ラジオ
長万部 三郎太
睡眠の邪魔をしないでくれ
もう随分も昔の話。
わたしはある制作会社(編集プロダクション)に勤めており、編集ライターとして夜通し働く生活をしていた。
二徹、三徹は当たり前、一週間泊まり込みで原稿を書くなど日常茶飯事だった。
仕事は実に楽しく毎日が充実していたが、唯一の悩みがあった。
それは締め切り直前に必ずやってくる霊障だ。
事の起こりは『足音』であった。
仮眠のため床にダンボールとキャンプマットを敷き、寝袋に入るというのはこの業界ではよくある手法で、わたしも徹夜続きで頭が回らなくなったときは、このように寝床を整え数時間ほど眠っていたのだ。
日曜の未明、デザイナーへ渡す分の作業を終えたわたしは、いつもと同じように時刻を確認して仮眠がとれる時間を逆算した。思うように作業が進んだせいか、7時間はしっかり眠れるようだ。
わたしは事務所の照明を消して寝袋に入ると、あっという間に意識が落ちる。
どれくらい眠ったのだろうか?
フロアを歩き回る足音で目が覚めた。
「もうデザイナーが出社する時間帯か……。だとすると寝過ごした!?」
慌てて起き上がろうとしたが、身体が動かない。
目の前に映るのは脱ぎ捨てた自分のスニーカーと、デスクに備え付けられたゴミ箱。
間違いなくここは事務所であり、自分の机の下なのだ。
人生初の金縛りであることに気づくまでどれだけ時間を要しただろうか。
わたしは必死にもがこうとするも、動くのは瞼と眼球だけ。
床を伝わって響く足音は……。
まだ続いている。いや、それどころかこちらに近づいてくるのだ。
そしてついにはわたしが寝ているすぐ真横で足踏みを始めた。
足音の主はいったい誰なのか。怪異を目の当たりにした恐怖感よりも、その正体を確かめたい気持ちでいっぱいだった。
しばらくもがいていると、突然左手が動いた。
枕元に置いてあった携帯電話に手が届いたのだ。
「……動く、身体が動く!!」
咄嗟に上体を起こしてあたりを見回すも、そこには誰もおらず、気づけば足音も消えていたのだ。携帯に目をやると、AM5:30を表示していた。
この足音との遭遇を経てから、わたしはすっかり変わってしまった。
具体的には音以外の現象も次々と体験してしまったのだ。
床で寝ると足音が来る。
それが嫌で一時期は椅子を3つ並べて寝てみたりもしたが、今度は“何者かに”身体を揺さぶられたり、肩を叩かれるなどして目を覚ますようになった。
もちろん、それで目を覚ましても事務所には誰もいない。
このような日々が続くと、不思議なことに『怖い』という思いは次第に消えていった。むしろ、やっと仮眠がとれるタイミングに邪魔をされることへの『怒り』を覚えていくようになる。そして不安定な椅子での仮眠も諦め、結局床で寝ることにしたのもこの頃だ。
とはいえ、一連の怪異が人為的な可能性もあったため、わたしは防犯の意味も兼ねて、仮眠をとる際のルールを決めた。
ひとつ、フロアの照明は半分つけておくこと。
ふたつ、ヘッドフォンではなくある程度の音量でラジオを流しておくこと。
みっつ、眩しさを回避するためにタオルケットをかぶること。
霊障が日常となったある日、わたしは重めの案件を抱えて孤軍奮闘していた。
仮眠をとらず50時間ほどぶっ続けで働いたわたしは、ついに限界を迎えいったん眠ることにした。
すっかり空も白んできたが、3~4時間は睡眠が確保できそうだった。
わたしは取り決めたルール通りにフロアの照明を半分消し、ラジオをつけると、寝袋に入ってタオルケットをかぶって意識を落とした。
「ゴツ、ゴツ、ゴツ……」
例の如く、謎の足音で目を覚ましたが、この日は少しだけ事情が違った。
身体が動いたのだ。
いつものように近づいてくる足音。
わたしは『やっとこの音の正体が掴める』と思う反面、それ以上に『もっと眠らせてくれ、睡眠の邪魔をしないでくれ』という感情の方が勝ってしまった。
結局、顔を覆うタオルをはぎ取らず『今、お前に構っている場合じゃないんだ』と言わんばかりに、わたしは寝袋の中で体勢を変え、改めて二度寝をしようとした。
その時。
つけていたラジオから、男の声でハッキリとこう聞こえたのだ。
「おや、寝返りをうちましたね?」
声の主が誰であるかわからないが、確かに何かに見られていた。そんな感触があった。足音の主はわたしを観察するために、いつも近づいてきていたのだ……。
わたしはその後、どのようにして朝を迎えたのか覚えていない。
しかし、それ以来深夜早朝問わず、仕事中にラジオだけは絶対に聞かなくなった。
(実話シリーズ『ラジオ』 おわり)
ラジオ 長万部 三郎太 @Myslee_Noface
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