C―2 折り畳み傘を持ってくる

「それは、やめておいた方がいいですよ」

 私が、桜色の折り畳み傘をカウンターに置くと、店員の彼が、寂しげな微笑みを浮かべて言う。

 何故なぜ……?

「知りたいですか」

 私の顔を見た彼が、少し低い声で言う。

 私は、子供の頃から思っていることが顔に出やすく、大人になった今も、同僚から揶揄からかわれるくらいに表情が分かりやすいのである。

「はい……」

 そりゃ、もちろん。

「ここだけの話ですが……」

「はい……」

 彼がさらに声を低くしたので、私は彼の端整たんせいな口元に耳を寄せて、その声を聞く。

「とても、痛い思いをしますよ」

「え……?」

 痛い思い……?

「うちの店の折り畳み傘を使うと、皆さん、とても痛い目にわれます」

 意味が分からない。

「長い傘にされた方がいいと思いますよ」

 彼が、店の入り口近くにある傘コーナーに、綺麗な、しかし真っ黒な目をる。

「でも……」

 ビニール傘は、べたべたする感じが苦手だし、自分のがどれだか分からなくなるし、あそこに置いてある布の傘は、ばばくさい、ダサいのしか無かった――。

「いいです、これで」

 きっと彼は、私をからかっているだけだ。

 常連だからと思って、距離感きょりかんを間違えているんだ。

「そうですか……」

 彼は心底しんそこ悲しそうな顔をして、桜色の折り畳み傘をレジに通す。

 本日二度目の会計を済ませ、私は店を出る。

 痛い思いなんて、うそ、嘘。

 私は、自分に言い聞かせながら、折り畳み傘のカバーを外し、しとしとと降る雨にさす――。

 ……何も、起こらない。

「っ……」

 いつの間にかつぶっていた目を、開ける。

 桜色の折り畳み傘は、何事も無く、灰色の空に向かって広がっている。

 ほら、嘘じゃん。

 あの彼、だるそうだけど、まあまあ素敵かなって思ってたのに。

 なんか、幻滅げんめつしちゃった。

 さ、帰ろ、帰ろ。

 桜色の傘に雨粒あまつぶがぽとぽとと当たる音を聞きながら、涼しく湿った空気の中へと歩き出す。

 おやつ、ちょっと豪華ごうかにしすぎちゃった。明日あした明後日あさってに分けて食べようかな。

 傘も買っちゃったし、お金、使いすぎた。

 でも、この桜色がきれいだし、おやつも楽しみだなあ。

 私は、彼の言葉なんか忘れて、うきうきと家路いえじ辿たどった。

 そして――。

 ふう。

 無事、帰宅。

 やっぱり、嘘だったんだ。

 普通に帰れちゃった。

 アパートのポーチの屋根の下に入り、傘を畳んで――

 ぶちぶちぶちっ!

「痛ぁっ!?」

 彼の言葉は、本当だった。

 この折り畳み傘を使うと、骨組ほねぐみの、関節部分や伸縮しんしゅくする部分に頭髪が何本も挟まり、傘を畳もうとした時にそれが全て引っこ抜かれて、非常に痛い思いをするのであった。



          END8 彼、けっこう素敵かも

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