる。


「大丈夫か、勇者リーナ?」

「ええ、大丈夫よ、魔王キゥ


 言って微笑みかけて、老婆エヴェリーナはキゥロトディアのもう一方の手を握る。


「……こうなるのはわかっていたけれど、やっぱりね……」

「言うな、リーナ。言わんとってくれ」


 エヴェリーナの手を握り返し、今にも泣きそうな顔でキゥロトディアは首を振った。

 その顔を見て、エヴェリーナの表情が曇る。


「ごめんなさい。もう言わないから」

「ええねん。それよりリーナ、ちょっと聞いてや。デューラのやつがなぁ……」


 キゥロトディアはつとめて明るく話し始め、つらつらと部下の愚痴を並べた。



       ◇   ◇   ◇



 ――かつて、この世界には人類滅亡を企む魔王と、それを阻止しようとする勇者の戦いがあった。それは三百年余りにわたる、長い長い戦いの歴史である。

 歴代の勇者と魔王は持てる力をぶつけ合い、壮絶な戦いを繰り広げ、両者ともに力尽きた。

 傷ついて深い眠りについた魔王が復活を果たし、再び動き出すまでの平穏な時代に、それを阻止するために将来勇者となる者が生まれ、やがて両者は宿命のように戦いに身を投じた。

 そうして繰り返される勇者と魔王の戦いが五度目を迎えたとき。

 歴史が変わった。

 魔王と戦って死にたくないと、自らを鍛え上げて歴代最強最貧となった勇者。

 勇者と戦って死にたくないと、勇者と互角の力を持ちながら孤独を嫌って慣れ合うことを選んだ魔王。

 勇者『エヴェリーナ』と、魔王『キゥロトディア』。

 彼女らは殺し合いではなく互いに手を取ることで、長きに亘る勇者と魔王の死闘に終止符を打った。

 世界に、二人ので保たれた『平和』が訪れたのだ。



 それから十五年が経って。

 勇者エヴェリーナは、拠点にしていた王都を出て、魔王城に身を寄せることになった。

 二人がそれまでに繰り返してきた茶番劇はもう必要なくなり、お互いに戦うこともなくなった。

 魔王キゥは人間界への侵攻を中断して勇者リーナと過ごすことを選び、共に魔王城での生活を始めた。


「私の目の黒いうちは、人間界を滅ぼさせないからね」


 エヴェリーナは常々、キゥロトディアにそう宣言していた。

 キゥロトディアはそれを守った。親友リーナとの約束だからと。

 心の奥底から火山のように湧き上がる憎しみに支配されて、人類に刃を向けそうになることが何度あったかわからない。それほどまでに、キゥロトディアは人類を憎んでいた。

 だが、エヴェリーナがそれを止めていた。エヴェリーナがそばにいて、一緒に笑ってくれるあいだはそれを忘れることができた。

 それが永遠に続けば、二人は幸せでいられた。


 だが――それは叶わぬ夢だ。


 勇者は人間で、魔王は魔族である。

 老いる早さも、寿命も、種族間で尺度がまるで違う。

 二人の間には、歴然とした種族の違いがある。

 出会ってから十五年経って、勇者はずいぶんステータス値を下げた。見た目も年相応に変わった。

 一方、魔王はほとんど変わらない。ステータス値はもちろん、容姿も。

 むしろ、魔族の寿命を考えればこれからピークを迎える時期である。

 今戦えば、間違いなく魔王は赤子の手をひねるごとく勇者を倒せるだろう。

 両者の溝は年月が経つにつれ、大きく深くなっていく。

 『違い』をまざまざと見せつけられていく。


 それでも二人は――戦いを捨て、共にいることを望んだ。



       ◇   ◇   ◇



 さらにそれから数十年が経ち。

 エヴェリーナはすっかり歳をとり、老婆になった。

 歴代最強と謳われた、かつての姿はもうない。

 若々しい姿のままのキゥロトディアと並ぶと、まるで祖母と孫のようだった。

 それでも二人は親友同士で。

 互いに大切な人だった。



「ほんでな、火の魔獣ブライズがいきなりキレてなぁ。ホンマにあいつは短気で難儀なやっちゃで」


 困ったことを話しているのに、キゥロトディアは楽しげに笑っていた。

 エヴェリーナはそれを聞きながら、嬉しそうにしている。

 返事はしない。ただキゥロトディアの話を聞くだけで十分楽しいのだった。


 やがて一方的なキゥロトディアの話が少し途切れて。


「……ちょっと風が出てきたな。部屋に戻ろか、リーナ」

「いいえ。もう少し……ここにいたい」

「そうか。わかった」


 いつの間にか空に雲が増えて、ガゼボを吹き抜ける風が冷たくなっていた。キゥロトディアはエヴェリーナに着せたローブの前を閉じて、彼女が冷えないようにしてやった。


「キゥは大丈夫? 寒くない?」

「平気や。こんなんで風邪ひくような魔王はおらんで」

「そうやって油断して、三日間寝込んで水の魔獣デューラに怒られたこと、忘れたの?」

「何十年前の話しとんねん。覚えてへんわ」


 ぷう、と頬を膨らませて拗ねるキゥロトディア。

 エヴェリーナはそれを微笑ましげに見つめていた。


「…………」

「なんや、ヒトの顔をじっと見つめて。なんかついてるか?」

「……今までありがとうね、キゥ。私と一緒にいてくれて」


 冗談めかして言うキゥロトディアに、エヴェリーナはそんな言葉を返した。

 瞬時にキゥロトディアの表情が強張る。


「なんや、急に。何ゆーとんねん?」

「急じゃない。ずっと前から、言っておきたかったことだから」

「ちょ、やめーや。そんな……」


 考えないように。

 見ないように。

 無理に忘れようとしてきたことを。

 エヴェリーナは思い起こさせてしまった。

 ぎゅう、と心臓を鷲掴みにされたような苦しさに、キゥロトディアの眉根が寄る。


「多分……キゥにはすごく我慢させたと思う。私のことで、すごく迷惑をかけたと思う」

「…………」

「でも……それももうすぐ終わる」

「終わらへん! 終わらせへん! 何ゆーとんねん!」

「ううん。ごめん。もう、終わっちゃう。先に行くことになりそう」

「リーナ……!」


 嫌な予感を振り払うために大きな声を上げる。

 認めたくないと、虚勢を張る。

 そんなことはさせないと、エヴェリーナの言葉を帳消しにするように声を上げる。

 だが、エヴェリーナは小さくかぶりを振り、微笑むだけだった。


「ねえ、キゥ。あなたは、この人間界せかいが好き?」

「あぁ? なんやこんなときに……!」

「答えて?」

「…………」


 まっすぐに見つめられて、キゥロトディアは息を呑んだ。

 かつて、本気で戦ったときのエヴェリーナの目に灯っていた光をそこに見たから。

 本気で答えなければいけないと、本能で感じた。


「大ッ嫌いや。言わんでも知っとるやろ。あたしが人間嫌いにんは」

「ふふ……そうだったわね」


 おかしそうに笑って、エヴェリーナは空を仰いだ。

 上空の風が強まっているのか、白い雲が吹き飛ばされるように遠くへ流されていった。


「そういうリーナは、世界大好き人間やもんな」

「……そう見える?」

「見える。……ちゃうんかいな」

「うん。


 はあ、と小さく息をつくエヴェリーナ。目を細めて、城の一番高い屋根を見つめる。

 その先に、鳥らしきものがいた。昔ならはっきり見えていたのに、今は視力が衰えてしまって、それがどんな鳥かわからない。


「人類を守るために勇者になって、人類のために戦って。女神のスキルで魔王を倒せなくなって、いろいろ言われて。多分ね、キゥが茶番を持ちかけてくれなかったら……そのうち人間に絶望してと思う。だってねぇ……私にさんざん酷いことを言って、惨めな思いをさせた人類を、なんで守らなきゃなんないのって。世界を壊すなら私の手でって思っているのに、どうしてそのを魔王なんかに譲らなきゃならないのって。ずっと、そんな魔族みたいな黒いモノを溜め込んでいたのよ。知ってた?」

「いや、知らんかったな」


 キゥロトディアは即答した。

 だが、それはウソだった。キゥロトディアには。そういう鬱憤を溜め込んでいたことは、初めて玉座の間で顔を合わせたときになんとなく察していた。

 それがはっきりと読み取れたのは、エヴェリーナが魔王城に住むことになってからだ。


「そんな勇者らしからぬことを考える自分と、それでもやっぱり世界を守りたい自分がいて、いつかは踏ん切りがつくかと思っていたのだけど……無理だったわね。今もまだ、どうしたいのか自分でもわからない……」

「無理なことあらへん。まだまだ十分考える時間はあるんや。ゆっくり答えを出したらええねん。あたしはいつまでもリーナに付きうたるからな。人類を滅ぼしたいと思うんやったら手伝うし。なんちゅーても、あたしらにはあの女神ポンコツを泣くまでシバキ倒した強さがあるんやからな。それくらい余裕やで。逆に、その力を使って護ってやることもできる。せやから、ゆっくり考えたらええ」


 言いたいことを全部吐き出すように、キゥロトディアは早口で、一息で言った。そうしないと――そう思ったから。

 エヴェリーナは小さくうなずく。


「そうね……ありがとう、キゥ」

「礼を言われるようなこっちゃない。あたしら親友やねんで。遠慮すんなや」

「ゆっくり、考えるわね……」


 呟くように言って、エヴェリーナはキゥロトディアにもたれかかった。

 目を閉じて、すうすうと寝息を立て始める。


「寝るんやったら部屋に戻りーや。ホンマに風邪ひくで」

「……ここがいい。キゥの隣が……いいの」

「もー、しゃーないやっちゃなぁ……」


 ふう、とため息をついて、キゥロトディアはエヴェリーナを抱き寄せた。

 幸せそうに眠るエヴェリーナを見つめるキゥロトディアは苦しそうに眉根を寄せて、それでも笑顔でいようと精いっぱい虚勢を張って、こみ上げてくるものを我慢した。

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