第二章「追儺」②



■■紫藤学園 男子寮 105号室■■



 

「――き、きゃあーっ」



 部屋に嬌声が響く。


 純情な――男子高校生の。


 

「――ちょっ、なぜ雨月さんが叫ぶのですか。悲鳴を上げたいのは私のほうなのですが!」


「あっ、ごめん……」



 指摘されて、桂は視線を彷徨わせた。

 


「――……えと、ところで、今日は何の用、サワタリサン」


「いや、本題どころではないので、まずはこの状況についての説明して頂きたいのですけども」


「この状況? 同じ部屋に男女が一組、異性の着替えを偶然覗いてしまってドキドキ……?」


「そんな王道ラブコメみたいなベッタベタな状況ではありません。あとそのパターンは性別が恐らく逆です」


「……そうですよネ。スミマセン」


 

 声を震わせながら、桂は机を挟んでハルガの対面に正座した。


 ハルガは値踏みするように彼の顔を覗き込んだあと、訝しげな声音で問いかける。



「そもそもあなた、本当に男性ですか? 生物学的な意味での性別の話ですが……」


「え? そのつもり……だけど」

 


 ハルガはさっと立ち上がり、桂の横に移動して座り直す。


 

 「は、ハルガ嬢?」



 そして――



「えい」

 

 

 ――突然、桂の股間を鷲掴みにした。


 

「――いやいやいやいやちょいちょいちょいちょい!」


「ふむ、どうやら男性のようですね。妙にサマになっていたので、本当は女性なのかと思ったのですが」


「違います! 女装をしてるのには、えーっと……趣味でも性癖でも性質でもないけども、ちょっとした事情があるというか……!」


「事情、ですか?」


「はい! まあ、最近、年齢に伴って骨格とか体質とか変わってきちゃったもんだから、化粧や服選びにちょっと凝りはじめたり、脱毛サロンに通いながら両手のケアなんかは特に入念にやっていたりはするけども、元々自分で始めたものではないというか……!」

 

「まだるっこしいですね。どうにもあなたにはのらりくらりと芯を食った会話を躱したがる傾向がおありのようですが――」



 やんわりとハルガの手に力が込められた。



「――私の質問に真面目に答えないと、本当に女の子にしてしまいますよ?」


「ヒュッ……」


「早く答えて?」

 


 桂の喉奥から吐息の漏れるような情けない音がしたのも仕方ない。


 ハルガが顔に浮かべた〝それ〟は、寒気のするような笑顔だった。


 桂は自分の相貌から血の気が引いていくのを感じながら、『そういえば、この子、得意技が脅迫って言ってたっけなあ』などと、どこか危機意識の欠如した納得感に浸る。



「――答えないよ」



 目の前の少女から笑顔がすっと消えて、無表情になるのがまた怖い。


 しかし、苦々しそうに視線を背けながらも、どこか淡々とした口調で桂は続けた。



「いつか君が理由を知ることになるとしても、少なからず、それはおれの口から語るようなことじゃない」

 

「…………」


「『とにかく、この倒錯した男は女装をするとちょっとした調子が出る』。今はこのあたりの説明で勘弁してくれないかな」


「……まあ、そもそもが、他人が気軽に踏んでいいような趣旨のことでもありませんか」



 ハルガはパッと桂の下半身から手を放して肩を竦めた。


 

「ちょっと台所をお借りします」



 桂に背を向けて、ハルガは廊下の向こうへと歩いて行ってしまった。


 やがて水音がして、どうにも彼女は手を洗っているのだと分かった。


 しかも、ハンドソープまで使って、やたら入念に、時間をかけて。


 桂はそこで『自分から掴んできたクセに失礼な!』と言うのも何か違っている気がして、ただただ妙な居たたまれなさの中、所在なさげに座ったままでいる。


 しばらくして戻ってきたハルガを見て、桂は姿勢をいっそう正しくした。


 

「納得はしませんが、承服はしました。いずれにせよ、個人の自由の範囲で楽しまれているのであれば、私に口を挟む権利などありません」



 ハルガは「先ほどはとっさに『変態』などと称してしまってすみませんでした」と前置きしながら続ける。



「とはいえ――これは、ひとえに私の浅学さゆえですが――やはり驚きが隠せませんね」


「いや、まあうん。大丈夫。おれもたまに自分自身何やってんだろうって思うことあるから」


「いつごろから、その……『おめかし』をされてるので?」

 

「六、七歳のころかな」


「思ったより長いですね……」


「化粧を覚えたのは一二のころ」


「私より早いです……」


「……引いた?」


「……いえ、不思議と得心しています。初めてお会いした時、肌に人一倍気を遣ってらっしゃる方だというのは分かっていましたし、そのワンピースも骨格や体のラインが隠せるものを選んでいらっしゃるようです。女性服をまとわれてからは所作もお綺麗ですし、一朝一夕の努力では達し得ない域だと見受けられます」


「へえ、随分と褒めてくれるね」


「私は気質や趣味についてとやかく言うほど他人に興味はありませんが、目指すもののために労力を惜しまない人間に感じ入るだけの情なら持っています」



 ハルガは静かにそう語る。

 

 どこか自虐を孕んだような物言いだと桂は感じた。

 

 

「……そっか、ハルガ嬢は度量が広いんだな」


「ええ、こんな粗忽者にも真摯に向き合ってくれる姉を見て育ちましたから」


「そうだろうな。えーと……」



 先ほどハルガに対して自身の事情に踏み込ませないための言動をしてしまったばかりに、桂はちらりと垣間見えた彼女の劣等感のようなものに触れることを躊躇ってしまう。


 しばらく言葉に迷って、彼は別の話を切り出すことにした。

 


「ああ、そういえばコレ、君のお姉ちゃんに選んでもらった服だっけか」


「え……」



 ハルガは目を見開いていた。


 桂は彼女のそんな様子に気付かず続ける。

 


「二人でショッピング出かけたときに勧めてもらったんだ。縦ラインがしっかり出てる服装なら多少肩幅が出てきても隠しやすいとかって」


「あなた、オウカと二人で外出を……?」



 そう問いかけるハルガの口元はわずかに震えていた。


 まるで今にも噴出しそうな感情をこらえるようにして。

 

 

「うん。今でも行くぜ。最近はアイツ仕事で忙しいみたいだけど、それでも月に一回か二回くらいは」

 

「……へえ、なるほど。なるほどなるほどなるほど――」



 ハルガがのそりと立ち上がった。


 やけにゆっくりしたその動作に、桂はようやくこの部屋へと漂い出したただならぬ空気感に気付いた。


 なにやら風向きが……よくない方へ流れ出していた。



「あ、あの、ハルガ嬢?」


「私ですら、だというのに――あなたは『月に一回か二回くらいそれ以上』?」


「ハルガ嬢、ま、待ってくれ。君がどうやらお姉さんに対して並々ならぬ敬意を抱いているらしいことは察せたけど、この交流にも色々と事情が……!」


「『事情』……また『事情』ですか。どうせまた言い渋るような事情なのでしょう……?」


「落ち着いて! 拳に青筋が浮かんでる! 表情じゃなく体に怒りが出るタイプが一番怖い!」

 

「怒り? 私は怒ってなどいません」


「本当に……?」


「ええ。ところで、右と左、どちらから潰されたいですか?」

 

「なんの右左!?」



 桂は尻を付いた状態で部屋の隅へと後ずさっていく。


 彼はここでもやはり、『相手を脅かすための怒り方が上手いなあ』という――目の前の危機を斜めに見下ろすようなことばかりを考えていた。


 

 

▼▼第二章「追儺」③へ続く――

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ツヴァイトレーゲン~【二番目】の魔戒師~ 山田奇え(やまだ きえ) @kie_yamada

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