03(最終話) 夕方、そして朝

 黒之埼くろのさきは小さく息を吐いた。


 「実はお前、ドッキリのターゲットなんだ」

「え?」

黒之埼は、がばりと頭を下げた。九十度以上腰を折り、ぎゅっと目を閉じる。

「お前、今ドッキリ仕掛けられようとしてんだ。倉庫には先輩たちが待機してて、なんかすげーお化け屋敷みたいな演出考えてんだって。俺はそこにお前を連れて行くように言われた。断れたらよかったんだけど、弱くて断れなかった」

黒之埼は、腹の底からあふれる言葉をそのまま続けた。

「俺さ、俺ダメなんだ。俺が、自分が厭な気持になりたくないからドッキリをめちゃくちゃにしてる。でも、何も知らないお前を怖い目にあわせたくもない。そういうの、イヤなんだ。だからさ、どうせ嫌な奴になるなら、どんな嫌な奴になるか自分で選びたいって思った。お前に怖くてイヤな思いもさせたくないけど、だからって皆のドッキリの計画をムチャクチャにしたいわけでもない」

唾が喉につまって咽そうになる。それを腹筋の力で無理やり抑えつけて、黒之埼は最後の一息を畳みかけた。


 「だからすごく申し訳ないんだけど、驚かされたフリをしてほしい」


 言い切って、恐る恐る目を開ける。真っ白ののっぺりした床を見つめる。時間にしてほんの一分、二分、思いの丈を口にしただけなのに、こめかみに汗が浮かんでいるのを感じる。

 こめかみの汗が頬に垂れるほどの間が空いて。

 頭上から聞こえてきたのは、低い笑い声だった。


 顔をあげる。折宮は笑っていた。細くて長い指を口元にあてて、さもおかしそうに肩を揺らして笑っていた。

「驚かされたフリをしてくれ、かぁ。うん、やっぱりキミ面白いね。初対面でキミにね、なんかあると思ってたんだ。面白のタネがさ。でも予感はあくまで予感だったから実際どうなのかなーって思ってたけど。でも、ここまでとは思っていなかったよ」

そっと、肩に手が置かれる。

「ね、一つだけ教えて? 首謀者は誰?」

「え、っとそれは……北条センパイ、って聞いてるけど」

「あーやっぱり」

やっぱり? この場においては妙に不自然に感じる言葉に、黒之埼は思わず身を起こした。


 折宮は、棒付き飴に指をかけ、口の中でくるくると回し始める。

「まぁあれかぁ、北条センパイの彼女がオレに言い寄ってきたのが原因かなぁ」

黒之埼はぽかんと口を開ける。耳から入ってきた文章が、頭の中で単語ごとに千切れていく。

「彼女、が……折宮に言い寄った?」

「うん。週末一緒に買い物行かない? って。腕に胸とかめいっぱい押し付けられたけど、見てる人が多すぎたんだよねぇ。学食でやらないでほしいっていうか」

あっけらかんと折宮は語る。窓から差し込む夕暮れの光をうけて、折宮の手の中のキャンディは赤く染まっていく。

「オレは普通に断ったけどね。でも怖かったなぁ、学校の廊下とかでさ、北条センパイの眼。なんか全部オレが悪いみたいな感じで見てくるワケ。廊下で突き飛ばされたり、ヘンな噂流されたり。うざいからさ、気にしないでいたんだよ。そしたらまぁ、どんどんエスカレートしてくよね。やだやだ。何がやだってあの目がやだ。オレからしたらなんかもうそっち二人でなんとかしてほしい問題だったんだけど。逆恨みしかできないニンゲンっているよねぇ」

同意を求められ、ただ、やっと理解が追い付いたばかりの黒之埼は、やっとのことで応える。

「お前、とばっちりじゃん」

「あっはは、よくあるよくある。なんかね、浮気したい気分の女に好かれるんだ、オレ」

「とんでもない事言ってないかお前」

「これぐらいの恨みつらみ、大したことじゃないよ。ただ、うーん周りを巻き込んだドッキリかぁ。……あんまりオレの時間を無駄に浪費させないでほしいなぁ」

うたうような軽い調子、だがその声にこめられた折宮の純粋な苛立ちを、黒之埼は察して凍る。


 「うん、まあいいや。ハエはなんとかするとして。むしろ深刻なのは――」

深い森を思わせる目が、黒之埼を見据える。何か、自分を見ている以上の何かを観られている気がして、黒之埼は思わず姿勢を正した。


 折宮はくるくると棒付き飴を回しながら、微笑んだ。


 「忠告してくれてありがとう。黒之埼くんはもうこっちの事は心配しないでネ」

「で、でも……こっち? こっちって、何」

「そうそう、勇気に免じてお礼しなきゃね」


 折宮は、黒之埼にしっかりと目線をあわせた。そして言った。

「君が毎朝自転車を停めている第二駐輪場のあの場所ね、もうあの場所に止めるの、いや近づくのをお勧めしないよ」

「だ、第二駐輪場? なんで?」

突然会話に引っ張り出された朝の光景に面食らう。


 折宮は首を傾げた。さらさらした黒髪が折宮の白い耳の上を滑る。折宮の、薄くて赤い舌が躍る。


 「だってさ。毎朝、誰かの視線感じてるんでしょ?」

「なんでそれを」

「ソレね、君はいつも背後を気にしてるけど、君を見てる相手は後ろじゃないんだよ」

折宮は、棒付き飴を床に向けた。


 「地面に這いつくばってる女が、君の事を見上げてる」


 思考が止まった。指先が痺れる。喉が渇く。

「なんで」

なんで、とその一言を言うのに、一年以上の時間を費やしたような気さえする。だが、動揺する黒之埼を前に折宮は涼しい顔で言った。


 「去年、隣のマンションとうちの大学の間の路地で殺人事件があったんだ。ほら、表通りは明るいのに、あそこだけ薄暗くて、じめじめしてて人通りが少ないだろう。被害者の女性はマンションの住人。両足を折られた上で首を絞められて殺された。無念、だったんだろうねえ」

折宮の大きな眼が、窓の外、第二駐車場越しに灰色のマンションの方へ向けられる。

「犯人は未だ捕まってない。でも、彼女にとってきっと知り合いだったんだよ。じゃなかったら、こっちまで来ない」

「こっちまで、来ないってどういう」

「彼女は執念で、這ってやっとたどり着いたんだよ。この大学の敷地まで。第二駐車場に毎日自転車を停めていた犯人の元へ。君は――たまたま同じ場所に自転車を停めてる。つまりね、すっごく運が悪いんだ。幽霊なんて、人の道理が通じる存在じゃないんだから、このままだと理不尽にとり殺されるよ」

「そんな、そんなわけ」

ガリッ、バキン、と凶暴な音がして、折宮の口の中で飴が割れた。じゃりじゃりと飴を噛み砕きながら、折宮は言った。


 「最近、自転車の鍵落とすコト増えてるんじゃない? ——それは、君の手を痺れさせた何者かのせいだよ」

寒気が足元から背筋を駆けあがる。手の中に、妙に鈍く感じた自転車の鍵の重みを思い出す――


 思わずしゃがみこんだ黒之埼の肩をポンポンと叩き、折宮は軽快な足取りでA棟へと戻っていった。

「忠告ありがとうは、お互い様。じゃあね」


 黒之埼は、白い床にぺたりと手をついた。手のひらが熱いのか冷たいのか分からない。平衡感覚が頭痛と共にあやふやになっていく。

 胸の中に杭のように打ち付けられた恐れは、二つあった。


 一つは、毎朝自分が無造作に体験していた出来事の意味を知ってしまったこと。その根源の釜の蓋を開けてしまった本能的な怯え。

 そしてもう一つは―—折宮という男そのものへの畏怖。

 もう立ち上がれない。膝も喉も何もかもが震えて暫く自分は使い物にならないだろう。だが、もしこの現状がどうにかなるなら、黒之埼は北条センパイに言いたかった。


 あんな男に、ドッキリなんて絶対にやめておけ、と。


 だが同時に、理や言語というものをそぎ落とした、ただの生物としての本能が未来の信号を感じ取ってもいる。

 きっと北条センパイはもう、取り返しがつかないのだと。


 夕暮れがゆっくりと傾いて、空の色を紺色に変えていく。

 やっと黒之埼が立ち上がる気力を得た頃には、折宮の姿などあるわけもなかった。


***


 その後ドッキリはどうなったかというと―――分からない。須田が言うには、「北条先輩がサークルを辞めた」との事。理由は知らない。きっと誰も知らない。いや、折宮以外は。


 数日後。

 黒之埼は駐輪場に花を供えた。

 宗教も、正しい供養の方法も良く分からない。もしかしたら保身をはかっているだけのかもしれない。自分でも理由の説明できない行動だった。ただ、花を供えたいという気持ちがあったからそうした、としか言いようがなかった。


 ふと、立ち上がった黒之埼は誰かの視線を感じた。深い森の底から、見つめられている。


 顔をあげ、二階の方を見上げた。

 窓枠を額縁にして、折宮がこちらを見ていた。柔らかく、微笑んでいた。

口の形が動く。


「君は、それでいいよ」


 ふわりと風が吹き込む。供えた花がざわめいた。

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かいくぐる視線 二八 鯉市(にはち りいち) @mentanpin-ippatutsumo

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