第2話 命よりも青い夏
部屋に人を招き入れたのは、本当に久しぶりだった。
まあ…人と呼んでいいのかはわからないけれど。
ついでに言えば異性は初めてだ。......母親ですら、来たことはない。
その割に特に緊張もしていないのは、アドレナリンやらドーパミンやらを出すほど脳に栄養が回っていないせいかもしれないなとぼんやり思った。
台所の戸棚を開け彼女の分の紙コップを取り出すと、冷凍室からいくつか氷を掬って入れた。
「シナキトウカさん......もコーラでいい?」
「はい、でもお構いなく。それとシナキかトウカでいいですよ。死神、でも構いません」
「じゃあ......年下っぽいからトウカさんにするよ」
「さん付けは出来れば早いうちにやめてほしいです」
ひどく嫌そうな顔をして言う。変なところにこだわるんだな、と思う。
「......わかったよ。どうぞ、トウカ」
ソファの端っこに座っているトウカに、なみなみと注いだコーラを差し出す。まだ手が震えていて、彼女が素早く受け取ってくれなかったらあやうく零してしまうところだった。一人暮らしを始めてからコップいっぱいに注ぐ癖がついてしまった気がする。
礼を言うと、なぜかその中身をまじまじと覗き込んでいた。
「......えーと、変な薬は入れてないよ」
「いえ、買ってきたばかりのコーラをなんでさらに冷やすのかと思って」
「好みだよ。何となく氷を入れたほうがおいしく感じる」
僕も端っこに腰をおろすと背もたれに身体を預ける。頭痛は多少和らいできたがひどく怠いソファが色んなものを支えてくれている気がして、なんだか愛おしくなってきた。
「由宇くんは変なところにこだわるんですね」
「そんなに変かな......」
こくこくと飲み下すと、彼女は身体ごとこっちを向いた。
「......おいしいですこれ。変とか言ってごめんなさい」
目を丸くし弾むような口調でそう言う。ずいぶんと感動屋だ。異国の文化に触れた外国人みたいで、見ていて飽きない。
「それはよかった」
誰かに喜んでもらうのはいつ以来だろうか。記憶を遡ってみても、そんな感情はみな一様にほかの誰かを向いている。幼い嫉妬と的外れな自己嫌悪が、景色を濁らせていく。
明らかにおれは、世界のピースになり損なっていた。
ぷち、ぷち、という音で思考が途切れる。トウカが青い錠剤を包装から取り出していた。みるからに量が多い。
「それなんの薬?」
「存在安定剤です」
「......精神安定剤じゃなく?」
「似たようなものです。死神は本来、生者に認識されませんから」
「それ似てる?」
「似てますよ。死者ばかり相手にしていたら、おかしくなっちゃうので」
「それで神がつとまるのか」
「便宜上そう呼んでるだけです。雷を落としたり、浮気しまくったりはできません」
そう言うと彼女はじゃらじゃらとその薬を口に放り込んだ。不味いとでも言いたげな表情を浮かべると、うつむきながら『おかわりください』とコップを持った手を伸ばしてきた。
重い身体を起こし、再度なみなみと注いでやると時間をかけて飲み干した。
頬を緩ませていたが、ちいさなげっぷをすると真面目な表情に戻ってしまった。
「......それに、代わりはいっぱいいますから」
「そうか......でも、来たのがトウカで良かったよ」
「ほう...?」
「死神がげっぷをするところを見られた」
「......遺言、そんなんでいいんですか」
「......ごめん、調子に乗った」
「では、もう一杯」
「......」
僕は黙って、眉間にしわを寄せながらトクトクとコーラを注いだ。
炭酸がコップから溢れそうになるのを防ごうと、トウカは猫みたいに口を突っ込んで、必死に啜っていた。
......そんな光景に微笑んでいたら、なぜだか涙が零れた。
きっと本当に久しぶりに、僕は笑えた。……泣きながら。
気づかないフリをしてくれているトウカが、ひどく温かく思えた。
ふいに目頭が熱くなる。
恥ずかしくて。けれど気づかぬふりをしてくれるトウカの前で泣いていないフリをする事こそ、恥ずかしい気がして。
ただただ、つたう涙も拭かずに窓の外を眺めた。
大きな雲と青のコントラストに否応なく、今は夏だと押しつけられる。本当に自己主張の強い季節だとぼんやり思った。
夏は、まだ始まったばかりで。
僕も……いや、きっと誰だって、終わりに向かっていて。
―――けれど恋だけは、人の気も知らずに。
たった今、始まろうとしていた。
琥珀色の夕立ちと不平等な夏の青。 夜々 @vanirain_3
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