虚ろ

双町マチノスケ

怪談「虚ろ」

 春は嫌いだ。


 世間一般的には別れと出会いの季節。避けられない終わりと二度と戻らない日々があるけれど、それは新たな始まりと未来でもあって。それらへの名残惜しさに振り返りつつも、不安に少しの期待が混じった気持ちを抱きながら、それでも続く明日へとまた一歩を踏み出していく。そんな儚くも美しい、しっとりとした季節として見られがちだ。

 でも実際は「ある程度決まってしまっている始まり」への準備に、やたらと時間と労力を取られる。やれ「年度初め」だの「新学期」だの。別れを惜しむ間もなく慌ただしくしていると、いつの間にか春が終わっている。それに別れはいつだって、春を待たずして突然にやってくる。そんな「描かれた春」と「現実の春」との隔たりが嫌いだ。



 ──そして何より、桜。



 桜自体が嫌いなわけじゃない。

 でも春が来ると、決まって頭に浮かぶのは桜で。

 そして頭に桜が浮かぶと、決まって思い出すことがある。




 今も背筋がぞっとする、春の嫌な思い出。




 小学生の頃だから、もう何年前だろうか。


 私が住んでいる町は桜で有名だ。川沿いにあるソメイヨシノの並木。満開になった光景もさることながら、その散り際もまた圧巻。「桜吹雪」というやつだ。それを見たさに町の外からも大勢の人が来るらしく、春になるとその一帯は大変な賑わいを見せる。

 それとは別に、地元民の中でだけ有名な桜がある。それは町の北側にある山に一本だけ生えている大木。詳しくないから良く分からないが、樹齢1000年を超える野生の桜だそうだ。花の数は決して多くはないものの、その大きさと荘厳さに圧倒される。こっちの桜も大々的に宣伝したらいいのにと思うのだが、何故かそうしない。町のお偉いさんのご意向か何かで、山にあまり人を立ち入らせたくないのだろうか。その桜に至る道もあまり整備されておらず、地元民ですら訪れる人は少ない。そんな、少し不思議な桜。

 春休み中だったある日、私は両親に連れられて大木の桜を初めて見に行った。「長い」だの「帰りたい」だの駄々をこねつつ、子供には少々酷な山道を登っていった。やっとの思いで辿り着き、その巨大な桜を見上げた時、子供ながらも自然の美しさというか力強さみたいなものを感じたのを覚えている。


 ただ、同時に色々と奇妙に思ったことも覚えている。


 まず、その桜は周囲を柵のようなもので囲われ遠くからでしか見れないようになっていた。それ自体は別におかしいことではないのだが、囲い方が過剰というか異様なほど厳重だった。両親に聞いてみても「ずっと昔からこうなっている」のだと。

 あと幹に注連縄のようなものが巻かれていたのも気になった。聞いてみると、これも「ずっと昔からあるから何の為のものなのか分からない」と曖昧な答えが返ってきた。お爺ちゃんとお婆ちゃんから何か聞いていないのか尋ねると、彼らも今私に言ったようなことを言っていたと。

 ……そんなことがあるだろうか。この手のものは上の世代から何かしら言い伝えられていると思っていた。だから両親の「気付いたらそうなってた」みたいな言い様に、私はどうにも納得がいかなかった。そんな私を見て、両親は「そういうものなんだよ」と早々にその話を切り上げてしまった。気にならないのだろうか。

 何かの御神木?にしても付近に神社なんてない。もし仮にそうだったとして。いったい誰が、何を、何のために祀っているのだろうか?

 何本もの支え木が立てられた、なぜ大事にされているのか分からない桜の大木。出で立ちだけを見れば、普通の大きな桜。しかし、そこに散りばめられた幾つもの小さな違和感が、何か大きな謎を守っているように思えてならなかった。でも両親を含めた僕以外の人間は、それらの違和感を気にも留めていない。そのことが余計に奇妙だった。


 そうやって眺めている最中。


 私の目は、一つのものに釘付けになった。


 さっきまでの違和感が、どうでもいいと思えてしまうほどに。


 それは桜の大木にぽっかり空いた、人が入れるほどの大きな洞ろだった。柵のせいで木には近づけず、山自体が薄暗いのもあって中がどうなっているのかは見えない。洞ろなんてそれなりの年月が経った大きな木には大抵あるものだが、私は何故かそれが猛烈に気になった。なんとしても洞ろの中を見なければならない、そんな衝動に駆られた。

 家に帰ったあとも、その衝動は収まらなかった。柵のことや注連縄のことは、数日経てば小さな子供らしく気にならなくなっていた。しかし洞ろのことだけはいつまで経っても、春休みが終わり学校が始まっても、頭から離れなかった。気がつけば洞ろのことで頭が一杯になっていて、学校でも家の中でも上の空だと言われる始末だった。もはや衝動の域を通り越して、何者かに「見ろ」と命令されているような感覚だった。

 そして桜の大木を見た日から二週間ほど経った夜、私は遂に洞ろの中を覗いてみようと決心した。明日は休日だから、夜更かしも許されるだろう。両親が寝静まった後にこっそりと抜け出した。家にあった大きめの懐中電灯を片手に、あの桜がある山へと向かった。親に一度連れていってもらっただけにもかかわらず、まるで何度も通ったことがあるかのような軽い足取りで。やはり、あの時の私は何かに操られていたのではないだろうか。

 そして桜の大木に辿り着いた。柵に手をかける。囲い方こそ厳重だったものの、有刺鉄線でもなければ電気が流れているわけでもなかった柵は、多少高い所が大丈夫なら登れなくはないものだった。柵を乗り越え、飛び降りる。懐中電灯で照らしながら、少しづつ洞ろへと近づいていく。そこで私は、また奇妙な事実に気付いた。


 どれだけ近づいても、洞ろの中が見えないままなのだ。


 夜とはいえ懐中電灯の強力な光で照らしながら、初めて見た時よりかなり近づいている。思っていたよりもずっとゴツゴツしている苔むした太い幹。所々が綻びてバサバサになっている注連縄。遠くから見ていただけでは分からなかった細かい部分が見えてくる。なのに洞ろの様子だけが一向に見えない。そこだけが墨で塗りつぶされたかのように真っ黒で、光が届かないのだ。


 とうとう桜の真ん前まで来てしまった。


 洞ろの中はまだ見えない。


 ……帰っても良かった、いや帰るべきだった。あそこで帰っていれば「よく分からないけど少し不気味な体験をした」で済んだ。でも、好奇心に勝てなかった。

 洞ろの内部へと踏み出す。どろっとした重苦しい空気と何か嫌な臭いに包み込まれる。懐中電灯は変わらず点けているのに、そこから出た光は瞬く間に闇へと消えていく。何かに躓いて転けてしまわないようにと、視線は下に向けつつ歩みを進めていく。洞ろの地面には何かが堆積していた。見えないが、踏みしめた感触から桜の花びらのような感じがした。言い表せぬ恐怖と緊張と、そして高揚感をぐちゃぐちゃに掻き混ぜながら、一歩また一歩と踏みしめていく。




 突然、周囲が見えるようになった。吸い込まれていた光がちゃんと届くようになる。困惑しながらも、状況を把握してみる。

 視線を下に向けていたから、真っ先に目に入ったのは地面。そこに堆積していたものは、予想通り桜の花びらだった。ただ湿気で腐っているのか茶色く変色していた。臭いの原因はこれだったのか。あと光に照らされて見えたのは、洞ろの空気に浮かんでいる大量の埃。地面には木の枝や葉っぱ、木の実なんかも混じっている。大半は腐っているが、中には真新しいものもある。色と臭いはひどいものだが、ここは何かの巣で家主はまだご健在なのだろう。




 ──家主?


 私は途端に、ひどく冷静になった。


 そうか、私は「何か」の巣に入ってしまっているんだ。


 そして多分、その「何か」は生きている。


 じゃあ、今どこに居るんだろう?


 寝てるのかな。


 だとしたら。




 そこまで考えた時、とてつもない恐怖に襲われた。今まで洞ろの地面に向けられていた意識や感覚が、勝手に奥へと集中していく。


 怖いのに。見たくないのに。


 逃げ出したいのに、足が動かない。







 何かの視線を感じる。



 ……いやだ。



 でも私は反射的に、顔と懐中電灯をその方向に向けてしまった。











 じっと、見ていた。




 今でも私は、あれを「怖いもの」としか表現できない。


 自分の頭の中で再現する分には、嫌というほど細部まで「怖いもの」を思い出すことが出来る。でもそれを文字や絵などで書き起こしたり、誰かに言葉で説明したりすることが、どうしても出来ない。それの適切な伝え方が思い浮かばず絶対に曖昧な表現になるし、どれだけ頑張って説明しても絶対に相手は理解してくれない。

 とにかく、強烈な視線だった。ただ見るのではなく何かを訴えてくるかのような。ぴくりとも動かずに、私を見つめていた。私もまた、目を見開いたまま動くことができなかった。頭が目の前の光景を拒絶する。呆けた顔で立ち尽くす。もう、何も考えられない。自分が今なにを見ているのか、理解できない。


 ただ──



 絶対に見てはならないものを見てしまった。


 その気色悪いほど生々しい感覚だけが、深く深く刻まれた。




 どれくらい、そうしていたのだろう。止まったような時の中で、それまで微動だにしなかった「怖いもの」の口が微かに動いた。私は目を凝らした。それは、



 何かを喋った。


 その刹那、私は全速力で走り出していた。危ない、早く逃げないと。やっとその考えに辿り着いた。本当に喋っていたかどうかは正直分からない。ただ、そんな気がした。

 私は泣き叫びながら、走って山を降りた。どこをどう通ったのか家に着いた頃には泥だらけで、玄関に入るなり喚き散らして両親を叩き起こしていた。家に帰ってからのことは、あまり覚えていない。よくある話だ。あまりのショックに記憶が持って行かれてしまっているのだろう。けっこうな騒ぎになっていたような気がするが、小学生が夜中に一人で出ていった挙句、あんな状態で帰ってきたんだから当たり前か。ひどく咳き込んでいたのも何となく覚えている。洞ろの空気は随分と埃っぽかった。そんな空気を吸いすぎてしまったからかもしれない。

 恐らく当時の私も何を見たか上手く伝えられなかったんだと思う。仮に言えたとしても周囲の大人たちが信じたとも思えない。せいぜい不審者が出た、くらいのことで処理されたんだろう。その後私は普通に学校に通っていたし、今に至るまで何も起きていない。

 結局、あの夜見たものは何だったのか。そもそも現実だったのか。気のせいとか見間違いだったと言われればそれまでだ。その一言で片付けるのは無理があると思うぐらいには鮮明な記憶だが、だからと言って違うと証明することも出来ない。

 一体あれは何をしようとしていたのだろう。口が微かに動いた時なにを喋ったのだろう。もしあの時に逃げることができなかったら、私はどうなってしまっていたのだろう。脳裏にこびり付くような謎を残すだけ残して、なんの進展も発見もないまま時間だけが経ってしまった。

 春が来るたびに、モヤモヤした妄想をしながらあの日のことを思い出している。間違いなく一生もののトラウマになると思っていたが、時の流れというのは凄いものだ。あの恐ろしい記憶も、次第に強烈さを失いつつある。どうせ誰に話したって信じてもらえないんだから、さっさとキレイさっぱり消えてくれるといいのだけれど。あと信じられないかもしれないが、桜自体は嫌いにならなかった。あんな出来事があった今でも、なんだかんだで綺麗だと思う。



 世界が、冬という夢から覚める。暖かな風が吹き、始まりの欠片と共に桜が舞っている。まさに春の真っ只中という今、そんなことを考えつつ私は……


 あの山に向かっている。


 桜を見るためじゃなく、桜の世話をするために。


 ここら一帯には私が植えた桜が生えている。もう何年も植林を続けていて、けっこうな大きさの木になっているものもある。春が来る少し前に植え付けをした新しい桜の苗に肥料をやって、ある程度育っているものは見回りと剪定。


 ああ、あと散った花びらを集めないと。


 最近、私が植えた桜の木に「可愛いもの」が住み着いた。幹に出来た小さな穴に入り込んで暮らしていて、そこに桜の花びらを入れてやると凄く喜ぶんだ。なんの動物か分からないけど、とにかく可愛い。それこそ言葉ではとても言い表せないくらいだ。この可愛さをいくら熱く語っても、実際に見た人にしか分からないだろう。また、忙しくなる。春は嫌いだが、あの子のおかげで少しは穏やかにいられそうだ。




 今日も、山にいく。


 桜と「可愛いもの」の世話は、いつも人がいない早朝にしているから普段は誰とも会わない。しかし今日は珍しく、というか世話をし出してから初めて山への道中で人と会った。心に余裕があまりないからか、人と会っただけでも少し苛立ってしまう。足早にすれ違おうとすると、その人は私を呼び止めてきた。聞きたいことがあるのだと。…今、忙しいというのに。私は渋々その質問に答えた。



「そんな物を持って何しにいくんですか?」


 ……


「え?あそこの山って勝手に何か植えちゃって良いんですか?」


 ……


「えっと、それって誰かに頼まれてるんですか?」


 ……


「なんか、疲れた目してますけど大丈夫ですか?」


 ……


「可愛いものが住み着いた?え、はぁ…」



終始、怪訝そうな顔をされる。沸々と湧き上がる苛立ちを抑えながら会話を続ける。自分から声を掛けておいて何だその反応は。


「その『可愛いもの』ってどんな見た目ですか?」


 最後に、その人はそう聞いてきた。どうやらそこには興味が惹かれたらしい。私は携帯に保存している「可愛いもの」の写真を見せた。


「え…?」


その人は写真を見るなり、目を見開いて固まってしまった。数秒の沈黙があったかと思うと、血相を変えて走り去っていった。なにか怯えたような、恐怖に恐れ慄いたというような顔だった。

 変な人だった、というか失礼な奴だったな。幾ら人の感性はそれぞれと言っても、あんなに気味悪がられるとは。はぁ…何だか無性に腹がたつ。なんだよ、せっかく時間を割いて話してやったというのに。


 早くしないと日が昇ってしまう。また人と会ったら面倒だ。


 さっきの人、無視をすれば良かった。余計なことに時間を取られてしまった。少し気になることを言っていたがどうでもいい。まだ苛立ってしまっている。引きずってしまっている。今日は一段とやることが多いのに。あの子に会いたいだけなのに。どうして私の邪魔をするのかなぁ。

 これもきっと、春のせいだ。嫌なことを思い出させて、心の余裕がなくなる春のせいだ。ただでさえ忙しいのに、新しく面倒ごとが増える春のせいだ。所詮は慌ただしいだけの虚ろな季節のくせに、やたらと美しく描かれる春のせいだ。


 全く…


 ああ、忙しい忙しい。






 だから、春は嫌いなんだ。

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