検査室

真花

検査室

 アタシは車椅子に乗せられて、棟と棟の間を看護師に押されている。雨が降りそうな空なのに傘はなくて、看護師は「急がなきゃ」と呟いて、どうして同じ病院なのに検査室に行くのに外を通らなきゃいけないのだろう。地面はボコボコだし。主治医の先生が今日は休みだからって、知らない先生が付いて来ているし。

「検査をします」

 その知らない、山口先生は、唐突にアタシのところに来て、別にアタシは何かを訴えた訳でもないのに。山口先生は真剣な顔をしていた。もっと前にやった検査とかで何かが見付かったのかも知れない。いつもの田辺先生はそんなことを言っていなかった。アタシは別の病院から来たから田辺先生ともそんなに長い仲じゃないけど、それでももう三週間の付き合いだ。タバコが吸いたい。でも先生はまだ外に出ちゃダメだって言う。もう三週間なのに。

 山口先生がアタシを連れ出している理由は決してタバコではないだろう。アタシのどこが悪いのだ。そもそもアタシはどこも悪くないのに入院させられている。二十三歳のふんだんにある未来を一部もがれて、病棟の日々。アタシは何かを訴えた訳でもない。痛いとか、苦しいとか、そう言うことを一切言っていない。ここに来る前は色々あったよ。それくらいは覚えている。でも今は違う。自分で自分を傷付けたことなんて一度もない。諭されるべきことは何もないし、薬を飲む理由もない。でも、田辺先生が飲みなさいと言うから飲んでいる。説明されたけどカタカナばかりで、呪文みたいで、適当に頷いただけ。そうやって今日が来て、田辺先生は来なくて、山口先生が来た。

 山口先生は背がちょっと高い男。田辺先生も男。看護師は女。病棟には男の看護師もいるけど、アタシを押しているのは女。空がちょっとずつ搾れ始めそうな雰囲気。ガタガタ車輪は踊る。タバコは持ってない。

「先生」

「はい」

 山口先生の雰囲気は愛人がいそう。返事でそれが確信に変わった。でも今はもっと大事なことがある。

「何の検査をするんですか?」

「頭の検査です」

 やっぱり愛人のことしか考えていない。頭の何をどう検査するのか言わないのはうわのそらだからに違いない。これ以上聞いても無駄だ。行けば分かるし。痛くないといいな。

 別の棟に到着して、部屋の中に入り、車椅子から普通の椅子に乗り移る。おばちゃんがいて、何かを言って、でも声が小さくて聞き取れなくて、アタシの頭を拭き始めた。髪の毛がいっぱいあるから大変そうだ。ハゲの人だとやりやすいとか考えるのかな。ペタペタと小さな電極を頭に貼られる。

「電気を流すんですか?」

「違います」

 急に妙にはっきりした声で答える。やれば出来るじゃない。

「じゃあどうするんですか?」

「逆です。脳の電気を読み取ります」

 脳の電気? そんなものがあってたまるか。と言うよりそれを読み取って、何の意味があるんだ。検査ってのは意味がないとしちゃいけないんじゃないのか。

 電極が付き終わって、ベッドに横たえられる。アタシはやっぱり電気を流されるんじゃないかと体を強張らせて、さらに体に電極を付けられて、全部が設置されたのだろう、「楽にして下さい」と言われた。

「電気を流さないですか?」

「流しません。流す機能はありません」

「本当ですか?」

「本当です。さあ、体の力を抜いて下さい」

 アタシは覚悟を決めて脱力する。電気が来たなら、体を緊張させていても無駄だし。部屋の音が妙に静かだ。音が吸収されているみたいに。

「目を開けて下さい……はい、閉じて下さい」

 何をしたいのか全然分からないけど、指示に従う。従わないでいる理由が特にないから従う。アタシの何が明るみになるのだ。

「光ります」

 ストロボみたいなものを当てられた。何なの? 本物の変態のプレイみたい。

「息をゆっくり吸って、吐いてをします」

 言うことを聞いた。何かクラクラする。ヤニクラとはちょっと違う。

「はい、結構です」

 電極が取られてゆく。車椅子に座る。山口先生がひょこっと出て来る。

「正常でした」

「何がですか?」

「検査ですよ」

 結局何をしたのか分からない。

「そうですか」

「では戻りましょう」

 車椅子はガタガタ揺れる。風に乗ってタバコの香りがする。でもアタシとは違う銘柄だから嬉しくない。検査は痛くなくてよかった。アタシのどんな情報が抜き取られたのか分からないけど、アタシはアタシのままだ。持っていかれたのはコピーだけだ。空はもうすぐ降りそう。降るかどうかを検査すればいいのに。山口先生はきっと趣味で人の「頭」を見ているのだ。愛人の数を数えるように。だってアタシの頭におかしいところなんて何もない。さっきの検査だって正常だったし。何で検査されたんだって、趣味だからだよ。だから知らない先生が来たんだ。アタシのことモルモットだと思っているんだ。だってそう言う目で見ている。恋も愛もない目で見ている。

 病棟に戻って、個室のベッドに横になる。頭がベタベタする。風呂に入らせてくれるらしい。山口先生が来た。

「検査します」

「何で?」

「必要だからです」

「私、何も訴えてないです」

「昨日の夜のこと、忘れているんですよね?」

「何もしてないです」

「忘れているんです。だから検査が必要なんです」

「本当に何もしてないです」

「事実はあった方です。検査をしましょう」

 アタシはしぶしぶ再びの車椅子に乗る。自分で歩けるのに。

「次はどこですか?」

「次も外の棟です」

 看護師が来て車椅子を押す。次に何をされたとしても、アタシにはそれが何かは分からない。これまでもそうだったし、これからも同じだ。ずっとアタシは何をされているのか分からないまま、ここにい続けるのだろう。アタシは普通なのだから。


(了)

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