>>3 なんか煽ってて草

 「ヤスダさぁ、もうちょっと何とかならないの?」

 「はいはい、またあれでしょ、私今日琳夏と用事あるから明日にして」


 六月も終わりかけのある日。傘を持って恵比寿の劇場を出ようとすると、トーワに右腕を掴まれた。頭からつま先までステージ衣装そのままで、ついさっきまでファン対応でもしてたのかな、ご苦労なこったな、と思う。

 この劇場の客席は豪華だけれど、楽屋側は乱雑としている。潔癖の気があるトーワは今日一日中、ずっと居心地が悪そうだった。

 振りを間違えたこと、プライベートで六本木に行ったこと、叱られる心当たりはいくつかある。どれが来たとしても、また嫌な言い回しでぐちぐち言われるのだろう。私だって、と言い返したところで口論で私はトーワに勝てない。

 遊星エウロパを始めて分かったこと、アイドルは楽しい。やりがいも感じている。ただ、私とトーワの相性は抜群に悪い。友達からビジネスパートナーになって、初めて出会った頃のように話すことも全く無くなった。仕事以外で口もきかないし、口を開けばケンカするし。

 何度も辞めようとして話を切り出したこともあったが、今はお互い解散の意思はない。事務所の方針でも、ファンが「この二人がいい」と強く望んでいる訳でもないけれど、仕事をするのならに限って、私はトーワが一番良いし、トーワも私が一番良いと言う。ステージ上では、お互いの足りない部分を補い合っているような気がして、ふたりでひとつ、とさえ感じているのだ。でも性格は合わない、嫌い。いつもありがとうとこいつ殺したいなあが交互に来るのは、人間関係として異常だという自覚はある。


 「だったら辞めちゃばいいじゃないですかぁ、あおいさんってパフォ満点だし、東和さんほどじゃないけどファン対応良いし、ソロでもやっていけるんじゃないですかぁ?」


 恵比寿芸能舎アイドル部四期、つまり私の後輩である琳夏が、ファジーネーブル片手にそう言う。

 悲しきかな、私も琳夏も変装の必要がない程度には売れていない。行きつけというほどではないけれど、定期的に行く六本木のバーでも、たまに声をかけられたらありがたい方。かなり詳しくアイドルをチェックしている人でもない限り、遊星エウロパと皆月琳夏は認知もされていない。


 「ソロなんて無理だよ、あいつのことは嫌いだけど、好きだもん。ちゃんと尊敬できるとこはあるし。売り方も衣装もあいつが考えたのが一番良い、絶対売れるって思えるし、センスも好みだし、セルフプロデュースの面でもお世話になってるし。おんぶに抱っこなのよ」

 「アハ、ラブラブじゃないですか、羨まし。あたしもそんな夢中になれる彼氏欲しいです」

 「ネタでもやめてよね、嫌いなんだから」


 ぐい、とウーロンハイを煽る。たくさん喋ったから喉が渇いた。にやけながら見てくる琳夏に仕返しがしたくなって、楽屋での姿を思い起こす。


 「てか、琳夏はどっかのユニット入るの考えてないの? ま、集団行動できるタイプじゃないし無理かぁ……」

 「そんなストレートに言わないでくださいよぉ、加入と脱退繰り返してるって印象悪いんで、誘われても断ってるだけです〜」


 琳夏はこんな奔放な性格だから、トーワのみならず先輩や同期達から距離を置かれていた。誘われるということも、多分無いと思う。楽屋にひとりでぽつんと居たところを可哀想に思って話しかけたら懐かれてしまい、今では六本木のバーに一緒に行くほどの仲になっていた。琳夏、まだ十九歳だった気がするけど、まあいいか。無名アイドルが飲酒していたとて物好きなネットニュースすら取り上げないだろう。

 琳夏はこう続ける。


 「でも、集団行動向いてないのはガチでそうです。特に東和さんとはやっていけないなぁ、あたしなら。あの人ってプロ意識凄すぎて、アイドル! って感じで。本当にトイレとか行かないんじゃないですか? あおいさん、よく耐えてると思います。金でも借りてるんですか」

「いや、弱み握られてるとかはない、そこは大丈夫」


 あはは、と笑ってみせると、琳夏は「ほんとですかぁ?」とつられてケタケタ笑った。

 アイドル活動は、好きだ。憧れは今もある。トップオブアイドルになりたいし、もっと大きなステージに立ちたいし、そのために努力は惜しまないし、気を抜いて挑むなんて真似はしたくない。

 東和モネは、嫌いだ。掲げるアイドル理想論には同意するけれど、その目標が高すぎてついていくのが精一杯。活動を始めたばかりの頃から物凄い勢いで垢抜けて輝いていく奴を、いちばん近くで見ていると、尊敬と嫉妬を覚える。

 遊星エウロパは……どっちでもない。このグループのおかげで私が居る。曲を褒められると嬉しいし、衣装や世界観は好きだ。東和モネさえいなければ。東和モネが誘ってきたグループなんだけど。


 「エウロパのこと、『耐えてる』ってはあんま思わないよ」

 「……ふーん。結局仲良しこよしなんじゃないですか」


 話題が陰口じゃなくなったからか、急につまらなさそうな表情になる琳夏と、沈黙。バーのBGMがやたら大きく聞こえてきそうである。今更私と琳夏の間に気まずさなんてものは無かったので、お互い喉を潤すためにグラスを持つ。


 「東和さんも、彼氏のひとりやふたりでも作ればいいのに。あおいさんみたいに」


 琳夏は、腹黒い、シンプルに性格が悪い。飲んでいた酒を吹き出しそうになって蒸せて、その一連の動きを見て楽しんでいる。ここでそう言うと、私がどんな反応をするかを分かっている。そんなんだから目にかけてやる先輩が私くらいしか居なくなったのだ。琳夏なりの生き方を否定はしないけれど、アイドルとしてはどうなんだと思う。……それは、私もか。


 「ふたりは居ない、ひとりしか居ないって」

 「でも東和さんと二股してるじゃないですか、『エウロパと彼氏どっちが大事なの?』って聞かれてるようなもんですよお」


 きゃは、と笑う琳夏。ウェーブがかかった髪を指でくるくるして、キャラメル色の瞳には底意地の悪さを宿して。思わずあんたねぇ、と説教を始めたくなる。トーワの真似みたいで嫌だけど。

 実際、説教されるのは私の方だ。今も家で彼氏が待っているのも、トーワにバレたらどうなるか知れない。

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