5.一滴の涙のように








……僕は、彼女が向ける眼差しから逃げられなかった。


神崎さんの空のように青い瞳は、僕を真っ直ぐにとらえていて、それから眼を逸らしてしまうと……彼女は酷く、怒るんじゃないかと思った。


(怒る?怒るだって?)


自分で浮かんだ考えを、自分で修正し、改めた。そう、そんなことあるわけがない。だって彼女はAIだ、感情的になって激昂するなんて、そんなことあり得ない。きっとそれは、本人が一番否定することだと思う。




『心配してくれて、ありがとう。私、嬉しい』




(……いつだったか僕は、彼女へ尋ねたことがある。告白をされて嬉しいと思うか?って。その時彼女は、確かにこう言った)




『嬉しいという感情は、残念ながら私にはありません。私への好意を抱かれていると認識することが可能なくらいです』




(そうだ、そうだよ。“嬉しい”なんて感情を、彼女が抱くはずがない。なのに、なぜ僕に嬉しいだなんて……そんな、ことを……)


僕はもう、何が起きているのかよく分からなかった。彼女にどう対応したらいいのかも分からないし、どんな言葉で返せばいいのかも、分からない。


しんと静まり返った保健室の空気が、どんどんと僕を気まずくさせる。上手い言葉をひとつも思い付かない、自分のダメさ加減に苛立っていたその時。



キーンコーンカーンコーン



授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。その音にハッと我に帰った僕は、神崎さんへ一言だけこう告げた。


「とりあえず……教室、戻ろっか」


それを聞いた彼女は、こくんと首を縦に振り、「はい」とだけ答えた。


「……………………」


僕は彼女の横に並んで歩いていた。気の効いた会話をいくつか探してみるけど、どれも上滑りしてしまいそうで、怖かった。


何にも気にすることなく、フランクに話せたらそれが一番いいのだろうけど、僕にはどうにも、情けないほどに臆病だった。


「あ!愛ちゃーん!」


その時、栗田さんと廊下ですれ違った。彼女は神崎さんの元へ駆け寄り、「だいじよーぶだった?なんか調子悪い感じ?」と、そう尋ねる。


神崎さんはいつものように微笑を浮かべ、淡々と答えていた。


「はい、体内に設定している運動レベルが緊急時対応になっておりましたので、通常設定に戻しました」


「へー?なんかよく分かんないけど、それって一応だいじょーぶになったってこと?」


「はい、現在は問題ありません」


「そっか~!それなら良かったね!」


「はい、どうもありがとうございます」


「いいっていいって!じゃあ、アタシたちは今日のお昼、2組ん子たちと食べるから!またねー!愛ちゃん!」


「はい、また後程」


栗田さんは神崎さんへ手を振った。その時、彼女は去り際に僕のことを一瞥し、声を潜めて「中村っち!」と言って、神崎さんのことを指差しながらウインクをした。


そうして、そのまま去って行った。


(……栗田さん…………)


僕は、バスケの試合が終わった後に、栗田さんからこっそり言われたことを思い出していた。




『きゃははは!中村くん面白ーい!ねえねえ、中村っちって呼んでもいい?』


『な、中村っちって……。まあ、別にいいけどさ……』


『おっけー!じゃあ決まり!そうそう中村っち!実は愛ちゃんがね?ずっと中村っちのこと観てたんだよ!』


『え?ぼ、僕のことを?』


『アタシの勘じゃ、愛ちゃんは中村っちに気があると思うな~!』


『い、いやでも……彼女はロボットで、AIだよ?』


『えー?でもよく漫画とか映画とかで、ロボットに心宿ったりするじゃん?』


『いや、あれはあくまでフィクションで……』


『それにさ?中村っちもなんだかんだ、愛ちゃんのこと人間みたいに扱うじゃん?じゃなきゃ、雨の時に傘あげなくない?』


『…………!』


『たぶん愛ちゃんも、そーゆー扱いが嬉しいと思う!アタシはエーアイとかジンコーチノウとか、そういうのよく分かんないけど、アタシの目から見たら、愛ちゃんはフツーに気があると思うけどなー?』


『……………………』


『だからさ!これからも愛ちゃんのこと、気にかけてあげなよ!きっと嬉しがると思うな!』




「……………………」


「……中村くん」


神崎さんから急に声をかけられて、ビクッと肩が震えてしまった。


「な、なに?どうかした?」


「いえ、特に用があるわけではありません。ただ、中村くんが2分30秒も沈黙していましたから、どうしたのかと思いまして」


「あ、ああ……いや、ちょっと考え事をしててね」


「何か精神的ストレスを感じているのですか?」


「いやいや!全然そんな……仰々しいものじゃないよ!ちょっと気になることがあるってだけだから!」


大丈夫大丈夫!と言って、彼女に笑いかけた。彼女はじっと、さっき保健室でしていたように、僕のことを見つめている。


「……………………」


臆病者な僕は、彼女の眼から逃げるようにして、視線を自分の足元へ向けた。


神崎さんはAIだ、栗田さんの言うような気持ちは……きっとないと思う。僕を観察したりする行動がそんな風に見えてしまうだけで、そこに心はないはずなんだ。


……でも、そうと分かっていながらも、『もし本当に彼女が僕を好きだったら?』という期待が溢れ出てしまう。それがあまりにも照れ臭くて、とてもまともに彼女の顔を見られない。顔が熱くなるのが止められない。


「その……でも、あれだね。神崎さんが無事で良かった」


「無事で良かった?」


「うん。緊張事態用?とかいう運動レベルになってたんだよね?調整ができたみたいで、良かったよ」


「……………………」


僕は彼女の方を見ることができないまま、少しずつ話をした。


「その、運動レベルが緊張時対応になっちゃってたのは、何か原因があったの?」


「……………………原因は、不明です。本日研究所へ帰所した際、精密検査を実施する予定です」


「せ、精密検査……」


精密検査というワードに、僕は少し気圧されてしまった。


「……そっか。精密検査、何も異常がないといいね」


「はい、ありがとうございます。中村くん」


「うん」


……それ以降、僕らの間に会話はなかった。


うまく口に出せない気恥ずかしさを胸に抱え、仄かな緊張感の漂う空気の中、静かに教室へとたどり着いた。









………神崎さんの、僕に対する想いは、本当に存在するのだろうか?


心は宿らないと自分で宣言していた彼女だが、本当に……本当に何か、僕への気持ちが宿ってしまったのだろうか?


僕は臆病者だから、『まさか自分が好かれるわけがない』という理由に逃げてしまうところがある。


でも……ひょっとしたら、もしかしてと、そんな疑問が生じることが起きてしまった。


(AIである彼女が、僕のことを……?)


客観的に考えれば、あり得ないことである。


だけど、もうそれがいよいよ……“あり得ないことが起きている”と、認めざるを得ない出来事があった。


それは、バスケのくだりがあった日から、2日後のことだった。




「……はい、じゃあみんな、今日の授業を始めるね」


担任の青柳先生が、教室を見渡してそう言った。


この授業の科目は、倫理だった。各人に一台ずつタブレット端末を配られて、その中にあるネット記事を見るよう指示される。


その記事は、こういうタイトルだった。


『AIロボットを壊した強盗を殺人罪として起訴。日本史上初の事件として全国が注目』


某県に住むとある一家(斎藤家)は、家に置いていた家事用の人形AIロボットを、強盗により壊されてしまう。斎藤家は「彼は単なるロボットではなく、大事な家族だった。とても悲しいし、怒りを覚える」と語る。その一家は先日、殺人罪としてその強盗を起訴したという、そんな内容の記事だった。


「この記事を読んで、みんなはどう思うかな?」


青柳先生が僕らへ問いかける。


「近くの人と机をくっつけて、四人グループを作ってもらえるかな?その中で、みんなでこの記事について議論してみてほしい。そこで出た意見を、タブレットにある回答様式に書いて、提出してね」


先生の言葉に従い、僕らは机を合わせて四人グループを作った。


僕の真正面にいるのが、神崎さん。それから僕の左隣にいるのが友人の純一で、その彼の真正面、つまり僕から見て斜め左にいるのが栗田さんだった。


「なんか、ムズカシー話だねー!」


栗田さんは顔をしかめて、唇を尖らせる。


「ネットだと、わりと賛否あるみたいだなー」


タブレットに表示されている記事の画面をスクロールしながら、純一が呟いた。


「宮川的には、ぶっちゃけどう思ってんの?」


「んー、俺は殺“人”か?って言われると、ちげーんじゃね?って感じ」


「えー?なんでー?」


「神崎さんの前でこういうこと言うのもアレだけどよー、AIロボットは物理的に人間とはちげえわけだからな~」


「でも、家族って思うくらい大事になってんだよ?ちょっと可哀想くない?」


「家族なら、犬とか猫とかも家族になんじゃん?俺もリューって犬飼ってるけどよ~、リューが殺されたとしても、殺人って言う風には思わねーなー。でも、それでぶちギレるかどうかは別な!リューが殺されたら、俺絶対犯人許さねえわ!」


「あーね!そゆことか~」


栗田さんは隣にいる神崎さんへ眼を向け、「ねーねー、愛ちゃんはどう思う?」と彼女の意見を仰いだ。


「……私も宮川くんと同じで、殺人罪というのは不適切だと判断します。私たちAIロボットは、あくまで機械です。ヒトという種の生物ではありません。よって、起訴するとしても器物損壊を理由とするのが適切だと思います」


「ふむふむ」


「ただ、近年は国籍を得ているAIロボットもいます。2017年にサウジアラビアで市民権を得たソフィア氏を皮切りに、AIにも市民権を付与していく国は増えていきました」


「うんうん」


「そうなると、AIロボットにも“人権”を主張する権利が生まれます。そういった権利を有したロボットを壊した場合は、今後殺人罪が適用されるようになるかも知れません」


「おおー!」


「……栗田、お前ホントに神崎さんの話分かってんのか?」


「ははは!ごめーん!ムズカシー言葉が多くてよく分かんなかった!」


ケタケタと笑う栗田さんを見て、僕と純一は苦笑していた。神崎さんはきょとんとした顔で、「どこが難しかったのだろう?」というような表情を浮かべていた。


……それにしても、なるほど。神崎さんの説明にはとても納得させられた。しっかりと筋が通っているように感じたし、何より客観的で現実的な分析に思えた。


もちろん、純一の話にも頷けるところが多かったし、十分理解できた。


「……………………」


僕は自分のタブレットを取り出して、この件についていろいろと調べてみた。すると、その家族がどのようにAIロボットと過ごしてきたかをまとめた記事があった。


「……………………」




『壊されたAIロボットは、外見が若い男性の姿をしており、その斎藤家では「ケンジ」という名をつけられていた。斎藤夫人曰く、ケンジというのは、数年前に事故死してしまった長男の名前だと言う』


『長男と顔が似ているということから、斎藤夫婦は彼を家事用として購入したと言う。夫婦には小学生の娘がおり、そのケンジのことを「お兄ちゃん」と呼び慕っていた。娘がそう呼ぶのを見て、夫人は時々泣いていたそうだ』


『もし本当に、彼が本物のケンジだったならと、そう思わずにはいられない毎日だったと言う。しかし、AIロボットであるはずのケンジは、斎藤家の娘の誕生日にサプライズでケーキを用意したり、母の日や父の日には斎藤夫婦のためにプレゼントを購入していたりと、こちらが指示したこと以上の行動をしていたという』


『「AIに心が宿らないことは重々承知しています。しかしそれでも、私たちは彼に息子の面影を重ねてしまったのです」。そのように斎藤主人は語られた。そんなケンジは、斎藤一家が留守中の間、家へ忍び込み貴重品を盗もうとしていた強盗を取り押さえようとして、逆に壊されてしまった。首から腹部にかけて20箇所もの刺し傷があったという。「私たちは、もう一度息子が死んでしまったようなショックを受けました。世間からは狂人と思われたとしても、強盗には殺人罪を適用してほしいと、そう願っています」。斎藤主人は、話の最後をそう結んだ』




「……………………」


僕はその記事を全文読んだ後、頬杖をついて、じっと黙っていた。


「なあなあ、悟。お前はどう思……って、おいどうした?なんで泣いてんだ?」


「…………え?」


純一にそう指摘されて、ようやく自分が泣いていることに気がついた。ぽたぽたと涙が机の上にたれて、小さな雫をつくった。


「中村くん……?」


「え?なになに中村っち!どしたのどしたの!?」


三者三様の言葉で、僕に問いかけてくる。


僕は鼻をすすり、涙をぬぐいながら「ごめんごめん」と言って、自分を無理やり笑わせた。


「ちょっと、その、うっかり感情移入しちゃって……」


「感情移入……?あ、中村っちそれって、この家族にってこと?」


「うん、あの……家族がロボットと暮らしてた時の話があってね?」


三人に、僕が読んだ記事のことを要約して話した。純一と栗田さんは顔をしかめて、「確かに重い話だな」「わあ……なんか辛いそれ」と、そう答えていた。


「僕、この記事を見てさ……人の心ってつくづく、理屈で解決できないよなあって思ったよ……」


「理屈……か」


「うん。心なんてこもってないと分かっているプレゼントに、喜んでしまえることがある。本物の息子じゃないのに、そこにいるだけで救いになることがある」


「……………………」


「ご主人も言ってるようにさ、AIロボットは本物の息子じゃないし、人間でもないって分かってるんだよ。それでも殺人罪だって言ってしまうこの人たちの心境を想うと……胸が苦しくって」


「……………………」


「……心って、難しいね」


「……………………」


一通り自分の気持ちを伝え終えた僕の背中を、純一がぱんっと叩いた。そして、「お前、繊細な野郎だなホントに!」と、そう言って笑った。


「いやいやでも!中村っちの言いたいこと分かるよアタシー!全部が全部さー、正論で片付けられるのも辛い時ってあるよねー!」


「うんうん、僕もそう思う」


「人間ってそういうのあるもんなあ!もっと簡単になれりゃあ良いんだけどなあ!栗田みたいによ!」


「はあ!?ちょっとそれどゆことー!?」


はははははは!!……と、僕らは笑いあった。朗らかな声が高らかと響いた。


その時だった。



ガタンッ!!



……神崎さんは、突然席から立ち上がった。


その音がかなり大きかったので、他のクラスメイトたちもみんな、彼女のことを見た。


「神崎さん……?」


「愛ちゃん?どったの?具合悪い?」


僕と栗田さんが声をかけてみたけど、それには反応を示さない。


「神崎さん、どうしたの?」


青柳先生も気になったらしく、心配そうに声をかけた。


「……………………」


神崎さんはくるりと背中を向けて、教室の外に出ていってしまった。


「ちょ、ちょっと?神崎さん?」


先生も教室を出て、彼女を追いかける。


突然の事態に、クラスがざわついた。


「な、なんなんだろう?」


「さあ……」


「トイレってわけでもねえだろうし、よく分かんねえな……」


この場の誰も、彼女の意図が分からずにいた。どこか行き先を告げるならまだしも、全くの無言で出ていってしまうというところが、不可解だった。


「え!?な、何してるの神崎さん!?」


廊下から、青柳先生の声が響いて来る。その声のテンパり具合を聞いて、いよいよ僕らも教室から出てみることにした。


「一体、何をしてるんだ……?神崎さん……」


僕と栗田さん、純一、そして他何人かのクラスメイトたちが、ぞろぞろと廊下に出てきた。


廊下の奥にあるトイレの正面には、四つの蛇口が並んだ水呑場がある。そこで神崎さんは、蛇口の一栓から水を出し、顔をバシャバシャと洗っていた。


いや、洗っているというよりは、自分の眼に水をかけている様子だった。両手で水をすくって、眼にパシパシかけている。


「神崎さん!どうしたの!?もう止めなさい!びしょびしょじゃない!」


先生が彼女の腕を掴んで、なんとか止めさせようとする。


確かに神崎さんは、跳ねた水によって顔も髪もずぶ濡れだった。制服の肩にも水がかかっており、じんわりと染みていた。


「神崎さん……!」


僕は彼女のそばに駆け寄り、名を告げた瞬間、彼女はピタッと動きを止めた。



ジャーーーーーー……



……蛇口から勢いよく流れる水の音が、廊下に鳴り響く。


ポタポタと髪や顎から水がしたたる中、彼女は僕の方へ顔を向けた。そして、こう言った。


「泣いていますか?中村くん」


「え?」


「私は、泣いているように見えますか?」


「……………………」


何を言っているのか、皆目分からなかった。泣いている?神崎さんが?


「あの……えっと、どういうこと?」


僕は率直に、彼女へ尋ねてみた。何がどうなっているのだろう?どういう意図なのだろう?


「……私は人工知能の、AIです。“泣く”という機能は私にプログラムされていません。眼から水が溢れるような、不可解な設計はされていません」


「……………………」


「だけど私は、泣いてみたくなりました。アナタのように、涙を出してみたくなりました」


「…………!」


「理屈でない心を、私は知りたい。アナタのような心を持ちたい。アナタの泣いている姿は、とてもとても…………不思議だった。私の網膜から、二度と動画を消したくないと思うくらい、不思議だった」


「……………………」


「どうでしょうか?できていますでしょうか?」


「神崎、さん……」




私は今、泣いていますでしょうか……?




……無表情の、何の感情も浮かんでいないはずの彼女の顔から、僕は目が離せなかった。


髪から滴る水が、彼女の目蓋の上に落ちる。そして、それはゆっくりと頬をすべり、顎へと落ちた。


一滴の涙のように。











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