ファム・ファタール強行

和田島イサキ

宵待ち兎と雪割草

 留守番電話機能を使って遊ぶのにハマってるって話は聞いた。

 くさは変なやつらだ。いつも自分たちだけのオリジナルの遊びを見つけては、それをふたりでこっそりと、しかも延々と続けている。バカだ。たぶん脳みそが足りていないんだなかわいそうにと思ったけれど、私は優しいからそれは言わないでおいてあげた。我慢した。少なくともついこないだまでは。


 出会って一年が経った。高校二年の春になり、こんなバカのままでは彼ら自身がかわいそうだからと、私は心を鬼にしてふたりのことをバカバカ言うことに決めた。公然と。教室でも、廊下でも、私はことあるごとに宇佐美と日下部のふたりをなじり倒して、周りからは遠回しに「やめなよ」って言われた。もちろん私はやめなかった。その程度で止まるようなしまじゃないと、それはきっと当の宇佐美と日下部が誰より知っていて、そのせいで最近うっすら疎遠になった。あいつらは、今日もまたあいつらふたりだけで、留守電を使った謎の遊びをしている。


 出会って一年と一ヶ月が経った。穏やかでうららかなはずの十六歳の春は、でも毎日が火傷みたいなひりつく痛みに彩られていた。頭にきた。何をしていてもずっと宇佐美と日下部のことが頭にあって、私の視界はいつも真っ赤に染まっていた。もう我慢の限界だ。そう私は悟り、それをボイスメモアプリに録音した。留守電の代わりだけれど彼らとは違い、それは何処にも届くことのない声だ。


 出会って一年と二ヶ月が経った。

 それは、異様に熱い一日だった。とても梅雨とは思えない狂った太陽が、朝から延々私のつむじを焼いた日のことだった。


 準備は全部できていた。私は隣のクラスのいながわをエロ自撮りで釣って、放課後に日下部の足止めをするよう頼んでおいた。結論から言えばこれは失敗だった。エロ自撮りに釣られて女の言いなりになるような男は、所詮エロ自撮りに釣られて女の言いなりになる程度の男でしかなくて、つまりクソの役にも立たないということをまだ幼い私はまるで知らなかった。逆に、普段はおとなしい大型の草食動物のように見えた日下部は、でも本気を出せば稲川の前歯全部へし折るくらいは造作もなかったみたいで、つまり私はエロ自撮り取られ損でしかないうえに後日稲川はそれを流出させた。青春に失敗はつきもので、私たちの毎日はいつだって傷だらけだ。


 前歯のなくなった血まみれの稲川がヘコヘコ土下座しながら私の居場所を告げ口している間、何も知らない私は文芸部の部室、後ろ手にこっそりドアの鍵をかけていた。そして室内にはもっと何も知らない宇佐美がいた。彼はここで私から何か大事な話があるのだと認識しており、それ自体は別に嘘でも間違いでもないものの、でも〝その先〟についてはきっと何も覚悟していなかったことだろう。

 はたして、私は大事な話をした。お前たちはバカだと、でもどっちかといえば日下部の方がよりバカだから、あいつと縁を切ればお前のバカは治って助かるのだと教えてあげた。

 怒られた。

 そんな、どうして——と、ショックを受けて泣き崩れる、きっと半年くらい前までの私ならそうなっていたと思う。


 想定の範囲内だった。宇佐美は日下部と仲が良く、だからこんなことを言えば怒るだろうというのはわかりきったこと。なにより私は私がどうやらあまりまともな方でないらしいということをそれなりに自覚していて、だからお前は最近どうかしているという宇佐美の言い分も、またそこに付け加えられた、

「何に対してのものかは知らないけど、日下部に醜い嫉妬をぶつけるのはやめろ」

 という、その身も蓋もない指摘にさえ、もとより言われるまでもないというかよくそんな核心をそのままはっきり言えるなって思った。伊達に日下部から——もちろんあくまで友人同士の軽口とはいえ——サイコパス扱いはされていない。



 私たち三人は仲が良かった。入学してすぐにみたいな関係になって、きっとこういうのをウマが合うというのだなと、そう呑気に喜んでいられたのはでも最初の半年までだ。おかしい。男ふたりに女がひとり。この構図で男ふたりばかりがどんどん仲良くなって、だんだん自分がおまけの添え物みたいになっていくこの空気が、私にはどうしても許せないしこれを受け入れたら何かが終わってしまうと思った。


 恋だった。そういうことにすればなんだって許されるから。つまり私は宇佐美のことが好きで、しかもこんなに仲がいいんだからもう行くしかないと思った。なのに当の宇佐美は平然とおかしいよお前と言ってしきりに日下部のことを庇って褒めちぎるばかりで、だから私は結局最終手段に踏み切ることに決めた。その場で服を脱ぎ、えっちょっとなにしてるのという宇佐美の言葉も聞かず、体ごと全力でぶつかって押し倒す。この期に及んでなお本気の抵抗を見せる、その宇佐美のまるで信じられないものでも見るかのような瞳に、私はまるで信じられないものでも見たかのような気持ちになる。


 私はそんなに胸の大きな方ではないけど、それでも稲川は釣れたのだ。いけると思った。いけるはずだったのにでもお前のその態度はなんだ? 私をどうにか跳ね除けようと振り回された腕が、私の肩を思い切り突き飛ばすみたいになって、その思った以上の衝撃に私は悲鳴をあげる。痛い。痛い! 途端に目の前が真っ赤になり、そして無我夢中で宇佐美の拳に噛みついた。顎に響く硬い骨の感触。宇佐美の、耳をつん裂くような凄まじい悲鳴。痛いか。ならこれで大人しくなってくれればいい。そしたら宇佐美の服を脱がして、そして本当の意味で私たちは仲良くなれる。


 バカの日下部の知らないところで、私と宇佐美だけが。

 私たちの仲だけがグッと急接近して、一段低いハズレの位置に日下部を突き落としてやれる——。


 ——瞬間。


 ものすごい音がした。まるで、世界がひっくり返ったかのような破壊音。

 窓から飛び込んできたのは教室の机で、割れたガラスが狭い部室中に降り注ぐ。その長い黒髪を見るまでもなく、聞き慣れたあの低い声を聞くまでもなく、ただ〝邪魔をされた〟という事実だけで私は理解した。

 日下部、だ。

 また、あいつだ。なんで。どうして。畜生が。


 ——〝ようサイコバニー、俺だ〟。

 そんないつもの挨拶、例の留守電遊びでおなじみのひと言を、はたして日下部が本当に言ったかどうか知らない。彼の形相はとてもそんな感じじゃなかったし、だいたい私だってもうそれどころじゃなかった。必死だった。部室の真ん中、半ば放心したみたいにへたり込みながら、頭の中でずっと「こんなことなら日下部の方にしておけばよかったか?」と考えるのに。宇佐美がこんなふうに机を投げ込むところは想像がつかないし、あと普通に男として魅力的なのはどう考えたって日下部の方だ。ただその代わり、その日下部を押し倒してどうこうできる気もしないから、結局私にはなにも手がなかったということなのだろう。


 私たちの春はどこまでも青く、やることなすこと全部うまくいかなかった。だから激昂した。今日まで私ばかりがずっと我慢してきたんだから、激昂して強姦するくらいの権利はあるべきだと思った。あの楽しかった日々は今や触れることも叶わぬ生傷になって、そして私の手元には特に要りもしない稲川だけが残った。最低だ。いや、稲川自身は別に残ったつもりはない様子なのだけれど、でも「こいつはまたエロ自撮りをくれてやればなんでも言うこと聞く」という確信が私にはあった。私の得たものはそれだけで、なのに失ったものはあまりにも大きい。


 また、梅雨が来る。望むと望まざるとにかかわらず、こうして死にきれずにいる限りは、永久に。

 留守電の着信表示を目にするたび、この青すぎた春の落とし物が、私の胸の奥をヒリヒリと炙り苛むのだ。




〈ファム・ファタール強行 了〉


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