C―3 布の傘とガムを持ってくる

 カッツ、カッツとハイヒールを鳴らしながら店内を歩いた彼女は、桜柄の布の傘と、ミント味のガムを一本持って、レジへやって来る。

 あぁ、やっと帰ったと思ったのに……。

「いらっしゃいませ」

 女性・四十代という情報を、再びPOSシステムに打ち込む。

「ぅふん……」

 常連の彼女はいつものように、大きめに吐息といきらしながら、おれが商品をレジに通すのを見ている。

 ピッ。

 ばばくさい柄。

 ピッ。

 これで口臭を誤魔化ごまかして、どうするつもりだろうか――。

「二点で、九一六きゅうひゃくじゅうろく円になります」

 強烈な香水の匂いに、せ返りそうになるのを必死にこらえて言う。

 夜勤やきん終盤しゅうばん、早朝のこれは、本当にきつい。

 もう、二度と来ないでほしいと思うほどに。

 しかし彼女の方は、俺に執着しゅうちゃくしているようなのだ。

 店長に時間や曜日を変えてもらっても、彼女はすぐに新しいシフトを覚えて、俺がいる時を狙って来店してくる。

「はぁい。ぅ、ふぅん……」

 咳払せきばらいなのか吐息なのか分からないような声を漏らしながら、彼女は、金色の革財布かわざいふを、ごてごてにネイルアートをほどこした長い爪でさぐる。

 何が魅力的みりょくだと思って、そんな不潔ふけつで危険な爪にしているのだろう。

「かしかでぇん」

CASHICAカシカでございますね」

 言いつつ俺は、とっくに選択していた支払方法を確定する。

「では、こちらにタッチお願いします」

「うっ、うぅん!」

 あまりにも大きな咳払いに、俺はずっと下に向けていた顔を上げてしまう。

 その拍子ひょうしに目に入ってしまうのは、下着が見えそうなくらいに短いタイトスカートと、ざっくりと胸元の開いた服から覗く、谷間。それも、垂れたちちを無理やり寄せたような――。

「ふぅん……」

 もはや重そうですらある化粧がほどこされた顔が、微笑ほほえむ。

 ひとつひとつのねっとりとした言動を、彼女は無意識でやっているのかもしれないが、俺にとっては気持ち悪くて仕方ない。

 俺は大急おおいそぎで目をらし、決済音けっさいおんが鳴るのを待つ。

 ……鳴らない?

 と思った所へ――

 ブッブッ。

 エラー音がひびく。

「ざっ、残高ざんだか不足ぶそくですね……」

 俺は、システムの画面を確認し、怒鳴どならないよう細心さいしんの注意を払って言う。

「あらぁん、ごめんなさぁい。んじゃあ、ぜんぶぅ、げんきんでぇん」

「全部、現金ですね。かしこまりました……」

 俺は絶対に顔を上げないようにしながら、途中になっている決済のキャンセルをし、彼女が財布を探っているのを待つ。

「ごめんなさぁい。おっきいのしかなくってぇん」

 彼女が水色のカルトンに置いたのは、五千円札。

「はい、大丈夫ですよ」

 あぁもう、早く帰れよ!

 香水の匂いにがしてきたので、息を止めつつ、五千円札をレジにぶちこみ、小銭とさつが床に大量に落ちるのも構わず、最速でつりを出す。

「ご確認ください。ありがとうございました」

 お札は一枚一枚数えて見せるのが決まりだが、吐き気がひどすぎて、そんなことをしている余裕などない。

「ありがとおございましたぁん」

 彼女はにっこりと微笑んでいるらしいが、俺は深々と頭を下げて回避する。

 もう来るなという、深い念を込めて。

「ぅふん……」

 そして、ハイヒールが遠ざかる音。

 自動ドアの開く音。

 退店音たいてんおん

 少し強くなってきた、雨の音。

 そろそろいいかと思って、顔を上げる。

 その時目に入ったのは、閉まりゆくドアのガラスしに見える、彼女のかかと

 高級そうな、赤いビロード地のハイヒールの後ろ、そのすぐ上に見えたのは、何度も何度も靴擦くつずれをかえし、治らなくなったような茶色いあと

 俺はその傷を見て、さとった。

 彼女は、愛されたいだけなのだ。

 それなのに、誰にも愛されず、自分にも愛されることなく、愛される方法を探し続けて――。

 まあ、それらは全て、俺の、勝手な想像なのだが……。

 少なくとも俺には、当たり前のように、交際している人がいて、友人がいて、家族がいる。

 彼女には、当たり前のように、誰もいないのだろう。

 俺と同じ場所に、同じ時間に、同じ人間として生きているのに――。

 俺は今後も、彼女の要求に応えることはない。

 しかし、彼女を見たときに抱く感情は、少しずつ変わっていくのだと思う。



          END9 またお越しくださいませ

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9ENDS(ナインエンズ)  ~コンビニエンスストアから始まる、九つの物語~ 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara

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