第31話 遠くまで

 ナイアの入院生活は数ヶ月に及んだ。外見そとみはともかく、人工臓器によって動く肉体は常人よりも治癒が早いものかと思ったが、どうやらそう都合の良いことはないようだ。治療を担当した医療用ヒューマノイドいわく、人工臓器には自然治癒力がないという。そのため本来なら定期的な整備メンテナンスが欠かせないらしく、もともとがたが来つつあったナイアの中身は落下時の衝撃によって筆舌に尽くしがたい状態にまで陥っていた。故に、治療に時間がかかるのは致し方ないとのこと。

 もとより供物として一生を終えるつもりだったのだから、ナイアとしては別段驚くことではなかった。しかしセイリオスとアルコアはこちらの容態を前に絶句し、本当に信じられない、もっと自愛しろと両側から説教してきた。悪いのは自分なので何も言い返せないが、セイリオスに関しては秘密裏に臓器の整備まで持ち込むこともできたのでは? と思わずにいられない。まあ、彼もまたナイアを供物とすることに心を痛めていたようだし、ここまで来て彼を責めるのは可哀想な気がしたので黙ってお説教を甘受してやった。ナイアなりの温情である。


「ま、何だかんだ言って皆ナイアのことが心配なんだよ。少しでも申し訳ないとか、報いてやりたいって気持ちがあるなら、社会復帰リハビリ頑張るしかないじゃんね」


 入院中、時折ターダスとポポカが見舞いに来てくれた。前述の言葉は、リハビリ後のナイアに向けたものだ。

 ターダスは近々故郷に帰るつもりでいるらしい。今はその下準備のため、引き続きエドワルゴに滞在しているという。その割にはちょくちょく見舞いに来てくれるが、いちいち指摘するのは野暮だろう。近場だから気分転換だし、と彼は言うが、そればかりが本心でないことをナイアは知っている。

 帰国はイェレもいっしょなのか、と一度聞いてみたことがある。すると、ターダスはわかりやすく頬を膨らませた。


「意地悪言うなし、ナイアのいけず! そりゃ、できることならイェレも連れ帰ってやりたいけどさ……でも、あいつはイェルニアの帰属意識ではあっても、操り人形じゃないかんね。いつか帰りたいって思った時に、また戻って来れば良いし。それまで俺は俺なりに頑張るよ。ユスティーナの二の舞にはなってやらないけど!」

「前々から思っていたんだが……そのユスティーナというのは、一体どういう人物なんだ?」

「あっ、実はポポカも気になってました! ターダスさん、わたしの前では地元の話してくれないんですもん。ポポカに話したくない理由でもあるんですか?」


 それはそうだろう、と言いたかったがナイアは我慢した。空気を読まない上に歯に衣着せない物言いのポポカが聞き役となれば、大惨事は免れない。いくらターダスでも、触れられたくない一線というものがあるのだろう。

 それゆえに断られることも視野に入れていたが、ナイアが挟まることで許容範囲に入ったのか、ターダスは渋々といった様子で口を開いた。


「大したことした人じゃねーよ。ただ、エレニアに王政打破の気風が広まる中、運悪く王位についちゃった最後のイェルニア王だ。とはいえ、その王位は僅か数ヶ月に満たなかったけどね」


 体よく言えば生贄みたいな人だよ、とターダスは遠い目をした。


「王政ってのは民を苦しめることも多かったけど、運が良いのか悪いのか、イェルニアでは王政に対する反発心ってのがそこまで溜まってなかった。だから、周辺の列強から圧力をかけられてなきゃそのままだらだら王政が続いてたのかもしれないけど──まあ、そうはならなかったんだな。結局ユスティーナは周辺四カ国によって編成された愛国軍に捕らえられたんだけど、国民は女王に同情的だった。愛国軍はそれを良いことにイェルニアへ討伐軍を差し向けようとした──が、ユスティーナはそんなの許さなかった。言いがかりを付けられる前に自分が全てを被り、国民の身代わりになろうとしたんだ」

「身代わり……」

「単純なことだよ。ありもしない罪を、自身を極悪非道な女王に仕立て上げた。親類は近代化の進む西方に逃がして、己こそ唯一のイェルニア王室の血を引く者として処刑された──結局イェルニアの領地はほぼ分割されたし、どうにか共和国化しても世界的な戦争が勃発して国内はめちゃくちゃになるし、そのどさくさに紛れてアルソニアン共和国から侵略されるし、ユスティーナの犠牲はほとんど意味を成さなかったんだけどね」


 遠い目をしてターダスは語る。だが、そこにユスティーナへの嘲笑はない。むしろ、もうこの世にはいない彼女を労っているような眼差しだった。


「最後のイェルニオス──カヴァリウス・ツェナイダスって奴は、ユスティーナに仕える騎士だった。時代遅れだと思うだろ? 実際遅れてたんだよ、イェルニアは。そのカヴァリウスは、イェレの礎となった一人だ。イェレは全てのイェルニオスの亡骸を触媒に生まれたようなもの。そもそもイェレが創られたのは、奪われつつアルイェルニアへの憧憬が原因みたいなものだしね。カヴァリウスの記憶までは引き継いでないだろうけど、ナイアの在り方は認められなかったんじゃねーかな。一人の女の子が死ぬことで維持される共同体なんて、あっちゃいけない。それがたとえ、犠牲そのものの意思だったとしてもね」

「なるほど、第三者目線だと何とも自分勝手なお話ですね! 生贄になるもならないも、生贄本人が決めてるなら放っておけば良いじゃないですか。実際、ポポカの地元では皆生贄になりたがってましたし! 勝手に自分の物差しで物事を推し量って、当事者を可哀想に思うなんて傍観者の傲慢です!」

「ポポちならそう言うと思ったよ……。つーかこれは俺の想像! 天下のイェレ様には、もっと壮大で筋の通った理屈があるかもしんねーし? まず終わったことを後からああだこうだ言うのはうぜーっしょ。てな訳でこの話はここでおしまい! ナイアはリハビリに専念、うちは旅支度を調える、ポポちは……えーっと……」

「わたしもいずれプルマ=カクトゥシアに戻りますよ! 今のプルマ=カクトゥシアは、ポポカにとって過ごしにくいところです。略奪者とか先住民とか、その混血とか、どんどん複雑になってる気がするんですよ。わたしの理想としては、単純な勝ち負けで全部すぱっと決まる場所にしたいんです! 例えば決闘みたいなわかりやすいやり方ですね。地元に戻ったら大忙しですよー! ポポカもポポカに馴染みやすい世界を作るため、頑張るのです!」

「ポポちは相変わらずだねー。とにかくお互いに頑張ろってことで! どうせならあの秘密警察、どっかで適当に捕まってて欲しいけど……あいつのことだから、多分またイェルニアで相手することになるっしょ。その時は積年の恨みをバシッと晴らしてやるから、もしあいつに会うことがあったらそう伝えといて。ないとは思うけど!」


 なんとなく不穏なポポカの発言を軽く受け流し、ターダスはそう伝言を残した。伝言というよりは決意表明に近い言葉だったが、大した差異はあるまい。ユスティーナについて教えてくれた対価として、ナイアはそれを受け取った。

 ターダスの伝言を伝える機会はついぞない──と思っていたが、因縁とは繋がっているものなのだろうか。ある日、病室前の長椅子で検査結果の報告を待っていたナイアの前に、秘密警察の男は現れた。偶然かあるいは図ったのか、ナイアと彼の周囲に人気はなく、その場には二つの影だけが落ちた。

 秘密警察は変わらず長い外套を身に纏い、言い様もない威圧感を醸し出していた。しかしその顔に笑顔はない。あまりにも無垢な目をした男は、驚く程透き通った声で問うた。


「ねえナイア。きみ、ほんとうにアルソニアン共和国に来るつもりはないの?」


 塩湖での問答に決着をつけたいのだろうか。壁のようにナイアの前へ立ち、尋ねる男の顔は影に覆われている。

 恐ろしいと思う気持ちがない訳ではなかったが、もうナイアは怯まなかった。いつでも人を呼べるよう腹に力を込めて、うんと首を縦に振る。


「オレはソルセリアの人間だから、アルソニアン共和国の民になることはできない。もしも旅行ができるようになって、ソルセリア以上に広い大地を見たくなったら、その時はアルソニアン共和国に行くよ」

「そう」


 短く相槌を打ち、秘密警察は踵を返す。それ以上の会話に興味はないようだった。

 そのまま打ち切っても良かったが、ふとナイアは思い立っておい、と声を上げる。振り返った男に向けて、先程よりも声量を上げつつ告げた。


「ターダスが言っていた。今度お前に会う時は、ええと──バシッとお礼参りしてやるそうだ。たしかに伝えたからな」

「……なにそれ。そんなことぼくに言われても困るよ」


 普段の満面の笑みとは違うが、秘密警察はやっと微笑んだ。呆れたような、ふとこぼれたような、今まで見た中で一番自然な笑みだった。


「あの子にも、他の誰にも、ぼくは殺されるつもりなんてないよ。でも、もしも終わりがあるのだとすれば、その時はイェレを見ながらおしまいにしたいなあ」


 歌うように言い、今度こそ男は外套を翻して去っていく。その後病院で何か事件が起こったという報せがもたらされることはなく、そしてナイアが彼を目にしたのはこれが最後となった。

 退院の折、イェレが車で自宅まで送ってくれた。彼と案の定付いてきたヘスペリオスはこれまでエドワルゴのホテルに滞在していたらしく、馴染み深いジープも無事に戻ってきた。


「当機はきみに感謝している」


 いつも座っていた席でシートベルトを締めていると、隣にいるアルコアが唐突に口を開いた。彼はナイアよりも先に全快したとのことだが、本人──本機というべきか──の希望で、エドワルゴで今後を過ごすことにしたのだという。さすがに今まで通り国家の僕として働くことは叶わないが、セイリオスの計らいで公共施設に配属されるのだと言っていた。同じエドワルゴで生活するのなら、これからも顔を合わせる機会はあるだろう。

 そのアルコアの発言の意図が汲み取れず、ナイアは首をかしげた。相手はわかってくれていると思っていたのか、ヒューマノイドは眼鏡の奥の目をじとりと細める。


「わからないのか?」

「いきなり質問しておいて勝手に失望するな。わからないからこういう顔をしてるんだ」

「……ヘスペリオスの細工は、きみだけでなく当機にも効いたという話だ。もしかしたらあの時、当機は全壊していたかもしれない。だが、不思議と致命的な損傷は回避できていた──きみの眼球がきみの一部として認識された結果、当機も最悪の事態を避けられた」

「そうなのか、ヘスペリオス?」

「さあ、どうだかな。都合の良いように解釈すれば良い。神ってのはそんなものだ」


 ひらりと手を振り、ヘスペリオスは相変わらずの胡乱な物言いで返す。全部の神を彼といっしょくたにしたら各方面から文句が飛んできそうだが、イェルニアの死神はその程度でくたばらないだろう。味方でも敵でも厄介な男だ。

 真偽の程は定かではないが、アルコアが助かったのならそれに越したことはない。この中の誰も欠けることなく、ゲノ族の報復は阻止された──その過程で生まれた犠牲はどうにもならないが、それでも周囲の知り合いたちが帰らぬ人にならなかったことは喜ぶべきだ。


「……いつになるかはわからないけど、さ。おれはイェルニアに帰るよ」


 エンジンをかけながら、イェレは目線を上げて言う。後部座席からその表情は見えないが、きっといつもの困ったような笑いは浮かんでいないはずだ。


「いつまでもイェルニアの民たちを不安にさせてはおけない。今この時も、イェルニアの人々は苦しんでいる。それを少しでも和らげたり、打破したりできるのなら──おれという存在で彼らの助けになろうと思う。まだ後ろめたさはあるけどね」

「そりゃ良い心掛けだな、イェレ。俺はもうしばらく世界を見て回るさ。クラリッサの舞台も堪能したいんでね。今度は姫さんも観るかい? きっと気に入る」

「そう、だな。オレも、クラリッサの舞台を観てみたい。今度はちゃんと、劇場で」


 あの時抱き締めてくれた彼女への礼は、どれだけ時間がかかっても果たさなくてはならない。クラリッサが気付いてくれるかはわからないけれど、これはあくまでも自己満足。自分の中でけじめを付けられるのならそれで良い。──できることなら、ハリナたちも劇場に足を運べるようになって欲しいと思うのは、独り善がりな願いだろうか。

 まだまだやるべきことは山積みだ。まずは面会を許されなかった母に謝って、エドワルゴでの暮らしに慣れて、手に職をつけよう。外出できる余裕ができたら、再び天形とコルネフォロスに会いに行くのも良いかもしれない。そしていずれ、ソルセリアの外にも飛び出したい。

 結局世界は変わらなかった。ソルセリアは相も変わらず混沌として猥雑な国だし、人種問題やそれに伴う誘拐事件も解決してはいない。それに、肝心のイェルニアは未だアルソニアン共和国に支配されたままだ。


「これって、大団円と言って良いのかな」


 ふと問いかければ、イェレはどうだろう、と相槌を打った。声の調子からして、苦笑を浮かべているにちがいない。


「現実は物語みたいに上手くいくものじゃないからね。何もかもが解決して、全ての人の思いが一度に報われるなんてことはない。でも、少しずつ世の中は良い方向に進んでるって、信じることはできる。全てにとっての大団円は無理だけど……それぞれにとっての幸せな結末は、多かれ少なかれ目指せるものだと思うよ」


 イェレの導き出した答えは、ナイアの胸に抵抗なく馴染んだ。ひとつうなずき、かつてナイアを名乗っていた少女は微笑む。


「いつか必ずイェルニアに行く。お前さえ良ければ、案内を頼めるか?」

「勿論。それまでにかつての名と国を取り戻して、イェルニアとして君を歓迎するよ」


 素直に楽しみだ、と思った。まだ見ぬ異国を夢想し、少女は車窓の外を見遣る。

 エドワルゴの空は晴れ、空気はからりと乾いている。イェレと出くわした時とは正反対の天気だ。

 イェルニアはどんなところだろう。それを知るのができるだけ短ければ良い、と少女は走り出す車の中で誰にでもなく祈った。


 ──これより五年後、世界各地の植民地や属州における独立運動が活発化する。

 後世において大再起時代と呼ばれるこの年代、イェルニアはアルソニアン共和国支配地域の中で先駆けて独立を果たす。独立までの過程で多数の民が犠牲となったことは否めないが、、国内意見は独立路線に集約していた。イェルニア人の帰属意識の強さは、彼らの決起に際して大いに作用したと考えられる。

 イェルニアは独立後、真っ先にソルセリアと国交を樹立させる。これは独立運動の中心人物であり、その後外相に就任したタデーウシャス・ベンヌ・ロムヴァシウスが一時期ソルセリアに亡命していたことが理由だと記者や学者は推測したが、真相は定かではない。何にせよ、ソルセリア及びタデーウシャスが機を見るに敏であったのだろう。

 国交樹立後、イェルニアにはかつて難民として泣く泣く祖国を離れた人々が帰参した。彼らの渡航費はイェルニアとソルセリアそれぞれの政府によって賄われた。

 イェルニアは戦禍と武力による支配で、国として存在していた頃と比べると荒廃が進んでいる。だがそこにあるのは死と絶望だけではない。少しずつだが、イェルニアは復興の道を辿りつつある。各国から届いた支援物資や篤志奉仕家ボランティアは、今も着実に在りし日のイェルニアを取り戻す礎となっている。


「ああ、おれは案内人じゃないんです。でも、旧市街までの道ならわかります。君はこれから旧市街の整備に行くんでしょう?」


 道に迷ったボランティアの若者に、行くべき方向を指差しながら口頭で道のりを教える青年がいる。栗色の髪の毛をひとつに縛った彼は、人の好さそうな笑みを浮かべつつ隣に並んだ。


「実は、おれもそっちに用があるんです。良かったらいっしょに行きませんか? ソルセリアから友人が来てて、ちょうど待ち合わせ場所にしてるので。こんな遠くまで来てくれたんだから、せめてちょっとした手助けはさせてください」


 深緑の瞳が、イェルニアの麗らかな日差しを浴びて煌めく。若者はお人好しなこの青年の名をついぞ知ることはなかったが、もしも耳にする機会があったなら馴染み深く感じることだろう。

 もうじきイェルニアにも夏が来る。この国が最良の結末に至るまで、何度四季を巡るかはわからないが──道行く青年の軽やかな足取りは、イェルニアの行く先が明るいものであると示唆しているように見えた。

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Inversion of a immediate happy end 硯哀爾 @Southerndwarf

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