C―1 ビニール傘を持ってくる

 彼女は、ビニール傘を一本持って、レジへやって来た。

 しめしめ。

「それ、壊れやすいですよ」

 言いつつおれは、雨風あめかぜの勢いを強める。

 コンビニの店内まで、ばちばち、ごうごうと、激しい音が聞こえてくる。

「え? あ……」

 彼女は困惑して、レジのカウンターに置いたビニール傘をさわったり、手を引っ込めたりを繰り返す。

 その手――。

 彼女は、商品やレシートを受け取る時には、気を付けていた。

 しかし、カードを読み込ませる時には、油断ゆだんしていた。

 俺は、タッチお願いします、と差し出した手で、彼女の手の甲をさりなく触った。

 俺と、ほぼ同じ体温。およそ十六じゅうろく度。

 俺は、確証を得た。

 無難ぶなんなOLにふんしたこいつは、『春』だ。

 そして俺は、『秋』。

 今は俺の担当期間なのに、こいつが天で大人しくせずにその辺をうろちょろするから、先週はスギ花粉が飛んだし、昨日は桜が咲いたしで、大迷惑なのだ。

 最近のお天道様てんとさまは厳しいから、こういうトラブルが起こると、ボーナス減らされんだよ。

 こいつめ、俺の正体も知らずに、のこのこと常連になりやがって。

 天は、俺の味方だ。

 だから俺は、他に客がいないというチャンスを手にし、彼女が外に出るタイミングで秋雨あきさめを降らせ、彼女を足止めすることに成功したのだ。

『秋』の俺には、台風を呼ぶことも容易たやすい。

 こいつが外に出た瞬間に、脳天のうてんに雷を落とすことだって。

 今は、『春』である彼女の担当期間ではないので、彼女は天気を変えるなどという、目立つ行動をするリスクはおかせまい。

 この状況、俺の圧倒的優勢――。

 しかし、一瞬で勝つなんてつまらない。

 毎年毎年、こいつの勝手な行動のせいで、俺がどれだけの苦労をしていると思っている。

 じわじわと苦しめて、それからひっらえ、お天道様てんとさまの所へ連行だ。

「折り畳み傘か、それか特に、布の傘の方がおすすめです。うちで仕入れてるのは、かなり丈夫なやつでして」

「あっ、でも、今だけですし、お金足りないし……」

 店員に予想外に話しかけられて、焦ってる、焦ってる。

 ああ、いい気味だ。

「三百円高いだけですよ。すぐに壊れて捨てるのは、もったいないですよ」

「ごっ、五百円しか、ないんですっ……」

 長い茶髪の先端が、ふるふるとれている。

 あと一息ひといき――。

「まけておきますよ。ほら、また、雨が強くなってきました」

 彼女は、窓の外を振り向き、すぐさま俺の顔を振り返り、いきむ。

「とっ、透明な方が、周りが見やすいのでっ……!」

 彼女は、ビニール傘を片手で鷲掴わしづかみにし、俺の胸に押し付けてくる。

 その、必死な顔といったら。

「布の傘で、ビニールの窓付きのものもありますよ。ご案内します」

 隣のビルの避雷針ひらいしんに雷を落とし、退路たいろは無いことを教えてやる。

「あなた、秋っ……!」

 もう、逃がさない。

「そうだ。うろちょろしやがって!」

美味おいしいおやつ、食べたかっただけじゃない!」

「うるせえ! さっさと天に帰れ!」

「天にはコンビニ無いの! スーパーてんてんには、抹茶ラテ無いの! 一年中仕事して、お金稼いで、それで美味しいもの食べて、何が悪いのよ!」

「俺が迷惑こうむってんだよ! スギ花粉! 桜! これでボーナス半減だ!」

「ちょっとつまずいた拍子に、なっちゃっただけでしょ!」

 があがあと言い訳をする彼女の、ほそっこい手首をつか――

 ぱらぽらぴろりん。

「いっ、らっしゃせー!」

 俺は慌てて手を引っ込め、入ってきた客に挨拶をする。

 彼女も、冷や汗をだらだらと垂らしながら、入り口の方を見る。

 足元から雨粒をしたたらせ、ガラスの自動扉から入って来たのは、六十代とみえる男――。

「どうも、こんにちは。アルバイトの、面接に来たのですけれど」

 男はぺこぺこと頭を下げながら、穏やかな口調で言う。

 しまった。忘れていた。

「しょっ、少々、お待ちください……!」

 ちくしょう……!

四八〇よんひゃくはちじゅう円になりますCASHICAカシカですねありがとうございますまたおしくださいませ!」

 ビニール傘を叩きつけるようにして渡すと、彼女は、脱兎だっとのごとき速度で逃げていった。

 天気を完全なる晴天に変え、OL業と、春の管理で稼いだ給料を無駄にしてやることが、せめてもの仕返しだ。

「お忙しい時に、すみません」

 男は、走り去る彼女を見送ると、笑顔でこちらに向き直る。

「いえ。こちらこそ、雨の中すみません」

 カウンターしというのも失礼なので、売り場の方へ出て、男と正対せいたいする。

ぼくが、マネージャーの秋本あきもとです。面接は、バックヤードで……」

「あぁ、マネージャーさんですか!」

 男を裏へ案内しようと振った右手を、物凄ものすごい力で取られて、にぎられる。

 あぁ、申し訳ない。

 大雨の中、体を冷やして来てくれたのに、俺の手が十六度しかないのでは――。

「このお若いのに、すごいですねえ!」

 !?

 俺が、寒い。

 男の両手につぶされた右手が、冷たい。

 男の体温は、およそ、度、か――。

「秋本さん、一年って早いですねえ。もう、年末ですよ」

 男が、にっこりと笑って言う。

「あぁ、自己紹介が遅くなりました。わたくし冬川ふゆかわと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 その瞳は、何処どこまでも黒く、冷たかった。



          END7 雷を落とされたビルのオーナーは夏原なつはら

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