第5話 気持ちがあること

*****


「深山先生」


 翌日、杏菜がいるクラスの理科の授業が終わった後、彼女が深山の元へやって来た。


「どうしましたか?」

「昨日はありがとうございました。玲菜はまだ納得していないみたいな感じですけど、とりあえず今は『美術部の教室が閉まるから』って言う理由で帰ろうと思います」

「そうですか。でも、近いうちに『本音』を話すようにしてくださいね。なんで言わなかったのかと喧嘩になるのは、あまり望んでいないので」

「できるだけそうします」


 杏菜はそう言って頷いたあと、深山の顔を伺いながら「あの……深山先生って、カウンセラーなんですか?」と尋ねた。

 彼は目を瞬かせると「理科の教師ですよ」と答える。


「分かってますって。でも、先生がルビーとサファイアの話をしてくれたので、少し気持ちが軽くなったのでカウンセラーなのかなぁって。清野先輩も話を聞いてもらって気が楽になったっていっていましたし……」

「清野さん?」

「清野仁先輩です。去年の三年生。覚えていないですか?」


 深山はそういえば昨年の十一月に、彼にダイヤモンドの話をしたことを思い出した。


「覚えていますよ。でも……仁さんは何て……?」

「『何か悩むことがあったら相談してみるといい』って言われました」


 深山は少し目を見開く。まさかそんな風な伝言が後輩に伝わっていると思ってもみなかったからである。


「私、先生に相談して良かったです」


 はっきりとそういう彼女は、しおれていた花が、再びピンとした姿勢に戻っていくかのようだった。もちろんまだ完全ではないし、不安定なところもある。しかし、着実に活力を戻しているように見えた。

 そしてそれは、杏菜自身が自分の気持ちに折り合いをつけたことによる回復であり、自分と話したことによるものではないと深山は思っていた。どんなに元気づけようとしても上手くいかないことがあることを彼は知っていた。そのため深山は「いいえ」とやんわり否定する。


「私がカウンセラーかどうかや話した内容よりも、杏菜さんが『どうにかしたい』『変わりたい』という気持ちがあるから変わったんですよ。気持ちがない人は何を言っても変わりません」


 人は他者のことは変えられない。

 どんなに相手に変わって欲しくとも、いい方向に向いて欲しいと願っても、相手にその気がなければ変えることはできないのだ。

 すると杏菜は不思議そうな顔をしながらも、自分の思っていることを口にした。


「もしかしたらそうなのかもしれないですけど……、少なくとも昨日先生と話す前の私には、『変わろう』とか『変わりたい』という気持ちがあったかどうか分かりません。でも、昨日お話をしたことによって、『変わりたい気持ち』があることに私は気づけました」


 深山はわずかに目を大きく開く。


「……本当に?」


 その呟きに、杏菜は自信を取り戻したように大きく頷いた。


「はい。それに宝石に例えられて嬉しかったですし、先生が言ってくれたように、私と玲菜とは同じコランダムで、それぞれルビーとサファイアになれたらいいなって思いました。私、玲菜と双子であることは好きなんです。だから、それを大事にして、さらに自分たちがそれぞれ輝けたら最高だなって」

「……」


 その瞬間、深山は腑に落ちたような気がした。

 確かに人は他者のことは変えられない。だが、他者からの影響を受けることもある。それは彼の人生でも、何度もそういう影響を受けてきた。それも良い方に。

 深山は、自分の話が杏菜をいい方向へ導く小さな力となったなら、それは嬉しいことだなと思い、顔をほころばせた。


「そうですか。それなら良かったです。それから先生も応援しています。杏菜さんと玲菜さんがそれぞれ輝くことを」

「はい、ありがとうございます!」


 杏菜はぺこりと頭を下げると、ポニーテールの髪を揺らし、クラスメイトと共に教室を出て行った。


****


 それからひと月経ったころである。杏菜の長かった髪は、肩よりも短いショートヘアーになっていた。

 新体操部は髪を結わなければいけないので、部員は全員髪の毛を伸ばしている。そのため杏菜も髪が長かったが、きっと思うところがあったのだろう。髪を切ってさっぱりした彼女の表情は明るく、一緒に話す妹の玲菜とも楽しそうに話していた。


 深山はその様子を眺めながら、ルビーとサファイアの原石が今よりも一層輝きを増すことを、心のなかで祈るのだった。


(完)

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ルビーとサファイアの双子 彩霞 @Pleiades_Yuri

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