僕が絵を描く理由

青時雨

僕が絵を描く理由

 僕は死んだのだと思った。

 目を覚ましたら辺りはジャングルのように木々が鬱蒼としていて、天国か地獄かはわからなかったけど、どっちであったとしても僕の死後の世界のイメージとは異なる景色がそこには広がっていた。

 ちょっとだけじめじめとした湿地帯。僕の周りにはラナンキュラスが咲いていて、触っちゃいけなそうな色をしたカエルが大きな赤い目で僕をじっと見ている。

 立ち上がることが出来た。

 痛むところもないし、死んでると痛みを感じないのかな。

 ふと視線を感じた。僕を見上げるカエルとは違うみたい。

 僕を見つめるのは、茶色と緑が魅惑的に溶け合った大きな瞳を持つ女性。

 白い布を雑に継ぎ合わせたような粗末な服を着ているように見えて、それは色素が抜けた白い大きな葉が重なったワンピースのよう。

 天使か、それとも悪魔か。よくわからない。


 ここはどこ?


 首を傾げ、目で問いかけると、それだけで僕の言いたいことがわかったらしい。

 彼女は生じろい手を僕に差し出した。女の人の手を取るのは初めてだし、エスコートされるなんて格好がつかない気がした。

 でも僕は少年のような心持ちで、彼女に手を引かれるまま湿地帯を進む。

 木漏れ日が彼女の顔に落とす影は、彼女をより魅惑的に見せた。

 腰の高さより長く、伸び伸びと成長した草をかき分けた先に入江があった。

そこにはフラミンゴが何羽もいて、綺麗な脚をこれでもかと魅せつけている。

 なんの躊躇いもなく水に足を浸ける彼女が傍まで来ても、熟れた桃色の鳥たちは逃げようとしなかった。


三途の川ではないよな、入江だし


ちょっと怖かったけど、思い切って入江に入ってみる。

忘れていた痛みが和らいでいくような気もするけど、きっと気のせいだ。

傍に来たフラミンゴを撫でてやっていた彼女は、僕の顔色を伺うと微笑んで口を開いた。



「あなた、まだ、大丈夫みたい」



美しくどこか神秘的な景色がマーブル模様のように溶け、視界が歪み、僕は再び意識を手放した。








〇 〇 〇







目が覚めた時、僕は工事現場にいた。

ここは、ある美しい入江があった場所を水が枯れたのを機にその一部を埋めて、美術館を建設しているそうだ。

景観も見た目も美しいであろうと人々に完成を楽しみに待たれているこの美術館に、僕は絵を出展するように頼まれていた。

叔母が館長だから、その関係で。

プロとかじゃないけど、叔母は僕の絵が好きみたい。

僕はあんまり僕の絵が好きじゃない。

だから今もこうして胸を痛ませている。

僕が絵を描くのは、その土地の思いを見てしまうこの厄介なを使った時だけ。

逆か。

勝手に異能が発揮されてしまった時、絵を書いていた。異能のことを、見てしまった土地の思いを誰にも話せずつらい時に、自分の中からそれらを全部追い出したくて筆をとってしまう。

僕の異能は、どうやら僕にコントロールされることが嫌みたい。

物心ついた時からこの異能がある生活だったから、絵は沢山書いてきた。だからそれなりに絵は描けるのかもしれないけどさ、不思議で神秘的だなんて叔母さんに気に入られちゃって。お世話になった人だから断りずらいっていうのもあるけど、僕しか見ていない景色を誰かに見てほしいなんて思いも少しはあったのかもしれない。


異能が発揮されなければ、絵を描くこともない。

出展するための絵を描くために、気は進まないけど気がする土地に赴いて、ふらふらしているとこの工事現場で異能が発揮された。

意識が飛ぶのは異能に慣れてきた今も心臓に悪い。

あまりに見える世界が変わりすぎて、死んでしまったと思うから。


目の前で行われている工事は、水の枯れた入江を埋め立てて、周りの景観はそのままに美術館を建てる予定だ。

企画した人間たちは自然保護だとか、素晴らしい美術館になるだとか、そんなことばっかり言っている。

だけど、その入江の水が枯れたのは人のせい。それに、入江に水が戻らなくてもそこに未だ住み続けている生き物たちはいる。

土地神なんかも…いたのかもしれないし。



「…描くか」



工事現場を目の前に、僕は少し離れた場所で絵を描き始める。

確かに眼前の景色を見ながら描いているのに、少しづつ完成へと近づくその絵は僕が異能で視てしまった景色。

そのあまりに異なる現実と絵の中の景色に、思わず苦笑してしまう。


「」


異能で視たあのフラミンゴのいる入江、そこに佇む彼女の気配がした気がして振り返る。

だけど、背後には誰もいなくて、僕は暫く誰もいないその場所を眺めていた。

ため息をついて、また絵に向き合うとそこには描いていなかったはずの僕が描かれていた。

置いていた筆の位置も、少し変わっていた。





他の生き物と同じように、人間も遅かれ早かれいつかは滅るびるだろう。

その時、はまた蘇ったこの土地に舞い戻るのかもしれない。

そんな風に思えたら、急に筆を取る手が軽くなった気がした。







〇 〇 〇






美術館の入口に飾られた代表作。

それはある無名の青年が描いたものらしい。

素晴らしいとか、素晴らしくないとか、そんな感想を口にすることも忘れ、真新しい完成したばかりの美術館に足を運んだ人々はそこで足を止めた。

フラミンゴのいる入江に、足を浸けて歩く男女。

なぜかこの絵を見るだけで、誰もがこの美術館にいることに罪悪感のようなものを感じた。

その罪悪感は…そう、美しく咲く花を邪魔だからと刈り取ってしまった時のような。

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