4.非合理的








……2025年10月1日、水曜日。午前11時15分。


RH-2型アンドロイドのNo.237、通称『神崎 愛』である私は、現在在学している東ケ丘高等学校へ登校していました。


「愛ちゃん、おはようー!」


「おはようございます」


2年3組のクラスメイトたちへ朝の挨拶を交わし、自席へと着席します。


「おはよう、神崎さん」


隣の席である中村くんが、私へ挨拶をくれました。私も彼へ「おはようございます、中村くん」と返答を行いました。


「中村くん、昨日は傘と学ランを貸してくださり、ありがとうございました」


私は自身の鞄から、畳んでいた学ランを取り出して、中村くんへと手渡しました。


「学ランは、クリーニングさせていただきました。私もチェックいたしましたが、汚れやほつれ等は見当たりませんでした。なお、傘は下駄箱の傘立てに入れておりますので、帰宅時に回収していただければと思います」


「学ラン、クリーニングしてくれたんだ!丁寧にありがとうね」


中村くんはそう言って、朗らかに笑いました。


「中村くん、ひとつ質問をしてもよろしいですか?」


「うん、どうしたの?」


「なぜあの時、中村くんは私とともに傘に入らなかったのですか?」


「え?」


「先日、途中まで帰路を共にしたように、昨日も途中までひとつの傘に入りながら帰宅すれば、中村くんも濡れる面積が減ります。なにしろ、中村くんは人間です。雨に打たれすぎると風邪を引くおそれもある。傘を本当に必要とするべきなのは、中村くんではなかったのでしょうか?」


「……………………」


私の質疑に対して、中村くんが回答するまで50秒ほどのタイムラグが発生していました。顔面を紅潮させ、上手く言葉を発せずにいました。


「えーと、なんていうか……。僕、女の子に対して、あんまり免疫がないんだ」


「免疫?中村くんは何らかの疾患を抱えているのですか?」


「あ、いや、そうじゃなくってね?その、女の子と一緒にいると、同性の時よりも緊張しちゃうんだ。最近は慣れてきた方だけど、中学生の時は本当に酷くって……。まともに眼を見て喋ることもできなかったりしたよ」


「……………………」


「だから、一緒に帰る分には良いけれど、相合傘はちょっと……まだ僕にはハードルが高かったんだ。特に君みたいな可愛い子だと、余計に意識しすぎて頭がおかしくなると思う」


「……………………」


「だから、全然気にしなくていいよ。僕がビビりってだけだから」


「……………………」


「心配してくれて、ありがとうね」


中村くんは、またそう言って笑ってくれた。


「……中村くんは、とても興味深いですね」


「え?」


「入道雲の美しさを教えてくれたり、私には不要なはずの傘や学ランを貸してくれたり、相合傘を恥ずかしがったり。とても非合理的ですが……その非合理的な面が、とても興味深いです」


「そ、そうかな?それは恥ずかしいけど、ちょっと嬉しいかも」


中村くんはまたもや、顔を紅潮させていました。





……その日の四限目は、体育の授業でした。


行っているのは、バスケットボール。体育館を使用して行う競技で、発祥はアメリカ合衆国になります。


「神崎さん!」


チームメイトから、ボールを手渡されました。私はそのままシュートフォームの体制へと移り、ジャンプシュートにてゴールを決めました。


「ナイッシュー!神崎さん!」


チームメイトたちが、私にハイタッチを求めてきたので、それに応じました。


私の体力設定は、自由に変更することが可能です。レベルは1~5までに分類分けされており、レベル1が17歳女子の平均的な運動能力で、レベル3がオリンピック選手級、レベル5がおおよそ生身の人間では到達できない身体能力になります。


通常は、レベル1で固定していますが、レベル3までは私の任意で操作できるようになっており、4~5にかけては、“博士”から特別に許可をいただくか、緊急時のみリミッターを解除できるよう設定されています。



ビーーーーー!!



試合終了を意味するブザーが、11時17分に鳴りました。私はコートから出て、次の試合を行う選手たちと入れ替わりました。


「神崎さん、ナイスシュート!」


中村くんが、私に向かってそのように話しました。私は「どうもありがとう」と言って答えました。


「神崎さんって、スポーツ上手なんだね」


「ええ、体力の設定を自由に行えますから」


「へー!いいなあ……。僕、本当に恥ずかしいくらいに運動音痴だから、羨ましいよ」


彼の声のトーンが、普段より1.5Hzほど低くなっていました。


「ふー……。じゃあ僕、行ってくるね」


「ええ、頑張ってください」


中村くんはコートへと入り、バスケットボールの試合をスタートさせました。


私は彼の試合を、コートの外から観察することにしました。床に腰を下ろし、三角座りになります。


コート内を走り回る中村くんの足は、私の測定で約秒速5.8m。これは、100mに17秒かかる速度です。17歳男子高校生の平均値はおおよそ14~15秒であるため、確かに彼が自己申告していた通り、運動は不得手なのでしょう。


何度かボールに触れて、ドリブルをついている場面もありましたが、相手の選手にボールを奪われてしまったり、ドリブルをミスしてこけていました。


「はあっ……!はあっ……!」


中村くんは、額からの発汗が生じていました。心拍数も、他の選手たちより上昇しています。


「お、愛ちゃん!」


背後から私の名を読んだのは、クラスメイトの栗田 南美さん。出席番号は13番で、私へよく声をかけてきます。


「もしかして愛ちゃん、中村くんのこと見てたの?」


彼女は私の隣に座って、そのような質問を投げ掛けました。


「はい、中村くんの試合を観察していました」


「ひゅーひゅー!愛ちゃん、やっぱり中村くんのこと好きなんじゃないのー?」


「いえ、私は特定の個人を気にかけることは……」


「いやいや!もうそれ全然通用しないってー!もしかして愛ちゃん、恥ずかしがってる??」


「恥ずかしがる?何についての羞恥心ですか?」


「ふふふ!これはあれか!まだ自分の気持ちがよく分からない時期かな!」


「……………………」


彼女の発言は、私には理解することができませんでした。あらゆるネットを駆使して、言葉の意味を解読しようとしていた際、栗田さんはコートに向かって指をさしました。


「あ!ほら愛ちゃん!中村くん、ボール持ってるよ!」


彼女の言葉を受けて、私もコートへと顔を向けました。


中村くんは、バスケットボールを手に持ち、ゴールに視線を向けていました。


しかし、彼の前にはディフェンスが立ち塞がっていました。ディフェンスの身長は、おおよそ179cm。168cmの中村くんとは、11cmのミスマッチが生じていました。


「ほらどうした中村!来いよ!」


「う……!」


「おいおい!ビビってんのかー!?」


ディフェンス側の男性が、中村くんを煽りました。スポーツマンシップという観点から考えるならば、彼の行動は試合に不適切と言えます。審判は早急にテクニカルファウルを取り、彼を退場させるべきです。


「悟!無理しなくていい!こっちに戻せ!」


中村くんの味方チームである宮川 純一くんが、中村くんに対してパスを出すよう要求しました。宮川くんは中村くんから見て右側にいて、両手を前に付き出してボールを受け取れる体制になっていました。


(中村くん、アナタの体力的にも、ここはパスをするのが懸命です。自身の運動能力を客観的に分析することが、スポーツをする上で大切なことです)


私は彼のプレイを観察しながら、そのような結論を弾き出していました。


「……………………」


中村くんは、その宮川くんの方へパスをする素振りを見せました。当然、それに合わせてディフェンスも動きます。


「……………!」


しかし、その時中村くんは、パスを出しませんでした。それは、フェイクだったのです。


パスを出すフリをして、ディフェンスが右に動いたところを見計らって、中村くんはドリブルを使い、左脇からディフェンスを抜きました。


「あ!凄い!」


私の隣にいる栗田さんが、感嘆の声を上げました。


私も、彼がそのような行動に出るとは思っていませんでした。まさしく、予想外のプレイです。


中村くんはゴール下でドリブルを止めて、ぎこちないながらもシュートをしました。



ガンッ!!



しかし、残念ながらシュートは入りませんでした。ゴールボードに当たったボールは、空中を舞っています。


「ちくしょ!もう一回!」


中村くんは力強く叫びながら、ボールを目掛けて思い切りジャンプしました。あんなにも息を切らして、体力の限界だというのに、彼はまるで諦めていませんでした。自分で頑張ることなんて諦めて、他人に任せてしまう方がずっと合理的なのに。


やはり彼は、とてもとても、非合理的です。


「……………………」


私はその時、中村くんに向かってこう言いました。


「頑張ってください!中村くん!」


……それは、無意識の内の言葉でした。なぜそのような言葉を発しようと思ったのか、よく分かりません。


「ていっ!」


宙に浮いてたボールを掴み、見事リバウンドを成功させた彼は、もう一度ゴールへシュートをしました。



ガコンッ!!



今度は、無事に成功しました。点数番の数字に2点が加わりました。


「おーーー!悟!ナイス!!中々熱いシュートだったぜーー!」


宮川くんが中村くんとハイタッチを交わしていました。



ビーーーーー!!



ブザーが鳴り、試合は終了いたしました。


私はその場から立ち上がり、中村くんの元へ行こうとしました。


彼はとても真剣で、誰よりも試合に真摯に向き合っていました。技術面も体力面も、コートに出ていた誰よりも低かった。しかし、彼はそんな中でも自分のできることを精一杯やりとげた。これは、称賛されてしかるべきことだと思います。


ですので私は、そのことを伝えようと思いました。彼の努力を称賛しなければならないと、そういう命令を自分へ下していました。


「中村く……」


しかしその時、私よりも先に中村くんの元へ行った人物がいました。


栗田さんでした。


「ういー!中村くん!意外とやるじゃん!」


「は、はは……あ、ありがとう栗田さん……。なんとか……知恵でどうにか、乗り切れる場面があってよかった……」


「うん!カッコ良かったよ!必死な感じも泥臭くって良かった!」


「ど、泥臭いのって、カッコいいのかな?僕はできることなら、スマートにカッコつけたかったな……」


「きゃははは!中村くん面白ーい!ねえねえ、中村っちって呼んでもいい?」


「な、中村っちって……。まあ、別にいいけどさ……」


「おっけー!じゃあ決まり!そうそう中村っち!実は愛ちゃんがね……」


……中村くんと栗田さんは、朗らかに談笑していました。


眼を細めて笑いあって、とても楽しそうでした。そんな2人の元に、私は歩み寄ることはできませんでした。


「……………………」


その時、私の足元に、バスケットボールがひとつ、転がってきました。


ぽんっと足首に触れたそれは、私の足のそばで止まりました。


「あ、ごめん神崎さーん!そのボールこっちに寄越してー!」


遠くで、誰か見知らぬ人が私にそうお願いをしていました。


「……………………」


「……?ねえ、神崎さん聞こえてるー?そのボール取ってー」


「……………………」


「ねえ神崎さんってば、無視しないでよ。ボールちょうだいって!」


「……………………」


「もう、AIロボットのわりに耳が遠いんだから……。ねえ!神崎さんってば……




パンッ!!!!!




……体育館全体に、その破裂音は響き渡りました。その場にいた方がみんな、一斉に音のした方向に眼を向けました。


それは、バスケットボールが破裂した音でした。


私が足元にあったボールを、踏んづけたのです。


足の裏には、ぺしゃんこに潰れたバスケットボールがありました。


「……………………」


……なぜ、私はそのボールを踏んづけたのでしょうか?


歩行の妨げになっていたから?いやしかし、私はそもそも歩行しようとはしていなかった。だいたいこのボールは、返してほしいとずっと頼まれていた物。なぜ私は早急に投げて渡さなかったのでしょうか?


「……神崎、さん?大丈夫……?」


中村くんが、私の方へ顔を向け、眉をひそめていました。


「……中村くん、お騒がせして申し訳ありません。私はどうやら、運動レベルの設定を誤ってしまったようです。ただいまより早急に保健室へ行き、設定値の変更を行います」


中村くんへそのように説明した私は、体育館から出て、保健室へと向かいました。


通常の歩行速度よりも速く、小走り気味に歩いていました。







「……………………」


保健室には、誰もおりませんでした。


私は背もたれのない小さな椅子に座り、右のこめかみにあるボタンを押しました。


視界が切り替わり、見えていた保健室の風景が一旦途切れ、真っ暗になりました。そして代わりに私の現時点での設定値一覧が、網膜上に文字となって浮かび上がりました。


上から順に、身長、体重、体内電力残数、そして運動レベルなどがあります。


「……運動レベルに、原因不明の変化あり」


私は、ひとつ疑問を抱きました。今日は通常通り、レベル1で生活をしていたはずです。しかし、現在私の運動レベルは、4に引き上げられています。


ログを遡ってみると、どうやら午前11時25分に『第2級緊急体制』が体内で発令されており、レベルが1から4まで急激に繰り上げられていました。つまり、いつの間にか設定値のリミッターが外されていたということです。


私が認識していない状況でリミッターが外れるのは、非常に危険なことです。早急に原因の解明が求められます。


(午前11時25分に、一体何が……?)


第2級緊急体制は、震度5強の地震が起きたのと同程度の緊急体制になります。しかし、あの時は地震速報を感知してはおりませんでした。何かの誤作動が生じているのでしょうか?とにかく、その時間に網膜に映った映像を確認することにしました。


「…………!」




『ういー!中村くん!意外とやるじゃん!』


『は、はは……あ、ありがとう栗田さん……。なんとか……知恵でどうにか、乗り切れる場面があってよかった……』




……緊急体制が発令した時刻の映像は、ちょうど中村くんと栗田さんが楽しげに会話をしているところでした。


「……………………」


私は映像を早急に打ち切り、網膜を通常モードに切り替えました。


誰もいない保健室の風景が、また戻ってきました。


「……………………」


しばらくの間、私はその場でフリーズしていました。


今日の私は、やや正常とは言えないことが多発しています。もしかすると、どこかの回路に異常をきたしているかも知れません。これは、研究所にて精密検査を受ける必要があります。原因不明の運動レベル引き上げは、非常に危険です。バスケットボールを意図も容易くプレスしてしまうほどの力を、日常生活で使用することになる。そうなれば、意図せずして……中村くんに……怪我を負わせてしまうかも知れません。


「……あの、神崎さん?」


その時、私の名を呼ぶ方がおられました。


それは、中村くんでした。


彼は扉をゆっくりと開け、中にいる私のことを覗き込むと、「大丈夫……?」と声をかけてくれました。


「……………………」


「さっきなんか、設定がおかしくなっちゃったって言ってたけど……」


「……なぜ、来たのですか?」


「え?」


「なぜ、この保健室へ来たのですか?」


「いや、そりゃあ……君が心配だったから」


「……………………」


……私は、またもやフリーズしてしまいました。どのように返答するのが適切なのか、まるで分からないのです。


「……神崎さん、どうかした?」


「……………………」


「本当に平気?僕、何かできることあるかな?」


「……………………」


私がその時発した言葉は、非常に非合理的でした。


いや、非合理的というよりは、“あり得ない”という表現の方か適切かも知れません。


本来、私が使用することはないはずの言葉を、口にしていたからです。


やはり私には、精密検査が必要です。このままでは、何かがおかしくなる。


「……中村くん」


「ん?どうかした?」


私は、彼の顔を真っ直ぐに見つめて、こう告げていました。


「心配してくれて、ありがとう。私、嬉しい」






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