>>5 魔法であり呪いなんだ←厨二乙

 初めて安田碧衣を見た時、私の付き添いに来た母は安堵の表情を浮かべていたような気がする。

 透き通るような歌声に、ピアノや声楽の華々しい経歴。財閥のお嬢様だという噂も納得の、隠しきれない品の良さと所作の美しさ。ルックスはこれからいくらでも磨けばいいだろう。伸び代だらけだ、成功するんだろうなと思う。母も同じことを感じたようで、「あの子が合格するからあんたは無理ね」とため息をついた。私なんかがオーディションに来るだけ無駄だと言いたそうだった。

 オーディション会場で、気になった女の子の名前を覚えているうちに自分の番が来る。私はアイドルに、スターになりに来た。だけど、さっきの安田さん始め、ここにいる全員が本気だ。アイドルになりたいから来ました、というだけの自分が、自分の背負った六年間が滑稽に思えてくる。アピールポイントも元有名事務所所属、子役経験あり、そんなのばっかり。東京の女の子たちは私の想像を軽く超えてきた。


 「エントリーナンバー七九三、片浜裕華ですけど、東和モネって呼んでください。芸名です、アイドルの私です」


 声が震えないように、下を向かないように。笑顔を崩さないように、ポーズをしっかり決めて。練習した通りちゃんと、できているはず。審査員がなにか、走り書きでメモを取っている。ここで落とすならそいつらの見る目がないのよ、と「モネ」は言う。今の私は裕華じゃない、なんだってできるアイドルだ。武器は情熱しかない。それでも、どうしても勝ちたい。


 順調に選考は進み、会場に集められる人数が減っていく。秋田から夜行バスに乗ってパックをしながら、オーディションで会ったあの子は居るだろうかと考える。安田さんのことも勿論思い返していた。二次選考の時は会場が別だったのか見かけなかったけれど、あんな凄い子は飛び級してもう合格通知が届いているかもしれない。

 周りを気にしている場合じゃない、自分のことだけ考えなきゃ。私が主役のオーディションなんだから。だけど、周りの子達の存在が怖い。それでも、私はモネなんだと魔法をかければ少しはなんとかなるもので、私は最終選考までは残ることができて、そして、合格の連絡は来なかった。


 「だから、追加合格の電話が来た時は死ぬほど嬉しかったのに、ヤスダはひよって逃げるって、帰るって言ったんだ」


 面接会場の、階段で座り込んでいた安田さんを見て、すぐに駆け寄った。ハンカチには涙が滲んでいた。私は、私が、この子をアイドルにしなきゃって、なんだかよく分からないまま行動してしまった。やっと拾われた才能を無駄にしたくなかった。オーディション会場ではライバルだった私たちは、晴れて同期生となるのだ。この女の子を、取りこぼしてはいけない。私があなたをアイドルにしてあげる。それくらい、傲慢なことさえ口にできてしまっていた。


 正規合格者含め、今回のオーディションで早期に芽が出たのはほんの数人で、私と安田さん(すぐにヤスダと呼ぶようになる、それくらい仲が良かった)達はレッスン会場の隅っこで燻っていた。やるならふたりで組みたいね、アイドルっぽくない名前の方が逆にいいかもね、と話しあった。帰りの電車まで一緒なのはヤスダくらいだったので、秋田から出てきて一人暮らしを始めた私の良い話し相手になってくれたし、ヤスダ以外にも何人か友達はできたが、一緒に何かしようと思えるのはひとりだけだった。

 やがて何組か、目立つ子たちがテレビに出たり劇場出番を掻っ攫っていったりしはじめる。私たち三期はファン的に「当たり」の年であるらしく、スターへの階段を上がっていく子を何人も見送ってきた。

 辞めたいと思ったことが何回あっただろうか。私は自分さえなんにもできていないのに、人生を預けている相棒に「アイドルにしてあげる」と約束してしまった。ヤスダはそんなこととっくに忘れてしまっているかもしれないけれど、私は覚えている、ふたりで輝かなきゃ意味がない、憎らしいこの女の才能を、世に出さなければいけない。そう思ってやっている。

 それが遊星エウロパ、TOIこと「トップオブアイドル」三回戦敗退のアイドルである。


 「トーワが遅刻してきたのが悪いでしょ、前髪の角度なんて誰が見んのよ」

 「そういうのを見て点数つける大会だし、てか、ヤスダだって本番で歌詞間違えるとか、絶対ありえないし」

 「あー、昨日練習したんだけどなぁ、やっぱ大舞台ってなると緊張して飛ばしちゃうよう」

 「これからもっと大きい舞台立つのに、何言ってんのよ」


 とん、とテーブルに手をつく。奥のソファーでスマホを弄っていたヤスダがため息をつく。

 仲良しだったのは、最初の三ヶ月くらいだけだった。遊星エウロパになった瞬間、私たちは友達から仕事仲間になり、普段許せることが許せなくなった。苦労知らずのお嬢様であるヤスダと、ごく普通の家庭で暮らしてきた私の間ではカルチャーショックも日常茶飯事で、昼ご飯買いに行くのめんどい、ハンバーガーでも出前取ろ、と端末に指を滑らせるのを見て、なんて意識の低いアイドルなんだろうと思ったものだ。

 だけど、歌わせると誰よりも上手いし、踊らせても運動神経がいいのか素人あがりにしては出来がいい。さらにトークもいけなくはない。持ち前の能天気さと人の良さで(私はこいつが大嫌いだけど)順調に事務所で関係を広げ、先輩とご飯に行ったり後輩に奢ったりしているらしい。

 そんなことする前に、遊星エウロパのこと考えてよね。こんなこと思うのも、何回目、いや何百回目だろうか。

 居心地は最悪だ、こんなこと惰性でやっていけない。ヤスダとなら売れると思っているからやっている。いつか夢見たアイドルに、私たちはなれると思っている。ヤスダはどうなんだろう、そんな、たまに居る試験受けてみたら受かっちゃいました〜って感じではないのはちゃんと、わかってる。アイドルをやろうとしている。熱量が違うだけで、私たちは同じ目標に向かって進んでいる。


 「てか、人生狂わすくらいの『なにか』に打ち込めてる私たちって、めっちゃ青春じゃない?」

 「あんたに背中は預けたくないけど、ねぇ」


 大楽屋には、私たちと数人しかいない。TOIの三回戦を通過した者たちは喜んで飯にでも行き、脱落した者はちゃっちゃと帰るか、こうして何もせず楽屋に居座っている。私たちの一年、終わっちゃったね。そう呟くヤスダの声が痛い。耳を塞いでしまいたくなる。

 三回戦でさえ五百人のキャパシティを抱える劇場で開催された大会だ、準々決勝となるともっと大きな会場でパフォーマンスができるのだろう。正直、手応えはあったし、浴びる歓声も照明も会場全体の熱気も恐ろしいほど興奮した。もっと勝ち進んだ先を見たいと思った。アイドルをやりたい。アイドルでいなくちゃいけない。地獄の一年がまた始まる。

 この大会は、私たちを輝く星にしてくれる魔法であり、呪いでもある。刻々と迫る消費期限に怯えながら、私たちはエントリーをし続ける。

 コーヒーでも飲もうと思い立ち上がろうとして、左脚に痛みが走る。あれ、私こんなになるほど頑張ってたっけ、と気付かされる。

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