Chapter Final:帰還

Part Final 明日へ…

*リーナ*


 ドーマーから差し込む朝日が、頬を優しく照らす。

 レトロな目覚まし時計のベル音が部屋の中に鳴り響く。


 その日もリーナは、一人寂しくベッドで目覚めた。


 ベッドに寝たまま大きく伸びをしてから、目を開ける。


 視界に入ったのは屋根の形に合わせてかしいだ天井。


 屋根裏部屋に、自分以外の気配はない。

 こうして待ち人がゆうべも帰ってこなかったことを知る。


 彼が夜空の向こうに飛び去ってから、今日でちょうど2週間。

 この14日間、リーナはずっとハイドを待ち続けていた。

 愛しい人の腕の中で目覚める様を夢見たことも、一度や二度ではない。


 ベッドから下り、部屋の隅に固めて置かれたバッグ類の方へ。

 破壊された家からなんとかかき集めた荷物だ。


 ボストンバッグから着替えを引っ張り出す。

 ネグリジェを脱ぎ、すぐに着替えていく。


 白いTシャツ、濃藍のジーンズ、深緑のベスト。

 この所いつも動きやすい服装だ。


 手鏡を見て軽く髪を整えてから、階段を下りる。

 本当なら軽くメイクをしたいところだが、時間が押している。


 1階ではディシェナが朝食の準備をしていた。


 そう、ここは町外れの岬にあるハイドの家。

 今、リーナはこの家に居候している。

 この街でハイドを待ちたいと申し出たところ、ディシェナが快諾してくれたのだ。


 一応引き取ってくれる予定の叔母にも、「交際相手の安否がはっきりするまでは居る」と言ってある。


「ディシェナさん、おはようございます」

「おはよう、リーナちゃん……あら……」


 挨拶を交わしてすぐ、ディシェナにを気付かれた。


「眼鏡はどうしたの?」

「……今、取ってきます」


 少しだけ不満げに返し、屋根裏部屋に引き返す。

 目的の物は片隅にある机の上に置かれていた。


 フレームが琥珀色をした眼鏡だ。

 裸眼での生活に難儀するのを見かねたディシェナが、嫌がるリーナに買い与えたものだ。


 ディシェナの言うことも分からないでもないが、リーナにはこの眼鏡をかけることが、ハイドへの裏切りになってしまうように思えてならなかった。


「これは、目の前の物を見るための眼鏡なんだから……」


 そう言い訳のように自分に言い聞かせ、眼鏡をかける。


 ぼやけていた視界が見違えるように鮮明になる。


 階下に下りて、今度こそ椅子に座る。


 今日はベーコンが添えられた目玉焼きとシリアルだ。


「いただきます……」


 二人で同時にスプーンを手に取った。

 食べ物を口に運ぶ合間に言葉を交わす。


「ハイド、帰ってこないわね……」

「きませんね……」

「不安にはならないの?」

「信じてますから。必ず帰ってくるって」

「強いのね、貴方は」


 強いわけじゃない。

 わたしはただ、ハイドが帰ってこないという可能性から目を背けているだけ。


 いざとなればハイドを諦める覚悟ができているディシェナこそ強いとリーナは思う。


「ごちそうさま……」


 食器の片付けを任せ、席を立つ。


 食前と食後に挨拶をするのは、ディシェナに教えられたことだ。

 知った時は少々困惑したが、リーナは悪いものではないと思っている。


 洗面所で歯を磨いてから、必要最低限の荷物を入れたハンドバッグを持って外へ。


 遠くに攻撃を受けた街並みが見える。

 健在の建物と瓦礫の比率はちょうど半々くらい。

 破壊は斑模様に広がっていた。


 今日も一日頑張ろう。

 リーナは家から伸びる坂道を歩き出した。





 岬の家から徒歩とバス――電力復旧の目途が立たず、燃料電池のバスだ――で15分ほど行った場所にある西第1公用シェルター。


 彼女の持ち場はいつも、シェルター出入り口前の広場に設営されたパイプテントだ。


 リーナは学校が再開するまでの間、ここで炊き出しのボランティアに参加している。


 ディシェナは軍と連絡を取り合った後は、破壊されたスーパーマーケットの跡で青空マーケットをやっているはずだ。


 午後、ランチタイムが一段落した頃。

 リーナが昼休憩をもらいテントを出ると、ちょうど上空を2機のウォーレッグが横切っていく所だった。


 テントの裏手にたむろして休憩を取っていた兵士達も空を見上げている。


 その中のリーダー格らしい兵士がおもむろにトランシーバーを取り出した。

 何か二言三言どこかと通信を交わすと、周囲の兵士たちの様子がにわかに慌ただしくなった。


 わたしにはきっと関係ない。


 リーナがまかないのスープをもらおうとテントの表側に回ろうとした時、雷が轟くような爆音が身を震わせた。


 何か胸騒ぎがして、再び空を見上げる。

 目に映ったのは、輝くように白いウォーレッグが西に向かって飛んでいく姿だった。

 ウィングの両端に航行灯が付いているのが見える程、低い場所を飛んでいる。


 リーナはそのウォーレッグを知っていた。


 ハーキュリーズ。

 ハイドが駆る、純白のウォーレッグ。


 間違いない。

 ハイドが帰って来たんだ。


 思わずリーナはハーキュリーズが飛び去った方向に向かって走り出した。


 道を行く人々を謝り謝り掻き分け、シェルターの敷地から飛び出す。


 その間にも、ハーキュリーズとの距離はどんどん開いていく。

 この時ほど、リーナが自分の運動神経の無さを悔やんだことはない。


 白い機体が見る間に小さくなっていき、力強い推進音を残して視界から消える。


 それでも足を止めることはしない。

 止まらなければ、必ず彼のもとに辿り着ける気がした。


 リーナは胸から湧き出す衝動のまま、走り続ける。


 やがて彼女の行く手に青い水平線が現われた。

 彼が海の向こうへ行ってしまうのなら、わたしは泳いででも追いかけよう。


 坂を駆け下りて砂浜に出る。


 早歩きのまま辺りを見回すと、やや離れた波打ち際にハーキュリーズが不時着しているのが見えた。


 再び加速。


 シェルターからそれなりの距離を走って来たのに、不思議と疲れを感じない。

 砂に足を取られても、少しも不快と感じない。


 そして白いウォーレッグの背中から人が這い出してくるのを見た時、リーナは思わず叫んだ。


「ハイド。ハイド! ハイドっ!!!」


 ヘルメットを脱いだ人影が声に気付き、確かにこちらを向いた。

 ハーキュリーズ背部の緊急用ハッチらしい場所から、転げ落ちるように飛び降り、水飛沫を上げながら走ってくる。


「リィィィィナァァァァッ!!!」


 あらん限りの声で返事が返ってきた。

 間違いなく彼の声だ。


 途端に感情の整理が付かなくなる。

 彼に対して、泣きたいのか、喜びたいのか、怒りたいのか、笑いたいのか、あるいはその全部をぶつけたいのか。


 リーナはずり落ちかけた眼鏡を投げ捨て、勢いのままにハイドの胸に飛び込んだ。


「おかえり……おかえり……」


 彼の胸を弱々しく叩きながら、なんとか言葉を口にする。


 もう離さないというように腕をきつく背中に回すと、同じだけの強さで抱き締め返してくれた。

 言いたいことがたくさんあったはずなのに、ハイドの心音を感じた瞬間、帰ってきてくれたことを喜ぶことしかできなくなった。


「ただいま、リーナ……」


 愛する人の声が優しく耳朶を打つ。


 もっと、もっと彼を感じたい。

 それを察したようにハイドの片手が背中を離れた。

 リーナが顔を上げると、彼の左手が器用に何かを広げた。


 端をつまんでまるで結婚指輪のようにうやうやしく掛けさせてくれたのは、リーナが託したあの眼鏡だった。


 再び鮮やかさを取り戻した視界の中で、ハイドの顔が像を結ぶ。


 酷い顔だ。

 頬は煤で薄汚れ、顔の中央には乾いた血がこびり付いている。

 戦いの激しさを知るのには、それで十分だった。


 両手で愛おしげに頬を撫でる。

 わたしの為に、こんなにぼろぼろになって。


 今まで全てのハイドへの想いと共に、リーナはそっと目を閉じる。


 わたしはたくさんのものを失った。

 歴史の裏にある真実さえも知ってしまった。

 けれども強く生きていこうと思えるのは、ハイドが居てくれるおかげだ。


 これから先、何が待っているのかは分からない。

 もしかしたら、新たな試練にぶつかるかもしれない。

 けれども彼となら、明るい明日に向かっていける気がする。


 そう、あなたとならきっと。


 何を望んでいるのか、お互いによく分かっていた。

 どちらからともなく、二人は唇を重ねた。


 割れたハーキュリーズのバイザーに波飛沫がかかり、涙のように流れ落ちていた。


(ハイドラ・エネア:アヴェンジ 完)

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ハイドラ・エネア:アヴェンジ 正木大陸 @masakidairoku

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