かいくぐる視線
二八 鯉市(にはち りいち)
01 自転車置き場
「ってワケでぇ、クールな折宮クンをドッキリで暴いちゃおう! ってのを新人歓迎会でやりたいわけ」
「へぇー、面白そうじゃん」
――まだ、こんな事をしなくちゃいけないのか。
ドッキリの仕掛人なんて、もう二度とやりたくないのに。
とはいえ、目の前の男——須田は、黒之埼の反応にさほど興味がないのか、それとも元から鈍い人間なのか、黒之埼が”ドッキリ計画”にノリノリでいると思っているらしい。
「でさ、倉庫にはもうすんげーヤバい仕掛けしてあるの。お化け屋敷としてカネ取れるレベルの。いやー新人歓迎のドッキリにしては手が込みすぎって感じ」
「ふぅん、そうなんだ」
「俺さ、ドッキリとか初めてだからさ。黒之埼はどう?」
「俺は、まあ」
苦い記憶の味が、舌の上に広がる。粘つく唾液を飲み込み、黒之埼は自転車の鍵をくるくると回した。
「昔何回かあったかな。でも、子供だましの奴」
「へぇー! でもさ、今回は子供だましじゃないんだ。本、格、的、お化け屋敷! そこに連れ込まれた折宮、一体どうなっちゃうんだろうなー! あっはは、楽しみ!」
「あー、うん」
自転車のカゴから、リュックを引き上げる。「もう行っていいか」の合図を悟った須田が、「あっ、それからな」と黒之埼に言った。
「黒之埼、お前が折宮を呼び出す係だから。北条センパイからの指名」
「は、はぁ!?」
素っ頓狂な声に、須田は笑う。
「いやーだって突然倉庫来てくれって言われても折宮きっと来ないじゃん。でもさ、ほら、お前この前の新人歓迎会で折宮と話してただろ?」
「話してた、って言っても」
―—この間君が弾いてた曲、オレも大好き。ね、ベースやってるんだよね? 連絡先交換しようよ。
不思議な男。
それ以上にアイツを言い表す言葉があるだろうか?
ふわふわした見た目に反して、妙に引力のある男だった。魅力という言葉では生易しい、もっとじめじめした質感を伴う人間の引力――結局、あれよあれよという間に連絡先を交換してしまった。結局、彼の纏う引力の正体が何だったのは分からないままだった。
だが、連絡先を交換しただけだった。当たり障りのない世間話をして、それ以降誘いも提案もない。
だから黒之埼は言葉を濁した。
「でも俺と折宮、ちょっと自己紹介しただけだし」
「でもほら、折宮ってそもそも近寄りがたい感じあるじゃん? だから、ナチュラルに誘い出せるのはお前だけなんだって。じゃ、よろしくな。えーと、今日の六時に、C棟の第一倉庫。北条センパイ、お前に期待してるって。このドッキリが上手にできたら、これからの学生ライブとかでお前の出番増やせるかもって。じゃあな!」
ばん、と肩を叩かれ。黒之埼が何か言う前に、須田はスタスタと行ってしまった。
黒之埼はため息をついた。自転車の鍵をリュックに入れようとして、不意に手が震え、落としてしまう。無機質な金属音がアスファルトに弾ける。
何をやっているんだろう。
思わず零れたため息が灰色の地面に広がっていく。
この大学は、色々な箇所に「新旧」が混在している。
そしてこの駐輪場は、”古い方”の駐輪場だ。新しい方は無数の銀のレールが規則正しく並び、盗難防止のロック機構まで備えてある。だがこっちの古い方は、申し訳程度のトタンの屋根があるだけ。それも、ところどころ雨漏りが見える。
日当たりだって悪い。近くのマンションが太陽を遮るせいで、もろに日陰で、だからより一層じめじめしている。無機質で巨大な灰色のマンションは、地上から見上げると無骨な巨人のようでどことなく怖い。
ああ。朝早くに来れば、新設の方の駐輪場に悠々と停められたのに。いつも、出遅れてここになってしまう。
ぼた、とどこかのトタン屋根から水滴が落ちる音が聞こえる。空はちゃんと晴れているのに、この付近はいつもどこか湿っている気がする。
じっとりとした駐輪場の片隅で、黒之埼は腰をかがめて自転車の鍵を拾った。ただ鍵を拾う動作なのに、妙に重苦しく感じる。
まあ、憂鬱な気分の原因の最たるものはやはり、”ドッキリの片棒”だろう。
黒之埼は目を閉じる。瞼に甦るのは、苦い記憶。
同級生を呼び出して。
クラスメイト同士で驚かせて。
驚いている顔を笑いあった記憶——
「なんで大学でも、やってる事同じなんだよ」
センパイが考えたドッキリに、いやいやでも参加する。それが人付き合いってことなんだろうか。これからの人生も、そういう付き合いとは縁が切れないのだろうか。
苦々しく呟き、拾った自転車の鍵をリュックのサイドポケットに押し込んだ。
その時だった。
ふと、肩越しに視線を感じた。
誰かに見られている。
違和感と確信の間。実態はない、だが皮膚越しに骨を刺すような視線。
――まただ。
最近、いつもそうだ。
この唐突な、鋭くそれでいてじっとりと絡みつくような視線をいつもこの場所で感じる。
黒之埼は振り返った。
ムダだとは分かっていた。いつもそうだから。
灰色の駐輪場には誰も居ない。置いていかれた自転車がただ静かに並んでいる。
視線はどこから感じるのだろう? 分からない、ただ背中を見られていた、その確信だけが―—
ふと、校舎を見上げる。
二階の窓。銀のサッシを額縁にして、
「折宮……」
これから罠にハメなければならない男、
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