狡猾の男

 真っ暗なカラオケボックスの小さな箱の中。

 ぼうっと浮かび上がったオレンジのともし火は斧繡鬼死神ことシュウの手元、ランタンの中から手品が如く突然生まれた。

 ジジ……と揺れて、あまりに儚い。

 それはある程度の長さはあれど、そのままにしておくには少し頼りない、そんな長さだった。




「約束通り」






「このがお前の寿命だよ」






 それは落語か、はたまた現実か。


 * * *


 そんな風にぼんやりと自室に置いてある蝋燭を想う。

 あれからゆうに三か月という時が過ぎた。




『この蝋燭をお前さんにやろう。この灯りは即ち寿命でお前さんはこの蝋を日々溶かしながら生きている』


『消えれば勿論お前は死ぬ。風よけにはこのランタンをそのまま使うと良い。なんせ物理的に命を視認しているわけだ、吹き飛びゃ簡単に死ぬぜ』


 ケタケタ笑うシュウが雑にランタンをこちらへ寄越す。

 それは火の熱さとはまるで違う、人の肌のような温みだった。

 これが人生だというのか。


『お前に死期が近付き続ける限りは相手との寿命の交換が出来るから、まずは自分の寿命を延ばし続ければ良い』


『それを俺が必要な時に削って、お金に換えてやろう。な、どうだ。良いだろう』

『それは、それは……その、俺の口座とは別のカネってこと?』

『ま、そゆことかな?』

『それは……なんだ、その。良いな』

『だろ? 気に入って貰えて何より』


『――ただし』




『この”蝋燭”はお前が自分の手で勝手にいじったり削り取ったりしてはならないよ? 例えどんなに困っても、例えどんなに必要でも』

『しねーよ』

『まあ聞けや』


『それはさ、俺の仕事なんだから』




『な』




 それに対して分かった、分かったと適当に返事をして俺は再びキャンドルランタンをまじまじ見つめた。

 これはまるで、ハグでもしているようだ。


 その度にまた彼女のことを思い出してしまうんだから俺はダメな奴だと自分で自分を嘲笑する。

 あのマシュマロのように脆く柔い肉をもう抱けないのかと嘆けば余裕で一日は過ぎ去っていってしまう。


 しかして現実とは意外にも淡々としているものだ。何故ってこれは寿命であり、なのだ。

 俺は借金塗れ。借金塗れであるが故に追われる身。

 とすれば借金を続け、膨らませる限り俺は永久に追われ続け、その分が増えていく。どうせ社会から爪弾きにされてる連中だ、ちょっと位居なくなったところで何とも思われまい。なんなら寧ろ感謝して欲しい位だが。

 そういうわけで当然その分のめり込んだ。

 しかもこの金を元手にすると、何だかいつもより当たる気がする。本物の口座の方も何だかちょっと潤ってきた。

 アイツ、実は疫病神とかじゃなくて福徳神だったのでは……?

 そう本気で思ってもおかしくない。


 そうしてニンマリしてた矢先――。




 信じられない事件が起きた。




 嗚呼、あれからゆうに三か月という時が過ぎた。

 過ぎたのだ。……楽しいときほど時というものはあっという間に過ぎ去る。


「おい、授業始めるぞー」


 久し振りに開けた教室の戸。

 向こうで動物園かのように騒がしくしていた生徒が一瞬固まり、こちらを皆でジロリと凝視したのを今でも忘れない。

「ひそひそ」

「ひそひそ」

「ひそひそ」

 おいそこ五月蠅い。

 黙れ。

 ……大事な生徒様にそんなこと言える訳はないのだけれど。

「長らく休んでて済まなかったな。先生すっかり体調良くなりました」


「これから遅れちゃってた分取り返すつもりで頑張るのでこれからもよろしく」


 せいいっぱいの明るい笑みを向こうに向けて、理性で必死に怒りを押し殺して、今にも暴れ出しそうな「動物」達をどうどうとなだめるつもりで。


 必死に良い先生を演じていく。

 俺は動物園の飼育員なんだ。




 嗚呼。


 それもこれも――。


 * * *


「えぇーっ!? あっち死期から離れて行っちゃったのぉ!?」

「そりゃあ、そんな不吉な奴にいつまでもかまうわきゃないでしょぉ? 怨霊とか禁足地とかと一緒! アイツに関わるとロクなことはねぇってさ! ギャハハ!」


 そう笑って斧繡鬼は一杯の酒をあおる。

 周りを妖しい匂いの女の子たちが囲ってきゃあきゃあ言った。


 皆、帯を前で締めている。

 皆、買われているのだ。


 ここは黄泉と現世との間にある花街。

 現世で”吉原”とか呼ばれていたあのまちは政府や世間の”排除”から逃げに逃げ続けてこの狭間までやってきた――らしい。現世では全く違った歴史が展開されているようだが、少なくとも黄泉に住まうこの鬼はそうやって伝え聞いている。確かに現世にあったあのまちとは似ても似つかぬ混沌ぶりを見せてはいるのだが。

 なんにせよ、ここは良い。秘密は漏れない、何を言っても話を聞いてくれる、どんな奴でも金さえ払えば特別なお客のように扱ってくれる。こんな使いっ走りみたいな俺にさえ、彼女らは甘えて「だぁさま旦那様、だぁさま」と猫のように鳴く。

 おまけに酒は旨いときた。

 何より女の子たちが従順で可愛い。

 男の喜ぶ言葉や仕草というのを熟知しているのだ。


 だからこんなにも欲しくなる。

 何て罪な。


「ねぇー。だぁさまぁ。もっとその馬鹿のお話聞かせてよぉ」

「そうそう。それでどうなったの?」

「そうは言ってもソイツ、そうなっちまえばもう用済みだろ? だから――ア。そうだ、食べただろ!」

「アハッ、そうだねぇ。適度に脂が乗っていそうだものねぇ!」

「やめなよ二口女!」

「そうよ、きっとまずい脂よ!」

「ろくろ首まで! はしたない!」

「ねぇ、食べたでしょう? 食べたんでしょう」

「どうやって食べた? ねえ、美味しかったかい」

「やめなってば!」

「食べた? 俺が?」

 そうねぇ、と周りをぐるり一瞥。

 その瞬間目が合った女の子の腕をぐいっと自分の方へと引いた。

 椿の頭の女の子、元々真っ赤な花弁が更に赤くなった。周りは黄色い声をきゃあきゃああげる。

 嗚呼、椿油のにおい。柔い花弁にそっと吐息を吹きかけ腰に回した腕に力を込めればもう、くらくらっとしたように体中から力が抜ける。


「こうやって?」


 花弁が熱でしおっとしおれた。柔らかな花に鬼の顔が埋もれる。


「いやん、羨ましい!」

「だぁさま、私にも!」

「はは、順番順番!」

 すっかり気の抜けたその子の胸の間に札を挟み、だらりとした頭をそっと壁にもたれさせる。

「まあ答えは”否”だね。俺は中肉中背のオジサンは食べないの」

「でも魂は食べるだろ?」

「さあ、どうだろうね」


「でもアイツはすぐ食べるには勿体なさ過ぎる」




「なかなかどうして面白い奴。あんなものはついぞ見たことがねぇ」




 * * *


 俺も最初は魂とっちゃおうかなって思ったよ?

 だってアイツの死期を示す所謂「赤い糸」は一本も見えなくなった。きっとだが、割に合わなくなったんだろう。一人の人間のケツ毛毟るために何千人を無駄には出来ない、みたいな? そこら辺はよく知らねぇけど。

 まあ言ってしまえばアイツはしくったって、所かな。

 普通の人間なら喜ぶところさ? もう追われなくとも良いんだから。

 でも奴にとっては違う。

 金を借りるだけで芋づる式にお金の増える黄金のサイクルが見事に崩れたんだ。もう普通でいられるわけがない。


 パチがしたい。

 その為には金を稼がにゃならない。


 そうして奴は、手始めに教師に復帰した。


 ん? あれ、言ってなかったっけ。今まではパチンコに溺れ切って学校にロクに顔出してなかったんだよ? だから教頭先生が代わりに授業やったりしてたんだよ。

 そうそう。だから生徒達も先生方もさぞびっくりなさっただろうねぇ。なんなら抵抗があったと思う。誰でも思うだろ、あんな先生がまた教鞭を執れるのかって。

 しかし奴は周囲の予想に反してなんと、良い先生になりやがった。本当に心を入れ替えたように理想の先生になっていって徐々に信頼を取り戻していった。


 更にはあの「ルクス」が功を奏したとみたね。女生徒にモテるようになってからは更に信頼に拍車がかかっていった。

「あの子も信頼しているから大丈夫」「生徒会長もあの先生にはよく相談しているんだって」


「あの先生ってさぁ、俳優だったら誰似だと思うー?」


 所謂イケメン・イケオジだから大丈夫、なんだってさ。

 皮肉なことだが矢張り顔面が良いか悪いかで皆判断してるんだろうな。――あんなパチンカスをよ。


 ただ俺からしちゃあ、ちょっとドキッとしたよ?

 だって、破滅に追い込もうとしたのに良い人になってっちゃうんだもん、改心しちまうんだもん!

 違う違う! そうじゃねぇだろ!

 慌てて軌道修正を試みたんだがふと――


「「ふと?」」

「気付いたんだよね。奴の様子が何だかおかしい、って」

「「えぇーっ!?」」

「どういうこと?」

「それでそれで?」

「何か企んでたわけ?」

「知りたいか?」

 うんうんと頷く女の子たち。

「じゃあ誰か俺の口吸いして」

「はい、アタシ!」

 大きな蝶が描かれた着物を纏った女の子が酒臭い鬼の体にその豊かな体を預けた。

 そろそろ夜におちる頃。静かになりつつある花町で生々しい液体の音と吐息の音が混ざり合って熱となり鬼の欲を満たしていく。


 * * *


 ところで。


 学校とは社会の縮図、とはよく言ったものだ。


 強者が弱者の犠牲のもと美味しい蜜を吸って、自分のストレスをも発散する。――お前さん方も「いじめ」って知ってるだろ?

 最悪死の危険に繋がりかねない「遊び」の枠を超えた行為。

 それが学校にはびこり陰から弱い者たちを押さえつけているようで、その生徒はそれをあのパチンカスに相談してきた。


『先生、相談があるんです』

『最近○○さん達のグループが、あの、その』

『△△さんを、その、いじめているみたいで』


 もうその時点で彼もすっかり信頼されていてな(まあ未だにパチンカスであることには変わりないんだが)。この先生ならばと勇気を出して相談してくれたんだ。

『最初はただ気に入らないって理由だけで無視とか明らかな仲間外れとかしてたんですけど、それがどんどんエスカレートしてっちゃって』

『最近話題になってるあの、いじめがテーマの映画あるじゃないですか。そこで”傍観者も加害者と同じだ”って主人公の友達の台詞に私……いたたまれなくなっちゃって……でももう、その子達強すぎちゃってどうにもできなくって……!』

 そう言ってわぁっと泣き出したその生徒に白湯を出してアイツは静かに考えてた。

 傍から見ればいい先生だよ? でもなんだかその瞳がよどみ濁っていたように見えて何だかぞくりとしたのを覚えている。

『そうか。、ねぇ……』

『それで相談してくれたのか。さぞ怖かっただろうに、ありがとな』

 そう言ってアイツは微笑んで生徒の頭を優しく撫でた。

『大丈夫。俺が責任もってそのいじめをなくすし、お前から相談受けたってことも誰にもばれないようにする』

『だから心配しないで、いつもの学校生活に戻りなさい』


『大丈夫。お前はもう”傍観者”じゃないからね』


 * * *


『うっ!?』


 青天の霹靂。こんな言葉がぴったりだ。


 真逆、召喚されるなぞ思っていなかった。

 しかし俺の手刀は確実に加害者生徒のうなじを強く打っていた。


 冬の寒々とした外。誰も寄り付かないような暗く、雑草の茂った体育館裏。

 唖然とする加害グループに、囲まれて目を見開いている被害者生徒の潤んだ瞳。


 全てがゆっくりに見えるその景色で、きっと少女のうなじを思いっ切り打つ死神の姿は誰にも視えていない。――ただ一人を除いて。


『なあ、シュウ』


『このカメラ、?』











『合ってたようで良かったよ』











 その手にはあろうことかあの日のインスタントカメラがしかと握られていた。


『ハァーッ!! ハー! ハー!! ハー!!!』

 突然襲い掛かって来た首の痛みに悶絶し、ぶっ倒れた少女を見ながら何故死期と無縁になった奴に突然召喚されたのか、瞬間、合点がいった。

 何も知らない振りしてふといじめの現場に駆け付け、加害者を散々煽り倒した上で自分に加害のベクトルが向くように仕向け、そして自分を傷つけようとした瞬間にそのシャッターを切ったのだ。



 自分で自分に、――結局そこまではいかなかったが――死期を呼び戻したのだ。

 まだ何にも知らない、子ども相手に!



 何故分かったと問われればその手元を見たと答えるほかはない。血の玉が指先で膨らみ、乾き始めている。

 そういえば忘れていたが、自分と他者との所謂「加害-被害」の関係性を繋ぐ“赤い糸”を見るためのあの「紙きれ」。


 あれを渡したままだった。


『ハーッ! ハーッ!!』

『大丈夫か! おい過呼吸じゃないのかこれ……! 保健室行こう、早く!! 勿論お前もだ、△△!! おいお前ら手伝え!!』


 奴はずっと何かを探していた。何かきっかけを探していた。

 あの濁った目は多分、いや確かに集めていた。

 名前、関係性、住所、嗜好、趣味、流行、秘密……


 悩み、事件、揉め事、相談――自分に「信頼」が向くための何か、きっかけ。

 自分が少しでも傷つくような何か、きっかけを。


 教師という職がそれを集めるのにとかく都合が良かったということか。

 はたまたこういう機会にたまたま出くわし、やむを得なかっただけなのか。


 しかし今回もしも、もしも運が悪ければ。大人なら耐えられる攻撃をしようとして、それを何の準備もしていない子どもにそっくり返したとしたならば……。


 考えたくはないが、確実にパチンカスの蝋燭の長さが更に伸びたに違いない。


 これが唯の仮説や推測であることは否定しない。しかしそれを狙う作戦に移ったのならば奴は余りに性格が悪い――いや、それを超えている。

 何故って自分の手は汚していないのだから。



「なんて奴に契約を持ち掛けちまったんだ」



 そう呟かずにはおれなかったね。


 * * *


「誰に向かって喋ってんだい?」

「ウワワワワびっくりしたぁ!!」



「……誰かと思えばお狐様じゃないか! 花魁が箱から出て良いのか?」

「お前さんぐらいだよ、私の変化へんげを見抜けるのは」

「またお散歩かい?」

「いーや。警告だね」

「……何が?」

 部屋がその瞬間ぴり、となって静まり返る。それこそ呼吸音も聞こえない程に。

「とぼけるのも大概にしなね、アンタ。ここは仕事場じゃないんだよ」

「そっちこそぼやかすのいい加減にしな」

 また唐突に腕を掴んで引き寄せ、自らの下に組み敷く。

「抱かれたいなら甘えに来い、金が欲しいなら口を吸いに来い。何度も言ってる」

 胸を左手で強く鷲掴むのに右の指先は微かに絹の頬に触れるばかり。


「それがこの世界だろ」


 そう囁いて彼女の顔に自らの顔を近づけ――ようとしたところでその間を豪華な扇が突如ばっと開いて遮った。


「私はそうはいかない」


 それに驚いて鬼が脱力したところで花魁はすらりと脱出。

「まだお金を貰っていないんでね」

 言いながら椿の女の子の所へしずしず歩いていく。

 抱き起こそうとしたところで大きな花の頭が


 周りを見渡せばその場で接客をした女の子たちが皆“絶命”している。


「まだこの世界に入ったばかりなのに、可哀想に無理をして……」


 だって仕方ないだろうに。

 




「お前もよっぽど性格が悪いね」

「どこから聞いてたんだよ? 俺の話は有料なんだけど」

「……」


「ま、良いや。お前さんに無料で会えちゃったし、満足満足」


 ニヤ、と笑んだ狡猾の鬼は満足そうに腹を撫でて店を出た。


「……」




 金払いが良いので店はあの疫病神を断れない、また来るだろう。

 しかも奴は顔も良いので女の子たちが自ら誘い、彼も調子よく乗っかってくる。


 ハアと溜息をついて月を見上げた。


 こういう時に限って月はこうこうと輝いて花魁を見下ろしてくる。



 彼は死神、疫病神。

 こんなに面白くなってきた、到底あの男を手放すつもりは毛頭ない。


(つづく)

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二つの中編集:『死神』 星 太一 @dehim-fake

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