>>2 隙あらば自分語り

 四年前、全然オーディションに受からなくて、私のやりたいことを応援してくれる両親にも「そろそろ諦めた方が……」と諭されていた時期。急に一本の電話が入り、エビ芸に補欠合格が決まったから会場まで来てくれと言われた。

 本来は私を音楽系の道に進ませたかった母も、そのために幼い頃から習い事をやらせて音大への学費を積んでくれた父も、知らせを聞いて大喜び。茨城のつくばから、ワクワクしながらキャリーケースにありったけのかわいい服を詰めて新幹線に乗った。

 そこで同じく「補欠合格」で呼ばれていた少女は数名居て、皆なんで一度落ちたんだろうというほど姿形が綺麗で、自分が居ることが急に恥ずかしくなってきた。私なんて、昨日できてしまったニキビをコンシーラーで誤魔化してるし、目を大きく見せるために何本もつけまつ毛を付けているし、アイラインも引いているのに、周りの子達は化粧をしていない、していたとしても粉をちょっぴり乗せただけ。なのに、生きている世界がまるで違うようにきらきらしていた。憧れたアイドルそのものが居た。

 集団面接を控えた最後の自由時間、私は怖くなって会議室から逃げてしまった。階段に座り込んで、支給されたペットボトルの水に目を落とす。細くもない膝と膝の間に挟まる、水面に反射して写る自分の顔が醜すぎて、見ていられなくてぎゅっと目を閉じた。鼻の奥がツンとする。

 帰っちゃおうかな。そんな考えが頭の中をよぎる。

 私がアイドルなんて、やれない、できない、向いてない。服だって必死に選んだのに周りの子よりひと回りダサくて浮いてたし、学校で友達が、オーディションを受ける私のことをバカにしていたのも知っている。もう気にしないようにはしていたのに、今になって頭の中であの日の言葉、友達の意地悪な笑みがテレビみたいに再生される。

 ――決めた、もう、帰ろう。無理だ。立ち上がろうとした時、階段の向こうの壁からひょい、と顔を出し、私と同じシールをTシャツに貼り付けている女の子と目が合った。


 「安田さん? えっと、面接始まるから呼んできてって言われたんだけど」


 エントリーナンバー、七九三。長い黒髪を頭の下の方で二つ結びにしている、あの面接会場にいた可愛い女の子のうちのひとりが、こっちを見ている。地方から来たのか、聞いたことの無いイントネーションを付けて話す。ゆらりとさらさらの髪の毛を揺らして、「始まるから、行こ」と言う。目立った特徴はないけれど、なんとなく存在感がある子だ。一度は脱落させても補欠合格で取りたい、と後から思った運営の気持ちがわかる気がする。

 私は、その子を前にして、コンプレックスがどうとか、そんな事を言えなかった。不細工は悲しんでいる姿がいちばん醜い。せめて、適当に笑って流そうと思ったのだ。学校でもそういうキャラだった。


 「……私、来たけど辞退するんだ! なんか、やっぱ大学行きたいなーって! これから辞めますって言いに行くつもり、めっちゃ怒られるだろうなぁ」

 「嘘、私一次面接から安田さんのこと見てた。面接着いてきてくれたお母さんも言ってたもん、安田さんが歌ってるの見て、『あの子が合格するからあんたは無理よ』って。ダンスも完璧にコピーできてたし、本当にアイドル好きなんだなって私も思った。やりたいんじゃないの? アイドル。一緒にやろうよ、うまくいくと思うんだけど」

 「そ、そんな目で見ないでよう……」


 きゅるんとした純粋そうな瞳で見つめられると、この子の言っていることが全て正しいのだと錯覚しそうになる。可愛いって、暴力的だ。そして、一次面接から存在を知られていることに驚く。こちらはこんな子いたっけ、くらいのレベルである。


 「えーっと、アイドルは、やり……たい。でも、補欠ってさ、ダサいじゃん、枠空いたから入れますよ〜みたいなの、ストレートで入った子たちとの差で苦しみそうだし」

 「私だって補欠合格だし、ほんとにダサいって思ってたら今日だってここに来てないでしょ。チャンスなのよ、綾川ルルとか、涼野鞠絵も補欠合格出身なんだよ、そこからあんなスターになったの」

 「それくらい知ってるよ、伊達にアイドルオタクやってないから」


 綾川ルル。涼野鞠絵。彼女が挙げたのは誰もが知るアイドルだ。バックホーンくらい把握している。立ち上がりそうになるのを抑えて、保ち続ける笑顔は多分引きつっている。アイドル候補生なのに笑えない、困った。


 「逆に……さ、あんたは何でそんな自信満々なの、すごい倍率勝ち抜いて来たけど、まだ全然自覚ないっていうか、あんたみたいになれない」

 「だって、私はスターになるから。決まってるの、全部。自信無いなら私とやろ、私、安田さんとならできる気がする、アイドルにしてあげる」


 胸に手を当てて、まっすぐにこっちを見て。まるで演説のように「アイドル」を語る彼女は、まだアイドルじゃないくせに、怖いくらい輝いていた。

 飲み込んだ唾が、喉の奥で絡まる。


 「私、片浜裕華。でもトーワって呼んで。もう芸名決めてるの。東和モネが私の新しい名前。よろしくね、安田さん」

 「えっと、うん、ありがと、トーワさん……?」


 絞り出した声は死にかけみたいで、自分で笑ってしまいそうになる。彼女に比べて自分が、ちっぽけすぎる。

 彼女、改め東和モネは、まるでそうすることが絶対に正解だと信じて疑わないかのように私の腕を引いて。「行こ」と会議室を指差して笑うのだった。


 面接は思っていたより、とんとんと進んで終わった。

 面接官たちから漂う補欠合格なんてこんなもんでいいだろ、という雰囲気を薄々感じながらも、誰よりも元気に質問に応答するトーワは、本当にアイドルが好きで、必死なんだと私にまで伝わってきた。

 各々の連絡を終え、次に会う時は正規合格メンバーと合流と聞かされ、不安と期待が入り混じる。面接が終わるなり、トーワは荷物を片付けている私に駆け寄ってきて、あの子の経歴が凄かった、あの子は顔のパーツが良いから垢抜けてとても綺麗になりそう、ていうか私たち同い年だったのね、とぺらぺら喋りだし、私も同じようなことを思っていたからか、いつのまにか勝手に面接へ連れ出されたことも忘れて話が弾んでしまい、最後には会議室に残っているのは私たちだけになった。憧れたアイドルも、聴いているアーティストも、今回のオーディションで特に気になった子も全部一緒で、運命じゃあん、と笑いあった。この時初めてトーワは、秋田の女子校出身であることを話してくれた。田舎だからオーディション受けるのも大変なの、と話す横顔は儚くて、アイドルで、きれいだと思った。

 それから、特定のグループに振り分けられたり、自分たちで作ったりするまでの一定期間があって、その間私とトーワはずっと一緒に行動していた。他にも仲の良い友達はできたけれど、帰りの電車まで同じだったのはトーワくらいだったので、満員電車に文句を言いながら、その日聞いた音楽の話や、レッスンの話や、今までの学生生活の話をした。そして、正式にこの二人で組もうと決めて、私たちは遊星エウロパになった。


 同期に早咲きのアイドルが多かったせいで、私たちは地の底まで埋まっていたし、私は仕送りを貰っていたけれど、トーワは精肉店でアルバイトをしていた。マネージャーからも、世間からも適当に扱われていたと思う。つくばから東京に出てきて、彼氏ができたり、六本木のクラブに参加したりもしたけれど、悲しいくらい何の話題にもならなかった。いや、なる方がまずいんだけど……

 適当な作曲家をつけられたら嫌だという理由で、トーワは私に曲を作らせた。曲がりなりにも元音大、音楽知識はあったので、形にすることはできた。振りや衣装は全てトーワが担当し、私たちはマネージャーから見放されているにも関わらず徐々にファンが付き始めて、地方のロケ番組で動物園に行かされて、エビ芸のラジオパーソナリティもやらせてもらって、そして、その頃から、ケンカばかりするようになった。

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