笑う門には薬禍来る
月井 忠
一話完結
カーテンの合わせ目に人差し指を入れて、わずかな隙間を作る。
窓の外には、かすかな月明かりに照らされた庭がある。
ぽつりぽつりと土は徐々に濡れていく。
「ぴったりだな」
手に持ったスマホには雨雲が表示されている。
あと一時間は小雨のようだ。
窓から離れ、真っ暗な和室に戻ると、ぎいっと床が鳴った。
座布団を引き寄せあぐらをかくと、ポケットからタバコの箱とライターを取り出す。
一本を口に運んで火をつけた。
煙を吸い込み、肺を満たしてから、ふうっと男の顔に吹きかける。
男は床に敷かれた布団の上で仰向けの姿勢で寝ていた。
目を覚ますことはなく、穏やかな寝息があるのみ。
クスリはそれだけ効いている。
一口しか吸っていないタバコを男の耳の横に置く。
枕から白い煙が上がり、黒い焦げ跡が少しずつ広がる。
寝タバコをして火事を起こした。
警察がそう思ってくれるなら、間違った鬼ごっこの始まりだ。
間違いなく、この家の主が死んだと思うだろう。
身元を調べようと登記上の持ち主を探すが、その人物はすでにこの世にいない。
ここは空き家だ。
手つかずの空き家に勝手に上がり込んで、住み着いた男が火事で死んだ。
そう思ってくれてもいい。
この男の正体にたどり着くまで、かなりの時間を要する。
それが目的だ。
しかし、組織は違う。
ドアを開け外に出ると、持っていたカバンを頭に掲げ、道を急ぐ。
傘は持たない。
あくまで突然の雨に降られたサラリーマンを装う。
カバンで顔を隠すことで、防犯カメラやドライブレコーダーに映ったとしても多少は目眩ましになる。
ないよりはマシというレベルの偽装だ。
組織ならすぐに見抜く。
今ものんきに寝息を立てているだろうあの男は、そんな組織の情報を警察に漏らしていたらしい。
裏切り者の始末は久々だった。
なんとも愚かなことをすると小さく頭を振る。
いや、俺も似たようなものか。
あの家は組織が見つけ、リフォームした後、俺に与えられた家だった。
あの男は俺の身代わりだ。
あの男をターゲットとして紹介された時、俺と背格好が似ていると思った。
その時から計画は動き出した。
元々、この仕事には嫌気が差していた。
組織から退職金代わりに金を奪い、男を俺の家に誘い込み火事に見せかけて殺す。
一見すると俺が死んだと思うわけだ。
もちろん、警察も組織もそこまで馬鹿ではないだろう。
いずれ真実を見つけ出す。
だが時間を稼げればいい。
この国を出て、どこか別のところへ。
組織に指図されるだけの人生は終わりを告げ、ここから先は見えない道が続いている。
想い出の始まりが人殺しの訓練だったような人生だ。
捨てることに悔いはない。
俺はこらえきれずに、笑みで口元を歪める。
不意に甘い香りがした。
匂いのする方に首を振ろうとしたが、膝から落ちる。
あの男を眠らせるために頼んだクスリを思い出していた。
なんでも近頃、組織でめきめきと名を上げている殺し屋がいると聞く。
雨で濡れたアスファルトを頬に感じる。
目の前に黒いハイヒールがあった。
視線を上げると、そこには傘を差す女がいた。
笑う門には薬禍来る 月井 忠 @TKTDS
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