6.ある日の休日









……2025年10月4日、土曜日。午後2時39分。研究所にオフィス内にて、私は博士より精密検査の結果を通知されました。


博士は、白い机を挟んで私と対面し、結果が記載された書類を見ながら顔をしかめています。


「……………………」


彼女は書類から私の方へと目線を移し、机の上に書類を置きました。


長い金色の髪を耳にかけ、白衣の胸ポケットからおもむろに煙草を取り出し、それを咥えて火をつけました。


「……ダメだ、全然分からん」


「……………………」


「精密検査は、まるで異常なし。緊急速報を受信する回線がイカれてるかと思っていたが、全然生きてやがる。はっきり言って、“オレ”にはお手上げだ」


博士は女性でありながら、一人称を“オレ”と語ります。トランスジェンダーというわけではなく、単にそう呼ぶ方が好みだという風に聴きました。


「では博士、検査は問題なかったということですか?」


「ああ、なかった。それが逆に怖いんだよ。異常が見つかってくれる方がまだ良かった。対策の仕様があるからな」


「……………………」


「だが、原因不明となるとどうしようもない。特に運動レベルの設定はきちんとロックをかけておかないと、大事故に繋がる可能性だってある」


「……………………」


「愛、もし今後……リミッターが意図せず外れた場合は、オレにすぐ連絡しろ。その場を離れず、設定もいじくるな。オレもすぐかけつけるから」


「はい、承知しました。紅林博士」


彼女は「ん」と一言だけ返し、煙草を口から外して、息を吐きました。煙が漏れて、辺りの視界が少し白くなりました。


「博士、一点ご報告があります」


「お?なんだ?」


「明日の13時より、東ケ丘高等学校二年三組のクラスメイトから、映画館へ行こうと誘われました。そのため、明日は半日程度外出いたします」


そう、私は昨日の金曜日。放課後にて栗田さんから誘われたのです。



『話題の恋愛映画があるからさ!愛ちゃんも観に行こうよ!も・ち・ろ・ん!中村っちも一緒に来るよーーー!』



なぜ彼女が“もちろん”を強調したのかは不明ですが、中村くんが来られるのであれば、この誘いを拒む理由がなかったため、承諾いたしました。


「ふーん、映画ねえ。何を観るんだ?」


「『夏と雪にとけた恋』という映画だそうです」


「あー、なんか最近CMで観るな。ていうか、愛は映画って観たことあるのか?」


「いえ、一度もありません」


「まあ、そうだろうな」


博士は煙草の火を灰皿で消しました。燻った煙草の匂いが鼻腔を刺激しました。


「運動レベルには、くれぐれも注意するんだぞ?」


「はい、承知しています」


「よし、良い返事だ。まあ良い交流じゃないか、何かしらの勉強になるといいな」


「はい」














「……みんなごめん!遅くなった!」


中村くんは、心拍数を激しく上昇させながら、私たちの前に来て謝罪の意を述べました。


2025年10月5日、日曜日。午後13時12分。大型ショッピングモールの入り口前で13時に待ち合わせしていたところを、中村くんは約12分13秒の遅刻をしました。


ここに集まっているのは、私と中村くん、そして栗田さんに宮川くんでした。


「おうおう気にすんな悟!公開は13時半からだ!まだ全然間に合うぜ!」


宮川くんが中村くんの背中を叩いて、そう励ましました。中村くんはホッと息を吐いて、安堵した様子を見せました。


四人全員が集まることができたので、私たちはみなショッピングモール内にある映画館へと向かいました。道中、栗田さんから服の指摘を受けました。


「愛ちゃん、今日も制服じゃーん!私服持ってないの?」


「はい。私服を購入する理由がなかったため、一着も購入していません」


「せっかく美人なのにもったいないってー!今度一緒に服見に行こ!?」


「はい、承知しました」


私服……確かに、私は今まで不要と考えて購入していませんでした。しかし、本当に不要であるならば、人は服なんてものを作らないはず。私の予想外な面で必要なこともあるのだろうと考え、購入してみようと判断しました。


……映画館へと着いた私たちは、各人でチケットを購入し、シアターへと案内されました。


明度が低く、光の量が少ないシアターの、ちょうど真ん中付近の席を四列、私たちが並んで座りました。


右から中村くん、私、栗田さん、宮川くんという並びでした。


中村くんは席につくと、胸を押さえてそわそわしていました。


「どうしました?中村くん。まだ走ってきた動悸がおさまりませんか?」


「あ、いや、そうじゃなくてね。映画がさ、楽しみなんだ。映画館自体も久々だし、僕もちょっと気になってた作品でね、ドキドキしてきちゃったんだ」


「そうでしたか、それは良かったですね」


「うん!ワクワクするよ!」


中村くんはにっこりと、優しく笑っていました。


……段々と館内の明かりが絞られていき、ついには真っ暗闇になりました。


「なんでしょう?停電ですか?」


「ううん、大丈夫だよ神崎さん。これから映画が始まるんだ」


「これから……」


「そっか、神崎さんは映画は初めてなんだっけね?映画館では、みんなの迷惑になっちゃうから、上映中のお喋りとかは厳禁!なるべく静かに観ようね?」


「はい、承知しました」


私がそう答えると、中村くんはまた優しい微笑みで私を見てくれた。



『……アイスクリームが溶けてしまうほど暑い夏の日に、僕と彼女は出会った……』



スクリーンに、映像が映され始めました。


(なるほど、これが映画というものなのですね)


私は中村くんに言われた通り、上映中の時間は完全な無言を貫きました。


静かに静かに、その映画を視聴していました。











……上映が終わったのは、ちょうど15時になった時でした。


私たちはシアターを出て、同じショッピングモール内にあるカフェテリアに入店しました。


四角いテーブルを、私と中村くんが隣同士に、そして宮川くんと栗田さんが隣同士になって座りました。


「よがっだぁ~~~!すんごいよがっだぁ~~~!劇場で観れでほんどによがっだ~~~!!」


「アダジも~~~!!アダジも泣いぢゃっだよぉ~~~~!!」


中村くんと栗田さんは、自身が頼んだジュースに目もくれず、ビー玉でも溢れているのかというほどに、大粒の涙を流していました。二人はお互いに対面しあっていて、映画のことを熱心に語っていました。


「僕!あぞごの……余命1ヶ月っで言われだミサキちゃんが、『これからもずっと一緒だよ』ってユウスケぐんにグリズマズプレゼンドあげるとこがヤバぐっで……!」


「分がる~~~!!アダジもあぞごで死んだ~~~!!あんなのズルいっで~~~!!」


鼻をズビズビ言わせている二人のことを、宮川くんは頬杖をつきながら、苦笑しつつ眺めていました。


「お前ら、ホントに何でもかんでも感情移入しちまうタイプよな~」


「いやいや純一!!ごれは感情移入じぢゃうっで!!」


「ぞーだぞーだ!泣いでない宮川はおがじい!!」


「いや、俺も多少はうるっとしたけどさ、お前らのえげつない反応観て、逆に熱が引いちまったんだよ。観てる最中、隣でお前らがズビズビしすぎて、正直ギョッとしたんだからな」


三人はいつものように、和気あいあいと談話していました。


「泣いていない宮川くんはおかしい……。それは栗田さん、泣いていない私もおかしいということでしょうか?」


「あっ!違う違う!ぞんなごどないっでーーー!!愛ちゃんごめん~~~!!言葉の綾だよ~~~!!」


栗田さんはさらに涙を溢れさせながら、私に目一杯謝っていました。


「か、神崎さんごめんね……!僕たちちょっと、ぐすっ、涙腺刺激する映画が弱いみたいで……」


「いえ、中村くん、どうか気を使わないでください。涙を流せるのは、とても良いことだと思いますから」


「か、神崎さんは……どうだった?今回……初めての映画だったんだよね?」


「そうですね……興味深いところは、何ヵ所かありました」


「え!?どこどこ!?愛ちゃん、どこが気になった!?」


「……………………」


私は、網膜に記録した映画のワンシーンを、眼を瞑ってもう一度再確認しました。


「……まず気になったのは、キスの重要性です」


「キス?」


「……主要人物のミサキとユウスケは、恋人という関係性を築きましたよね?」


「うんうん」


「彼らは事あるごとに、キス……即ち口づけを行なっていました。あれには、どういった意味があるのですか?性的な興奮を覚えるためですか?」


……私がそう告げると、三人はみな、同じような苦笑を浮かべていました。


「性的な興奮……。うん、確かに神崎さんの言う通りではあるかな」


「まーね~!でもなんて言うかな~!あのね愛ちゃん!あれはエッチな気分になるためなのもあるけど、1番はね……確認!そう、確認のため!」


「確認?なんの確認なのですか?」


「お互いが本当に好き同士であることの確認なの!言葉にするよりも、ずっと互いの想いが伝わるわけ!」


「なるほど……。あの一見無意味な行為の中に、そう言った確認作業があるんですね」


言葉で伝えるよりも、想いが伝わる。人間ならではの交流方法がキスとなって現れているのですね。


「……………………」


……ということは、もし……私がキスをしたら、一体どうなるのでしょうか?


栗田さんの言う“想い”というものが、私にも伝わるのでしょうか?


「ねーねー愛ちゃん!他に気になったところある!?」


「あ、そうですね……。他に興味深く思った点といたしましては……映画の二人の場合は、ユウスケの方から交際を申し込んでいましたよね?」


「うんうん!アタシ、あの告白シーンにはキュンキュンしたなあ~!」


「恋人という関係性は、ああいう形で必ず申し込むようにしなければならないのですか?友人関係でそう言った場面は拝見したことがないので、そこが気になりました」


「あ~、なるほど確かにね~!」


三人はみんな、天井を仰いで考え込んでいました。


「僕は……恋人がいたことがないから分からないけど、普通はどっちかから告白してつき合う……よね?」


「うん、アタシもそー思うかな~?アタシもなんだかんだ恋人いたことないけど、そんなイメージだよね」


「あー、でも俺1個前の元カノとは、特に告白し合ってねーかもな。なんか自然とつき合ってたわ」


「自然と、ですか?」


「そうそう。友だち関係から発展した感じだったからよ、お互いに『好き』って言い合うのが照れ臭い雰囲気だったんだよな。まあそのせいで破局しちまったんだけどよ」


「……………………」


「やっぱな、好きだと思うならちゃんと言葉にしたり、態度で示したりする方がいいぜ。これすげー大事だと思うわ」


……好きだと思うなら、言葉や態度に示す。


私はなぜかその言葉が、最重要事項として脳内にインプットされました。












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