色褪せた紙片

 朝食の後片付けを終え、サフィに教えられた老人を訪ねるためにオアシスを歩く。

ウトバという少年の高祖父はかつてここではない別のオアシスに暮らし、その後このオアシスに移住してきたという。

池に沿って歩くと、昨晩の宴で見知った顔に出会う。

ヤール族特有の褐色の肌に汗をきらめかせながら、ある者は綿花の栽培に、ある者は羊の毛刈りに、皆懸命に日々を営んでいるようだ。

また出稼ぎに向かう男衆でもいるのだろうか、女性たちが出来上がった革製品を行李に詰める様子も見られた。

小さな子供も手伝っている。ただでさえ過酷なこのアウスには、労働に男女の括りも老若もない。


 池をちょうど半周したころ、そのほとりに座り絵を描いている少年に出会った。

傍らにはたくさんの動物の皮と、湯あみに使った桶の3倍はあろうかというほど大きな木桶が置かれている。

木桶の中には動物の皮とともに、繊維質のものが水とともに浸けられている。

どうやら革なめしの最中のようだ。

少年はクリスの接近に気づかないほど絵に没頭している。

水面に反射した太陽光が、特徴的な青い瞳を輝かせている。

ヤール族は皆黒髪に青い目を持つが、彼の瞳は他のものより空色に近い。

サフィから聞いたウトバの容姿に合致している。

「きみ、ウトバくんだよね?」

声をかけるとひどく驚いたようだった。

「そうだよ」

少しぶっきらぼうに返す。

ちらりと木桶に目をやり、視線をクリスに移す。

「きみのおじいさんに話を聞きたいんだ。きみのおじいさんは、違うオアシスの生まれだと聞いて・・・」

「じいちゃんは放牧に行ってるよ。ここより少し北に、すごく小さいけどオアシスがあるんだ。そこの草を食べさせに行ってる。たぶん戻るのはあの陽がもう少し昇ってからだよ」

そう言って視線の先、南東の方角を指す。

「陽が昇りきる前には戻ると思うけど」

再び手元の紙に目線を落とし、描きかけの絵の続きに戻る。

「きみは絵が上手なんだね」

クリスがウトバの手元をのぞくと、ウトバは気恥ずかしそうに頬を掻いた。

耳が真っ赤になっている。

「・・・ありがとう」

存外素直な少年のようだ。不愛想に見えたのは照れ隠しだったらしい。

「質の高いインクを持っているんだ。いくつかきみにあげるよ。私は日記をつけたりするほどマメじゃないから」

クリスはバックパックのどこにしまったかを思い出すように空を見上げた。

やがて床に私物が山と積まれていき、ターラが呆れるところを想像して考えるのをやめた。

「ここ、邪魔になる?」

ウトバのそばに座り、問う。

「いえ、別に」

「そうか」

そう言うとクリスは大の字に寝そべった。

「私はクリスというんだ。おじいさんが戻るまで、ここで待たせてもらうよ」

ここで二度寝をするつもりらしい。

木陰ではあるが、風が強いため昼寝には向かないだろうに、微塵も気にする素振りを見せないクリスの姿にウトバは面食らったようだった。

もう一度木桶に目をやり、その目線を紙に戻す。

女性たちの談笑する声、子供たちのはしゃぐ声、ペンを紙に滑らせる音が耳をかすめる。



 「――――さん、クリスさん」

どれくらい時間が経っただろうか。ずいぶんと眠りこけてしまった。

自分を呼ぶ声に飛び起きると、背中についた枯草が風に舞った。

「じいちゃん戻ったよ」

ぼさぼさの髪から枯草を取り除き振り向くと、ウトバとともに老人が立っていた。

老人、というには若々しく矍鑠かくしゃくとして見える。

「儂に話が聞きたいと聞いたが」

「初めまして、クリスです」

形式的な挨拶を交わすと、ウトバの祖父は自宅へ来るよう促した。

 ウトバの住むテントはターラとサフィが住むものより一回り大きいものだった。

大小のテントを繋げてできた家屋は他のヤール族の家屋でもよく見られるものだ。

色鮮やかな絨毯が敷かれた居間に通されると、ウトバの母だろうか、中年の女性が湯飲みを持って出迎えてくれた。

出された茶を一口すすり、ベストのポケットからくだんの日記帳を取り出す。

目的のページを開いてウトバの祖父に見せ、彼に会いに来た経緯を簡単に説明した。

「確かに儂の祖父はこのオアシスの生まれではないが・・・」

日記帳を閉じ、クリスに返す。

「この『砂漠の森』に関しては、知っていることは何もないな」

「おじいさんがここに来る以前にいたオアシスの場所はご存知ですか?」

老人は首を横に振る。

「ここに来るまでに何度か砂嵐に遭い、方角を見失っていたらしい。ここへは命からがらたどり着いたと聞く」

湯飲みをテーブルに置き立ち上がると、居間続きの隣の部屋へ入っていった。

しばらく部屋を漁る音が聞こえ、やがてそれが止むと、1枚の紙を持って戻った。

「祖父の遺品はそう多くないが、これはいつも大切に持っていた」

紙片をクリスに手渡すと、クリスは目を輝かせ、食い入るように見つめた。

「『写真』だ!めずらしいなあ、私もそう見たことがない!」

紙片の表面は色褪せているが、目をこらせばなんとなく描かれたものがわかる。

大きな建造物の前で、男女が寄り添って立っている。


「祖父が故郷で写したものだそうだ」

そう言って、紙片に写る男性を指さした。

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心覚の拾集家 しば @Shiba_1101

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