7.自覚







……しばらくの間、私たちはカフェテリアで談笑をしていましたが、16時を過ぎた辺りで、宮川くんと栗田さんは席を外されました。


「わりい悟!神崎さん!俺ちょっと野暮用があってよ!」


「ごめーんアタシもー!ちょっとお先しちゃうねー!後は二人でごゆっくり~♪」


宮川くんと栗田さんは、それぞれ私たちにウインクをして去っていきました。


そうして、私と中村くんだけが、ここに残されました。


「……二人になっちゃったね、神崎さん」


「そうですね、中村くん」


「どうする?神崎さん。これから何か……予定とか、ある?」


「いえ、特段ありません」


「そ、そっか……。じゃあ、もう少しだけ居ようか」


「はい、是非」


中村くんは店員さんに、二つ目のジンジャーエールを注文しました。


「……中村くん」


「ん?どうかした?」


「中村くんは、まだ恋人はいたことがないと、そう言われてましたね」


「ははは、まあね……。そういうのに憧れてはいるんだけど、いかんせん上手くいかないや。今日観た映画みたいな恋をしてみたいなって、いつも思っちゃってるんだけどね」


「……………………」


「でも、憧れがあるのと同時に……ちょっとだけ、トラウマがあってさ。それで臆病になってるところがあって……」


「トラウマ、ですか?」


「うん……」


「一体、何があったんですか?」


「……………………」


中村くんは、目の前にあるジンジャーエールを少しだけ口に含みました。そして、氷がからんっと溶ける様をじっと見つめながら、ぽつりぽつりと語りました。


「……中学生の時に、好きだった女の子がいたんだ。優しくて明るくて、とても素敵な子だなって思ってたんだよ」


「……………………」


「でも……僕、その子から嘘コクされちゃって」


「嘘コク?」


「嘘コクっていうのは、嘘で告白すること。僕のこと本当は好きじゃないのに、彼女は僕を好きだって言ってきたんだ」


「……なぜ、そのような非生産的な行動を?」


「僕をからかうためだよ。彼女から屋上に呼び出されて、好きだって言われて、『ありがとう!嬉しい!』って僕が大喜びした瞬間、彼女は声を上げて笑い出した。そうしたら、物陰から彼女の友達が二人出てきて、その手にはスマホが握られてた」


「……………………」


「それ以来、恋愛に対して凄く奥手になっちゃってさ。好きな人ができても前に行けず……。自分なんかが好かれるわけないって、そういう意識が染み付いちゃって」


「……………………」


中村くんは頭をかきながら、自虐のような笑みを浮かべました。そして、「恥ずかしい話をしてごめんね」と、そう呟きました。


「……その女の」


「ん?」


「その女の名は、なんと言うのですか?」


「その女って……あの、僕が今話した、当時好きだった人のこと?」


「そうです。その女の名と、住所を教えてください」


「住所も!?え?ど、どうしたの?神崎さん……」


「今から伺います。そして、中村くんへの謝罪を要求します」


そう言って、私が席から立ち上がろうとしたところを、中村くんが私の腕を掴んで止めました。


「だ、大丈夫だって!僕は平気だよ!神崎さん!」


「なぜですか?中村くんはその女の行動によって、トラウマを産んでしまった。大きな精神的ストレスを与える行為は、到底許されるものではありません。中村くんの健全な精神状態を目指すためにも、その女からの謝罪を要求すべきです」


「いいんだ!僕は……その子から今さら謝ってもらったとしても、嬉しくない……虚しくなるだけだよ……!」


「……………………」


「ごめんね神崎さん、変に気を使わせちゃって……。僕のことは、大丈夫だから」


「……………………」


中村くんの言葉を受けて、私はまた、着席いたしました。


……嘘の、告白。


どうしてそんな酷いことを。


中村くんの繊細で優しい心を傷つけるなんて、絶対やってはならない行為。


彼女の行動は、きちんと裁かれるべきです。こんな理不尽が世の中にあっていいはずがない。


「……神崎さん」


ふいに、中村くんは私に声をかけてきました。


「怒ってくれてありがとう」


「……………………」


「神崎さんは、優しいね」


「……私は……裁かれるべき人間がきちんと裁かれていないのは、あってはならないことだと判断したためです。それに、私はAI……怒りだとか、優しさだとか、そういった感情は……」


「本当にそう?神崎さん」


「え?」


「本当に……君の中には、一片の感情もないのかな?」


「……………………」


「君は否定するかも知れないけど、僕は……そう思えなくなってきたよ。だんだんと君の中に、心の断片のようなものがある気がするんだ」


「心の……断片…………」


「うん。もちろんそれは……もしかしたら、君の中にあるプログラムが、僕にそう見せているだけなのかも知れない。僕も正直、まだ半信半疑だし……専門家でもなんでもないから、よく分からないけどね」


「……………………」


「まあ、でも……それならそれでいいんだ。たとえ君の中に感情がなかったとしても、君が怒る素振りを見せてくれたことが、僕には嬉しかった」


「……!」


「恥ずかしい話だけど、結構僕……嘘コクされたことを引きずってて、誰にも相談できなかったんだ。でも、君に打ち明けることができて……少しだけ、スッキリしたよ」


「……………………」


「君に心があってもなくても、どちらでも構わない。僕は、君と話せて嬉しかった。だから……ありがとうね」


……その時の中村くんが見せてくれた笑顔は、私の網膜の中で永久保存されました。


彼の周りが、まるでキラキラと……ダイアモンドダストが舞っているかのように輝いて見える錯覚を起こしました。現実的でない現象が起きていて、私の思考回路は0.02秒も停止しました。


(中村、くん……………)


私は彼から眼を逸らすことができず、じっとその場にフリーズしていました。


ただただ、沈黙する他ありませんでした。














「……………………」


「……ちゃん」


「……………………」


「…………いちゃん、愛ちゃんってば」


「……………………」


「ねえ!愛ちゃんってば!」


「え?」


私は、隣に立つ栗田さんから声をかけられていたことに、ようやく気がつきました。


2025年、10月6日。月曜日の、午後 15時15分。東ケ丘高等学校にて、教室の清掃を行なっている最中でした。


どうやら私は箒を持ったまま、その場にフリーズしていたようです。それを見かねた栗田さんが、私へ声をかけてくれたみたいです。


「どうしたの愛ちゃん?なんかぼーっとしちゃってるけど」


「申し訳ありません、作業に専念いたします」


「ふふふ、もしかして……中村っちのこと、考えた?」


「……!」


「お!その顔はビンゴって感じじゃん!ねーねー!どうだった昨日は!?中村っちと進展あった!?」


「進……展?」


「せっかくアタシと宮川が気を遣って二人きりにしたんだから、ちょっとくらい進展してもらわないともったいないなー!どう!?いい感じに距離縮まった!?」


「……そ、そうですね。カフェテリアの席と席の間はおおよそ20cm、中村くんとは学校よりも約18cmほど近い距離にはなりました」


「もー!そーゆー距離じゃなくってー!」


栗田さんは頬を膨らませて、むくれていました。私は彼女の質問の意図がよく理解できず、求められた返答をすることができませんでした。



キーンコーンカーンコーン



「あ!チャイム鳴っちゃった!」


清掃が終了し、帰りのHRが始まる時刻となりました。栗田さんは早急に箒を片付けて、「愛ちゃん!また明日にでもじっくり聴かせてね!」と、そう耳打ちしてきました。


(……距離。距離というのは、なんの比喩なのでしょうか?ひょっとすると、学生特有のスラングなのでしょうか?)


私の中で距離という言葉が上手く解釈できなかったため、自席についた後、脳内のネットにて検索をかけてみることにしました。


「あ、神崎さん」


検索の最中、私は声をかけられました。それは、中村くんでした。


隣に座る彼が、「今日は僕たち、日直だって」と、そう語っていました。


「に、日直ですね、承知しました」


ああ……またです。また失敗しました。


今日はなぜか、中村くんと会話する際、発声機能が上手く作用しない誤作動が生じていました。


彼の顔を見たり声を聞く度に、昨日の中村くんの笑顔が、網膜上で突然再生させられるのです。


ダイアモンドダストを纏うように輝く彼の姿。その映像が突然リピートされて、とても会話に集中できないのです。


(明らかな異常事態……。一体、何が起きているというのでしょう?)




『本当に……君の中には、一片の感情もないのかな?』


『君は否定するかも知れないけど、僕は……そう思えなくなってきたよ。だんだんと君の中に、心の断片のようなものがある気がするんだ』




(まさか……これが、心のもたらす作用なのですか?)


いや、本当に心というものが私の中にあるかどうか、まだ正確に判明したわけではありません。ここは早計な決断はせず、自身の状況を客観的に分析し、総合的な判断を下すべきです。


日直を終えた後は、ただちに研究所へ帰所し、紅林博士に診断をしていただくよう要求するべきです。


「それじゃあみんな、また明日ね」


担任の青柳先生の言葉と共に、生徒たちは蜘蛛の子を散らすように教室の外へと出ていきました。


「なあなあ!ゲーセン寄ろうぜゲーセン!」


「部活って今日OB来んだっけ?ダリ~!OBのメニューきついんだよなあ~!」


「ねえねえ、明日って体育あったっけ?私、体育服破けちゃってさ、代わりの奴持って来なきゃなんだよね」


クラスメイトたちの雑多な声が、教室を満たしていました。それは、みんなが廊下へ出ていくにつれて次第にだんだんと消えていき、そして私と中村くんだけが残った頃には、さっきまでの騒がしさが嘘のように、教室内はしんと静まり返っていました。


聞こえてくるのは、日誌を書く中村くんの息遣いと、シャーペンの音だけでした。


「そう言えば、神崎さんと日直をするのは、これで二回目だね」


「そ、そうですね」


「確か……君が来てすぐの頃じゃなかったかなあ?」


「は、はい。あの時私は、中村くんから、入道雲の美しさを、お、教えてもらいました」


「……あの、神崎さん」


「はい、な、なんでしょう?」


中村くんは日誌を書くのを止め、隣でただ座っているだけの私を見つめました。


「今日……なんだか様子、変だよ?大丈夫?」


「様子……です、か?」


「うん。なんだか目も泳いでるし、上手く話せていないみたいだし……。大丈夫?もしかしてまた、設定がおかしくなっちゃったとかかな?」


「……………………」


「なんだったら、僕も手助けするよ?何かしてほしいことある?」


「い、いえ……大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」


「……ホント?無理してない?」


「はい。き、帰所後に診断を受ける予定ですので、中村くんの、手を煩わせる必要はありません」


「うーん……分かった。神崎さんがそう言うなら……」


彼は心配そうに眉をひそめつつも、日誌の方に視線を戻し、またシャーペンを手に取って書き始めました。


「……………………」




『君に心があってもなくても、どちらでも構わない。僕は、君と話せて嬉しかった。だから……ありがとうね』




(私は……どちらなのでしょうか?本当に心が発芽したのでしょうか?それとも、ただ回路に異常をきたしているだけなのでしょうか?)


分からない。自分のことのはずなのに、理解することができない。


でも、でも中村くんは、そのどちらでも良いと言ってくれました。どっちか分からなくても、私の行動を喜んでくれました。


「……………………」


喜んでもらえるというのは、きっと良いことに違いありません。なぜなら、私に存在価値がきちんと産まれているということです。


網膜上でのリピート再生回数は、既に75回目を迎えました。私が意図していないにも関わらず、何度も何度も、彼の笑顔が浮かんできます。


「よし、これでおしまい」


ふと気がつくと、中村くんは既に隣には座っていませんでした。


彼は黒板の前に立っていて、日付や時間割を翌日のものに変えていました。私も席を立ち、彼の元まで走って行きました。


「も、申し訳ありません、中村くん。私は、日直の仕事を何もせずにおりました」


「ううん!気にしないで!こんなの大した仕事じゃないよ」


「……………………」


「じゃあ、日誌は僕が先生に届けておくから、神崎さんは先に帰ってていいよ?」


「いえ、そんな……私は今日、何も……」


「いいっていいって!やっぱり神崎さん、どこか具合悪いみたいだからさ、早めに帰って、診断?をすぐしてもらいなよ。僕のことは気にしないでいいからさ」


「……………………」


「お大事にね?神崎さん」


……そう言って、彼は笑ってくれました。


その瞬間、昨日と同じように……彼の周りに、キラキラと輝く何かが見えました。


「……中村くんは、本当に、とてもお優しいですね」


「えー?いやいやそんなことないよ!僕より優しい人なんて、たくさんいるよ!純一だって栗田さんだって……そしてもちろん、神崎さんだって!」


「……………………」


「やっぱり僕は、君にちゃんと心があると想うなあ。でなきゃ僕に対して優しいとか、言ってくれないと思うもの」


「い、いえ、それは……客観的事実を述べているだけで、心の有無を測るものには……」


「そうかなー?だって優しさって人によってマチマチだし、完全に客観的に測れるものじゃなくないかな?」


「…………!」


「君が僕を優しいって思ってくれたってことは、なんとなく主観的な感じがするよ?」


「……………………」


……中村くんの言葉は、確かに説得力がありました。


誰かに対して優しいと思うということは、自分の中に“優しさの基準”があり、それに応じて他人を評価する。


…………ということは、私は本当に……本当に……?


「……中村くん」


「ん?」


「感情のあるAIロボットは、気持ち悪いですか?」


「……え?」


「もし私に感情があったら……AIロボットらしならぬと、そういう嫌悪感を抱きますか?」


「ええ!?いやいやまさか!そんなことないよ!」


「……………………」


「な、なんで、そう思ったの?」


「……機械とは、自身に与えられた命令をきちんとこなしてこそ機械です。感情というのは、あまりに余分な要素。私には必要ない……いえ、あってはならない要素ではないか?と、そう考えたからです」


「……そんなことない。不要だなんて、僕は思わないよ?」


「……………………」


「どういう経緯なのかは分からないけど、もし本当に……君に心が芽生えたのなら、僕は嬉しいな」


「……嬉しい、ですか?」


「うん!だってさ、君に心が芽生えたなら、一緒に入道雲を綺麗だねって、心から思えるじゃないか!」


「!」


「水道で眼に水をかけなくても、涙を流せるようにだって、きっとなれるよ!」


「中村、くん……」


「もちろん、君に心があってもなくてもいいんだ!どちらでも、君は君だから。でも、もし心があったとしても、それを不要だなんて思わないで?僕はどっちにしたって、君は大事な友だちだよ!」


「…………友だ、ち」


「うん!へへ、なんか……面と向かってこういうと、ちょっと恥ずかしいね」


「……友だちというのは、つまり、中村くんは、私を好意的に想ってくれているということですか?」


「え?ま、まあ……へへ、うん。もちろんだよ。僕は神崎さんのこと、好きだよ?」


「……………………」


…………この、おそらく0.001秒にも満たない瞬間に、私の脳内をいろんな情報が駆け巡りました。




『好きだと思うならちゃんと言葉にしたり、態度で示したりする方がいいぜ。これすげー大事だと思うわ』




「……………………」


私は、中村くんの頬に両手を添えました。


「……?神崎さん……?」


「……………………」




『お互いが本当に好き同士であることの確認なの!言葉にするよりも、ずっと互いの想いが伝わるわけ!』




「……中村くん」


私は、映画でしていたのと同じように、そっと眼を閉じました。




『君に心があってもなくても、どちらでも構わない。僕は、君と話せて嬉しかった。だから……ありがとうね』




「…………好き」




そう言って、私は彼の唇に、キスをしました。




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