反重力キャンプのアルバイト―重力を裏切って―

地崎守 晶 

「反重力キャンプのアルバイト――重力を裏切って――」

「このバイトのためだけにホバーバイクの免許取るって、絶対割に合わないわよ……」


 ボヤきながら、体を突き刺す寒風に白いファーの襟をかき合わせた。

 惑星ネオエウロパの星じゅうを埋め尽くす純白の氷原。

 その上空20メートルに静止する、大型反重力ユニットからベッドメリーの飾りよろしく数十個のテントが吊されゆっくりと回転している。


「おおーいお姉ちゃん、こっちにもビール頼むよ!」


 やや上にあるテントから酒焼けした声が降ってくる。


「は~い、かしこまりました~」


 しかめていた顔にとっさに笑顔の仮面をはめて、愛想良くそちらに車体を浮上させる。テントは安全上の規定で、おおむね視認性の高いオレンジの布地だ。

 テントの一部が開き、無煙コンロで焼いた肉の香りと冷えた鼻先をくすぐる暖気が溢れ出す。布一枚隔てた外気は極寒なのに、客の男は薄着でスペースべースボールの中継を投影ディスプレイで見ている。日光で発熱するナノマシン式暖房の賜物だ。

 静止させたホバーバイクの荷台から手早く紙コップを取り出す。


「エウロパロックアイスのサービスはいかがなさいますか」

「じゃあ頼むよ」


 やるとなると真面目にバイトをこなしてしまう自分にうんざりしつつ、態度には出さずにちょうど良い泡を立てて注いだビールを渡して、同時に客の指の埋め込み式チップ経由で精算を完了させる。


「すみませーん、こっちにココアを~」

「グリューワインおかわり!」

「サラミとチーズちょうだい」


 上下左右、そこかしこのテントから注文が殺到し、わたしは目が回りそうになる。


「ああ、男の子が!」


 あっちこっちでドリンクとスマイルを振りまいていると、アクシデントも起きる。

 テントから転げ落ちた子供。とっさに飛び出し、反重力発生シューズのスイッチを作動。

 不可視のセーフティネットがあるといえ、なんとかキャッチできてよかった。

 歓声があがって天使だとかもてはやされたが、正直止めて欲しい。

 ただのバイトにそこまで求められても困る。


 人類の娯楽の追求は果てることがない。

 幻想的な氷の世界で浮遊感を堪能したいという需要は、地球から離れたこの惑星に反重力キャンプブームをもたらした。

 寒さと忙しさでクタクタになりつつシフトを終えるころには凍り付いた地平線に日が傾いていた。

氷の山を削りだしたピラミッド型の運営本部に戻り、空っぽになったドリンクサーバーなどの装備を返却した。あとはホバーバイクを整備点検に回せば着替えて今日は上がりというところで、


「あーごめん、君に指名が入って……その、ウチのお偉いさんのお嬢さんでね。悪いけど行ってくれないかな。バイクはこっちで回収するから」

「そーいうバイトのつもりじゃないんですけど」

「ほんとごめん、僕を助けると思って、ね?」


 申し訳なさそうではあるがこっちに拒否権のないことを言ってくる。

 あいつめ……。

 担当者に肩をすくめて見せて、もう一度バイクにまたがった。



「あのねえ、公私混同は止めなさいよ」


 ひときわ豪華なテントの中に入りながら文句をいってやると、分厚い毛布にくるまったそいつはにっと笑った。


「お疲れ~、ほれほれこっちぃおいで。すっかり凍えてもうてるやないの」


 寒さで縮こまった体に、彼女が広げてみせる毛布と、彼女が掲げるココアのマグカップはあらがいがたい魅力ではあったけど、ほいほい従ってしまうのが癪で睨んでやる。


「このバイト、やれって言ったのアンタでしょ。シフト終わりに呼びつけたのもアンタ」


 いつもわたしにあれこれやらせておいて苦労させてから何食わぬ顔でフォローを入れてくるのだ、こいつは。お嬢様だからって調子に乗りすぎだ。


「まあまあ、この時間がいっちゃん綺麗やから、いっしょに見よ?」


 ちらと開いたままの入り口を見れば、氷原に夕日が照り映えた幻想的な光景。バイトで飛び回っているときはうんざりするほど見たけれど……。

 テントの中の暖気のせいか、わたしは意地を張るのを止めて冷気の入り込んでくる入り口に透明な風防をかけ、彼女の横にしぶしぶといった風を装って座りこんだ。

 得意げな顔で彼女が腕を回してわたしを同じ毛布にくるむ。


「ん……」


 かじかんだ手足の先までじんわりと包み込むあたたかさと、密着してくる彼女の無駄に発育の良いやわらかさを感じて、妙な声が出た。


「ふふ~、あったかくしてこのきれーな景色一緒に見るん、ええやろ?」


 毛布の下で手を重ねるように握ってくる。わたしは横目で彼女のぺかー、と擬音がしそうな笑顔を横目で見てから、夕焼けに染まる氷の海に視線を戻す。

 彼女が、わたしのまだ冷たい鼻の頭にすべすべした頬をこすりつけてくる。

 同じアカデミーの同期で、この惑星の観光開発事業グループのトップの一人娘で、

 学生の身でありながらすでに自分で起こした事業会社を軌道に乗せていて、親の会社の株も無視できないほど保有していて……その気になればこのキャンプの責任者の首を飛ばすくらいは容易い力を持った彼女が、やたらとわたしに構っているときは特別機嫌がいい。


「……まあ、悪くは無いわね」


 重力を裏切った人間たちの浮かべるテントの中で、わたしはぼーっとした頭をいけ好かない友人の温かい肩に預けて呟いた。

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