おかしなはなし

蒼翠琥珀

オブラート星策

 あの時の俺は、確かカスタードクリームパイを食べていたっけ。


 熱々のミートパイを齧りながら、木枯らしが吹く窓の外を眺めた。暖炉の熱が対流する部屋の中は、ビートルズの『ハロー・グッドバイ』に満たされている。

 何もかもが流行り廃れ、栄枯盛衰を繰り返す。 

 春が来て夏が過ぎ、秋の実りに気を取られている間に冬に包まれる。俺たちが太陽を周遊している限り、そうした四季の律動から逃れられないのと同じだ。

 それでも、こうして腹が満たされるというささやかな幸福感があれば、くだらない虚構で塗り固められた現実さえも適当に生きていくことができる。

 温かくて美味いものならなお良い。

 膝の上に溢れたパイ屑を払って、こっくりとしたクラムチャウダーを掬い上げると、最後まで耐えていた一枚の木の葉が無情にも彼方へ連れてゆかれた。



   *****



「どうだ、トルテ。この策は」

「まいったな。とんだ名作だ」

 目の前に居る参謀ザッハを映す自分の瞳は、畏怖と侮蔑の入り混じった色をしているだろう。

 少し頭の中を整理しようと、マドレーヌを紅茶に浸して口に運ぶ。芳醇なバターの香りが、初めて焼きたてのバタークッキーに齧りついた子供の頃の記憶をサクッと呼び覚ました。

 そのまま過去に浸っていたかったが、駆け足で近づいてくる騒々しい足音が、そうはさせてくれないことを物語っている。

 ドアの方を一瞥し、残りのマドレーヌと紅茶を急いで腹に収めた。

「閣下! 緊急事態です!」

 ドタバタと乱入してきたのは秘書のスコーン。有能だが、こいつの話は飲み込むのに時間がかかる。もう少し、しっとり落ち着いてくれればいいのに。

「騒々しいぞ。何事だ」

 眉をひそめるザッハをよそに、当のスコーンは慌てて部屋の片隅の古めかしいレコードプレイヤーに駆け寄り、ドーナツ盤に針をセットした。

 ベートーヴェンの交響曲第五番。通称『運命』は極秘の蜜談を交わす際のサインであり、盗聴対策でもある。

 さっき空けたばかりのカップに冷めかけの紅茶を注いで、着席したばかりのスコーンの前へ押しやった。

「……これは?」

「いいから。飲んで少し落ち着け」

「はぁ」

 渋々と紅茶を喉に流し込んで、一息ついたスコーンは暫く黙っていた。

「で、何があった?」

 重苦しい『運命』の響きの中で、ザッハが二つ目のマドレーヌを紅茶に浸しながら問いかけると、スコーンはもう一度カップに口をつけて、口ごもりながらしっとりと話し始めた。

「……パンデミミックです」

「「パンデミミック?」」

 問い返した声がザッハとハモり、思わず互いに視線を交わした。


 『パンデミミック』は旅の吟遊詩人マリー・トツォの歌だ。

 世界的になはなしが大流行したのは、ハープを奏でながら語られる「パンの代わりにおかしを食べたっていいじゃない」という甘い旋律バイラスが一世を風靡ふうびしたからだと言われている。

 俳優のマドレイヌがメディア〈サイフォン〉で生クリームをたっぷり挟んだ丸いパンを朝食にしたと投稿したことも、おかしな流行に火を点けたと言っていいだろう。「朝から甘いものを食べられて幸せ」と語ったことから、おかしを食べて幸福感に包まれることは『福反応』と呼ばれるようになった。

 さっき俺たちが食べていた貝殻型のマドレーヌも、俳優のマドレイヌ自身が〈おかしな朝食〉と銘打ってレシピ開発に関わったものだ。

 窓から差し込む柔らかい朝陽の中に見目麗しくテーブルセットされた朝食の風景と自分たちの福反応について、メディア〈サイフォン〉へ投稿することに多くの人が熱を上げた。


「流行の最先端、パンデミミックが、どうかしたのか?」

 問いかけてハッとした。

 今朝、何を食べただろう。

 確か、カスタードクリームパイ。昨晩はミルフィーユだ。そして今晩はバウムクーヘンの気分で……あれ? 私はいつの間におかしばかり食べるようになったんだろう。こんなにもなことってあるだろうか。

「今や多くの人がおかしに傾倒しています。な光景はメディア〈サイフォン〉を埋め尽くす勢いです」

 遠慮がちにマドレーヌに手を伸ばしながら、スコーンがまくし立てる。

「確かに、みんなおかしに夢中だな」

 ザッハがやれやれと肩をすくめた。

「ああ、そういう時だってあるだろうさ」

「大体『パンデミミック』に練り込まれたマリー・トツォの甘い旋律バイラスは、AIが機械学習の末に始めた創作活動の産物だろ? メディアだって創られた世界。誰もが自己表現できるプラットフォームで、余暇を楽しんでいるだけじゃないか」

「ですが最新鋭の超小型計算機スーパーコンピュータ月と太陽ルナソル〉が、創作世界と現実世界が限りなく近似し、重なり合う可能性をはじき出したのです」


 そういえばマリー・トツォ自身も、AIがデザインしたボーカロイドだ。

 風に揺れるエキゾチックなローブのフードから、粉雪のように繊細な頬とミルクティのような甘やかで柔らかそうな髪が見え隠れする。特徴的な造形アイコニック中性的な風貌ミステリアス。ハープを手に世界を巡る旅人のボーイソプラノは、老若男女を魅了してやまない。

「中にはメディアに深く没入し、帰らぬ人となった感応者も少なくはないのです」

 あの甘い旋律バイラスが……? まさか。

「『パンデミミック』の拡散係数は最高潮プラトーに達しています。同時にメディア〈サイフォン〉の甘度かんどは現在もなお加速度を増しながら……。リアリティ抜群であるがゆえに、もう甘くて甘くて――」

 スコーンはうんざりした顔で項垂うなだれた。


 メディアは元々、通称〈鷹の魔女キルケー〉と呼ばれる正体不明のエンジニアの発明品だが、今や開発者の手を離れて、自己複製と進化の枝葉を広げ多様化している。というダーウィンの『進化論』を適用できるとも言われ、時代にそぐわないものは淘汰されてきた。

 〈サイフォン〉も数多くのメディアの一つに過ぎない。〈場〉が時代に適合し、マリー・トツォの甘い旋律バイラスが促進剤となり――

 上手くマッチングしたものが。そして周辺で。その繰り返しがこの世界の骨格だ。


 マリー・トツォの甘い旋律バイラスは、もはやとも言えるAIから生み出された。私たちは『パンデミミック』の浸透ぶりを利用し、新たな流行メタバースを創ることにした。

 それこそ参謀ザッハが描いた物語シナリオだったのだ。

 現状を分析し、人々に警告を発するスコーンのパフォーマンス。そして救いの手を差し伸べる私の星策。

 混乱を招き傷ついた人々も多少は居ただろうが、おかげで低迷していたこの星界の経済は大きく動いた。

 カスティーリャ大学のパイ教授が提唱していた『パイはおかしに留まらない』という説を引き合いにしたザッハの策略は的中し、人々はおかずパイに夢中になった。さらには『おかしは特別』という価値観のパラダイムシフトも生まれた。

 おかげさまで星府公認のミートパイはバカ売れ。特別仕様のアップルポテトパイは価格を釣り上げても予約が殺到。関連する界隈は大いに潤った。

 当のパイ教授は「ワタシはそんなつもりでパイの可能性を説いていたのではない。もっと純粋で円満な幸福を――」と不服そうだったが、我々がズームアウトすれば、そんな声は人々に届かない。

 無論、物語シナリオは如何に魅せるか、ということに尽きる。

 何しろ人は皆、虚構の世界に生きている。を現実とする世界で。



   *****



 幸せに満たされた腹に、淹れたての珈琲を流し込む。


 パンデミミック騒動は想定以上に星界を混乱させたが、知ったことではない。

 物語はどこにでも存在する。

 星の数ほどに。


 木枯らしが吹き付ける窓の外は、ビートルズの『イエロー・サブマリン』が蓄音機のスピーカーから揺蕩うこの部屋とは別の世界なのだ。

 何もかもが流行り廃れ、栄枯盛衰を繰り返すこの星界で、俺は与えられた役割を演じるだけ。参謀ザッハが練り上げた物語シナリオが滞りなく展開してゆくよう振る舞い、星界の人々を扇動し、ほとぼりが冷めるまで水面下に潜る。

 俺たちは常にあの太陽を目指しているのだと謡い、実際は近づきつつ離れつつ、繰り返し周遊しているに過ぎない。

 それもこれも変化を生むため。変化のない世界は既に破滅している。前に進むために必要なのは、一つのゴールではなく、度々浮上する希望だ。

 それも、ほんの少し手を伸ばせば届きそうな希望。

 俺たちは星界の人々に不安や夢を見せ、掴み取れる希望を用意する。

 誰かが持ちうるものを羨ましがる心理を利用し、この星界の虚構けいざいを回し続けている。目立つ舞台で仮面を被って台詞を吐き、ヴェールを被せた『オブラート星策』を滞りなく遂行するのだ。


 そうしたことは陰謀だろうか。俺たちにとっては正義だが。


 いや、そんな大それたことではなく、単にそういうシステムなのだ。このクダラナイ現実を、際どいバランスで保つための。

 誰もが虚構の歯車。

 己もそうした創作話ホラバナシの一部だと知っていながら適当に生きていくか、知らずにあおられながら転がされ続けるか、という違いがあるだけで。


『塵リリリリリリリリリリイリリ入りりりリリリィin』


 けたたましい黒電話の音にドキリとする。

 ここにかけてくるのはトルテだけだ。

『スコーン、元気か?」

 いつもの気安いごあいさつには、適当な反応で充分だ。

『早速だが、次の星策が固まりつつある。名付けてWORK-T INJECTION PROJECT。で、また一つ頼みたいんだ。近いうちに出てきて欲しい』

「ああ、わかった」

 そう言われることはわかっていた。

 この黒電話が叫ぶとき、依頼はるが訪れる。

 ならば、オレも花を咲かせよう。

「ああ、わかった」

『そうか! お前ほどの役者はいないからな。頼りにしてるよ。じゃあ、いつもの場所で。ガチャン、ツーツー』

 せわしなく切られた回線の余韻を放り出し、丸窓から風向きの変わった外界を眺めた。そろそろ浮上する時らしい。


 物語の種は、すでに蒔かれているのだから。

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おかしなはなし 蒼翠琥珀 @aomidori589

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