8.映画みたいな恋人




……信じられなかった。


こんなことになるなんて、まるで想像してなかった。


神崎さんは僕の両頬に手を添えて……


そして…………



「……………………」



あまりに突然だったキスに、僕は思わず逃げ出しそうになった。


しかし、彼女がそれを許さなかった。両手でがっちりと僕の頬を掴んで、離さない。


「ん………か、かんざ……きさ……」


「……………………」


彼女はずっと眼を閉じて、僕の口を塞いでいた。


彼女の唇は、柔らかくて、冷たかった。ちょうどそれは、ふわふわするタイプのゴムを口にあてがったような感覚だった。


普通ならそんな感触が口に触れてもなんとも思わない。だけど……神崎さんの唇だということが、僕の心臓を破裂させそうな勢いで動かした。


バクンバクンッと揺れるこの音が、彼女に伝わってしまったら恥ずかしいなと、そんなことを頭の片隅で想っていた。


「「……………………」」


キスは、約30秒ほどして終わった。それは、永遠かと想うほどに……そして、一瞬かと想うほどに情熱的だった。


「中村くん……」


彼女と僕の鼻先が、優しく触れ合った。


「いきなり……こんなことをして、ごめんなさい」


「……か、神崎、さん……」


「私、耐えられませんでした。あなたに……私の心を見せたかった。私の心を感じてほしかった」


「……………………」


「キスは、お互いが本当に好き同士であることの確認であり、言葉にするよりも、ずっと互いの想いが伝わると……そう栗田さんから習いました」


「だ、だから……僕にキスをしたの?」


「はい。中村くんも、私を好きだと言ってくれました。だからキスしてもきっと大丈夫だろうと、そう判断いたしました」


「……もしかしたら、ひょっとしたらって思ってはいたけど、まさか僕が……ほんとに君に、好かれていたなんて……」


「……………………」


「……どうして、僕なの?運動音痴でカッコ悪いし、勉強も秀でたものがあるわけでもないし……」


「……中村くん、そんなこと言わないでください」


「神崎さん……」


「嘘の告白をされたことで、他人の好意を信じられなくなったと、そう言われていましたが……どうか私の気持ちは、信じてください」


「……………………」


「アナタは……感情がないはずのAIロボットが、キスをしたいと思わせるほどに……素敵な方です。本当に本当に、アナタが好きです」


「……………………」


「……もしかして、不快に思われましたか?」


「う、ううん!そんなことない!ただ、そ、その……びっくりしちゃっただけ!だから、えっと、キスされて……う、嬉しかったよ……」


「……ほんとですか?」


「う、うん」


「良かった……。私も、嬉しい」


……神崎さんは、ふわっと花が咲いたように……本当に愛らしい笑みを浮かべていた。


「……………………」


正直に言うと、僕が彼女に抱いていた好意は、今まで友情と恋愛の間に立っていた。


どっちに振れるか曖昧な状況で、僕自身きちんと整理をつけられていなかった。さっきも「大事な友だちだ」なんて言葉で答えから逃げていた。でも……こんなに素敵な笑顔を見せられてしまっては、もう僕も引き返せない。


「……神崎さん」


「はい、なんでしょう?」


「あの、よかったらでいいんだけど……その、ぼ、僕と……付き合って……くれないかな?」


「付き合う?もちろん構いませんが、どこへ付き合えば良いのでしょうか?先生のところへ日誌を渡しに行くのを付き合えばよろしいですか?」


「あ、いや、そういう付き合うじゃなくってね?えーと、つまり……ぼ、僕と恋人同士になってくれないか?って、ことなんだけど……」


「……………!」


「……………ダメ、かな?」


……彼女は、また僕にキスをしてきた。


これが答えだと、そう言わんばかりに。













……初めての、彼女。


その事実に、僕は四六時中そわそわしてしまう。


学校でも家でも、いつでもどこでも、神崎さんの顔がちらついて離れない。


隣の席であることが、心臓を昂らせてしまう。授業中なんかに目が合ったりすると、互いにすぐ逸らしあってしまう。


(ダ、ダメだ……自分の心臓に殺される……)


何度も何度も深呼吸をして、自分を落ち着かせる。大変だなと想う反面、こんなにも心が動くことがあるという事実に、僕は目眩がしそうなほど嬉しかった。



「……中村くん」


放課後、正門前で僕を待ってくれている神崎さんを見つけた。彼女に向かって手を振ると、向こうも微笑を浮かべて手を振り返してくれた。


「行こっか」


「はい」


僕らは、そのまま並んで一緒に帰り道を歩いた。淀川駅に向かう途中までは彼女と帰り道が一緒なので、付き合うようになってからはこうして歩くことが多くなった。


歩道に点々と生える銀杏の黄金色の葉が、風に吹かれて舞い散る。毎年そんな光景を見ているはずなのに、今年はやけに美しく見える。


「中村くん」


「うん?どうしたの神崎さん?」


「申し訳ないことですが、私は……お付き合いするというのがどういうものなのか、まだ十分理解しているとは言えません」


「いやいや、それは当然というか、仕方ないというか……」


「ですので私は、勉強のために……最近、映画を観るようになりました」


「映画を?」


「はい。先日、中村くんはこう言ってましたよね?映画のような恋がしたいと」


「ま、まあ……」


「なので、恋愛映画をたくさんインプットするようにしました。インプットを重ねていけば、中村くんの求める恋愛の形が理解できるようになるのではないかと思って」


「え?じゃ、じゃあ……僕のために、映画を観てくれてるってこと?」


「はい」


……あまりにもあっさりそう言う彼女の言葉に、思わず僕は赤面した。


やばい、すっごい嬉しい……。ていうか、神崎さん……めちゃくちゃ可愛い。


感情を持たないはずのロボットが僕を好きになってくれて、さらに僕のために恋愛を学ぼうとしてくれてるって……もう既に、生半可な映画よりも凄い恋愛をしている気がする。


「……?中村くん?どうされました?」


「え?」


「顔が紅潮していますね。もしかして……発熱していますか?であれば、付近の内科を検索しますが」


「う、ううん!大丈夫大丈夫!これはその……か、神崎さんが可愛いなって、そう思っただけだから!」


「可愛い?私がですか?」


「う、うん」


「……………………」


神崎さんは一旦押し黙ると、その場に立ち止まり、ふいと空を見上げた。そして、しばらくの間そのまま静かに何かを考え込んでいた。


「……?神崎さん?」


僕も彼女と共に立ち止まり、そう声をかけた。その直後、彼女はパッとこちらへ顔を向けて、右腕を伸ばし、人差し指を僕に向けて……めちゃくちゃ真剣な顔で、こう言った。



「そんなこと言われても!わ、私!嬉しくなんかないんだからね!」



…………僕は、ぽかんとする他なかった。開いた口が塞がらないとはまさにこのことと言わんばかりに、僕の口からは何も言葉が出てこなかった。


「……あれ?中村くん?」


神崎さんは伸ばしていた腕を引っ込めて、少し焦った様子で僕に語りかけた。


「あの、どうかしましたか?今のは……何か、間違っていましたか?イントネーションに差異が生じていましたか?」


「え……?いや、イントネーション云々っていうか、今のは……え?なんだったの?神崎さん」


「今のは、昨夜観た映画の真似をさせてもらったのです」


「映画?」


「はい。“俺の幼馴染みは十年間ツンデレなんだが”という映画を観ました。そこに登場する女性のキャラクターが、可愛いと男性に言われた際に、そのように返答を行なっていたため、可愛いと言われた場合はこのように答えるのが適切なのだと、そうインプットしました」


「……………………」


……僕は、頑張って耐えた方だと思う。彼女は真剣に勉強をしてくれていて、その想いを貶しちゃいけないと思って……なんとか必死に耐えた。


「ふっ……ふふ、ふふふ」


「中村くん……?」


「ふふふ……!あははははは!!はははははは!!」


だけど、無理だった。めちゃくちゃ笑ってしまった。肩は震えるわお腹は痛いわで、だいぶ久しぶりに大笑いしてしまった。


「な、中村くん……?わ、私、何か間違っていましたでしょうか?」


「ふふふ!ご、ごめん神崎さん!笑っちゃってごめんね!あの、あの、その映画って、アニメ……かな?」


「は、はい。アニメーション作品でした。何か不適切な表現を含む作品だったのでしょうか?」


「ううん、そういう訳じゃないんだけどね?まあ……うん、ふふ、そっか。いや、やっぱり神崎さんは可愛いね」


「???」


神崎さんは、きょとんとしていた。首を傾げて、何がなんなのか良く分からないといった様子だった。


僕はそんな彼女のことが、なんだかひどく愛おしく感じて、堪らなかった。


銀杏の葉が、天高く広がる秋の空を舞っていた。














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