「遊牧の勇弓」
晴之日一番
第1話 アンルインとモルン
この地域の寒さは芯から身に染みる。川は年中通して凍っており、魚が泳いでる姿を見ることは稀だし、背の低い草木しか人も牛も馬も生まれてこのかた目にしたことがないと述べれば文章とはいえその寒さがリアリティを持って伝わるだろうか。
「寒いな~!」と笑って過ごせるのはやはりそれが四季があり、冬も季節の一環としてエンジョイできている人としてのアティテュードなのだろう。しかし、厳冬が宿命としてあり、そこに先祖代々住み、生活を文化を営んできた強い人々にとってはそれは戦い、克服すべき対象なのである。
アンルインは今年、16歳になる。姉のモルンは18歳。結婚適齢期である。
現代日本の感覚からすればまだまだ早いかもしれないが、ゴルマン地方に住む氏族たちにとっては嫁に出す、貰うといった話が(特に女性陣の中で)話題の中心として挙がる年頃なのだ。普通の家庭(父や母、兄や妹がいる)ならば一族皆笑顔で娘の晴れ舞台を一族の誇らしい儀礼で送り出していきたいと考え、あれこれ動き回る頃だ。
しかし、アンルイン姉弟には両親がいない。父は二人が幼い頃に部族抗争に兵として取られて戦死。元々病弱だった母は3年前に病没した。遠方に叔父と叔母はいるがそうそう頼るわけにもいかない。
アンルインとモルンの二人の生活は生きるだけで精一杯であった。寒さの中、弟は羊やヤギの世話を行い。姉は家事と手作業を。勿論、未熟な二人だ。中々、満足する衣食住を味わえているわけではない。はっきり言って貧しい貧しい生活だ。
遠く、地平線の先に明るい未来はあるのだろうか。この寒さを知らぬ快適な生活を送る人々がいるのだろうか。辛く、二人で何とか孤独を紛らわせている現状はそのような不毛な妄想に駆り立てることもしばしばであった。
年頃の娘たちが綺麗に着飾り輿入れするのも腕っぷしに自身のある青年たちが将軍になる夢を語り、馬を駆けて戦に参じるのも姉弟にとってはただの実現不可能な夢としか思えなかった。
お互いがお互いに自分の存在により相手の可能性を潰しているという罪悪感に捉われていた。夜寝付けない時に「自分さえいなければ・・・」と何度も思ってきた。特にそれは弟の方に顕著であった。
「姉さん」そんな静かな罪悪感が今夜も寝床に充満するかと思われたとある日の夜だった。
「僕・・・姉さんに・・・お嫁に・・・」元来口下手で気も強くないアンルインが振り絞った優しさであった。自分は良いからそろそろ自由になって欲しいのだ。
「アンちゃん・・・(モルンは今なおこの幼児語っぽい弟の呼び方が一向に抜けない)ありがとうね・・・。でも、なかなかこんな貧乏なところではね・・・持参金だって・・・あなたの今後の生活のこともあるから」優しく微笑む彼女の伏せがちな顔は姉と言うより母のようであった。このように微笑んで自分を犠牲にしてきたのであろう。それは今夜で終わりにしたかった。
「僕・・・!叔父さんと叔母さんのところへ良い人がいない訪ねてくるよ!姉さんは美人だし、僕が一生懸命お願いすれば叔父さんたちも鬼じゃないんだから一人や二人くらい紹介してくれるさ!それに食い扶持だって今はレーモン体長のとこで兵士を募集してるからそこへ行ってなんとかするよ。前線は無理かもしれないけど飯炊きや雑兵くらいには使ってくれるかもしれないし・・・」一気にまくし立てた。人生でこんなに力を入れて、勇気を出して姉に意見したのは初めてかもしれない。喉がカラカラだ・・・。
「でも・・・」姉はそれでも心配そうな目をしていた。しかし、ここで自分が姉に幸せを与えねばいけない。男になるときなのだ。
「じゃあ。明日の朝一番に行ってくるよ!心配しないで!きっと良い話になるまで石にかじりついても叔父さんたちから離れてやるもんか!」そういって笑った後に強引に寝床についた。モルンは背後から不安や申しわけなさそうな雰囲気を漂わせていたがそれを敢えて無視して眠りについた。彼女には幸せになってもらわねば・・・それが父も母もいない自分を優しく家族の暖かみで包んでくれた彼女への恩返しなのだ。
「遊牧の勇弓」 晴之日一番 @Manchurian1637
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