02 連絡通路
A棟とB棟の間に、白い連絡通路が伸びている。
その連絡通路の中ほどで、
「あのさ、折宮」
男にも女にも見える。柔らかで整った顔立ちの男が、黒之埼に声をかけられ振り返る。
髪は長い。黒のストレートがすとんと肩に落ちている。いつも無造作に赤い髪留めのゴムでくくっている。首筋が細くうなじが白く、背後から見ているだけでは男か女か分からない。
服装は洒落たメンズ向けの服だ。だが、折宮自身の体格がほっそりしている為、男装っぽいファッションを好む女性にも見える。
眉が優しい。目も大きいのに穏やかに伏せられている。鼻はスッと高く彫が深いのに、顎はほっそりとシャープだ。男性とも女性ともとれる両方の要素が混在している。
ただ。
「どうしたの、黒之埼くん」
声は驚くほど低い。年季の入った弦楽器のように、渋く低く響く。ここばかりは、女性に間違える要素が無い。
ところで声は驚くほど渋いのに、口元には無造作に棒つき飴を咥えている。
「なんで飴」
「校内禁煙だから仕方なく。それで何?」
「あー、いや、あのさ」
黒之埼は躊躇う。
「これから、C棟の倉庫に一緒に機材を取りにいってほしくて。先輩たち、重くて一人じゃ無理らしくってさ」
驚くほど、嘘はすらすらと口をすべる。用意していた台詞が、用意していた通りに述べられた。
断ってくれ。
断ってくれ、断ってくれ、断ってくれ。
頼む。どんな理由をつけてでもいいから、断ってくれ。俺は、こんな風に人を騙して笑う遊びになんて加担したくない。
黒之埼は心からそう願ったが、
「ふぅん……うん、いいよ」
折宮は人のいい笑みを浮かべ、あっさり頷いた。
「え……」
「なぁに? 急ぐんでしょ、ほらほら、早く行こうよ」
二人並んで、連絡通路をコツコツと歩く。
これから折宮を怖い境遇へ連行する立場であるにも関わらず、黒之埼の心境としてはむしろ自分がとても厭な場所に連行されているような気分だった。
北条センパイの命令だ、と自分を鼓舞する。
そうじゃなければ、これからもサークルを続けられない。
不意に、ガラス窓にうつる情けない顔をした自分と目が合う。
中学までの黒之埼は、「正義委員長」なんてあだ名をつけられていたぐらい真面目だった。
だが高校では風向きが変わった。「正義委員長」は「ノリが悪い」と判定された。
黒之埼はこういう点において、ある意味要領がよかった。保身のため、「正義委員長」をやめた。そして、面白くもないノリに付き合って迎合していくことにした。
迎合は、イヤだが上手くできた。できてしまった、というべきか。
だが、そんな自分がどんどん嫌な奴になっている気がして、黒之埼は日々日々自己嫌悪に陥った。成績こそ根性でどうにかしたものの、三年生の後半はストレスのせいで意味もなく学校をサボったり、それを心配する親に逆ギレしたりする毎日が続いた。
”できないワケじゃないが、したくない”
それが黒之埼にとっての、友人の悪ノリに付き合うという事だった。
せっかく大学で環境も変わったのに、また同じノリに巻き込まれるのか、と思うと。ふと、通路の真ん中で足が止まる。
変わりたい、という意思があるのに。
折宮が首をかしげる。
「どうしたの?」
「え?」
折宮に声をかけられ、黒之埼はそこで初めて、自分の脚が連絡通路の半ばで止まっている事に気が付いた。無意識の中で、身体が拒絶しているのだと知った。
「あ、いやその、なんでも」
「話してみてごらんよ、聞くよ」
優しい、包み込むような声。大木と、森林の風を思わせる自然な深い声。
その声に促され、黒之埼は顔を上げる。
そして、折宮の眼をみた瞬間動けなくなった。
折宮は澄んだ目をしていた。澄んでいる、だが深すぎて何を見ているのか分からない目。
新入生歓迎会の飲み会で初めて会った時にも感じた、不思議な目。
そうか、彼に引き寄せられる、不思議な引力の源はこの目か。
底の知れない目だと思った。だが、底が知れないが――グンと惹かれる目をしていた。それが、深い森に吸い込まれるような、或いは底なしの池に手を伸ばすような危うい好奇心だとしても、その好奇心に吸い込まれるなら本望だというような。
だから漠然と、仲良くなれたらいいと思っていた。
思っていたのに。
黒之埼はふと、喉の渇きを自覚し、思い出した。
自分は愚かだ、としみじみ思った。
今後のサークルでの付き合いの事を思い、自分の意思を曲げようとしている自分を、ひどく愚かだと思った。
黒之埼は拳を握った。手のひらに爪が食い込んで痛い。だが、その痛みが、高校を卒業する時の決意を思い出させてくれた。
「あのさ、折宮——」
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