第3話 真相

 岡本の記事は、他のマスコミにも影響を与えた。全国どこにでもありそうな「事故多発地帯」を見つけては、そこを取材し、特集を組む編集社もあった。S町では、最初、

「あまり褒められた注目の仕方ではないが、これでこの街にやってくる人が少しでも増えれば、いいかも知れないな」

 と、能天気なことを言っている人もいたが、それどころではなかった。

「何を言っているんだ。これだけ注目されると、俺たち自治体が何もしていないように書かれるだけじゃないか。俺たちだって、事故が減るように対策を取ったりしてみたけど、事故が減ったわけではない。それをマスコミに叩かれたら、俺たちの死活問題にもなるんだぞ」

「でも、ちゃんと手は打ってきたんだろう? だったら、胸を張っていればいいんじゃないか?」

「マスコミというのは、そんなに甘いものじゃないんだ。小さなアリの巣の穴を巨大な穴にしてしまうのが、マスコミという人種なんだ。記事になるなら、少々のウソだっていくらでも書き立てるのがやつらのやり方だ」

 二人の意見は、両極端ではあったが、マスコミを甘く見てはいけないというのは、間違ってはいない。特に芸能人のゴシップなどを狙うマスコミは、まるでハイエナのようなものだ。あることないこと書き立てられて神経をやられてしまった芸能人が果たしてどれだけいるか、S町の自治体はピリピリしていた。

「人のウワサも七十五日というじゃないか。そのうちに忘れてくれるさ」

「全国的に事故多発地帯がブームになっているというのは、我々にとっては好都合かも知れない。発端はここかも知れないが、これだけいろいろ出てくると、最初に話題になったところも、次第に影が薄れていく。そのうちに世間の風当たりも静かになっていくことだろうよ」

 実際に、その通りになった。

 記事が出て、二か月ほどで話題は他の土地に向けられた。それだけ全国には事故多発地帯が多いということは確かなようだった。

 だが、逢坂峠の話題はこれで終わらなかった。一旦は終息した話題だったが、忘れた頃にまた逢坂峠が注目されることになった。

 それまでにいくつかの過程があったのだが、まずは、由梨の身に危険が襲い掛かってきたのが、きっかけだったのかも知れない。

 岡本の記事が出てから、由梨はじっと鳴りを潜めていた。自分が記事の出所だということを知られると、何かとぎくしゃくしてしまうのは分かっていたからだ。

 しかし、そんな由梨の気持ちを分かっていなかったのは、岡本だった。

 岡本は、由梨のことを実名で書いたりすることはなかったし、協力者に由梨がいたという痕跡を残さないような記事になっていたはずだったのに、見る人が見れば、由梨がリークしたことが分かるようになっていたのだ。

 岡本の記事が出る頃には、由梨は街のコンビニでアルバイトをしていた。それまでは福岡市内でOLをしていたが、岡本の記事が出たことで、急に身体の力が抜けて、仕事を辞めてしまった。

 仕事に未練があったわけではなく、このあたりで、一度休息を取りたかったのだ。都会の中での自分がどこか浮いたようになっているのを、気づかない由梨ではなかった。

 しばらくは何もする気にはなれず、友達のところに居候していたが、コンビニでアルバイトをするようになってから、コンビニの近くのアパートを借りた。

――松山さんが生きていたら……

 と、今さら死んでしまった彼のことを思い出しても仕方がないと感じている反面、一度思い出してしまうと、夢にまで出てきたようで、目覚めが悪かった。

――どうして、思い出したりしたの?

 本当は忘れてしまわなければ、前に勧めないと思っていたはずだった。だから事故多発地帯の情報も、七日辻ではなく、わざと逢坂峠にしたのだ。

 逢坂峠の話題が岡本の記事でブレイクしてしまったことで、すっかり七日辻の話題は薄れていった。本当であれば、どちらがオカルトなのかと言えば、七日辻のようではないのだろうか。

――あそこは、車同士の事故だと、悲惨な事故が多いのに、なぜか死者が出たことはなかった。歩いていて交通事故に遭って死んでしまうというのは、松山を含めて結構いるのに不思議なことだ――

 しかも、七日辻に対して、誰もが事故多発地帯だという意識はあるのに、逢坂峠のような不気味さを感じない。やはり、昔から言われているダム湖の怨念のようなイメージが七日辻にはないからだろう。

 由梨が七日辻に興味を持ち始めてから、急に彼女のまわりで不可思議なことが起こるようになった。

 コンビニでのアルバイトの帰り、由梨が裏路地を歩いていると、スピードを出した自転車が走り寄ってきた。

 由梨もその気配に気づいていたが、振り返るのが怖くて振り向かなかったのだが、気配はするのに、一向に自分を追い抜こうとする感じではなかった。由梨はビックリして後ろを振り返ったが、そこには自転車はいなかった。

「なんだ、気のせいだったのかしら?」

 と思ったが、ちょうど四つ角があるところから曲がって行ったのではないかとも思えてきて、どちらにしても、ホッと胸を撫で下ろした。

 再度、前を向き直って歩き始めたが、また後ろから自転車が追いかけてくる気配を感じたのだ。

 今度は反射的に後ろを振り向いたが、やはり、自転車を見つけることはできなかった。

「どういうことなのかしら?」

 と思って、頭を傾げながら、再度前を向き直ると、そこには、猛スピードで走り去る自転車があった。

「えっ、いつの間にか、私を追い越したということなの?」

 反射的に振り向いた時、感じた恐怖で、そばを自転車が通り過ぎて行ったことにすら気づかなかったということなのか、由梨はおかしな気分になり、今まで自分が歩いてきた道が見えなくなってくるのを感じた。

 しかも、さっきまであれだけ感じていた疲れが一気に消えてしまっていた。サッパリとしているわけではないが、疲れだけが消えていたのだ。

 由梨は身体から力が抜けてくるのを感じた。いわゆる脱力感なのだが、息苦しさを感じているにも関わらず、疲れは感じていない。まるで宙に浮いているような感覚を覚えたが、まっすぐ歩いていると、いつの間にかすでにっ数十メートル先に進んでいたのだ。

――あの自転車もそんな感じなのかも知れないな――

 と思い、自転車の後ろを眺めていた。

 すると、急に恐ろしさが芽生えてきて、目の前が真っ暗になるような気がした。

 自転車がちょうど四つ角に差し掛かった時、左から猛スピードで車が走ってきた。

 自転車を物ともせず、一気に走り込んでくると、案の定、衝突したのだ。自転車は吹っ飛び、車はそのままブレーキも踏まずに走り去る。

 後には、車と自転車が激しくぶつかった音が響いているにも関わらず、誰も表に出てこようとする人はいなかった。

――誰も気づかないのかしら?

 由梨は急いで現場に駆け付けたい気持ちはあったが、足が前に進んでくれない。

――疲れは消えているはずなのに――

 何とか、時間を掛けてその場に駆け付けた。飴のようにひん曲がってしまった自転車と、生々しい血糊が残っていたが、不思議なことに、自転車を運転していたはずの人は、どこにも見当たらなかった。

――そういえば、走っている自転車は見たけど、今思い返してみると、誰かが乗って運転していたという意識はないわ――

 と感じた。

 それなら、最初に違和感があったはずなのに、どうして後になって思い出さなければ分からなかったのか、由梨には不思議だった。

 本当であれば、急いで警察に知らせなければいけないはずなのに、知らせる術を知らない。電話をすればいいはずなのに、どう説明していいのか分からず、

「いたずら電話はやめてください」

 と言われるのがオチだった。

――被害者のいない事故現場、このままなら、私が疑われる――

 と思ったからだ。

 由梨はどうしていいか分からず、とりあえず、コンビニに戻って、他の人に相談してみるしかないと思った。

 踵を返して、コンビニまで戻ろうと少し歩き始めたその時、またしてもゾクッとしたものを感じ、元の事故現場に戻ってきた。

 すると、そこには自転車の悲惨な姿は残っていたが、あれだけ鮮明だった血糊は消えていた。

――一体、どういうことなのかしら?

 ここで何かが起こったのは間違いないけど、死体も痕跡もないというのは、信じられるものではなかった。

 由梨はもう一度、壊れた自転車を見た。

 するとその自転車は、完全に錆びついていて、人が乗って走れるほどのものではなかった。まるで何年も雨風に晒された状態で放置されていたかのようで、

――私が見た事故って、本当に今のことだったのかしら?

 と思わないわけにはいかなかった。

 まるで夢を見ているような気がする由梨だったが、よく見るとその自転車に見覚えがあった。

――そうだ、松山さんが乗っていた自転車がこんな感じだったわ――

 彼は役所まで自転車で通勤していた。

 事故に遭ったあの日は、なぜか徒歩での通勤だったのが不思議だったのだが、その理由としては、その一週間ほど前に自転車を盗まれて、盗難届を出していたことで、説明がついた。

――あの盗まれたはずの自転車が、ここに?

 一体、何が起こっているというのか、由梨は自分に何か訴えかけているものを感じていた。もし誰かが訴えているのだとすれば、それは松山しかいない。何を由梨に暗示させようというのだろうか。

――あれは夢だったのだろうか?

 由梨は、そのままその場所を後にした。

 今度は振り向くことなく家路についた。最初に戻ろうとしたコンビニとは正反対の方向に歩を進めると、気が付けばアパートの前まで来ていた。急いで部屋に入ると電気をつけ、すでに電気をつけなければ部屋の中は暗い時間になっていることに初めて気が付いた。

――表はあんなに明るかったのに――

 と思って、窓から表を見ると、すでに日は西の空に沈んでしまっていて、漆黒の空に星が一つ輝いて見えた。星は煌いていて、星を見たのも本当に久しぶりだと感じたのだった。

 不気味なほど静かな部屋だったが、急にガシャンという音が聞こえて、ビックリして表に飛び出した。

 音は自転車置き場からのもので、一台の自転車が風に煽られたのか、倒れそうになっている。そのため、隣の自転車から向こうが将棋倒しのようになり、四台の自転車が斜めに傾いていた。

「どうして、今日はこんなに自転車ばかりが私のまわりで気になってしまうのかしら?」

 由梨は、自転車を一台ずつ抱き起した。

「あれ?」

 そのうちの一台は、昔自分が乗っていた自転車に似ていた。その自転車も盗難にあって、結局見つからなかった自転車だったが、間違いなくここにあるのはその自転車だった。何しろちゃんと名前が書かれている。

「誰が盗んだのか分からないけど、名前をそのままにしておくなんて、何て大胆な盗人なのかしら」

 と、怒りとは別にその大胆さに驚嘆すらしている由梨だった。

 ただ、盗まれたのは自分であり、盗んだ人が一番悪いのは分かっているが、不注意だったという意識はある。したがって、盗まれたものは仕方がない。それを今度は元々自分のものだからと言って、乗ってしまっては、自分が盗人になってしまう。それは自分で許せることではなかった、

「だったら、見つけなければよかった」

 どうしていまさら盗まれた自転車を見つけなければいけないのか、今日という日は、過去に忘れてしまったことを思い出す日なのかも知れない。

 いや、忘れてしまったことを思い出したのではなく、忘れきれないことを引きづってしまっていることを自分に言い聞かせる日だったのではないだろうか。思い出してしまったことは仕方のないことだが、思い出すにはそれなりに何かの理由がある。それを思えば、忘れてしまったわけではないので、思い出したというよりも、意識させられる日だと解釈する方が、辻褄が合っているような気がして仕方がない。

――他にも忘れられずに引きづっていることがあるような気がする――

 そう思うと、目の前に浮かんできた光景が、七日辻だった。

――大好きだった忘れることのできない人を亡くした場所――

 それが七日辻だった。

「そういえば、だいぶ行ってないわ」

 彼が亡くなって少しの間は花を手向けに行っていたが、次第に足が遠のいてくると、本当に行かなくなってしまった。忘れようという意識が強かったからなのかも知れない。

 七日辻というのは、S町の中でも比較的都会に近いところにある。しかし、都会と言ってもまだ田んぼが残っている部分があるそのちょうど田んぼに囲まれた部分に位置していた。

 それだけに、見晴らしはよかった。

 元々、見晴らしもよかったことで、信号もつけられていなかった。四つ角ではあるが、完全な十字路というわけではない。なぜなら、主要幹線道路をまたぐように走っている支線は、斜めになって交差しているからだ。

 支線と言っても、実は福岡市内に向かうには、この支線を使って、二キロほど進んだところへ出てくる道が一番の近道だった。二キロほど進んで出てくる道は、この十年くらい前にできたバイパスだった。今でこそ、信号がついているが、その信号も最近ついたもので、住民の意見がやっと叶ったのだ。

 このあたりに田んぼが残っているのは、なかなか土地の買い手が現れなかったからだ。いくら死人がほとんど出ないとは言え、交通事故が起これば、車は田んぼに突っ込んで、横転していたり、一回転して、天井が田んぼに乗っかっていた李しているのを見れば、さすがに土地の買い手もいないだろう。土地を買って開発しても、度々車に突っ込まれでもしたら溜まったものではないからだ。

 だから、まわりにはマンションをはじめ、駐車場や飲食店などの店舗が軒を連ねているのだが、この一角だけは、手が付けられていない。

 このあたりを歩く人も、今はほとんどいない。車の事故はどんなに悲惨なものでも、死人は出ていないのに、歩行者というのは、どこまでも車に対して弱いものだ。あっけなく惹かれて死んでしまった人は松山だけではなかった。本当の事故多発地帯としてスクープしてもらわなければいけないのは、ここなのかも知れない。

 それなのに敢えて由梨は取材を逢坂峠にした。

 由梨の気持ちとしては、

――松山さんを、静かに眠らせてあげたい――

 という気持ちもありながら、事故多発地帯を許すことができない自分の気持ちのジレンマから、逢坂峠に焦点を絞って取材を申し込んだのだ。

 静かに眠らせてあげたいという気持ちとは裏腹に、彼にもう一度会えるものなら会いたいという気持ちがあるのも事実で、七日辻には、今でも一週間に一度は赴いていた。

 しかし、そのことを知っている人は誰もいない。七日辻に歩いていくのはある意味自殺行為のように言われていたからだ。

 歩く人はほとんどおらず、特に支線は車が離合できるほどの広さではない。そんな狭い道をその先に店や住宅や会社はほとんどない。あるのは倉庫だったり、以前からの地主の豪邸がある程度だった。豪邸に住んでいる人は車での移動なので、歩く人はほとんどいない。つまり、運転手も歩行者など眼中にないと言ってもいいのだ。

 由梨も免許証を持っていて、自分の車を持っていないということであまり車の運転はしたことがないが、OL時代に、一度だけこの道を車で通ったことがあった。もちろん、一人ではなく、助手席には後輩を乗せていた。その時も、

――まさか、こんなところを人が歩くはずもないわ――

 と思いながら走っていた。

 七日辻に差し掛かった時も、事故多発地帯だという意識はあったが、歩行者への意識はなく、安全運転の自分には、どこが事故多発の要因があるのか分からなかった。助手席の後輩は、

「こんな一直線の道だったら、飛ばしたくなるのも無理はないかも知れないわ」

 と答えていた。

「そんなものなの?」

「ええ、たまにしか運転しない先輩には、分からないかも知れないわね。ずっと運転していると、想像以上にストレスが溜まるものなのよ。ストレスが解消できるのであれば、自然とアクセルを踏む足に力が入るのも仕方がないんじゃないかしら?」

 と言っていた。

 その言葉にウソはなく、きっとこの言葉を口にさせた気持ちが、事故多発の正体なのに違いない。

 七日辻にはバス停がある。主要幹線道路のバス停なのだが、七日辻という名前のバス停から実際の交差点までは、数十メートルの距離がある。

 ここで降りる人はほとんどいないのに、どうしてバス停が存在するのか、前から疑問だったが、その理由を確かめようとまでは思うことはなかった。

 バス停を降りると、七日辻までが見えてきた。

――前にも同じ光景を見たことがあったわ――

 松山が交通事故で亡くなったと聞いて、一度も行ったことがなかったはずの七日辻の光景が頭に浮かんできた。その時、後ろから迫ってくる車を必死に避けようとする自分がいて、反射的に避けることで自分が何とか助かったと思った矢先、後ろでうめき声が聞こえた気がした。

 その声は松山の声で、まさしく断末魔の声だった。

「松山さん」

 必死で近づこうとする由梨だったが、近づこうとすればするほど、松山の姿が遠ざかっていく。

――これは夢なんだわ――

 そう思った瞬間、松山が交通事故で死んだという知らせを電話で受けた記憶がよみがえってきた。

「ああ、松山さん」

 必死で松山に追いすがろうとする自分の腕が、透けて見えてきた。松山に近づこうとすればするほど、自分の存在が消えていくのを感じた。

――やはり夢なんだわ――

 夢なら覚めないでほしいという思いと、悪夢なら早く覚めてほしいという思いが頭の中で交錯していた。今見ている夢が悪夢であるのは分かっているくせに、夢の中であっても、松山と一緒にいることができるのを、喜んでいる自分もいたりする。普通の精神状態なら、ありえないことだ。

 自分の身体が消えてしまう寸前、

「どうしたんですか? うなされていましたよ」

 と、声を掛けられた。

 OL時代の由梨は、仕事中に居眠りなどすることがなかったので、同僚の女の子も、

「よほど疲れが溜まってるんじゃないですか?」

 と心配してくれるほどだった。

「ええ、大丈夫よ」

 と言いながら、心の中では、

――よかった。松山さんが交通事故で死んだなんていうのは、悪夢だったんだわ――

 と、覚めてくれた夢に感謝したくらいだ。

 だが、それが予知夢だったことを知らされたのは、それから三十分後、由梨の携帯電話が鳴った。

「もしもし」

 電話の主は知らない人からだった。

「こちら、福岡県警のものですが、荻野由梨さんのお電話ですよね?」

 と、いきなり告げられビックリさせられた。

「はい、そうですが?」

「松山明人さんをご存じでしょうか?」

「ええ、お付き合いしておりますが」

「そうですか……。実は、松山さんが交通事故に遭われまして、お亡くなりになりました。松山さんの携帯電話を確認すると、最後に通話されたのが荻野さんだということで、念のために、ご連絡を差し上げたわけです」

「えっ、交通事故? どこでですか?」

「S町の七日辻という交差点で、後ろから追突されたようです」

「ようですということは、犯人は?」

「轢き逃げだったようで、道路で倒れている松山さんが発見されたんですが、事故に遭われてからかなり時間が経っていたようです」

「誰にも発見されずに?」

「ええ、ちょうど、田んぼに落ち込んでいたので、車からは死角になっていて、歩行者がいないとちょっと発見できない場所だったんです」

「では、発見が早かったら、助かったかも知れないと?」

「それはないです。どうやら即死だったようなので、かなりのスピードで追突されたんでしょうね。だから田んぼに落ち込んでしまって、発見も遅れたようです」

「ということは轢き逃げだったということですか?」

「ええ、その通りです。松山さんは轢き逃げに遭われて、そのまま死体を放置された形になります」

「それで私にどうしろと?」

「遺体の検分をお願いしたいんです」

「松山さんの会社の方は?」

「松山さんは、半月前までS町の町議会に所属されていたんですが、今は退職されたようです」

「えっ、そんな話聞いていませんよ」

「直接私たち警察が町議会に赴いたので間違いないです。ちょうど町議会も忙しいということで、検分をお願いしたんですが、聞き入れてもらえませんでした」

「そんな……」

 松山は、町議会の仕事を生きがいにしていたはずだった。少なくとも二か月前までは、町議会の仕事を任されているということで、デートをしていても、気持ちは半分町議会の方にあり、仕事に対して嫉妬の気持ちを持ってしまったことを恥ずかしく感じた由梨だったのを、まるで昨日のことのように思い出していた。

「どうして、こんなことに」

「とりあえず、ご足労願えませんか? お車はこちらから回しますので」

「分かりました」

 警察が到着するまでの約三十分の間に、由梨は混乱している頭を整理していた。

 まずは、松山が自分に内緒で、どうして町議会を辞めてしまっていたのかということだった。最近、なかなか会ってくれなかったのは、町議会の仕事が忙しいからだと由梨は思っていた。考えてみれば、由梨の方から、

「どうして会ってくれないの?」

 と聞いたこともなかったし、

「町議会の仕事が忙しくてね」

 という話を松山から聞いたという記憶もなかった。

 すべてが、由梨の勝手な思いであり、今から思えば、その間、松山は苦悩に苛まれていたのではないかと思えてならなかったのだ。

 警察での検分が終わると、刑事さんから今まで知らなかった話を聞かされた。その中で一番意外だったのは、

「松山さんは、経理関係のしていたようで、元々は営業の仕事だったらしいのですが、慣れない仕事に苦痛を感じていたのではないかというのが、町議会の人の話でしたが」

「松山さんは、ずっと営業の仕事だと聞いていましたが、いつから経理関係の仕事になられたんですか?」

「一年くらい前からだと聞いています」

「でも、彼は大事な仕事を任されていると二か月くらい前に話していたんですが」

「それは経理の仕事での任されていた仕事なんじゃないですか?」

「彼は、営業の時、自分が営業をするのは天職だって言っていたことがあったくらいだったので、経理に回されたのであれば、落ち込んだ様子が私にも分かるはずなんです。それなのに、まったく気づかなかったというのは、私には信じられません」

「経理の仕事でも、本当に町議会の中枢になるところの仕事を任されていたのかも知れませんね。それは営業の仕事に匹敵するくらいのものだったのかも知れない」

「でも、同僚の人からは、慣れない仕事だって思われていたんですよね?」

「ええ、その通りなんです。でも、逆にそれは、彼が自分からそう思わせていたのかも知れませんよ。それほど大切な仕事を任されていて、まわりの目を欺いていたのかも知れません」

「そんな必要ってあるんでしょうか?」

「分かりませんよ。会社や法人というのは、表には出せないけど、重要な部分を担っている人がいたりするものですからね」

 言われてみれば、由梨の会社にもそんな雰囲気の人がいるような気がした。なるべく、そういう意識は持たないようにしていたので、由梨にとって、汚い部分を見たくないという思いが松山に対して強かったのをいまさらながらに思い知らされた瞬間だった。

 刑事と話しをしていると、半年くらい前から、確かに松山が変わっていくのを感じていた。距離を感じるようになったというか、近づこうとすると、離れていく感覚。それはまるでさっきの夢の中で、助けを求めている松山に近づこうとしても近づくことのできないあの時の状況を物語っているような気がした。

「ところで、あなたはフリージャーナリストの里見誠也という人物をご存じですか?」

「いいえ、知りませんが、その人がどうかしたんですか?」

「彼の通話履歴の中に、最近、頻繁にその人との連絡が多いようなんです。彼の名刺入れの中にその名前があって、フリーのジャーナリストだということが分かりました。彼との接点は今我々の方で探っているんですが、分かっていることとしては、バー『サンクチュアリ』という店で、二人が時々会っていたということくらいですね」

 由梨が、バー「サンクチュアリ」の存在を知ったのは、その時が最初だった。

 由梨もまさか、自分がその店に足を踏み入れることになるとは思わなかったが、偶然店を見つけてしまった。

――これも、松山さんの引き合わせなのかしら?

 と思い、店に入ったが、最初はマスターに自分が松山と知り合いだということを話すつもりだったのに、店の雰囲気を感じているうちに、話す気が失せてしまった。

 最初に話をしなければ、次第に話をする気がなくなってしまうのも事実で、いつの間にか自分の隠れ家としてのバーに変わってしまった。

 それでも、

――里見という人が現れるかも知れない――

 という思いがあったのも事実だったが、半年経っても、その男は現れることはなかった。二人は何を話していたのか気にならないわけではなかったが、この店の常連になっていくにつれて、

――このまま、里見という人と会わないのであれば、それに越したことはない――

 と思うようになっていった。

 ただ、この店に来るようになって、マスターと話をしていると、事故多発地帯への意識が強い客がこの店には多いということを教えてくれた。ここに時々来ていた松山が、その事故多発地帯の一方で轢き逃げされたというのも、皮肉なものだった。

 実は、由梨は一度里見に連絡を取っていた。彼に、ここの事故多発の記事を書いてほしいと頼んだからだ。

 彼に近づくには、この店に現れるのを待つよりも、自分から話題を作ってアプローチする分には、それほど辛さを感じないと思ったからだった。

 ただ、里見からは断られた。

「ちょうど今、重要な記事を書いている途中なので、それが終わるまで動けない」

 ということだった。

 さらにお願いしてみると、最後に彼はこう言った。

「戦死した戦友のために、俺はここで辞めるわけにはいかないんだ」

 このセリフが何を意味しているのか、由梨には分かった。そして、

――彼の邪魔をしてはいけない――

 と感じたことで、彼への取材申し込みは断念したのだ。

 その時、

「じゃあ、僕の知り合いで、一人ルポライターを紹介しますよ」

 と言って紹介されたのが、岡本だったのだ。

 岡本は、由梨の送った投書の話に興味を持ったようだった。最初は難しいかも知れないと由梨は感じていたが、その理由として、

「岡本君は、自分の興味を持ったことにしか、動こうとしないから、ハッキリとお勧めだとは言えないけど、彼の仕事は間違いないと思うよ」

 ということで、岡本に連絡を取ったのだった。

 岡本は、躊躇うことなく応じてくれた。

「里見さんからのご紹介なら、大丈夫ですね」

 ということで、福岡に乗り込んでくれたわけだが、岡本も里見がこの福岡で何をしようとしていたのかよく分かっていないようだった。

 里見は、松山が死んでから福岡に立ち寄ったという話を聞いていない。もちろん、岡本が知っている範囲での話なのだが、岡本は里見が由梨の死んだ彼氏と密接な関係であったということは知らないだろう。

 マスターに岡本を見かけたことがあったかどうか聞いてみたが、マスターは、

「初めてのお客さんですね」

 と言っていた。

 マスターも、松山の死に何らかの胡散臭さを感じているのは事実のようで、

「由梨ちゃん、あまり深入りはしない方がいいかも知れないよ」

 と釘を刺していた。

 岡本に逢坂峠の取材をしてもらってからの反響が大きかったことで、由梨に対して好意的だった人が、急によそよそしくなってきた。最初は、逢坂峠の記事とは無関係だと思っていたが、一人の奥さんが、

「由梨さんは、どうして、逢坂峠の取材をしたんですか? 町議会で問題になったようで、由梨さんに対して皆がよそよそしくなったのは、そのせいだって、ウワサがあるんですよ」

 と言っていたのには、少しビックリさせられた。

 しかし、これも由梨の想定内のことであった。

――これで、松山さんの死と、町議会の関係が分かった気がする――

 と思った。

 由梨は、途中から松山が死んだのは、七日辻ではないような気がしていた。いくら田んぼの死角になる場所に遺体が落ち込んだからと言って、誰も気づかないというのもおかしな話だ。疑えばキリがないが、彼の死をすぐに発見されないようにしたのは、実際の死亡場所が違うところだったと考えるのが自然だと思ったからだ。

 逢坂峠で死んだのだとすれば辻褄が合う。もし、遺体の移動がままならなくとも、最悪逢坂峠で死んだのだとしても、交通事故なら疑われない。完璧にごまかすには、七日辻で轢き逃げ事件にしてしまうことが一番だと考えたとすれば、考えた人はかなりの慎重派の人で、それだけバックに大きな組織が動いているのかも知れない。

 だが、肝心なところになると、まるで霧が掛かったように見えなくなってしまう。

――きっと、皆肝心なことを知らないのかも知れない――

 それぞれに自分の役割に関しては熟知しているが、全体像が見えている人はいないと考えるのが妥当ではないだろうか。何かの弾みで糸が繋がってしまうのを恐れているからだろう。

――松山さんはどこまで知っていたのだろう?

 肝心な部分にかなり深く入り込んでいたのは間違いないと思う。しかも経理関係の仕事をしていたのだとすれば、何かの談合のようなものだとも考えられる。

 そんなことを由梨が考えるようになって、岡本から連絡が入った。それはビックリさせられる知らせだったが、これにより、由梨の考えていることがますます信憑性を帯びてくることになるのは皮肉なことだった。その知らせを聞いて、由梨は岡本に会わねばいけないと思った。場所はバー「サンクチュアリ」、ここしかないだろう。

「実は、里見さんが死んだんだ」

「えっ、どうして?」

「警察では自殺だということになっているんだけど、里見さんは自殺をする理由なんかないはずなんだ。実は、これはまだ内々の話なんだけど、彼が大手出版社から、引き抜きの話が生まれてからすぐのことだったんだ。前途に未来が見えてきたはずの彼が、何を根拠に自殺なんかするはずはないというのが、彼を知っている人の間では、その話題で持ち切りなんですよ」

「彼の表だけしか見ていない連中が、自殺を装ったということなんでしょうね」

「そういうことだと思う。それよりも、一刻も早く、彼には消えてほしいというのがあるのかも知れない」

「どういうことなんでしょう?」

「実は、S町の町議会で、逢坂峠の事故多発地帯を何とかしようというプロジェクトがあり、その建設に絡んでの落札がついこの間、行われたんです。僕は、その記事を密かに里見さんが追いかけていたのを知っていたので、この落札と、里見さんの自殺とがどこかで繋がっているような気がしてならないんですよ」

「そんなことがあったんですね」

「実は里見さんの記事の中に、もう一つ面白い取材を見つけたんですが、きっとこれは記事にするつもりのないものだったんでしょうね」

「どういう内容なんですか?」

「この間、由梨さんと逢坂峠の取材をした時、僕が疑問を呈したのを覚えていますか?」

「どういう内容でしたっけ?」

「ダムの規模が大きすぎたので、ダム湖の底に沈んでいる村は一つではなかったのではないかという疑問を話したと思いますが」

「ああ、あのお話ですね。覚えていますよ」

「実は、里見さんはそのことを密かに書いていたんですよ。そして、事故で死んだ松山さんは、そのもう一つの村の孫に当たる人だったらしいんですよ」

「ええ? それって何かの因縁を感じるんですけど」

「そうでしょう? そんな彼が、S町の町議会で仕事をしていて、しかも肝心な部分の経理関係の仕事に従事していたというのは、彼が自分から飛び込んだのか、それとも、何かの力が働いたのかのどちらかではないかと思うんです。松山さんは、何かをご存じだったんでしょうか?」

「よく分かりませんが、彼はこの街に二つの交通事故多発地帯があることを気にしていました。そして、この街には対になるものが他にもあるんだって言っていたのを思い出しました。それが、ダム湖に沈んだ表には出てきていないもう一つの村だったのかも知れません」

「この街にある『表と裏』ということでしょうか?」

「そうかも知れませんね。しかも、その表と裏にも、二面性がある。つまりはリアルな汚職事件、もう一つはオカルトなダム湖に沈んだもう一つの村。これも、表と裏という二面性なのではないでしょうか?」

「人は、それらの裏になる部分を必死に隠そうとする。でも、オカルトな部分はそれを許さないと考えると、二面性はおのずと表に出てくることになるわけですよね」

「でも、それでも隠さなければいけない人たちがいる。自分たちの利益しか考えない連中がそうなんでしょうが、それ以外にも、守らなければいけないものを守ろうとすると、どうしても隠さなければいけないと思うものなんでしょうね」

「でも、そのせいで歪が起こらないとも限らない。それが事故多発地帯の存在であり、七日辻のように、車同士の事故は大きな事故になるにも関わらず、死人が出ないという矛盾しているように見える場所も存在することになる」

「矛盾というよりも、大きな事故にしないといけない何かの理由があるのだけれど、死人を出してはいけないというギリギリのところで生まれてくるオカルトが都市伝説のようになって伝えられていると考えると、逢坂峠の存在は、必要不可欠なのかも知れません。自分は逢坂峠が最初の事故多発だと思っていたんですが、今では七日辻の事故多発を対にするために、出来上がった場所に思えて仕方がないんです。そういう意味ではあなたが、私を逢坂峠に導いてくれたのは、由梨さんの意識してのことだと思っていたけど、実は無意識だったようにも思えるんですよ」

「私は間違いなく意識して逢坂峠に招いたんですよ。でも今思えば、本当の理由が何だったのか、遠い過去を思い起こすようで、ハッキリとしないのも事実ですね」

「この街に、長居は無用だと思うんですが、いかがですか?」

 その時にマスターは口を開いた。

「そうですよ。由梨さんは、この街から立ち去るべきです」

「どうしてなの?」

「由梨さんには、表はあっても、裏がないからです。だから、自由に行動できたんですが、そのことを街の人たちに知られると、この街では生きていけません」

「私だけが特別だということなの?」

「ここではね。でも、他の土地に行くと、それが普通なんだよ」

 そういえば、昔から、自分だけが特別だと思っていた由梨だった。マスターと出会って心理学の話を聞いた。その時に、自分だけが特別だという意識はなくなっていた。やはり、マスターは由梨にとっての救世主だったのだ。

「僕は閉鎖的な村に育ったので、この街のことは何となく分かる。閉鎖的なところは、対になるものが必ずと言っていいほど存在しているんだ。しかも、その二つはお互いに存在を知ってはいるが、お互いを侵略することはない。そのことは、この間、文香さんから聞いた話でも分かることだと思うんだ」

「でも、ここには松山さんの思い出がある。簡単に捨てられないわ」

「大丈夫だ。松山君は生きている」

「えっ?」

「二年前に交通事故で亡くなった人は、松山君の『裏』の人物だったんだ。町議会の連中が始末したかったのは、松山君の『裏』だったんだけど、それでも表の松山君も狙われた。そのため、里見さんが彼を逃がしてくれたんだけど、里見さんはこの村の出身でも何でもないので、彼の死に裏表の概念は存在しない。だから、彼が死んだということは、もう、彼の代わりはいないということなんだ」

「閉鎖的な街や村というのは、一体どういう構造になっているんでしょう?」

「それは僕たちにも分からない。だけど、裏があれば表もある。閉鎖的ではないところも同じことなんだけど、閉鎖的ではないところでは、裏を消せば表も消える。そして、表を消せば裏も消えるんだよ。だから、一面性しかないように見えるんだけど、実際には違うのさ」

 世の中では裏表が確かに存在しているのは分かっていたが、こんな構造になっているなど思ってもみなかった。

「分かりました。私はこの街を出ます」

 由梨はそう言って、落ち着くために洗面所に向かった。

 そして、洗面台で顔を洗って、顔を拭きながら目の前にある鏡を見つめた。

 そこには写っているはずの自分の顔が写っていなかったのだ。最初から由梨という人間は、存在していたのだろうか……。


                  (  完  )

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表裏の真実 森本 晃次 @kakku

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