ウズメルユメヨ
坂水
*
七色の光が零れ落ちる。風を受けてきらきら、ゆらゆら、私を斑に染め上げる。天突くほどに高い樹々は等間隔で並び立ち、前も後ろも見通せない。
新鮮な空気で肺を満たし、幹をなぜるように、腕を回すように、さまよい歩く。踊るように、たゆうように、うっすら目を閉じて。このまま、ずっと、行けたなら……いっそ、溶けてしまえたら。
笑いと話し声に渉猟が妨げられる。目を開くと、若い男女が離れた所からこちらを見ていた。二人は絡み合いながら木立の奥へと消えていく。
嘆息して樹の幹に背を預けた。硬い感触。これは本物の樹ではない。ポプラに似せた義樹であり、枝に茂る曙光色の葉は、太陽光を高い変換効率でエネルギー化する溶媒が塗られた極薄フィルムだ。ある結晶構造を持つ溶媒であり、印刷可能、歪みにも強く、安価で安全で安心。
そんな夢のような発電技術が近年この国で生まれ、国を挙げてここ〈電樹の森〉は造られた。産業シンボルとして、国の誇りとして、長らく三流国に甘んじてきた人々の拠り所として。私にとっても憩いの場所であり、イマジネーションを高める場所であり……悩みの源泉でもある。
腕端末が震えて〝オモイカネ〟の文字が浮かび上がり、声が届く。
「なんか浮かんだ?」
沈黙は雄弁に語る。私は溜息を落とし、
「……もう去年と同じプログラムでいいよ。誰も覚えてないだろうし」
「どこにでも暇な奴はいるもんよ。あんただって新しい方がアガるでしょ」
「そりゃ」
「そもそも誰も覚えてないってくやしくないの、仮にも代表でしょう」
私は世界最大のスポーツ祭典への出場が決まっているアスリートだ。ただし、繰り上がりの。一方的に通達され、まだプログラムさえ完成してない。メダル候補だった前代表と違って期待されていないのが救いと言えば救いだけれど、反面、開発国としての恥をかかすな、という圧も掛かっている。無茶苦茶だ。
もっとも無茶苦茶なのは今に始まったことではない。度重なる汚職に四年に一度のスポーツ祭典が廃止され、数年後、名称を変えて(というか〝ネオ〟を冠しただけ)再開された。運営委員会は改革を断行したと会見していたけれど、組織や運営の在り方についてではない。理念や競技の刷新に止まり、有耶無耶にしただけ。消費と汚染と格差を脱却した創出と浄化と共進――委員会は臆面なく新理念を掲げ、新競技が爆誕、会場からはゴミ箱が消えた。
スポーツのスポーツによるスポーツのためのスポーツウォッシング。
気持ちとは裏腹に電樹は心地良くそよぎ、涼やかな音を奏で、重なる葉はステンドグラスの絵画めいた光を落とす。
「……今、〈森〉に来ていて。もう少し歩いたらなんか思いつくかも」
「……オーケー。あたしも夕飯作りながら考えるよ、あ、こら、どうしてレゴが冷蔵庫に入ってるの!」
通信が途切れ、〝オモイカネ〟のアイコンも消える。彼女は三つ子の子育て真っ最中で忙しい。学生からの付き合いで、長年、共にプログラムを作り上げてきた振付兼コーチ、つまりは戦友だ。会って打ち合わせしたいけれど、相手はいくつも海を越えた土地にいて、移動にかかる二酸化炭素排出量を考えると難しい(選手は排出量の公表が義務付けられている)。
貴重な時間を割いてくれたのは十分に承知していた。でも、気乗りしない。
昔はもっと自由に、純粋に、言ってしまえば馬鹿になって演技できていた。距離や時間や立場だけでなく……
ふいに風が止み、義葉の間から光が伸びて、身を貫く。神様の衣のように、まっすぐ、真白く、清浄。このまま、うずめられたなら――
あの、と控えめな声が掛けられて夢想は去る。
振り返れば先ほどの男女がやってくる。
「ファンなんです、サインもらえますか? もし良かったらお茶でも、」
鞄を探る女性の胸元と男性のシャツの襟には揃いのピンバッジが付いており、ペアルックだと気付く。
私は微笑んで右手を差し出そうとした。
一応の競技者として、指先から足先まで張り詰めた所作が身についており、客観的に見ても美しいと言えた。無意識に右手の中指をぴんっと天突かせたその動きすら。
数瞬、三者は固まって――私は脱兎のごとく駆け出した。
〈……ということがあって〉
スポーツは大会が大きいほど複雑に利権が絡み合い、選手は政治や経済、特定のイデオロギーや団体に利用されがちだ。もっとも、選手にスポンサーは必要で、一方的でもないけれど。
〈まあ、勘違いで、数少ないファンを失ったのかも〉
自宅に戻り、打ち合わせを再開した深夜(子どもらが眠った時間帯だ)。数年前に起きた選手監禁事件は記憶に生々しく〈あっぶな〉となおも心配そうな相手に、やや強引に話の舵を切った。
クラシック、ポップス、ロック、ジャズ、タンゴ、流行の動画……候補曲を互いに挙げ、イメージを膨らませていく、のだが。
〈……まだ、隠してることあるでしょう〉
ノリ切れない私に、彼女は踏み込んでくる。
――引退?
さすがは〝オモイカネ〟、かつて私が付けた渾名そのまま聡い。
〈それもあるけど……実はやってみたいテーマがあって〉
〈なんで早く言わないの!〉
迷惑を掛けるかもしれなくて、でも、同時に幕引きに相応しくしたくもあって。
アイディアを聞いた彼女は一瞬呆けた顔を表し、ばっかじゃない!と嬉しげに私を罵った。そして二人であーだこーだと身体を動かし始めた。仮想空間の中、学校指定の芋ジャーを朝から晩まで着ていたあの頃みたいに。
「二十四番、日本。エンタ、スズ――」
コールされる音が遠く名前まで聞き取れない。歓声や拍手が響いているのは、同じ会場内の他種目選手に向けて。だって、どうして国内ランキング三十四位の私を知ることができるだろう。
愛想笑いもせずフロアへ進めば、小さなどよめきが起きた。
さもありなん。ベージュ一色のレオタードで一見真っ裸。手にはさやさやと鳴る笹の葉、身体にはヒカゲノカズラの蔓を模した紐を身体に巻き付けたのみ、胸の先端とか、単なる裸よりも際どい姿。
ざわつく観客を無視して真上に照る太陽を仰ぐ。
ネオ・ジムナスティック――
細い笛の音が響くと、周囲から雑音が消えた。鈴、大太鼓、締め太鼓、手打鉦――神楽曲をアレンジした音楽。
〈新しい大戦〉で同盟大国を支援した我が国は、建前上は戦勝国となった。国内は一党独裁体制、新戦後も増税につぐ増税、加えて海面上昇によって土地不足。生きているだけで精一杯、スポーツは贅沢品だ。
一方で、国威発揚や広告塔として選手は有用とされた。スポンサーは欲しいけれど、国民感情を考えると複雑だ。選手の引退や亡命が相次ぎ、板挟みの末に自ら命を絶った者もいる。私が繰り上がり代表になったのはそういった背景があってのこと。
今、
――だったら。
作り上げたものの本当にやる気と友人は心配気だった。念のため、彼女や彼女の家族に迷惑を掛けないよう、振付師は非公開にしてあるが。
直前、腕端末に〈馬鹿になって〉とのメッセージが届いて。
――見せつけてやるわ。
音が止んだ一瞬、大きく足を踏み鳴らした。頭を、笹の葉を、
旋回を繰り返せば蔓紐が巻き付き、逆回りすればほどけてゆく。つまりはアーレー・オヤメクダサイ、ヨイデハナイカ、ディスイズ・オリエンタル・オビマワシ。
目を覆いたいでしょう、でも目を離せないでしょう。そう、馬鹿になって魅入ればいいのよ。
揺らす度、回す度、投げる度に、笹に蔓に仕込んだ極薄太陽発電装がさんざめく。〈森〉に入り浸っている私は、どんなふうに光を受けたなら、より多く、美しく発電するか理解していた。
この時、策を練ったのが知恵者の
最後に相応しいプログラム。
誰にも利用できない、利用しようとも思わない、でも瞬きもできない。神様ですら覗かずにいられない。競技人生の全てを込め、卑猥に美しく粋を凝らして舞う。高く、速く、鋭く、もっと!
こんなにも無心になって、言い換えれば馬鹿になって演技できたのはいつぶりだろう──平伏するようなポーズで演技を終えて。
一息の静寂の後、拍手が沸き上がる。それとも怒号? いえ、これは電樹のざわめき。もしかしたらもっと深くて暗い太古の森──
ああ、顔を上げたくないな、と切に思う。純粋に演技できるのはここまで。このまま地中深く埋められてかまわない。むしろ、そうして、どうかお願い──
「……大丈夫か?」
肩に置かれた手の感触に、ようよう顔を上げる。あたりは暗い。まだ自分が目蓋を下ろして現実逃避しているのかと訝ったけれど違う。橙色の篝火が闇に浮かび、きらきら火の粉と熱を散らしているから。
「悪い。お前には重責を負わせることになってしまって」
相手の名前はすぐにわかった。オモイカネ──性別が変わっているかもしれないけど。
レオタード越しではなく素肌に触れる夜風が心地良い。いや、夜とは限らないか。夢だろうか、それとも夢を見ていたのだろうか。なんにせよ、もう一度無心に踊れるのなら。それに太陽が出なければ、いつかの技術は生まれず、踊れない。
任せてと胸を叩き、岩屋の前に居並ぶ不安げな神々へ不敵に笑う。
「見せつけてやるわ」
ウズメルユメヨ 坂水 @sakamizu
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