>>6 アイドルにしてあげる
不機嫌を隠すこともできずに廊下を歩く。自販機前には誰もおらず、がらんとしていた。
三回戦で終わりか、と思う。悔しいけれど、ここが私たちの今年の着地点だ。さて来年と早々に切り替えられる訳でもないし、ヤスダにも悪い気がしてくる。
あいつは私と違って、誰からも気に入られやすいタイプであると思う。能天気で適当な性格は自然に人を集めるし、有名な財閥のお嬢様ということもあってか、ちゃんとするところはちゃんとしている。
実際たくさん友達がいて、いつも誰かと一緒にいて、正直、なんで私なんだろうと思ったこともある。
「……正しい、大丈夫、私は天才だから。次はうまくやれる、絶対……」
ごろんと音を立てて、コーヒー缶が取り出し口に落ちてくる。呪詛のように繰り返していた独り言が、そんなものに掻き消される。やっぱり、どこかで間違えたんじゃないか。私は私を、そしてヤスダを、アイドルにしてやれなかった。
涙が溢れて止まらない。完璧なはずだった。もしヤスダが愛想を尽かして、どこかのグループに所属するかソロでやるかなんて言い出したらどうしよう。ヤスダに限ってそんなことはないと信じたいのだが、どこかで見切りは付けられる。切り捨てられるのはきっと、私の方だ。
自販機の前で立ち尽くして、何分経っただろうか。時間の感覚もはっきりしない。輝かしい表舞台の裏側に有るからか、楽屋周辺にいると外の明るさもわからない。
そろそろ戻ろう、そしてヤスダに謝ろう。いい加減ぬるくなってきた缶コーヒーの蓋を開けようとした時、その声は唐突に舞い込んできた。
「うわ、ちょっと、なんでこんなとこ居るんですか! 東和さん、エウロパ通ってますよ! 追加合格って! あおいさんどこですか? 今ネットニュースの人とか来てますよ!」
「は、え?」
こちらに向かって駆け足でやってきたのは皆月琳夏、ヤスダが可愛がっている後輩だ。みなつきりんか。私は彼女となんとなく距離を置いているからだろうか、これが本名かどうかは分からない。そして、彼女の言っていることもわからない。追加合格? TOIがってこと? 頭の中で言葉がぐちゃぐちゃになる。補欠合格の電話がかかってきた時の、あの体の底から熱くなる感じを思い出す。
「えっ、あ、TOIがってこと? 合格したの?」
「そうですって! なんか、審査員の作家が一人、こいつらここで落とすのもったいないって言い出して、急遽合格! あおいさんにも伝えなきゃ!」
指の先までの感覚が、まるで私じゃないみたい。
大声で囃し立てる琳夏は早くヤスダの場所を言えという。あっちの大楽屋で不貞腐れてると言うと、ここに来た時のように走り去っていった。合格。追加だけど、合格。補欠合格からスターになった綾川ルルでさえ、こんな経験はしていないはずだ。
呆然としていた直後、激しいフラッシュが舞い込んできたと思ったら、複数人のカメラを持ったメディアが私に向かって詰めかけてきた。まだ三回戦なのにこんなことあるのか、追加合格なんて異例のことだし、あるのか。すぐにマイクに囲まれる。私だって今知ったばかりだ、どうすればいいかわからない。
「楠木音蔵さんが遊星エウロパに最高点付けられて、急遽準々決勝に進む形になりましたが、どんな心境ですか?」
あぁ、そうなんだ。厳粛なTOI審査員の中でもちょっとエキセントリックな採点をする楠木音蔵氏が、エウロパにそんなことを。記者の言葉で知りたくなかった、氏から直接聞きたかったと思ってしまうのは傲慢だろうか。面白いと、思って貰えたのだろうか。
「遊星エウロパ、東和モネさんは一昨年のTOI王者のSHELLYを目標に挙げられてますが、それは変わりませんか?」
SHELLYには、綾川ルルが居た。もう彼女は脱退し、個人活動に向けて動きだしている最中だが、中学生の頃から憧れ続けて今も変わらない。綾川ルルにとって、SHELLYとTOI優勝は通過点なのか目標点なのか、昔からのファンの私でも見失う時がある。そこがまた、魅力的なんだけど。
「目標って感じでもないです、私たちは私たちのパフォーマンスするまでなので。大丈夫です、天才だから!」
ニコッと笑って、カメラにピースしてみせる。「呪い」が「魔法」になる瞬間である。私は大丈夫、怖くない、完璧、天才、だってアイドルだから。記者たちの間に一瞬沈黙が流れるが、またすぐにシャッター音が鳴り始める。
「ええっと、相方……? の安田さんはいまどちらへ?」
「ヤスダなら大楽屋でマカロン食べてます、今ごろ知らせがいったんじゃないかなあって感じ」
琳夏がいつになく慌てていたのを思い出していると、まさに主人公の登場みたいに、廊下の奥の楽屋の扉がばあんと開いた。目をやるとTシャツで短パンの、髪もぐちゃぐちゃのヤスダが立っている。後ろから「あおいさん、いちおうメディアなんですからメイク直しとかしましょうよお」と琳夏の声が聞こえる。その光景が馬鹿すぎて、ぷは、と笑いそうになる。
「……え、本当ですか、通ったんですか、合格ですか!? 準々決勝いけるんですか、私たち!」
「ほんとだよ、楠木音蔵が百点つけてたって! 準々決勝進出決定!」
やったぁ、と大声をあげて、こっちに向かって走ってくるヤスダ。そんなにひどい容貌なのに、カメラにも映りたがった。「廊下は音が響くから静かに」の貼り紙なんて、今は誰も見ていない。
突然、視界が揺れたと思ったら、ヤスダの右腕に抱き締められていた。やった、やった、と繰り返す声が涙で揺れている。もうあの日、補欠合格を告げられて帰ろうとしていた女の子はいない。髪も服もめちゃくちゃだけど、アイドルがそこにいた。仕方なく背中に手を伸ばす。
「あ、あはは……すみません、初めてのことで、お互い舞いあがっちゃって」
「無理もありませんよ、前代未聞の合格ですからね」
「あっ、トーワだけじゃなくて私にもしゃべらせてください。三回戦前、ほんっとにお腹痛くなっちゃって! 大変だったんですよ、あはは」
目尻に浮かんだ涙を拭って、ヤスダはぺらぺらと喋り出す。このおしゃべりは、別に話さなくていい事まで言ってしまうから私が気をつけないと。嬉しい、やったあ、を連呼するヤスダは、変わらず私の左腕を掴んでいた。
それを見ていた記者が一人、にこやかに笑いながら問いかける。
「お二人って、仲が良いんですね」
「いや、死ぬほど悪いです」
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