Part10 憎しみが繋いだ絆

*テオドリック*


 風の音が聞こえた。

 木々の間を吹き抜ける風の音だ。


 懐かしい地球の気配に、テオドリックの意識が呼び起こされる。


 開いた目に飛び込んできたのは、枝葉の間から差し込む木漏れ日だった。

 ここは間違いなく地球だ。


 仰向けに寝ていた身体をゆっくりと起こす。

 辺りを見回すと、周囲は薄暗い森だった。


 地球なのだろうが、地球のどこなのか、皆目かいもく見当が付かない。


 文字通り重い腰を上げ、当てもなく歩き出す。

 足に力が入らず、どこか覚束ない足取りになってしまう。


 きっと心が空になっているからだ。


 テオドリックは完全に抜け殻になっていた。

 罪悪感で潰れかけていたと言い換えてもいい。


 自分の憎しみは結局、"エキドナの子"に届かないまま、いたずらに命を浪費しただけで終わった。


 帰る場所になれるはずだった者達を戦いに送り出し、結果こうして一人になってしまった。

 それを哀しいとは思えど、自嘲することはできないほどに、テオドリックの心は麻痺していた。


 空虚な心を抱えたまま、足を進める。


 潮目が変わったのは森を抜けた時のことだった。


 アーチのようにたわんだ2本の木の下をくぐった先で、どこからか「准将」と呼ぶ声が聞こえた。


 そういえばアーガスに居た頃、そう呼ばれていたっけ。


 テオドリックは他人事のように思う。


 彼の目の前には草原と青空がどこまでも広がっている。

 声はやや離れた丘の上からのようだった。


 その頂上に、5つの人影が見えた。

 こちらを見ている。


 足を引きずるように再び歩き出す。


――准将!


 数歩歩いたところで、また呼ぶ声が聞こえた。

 明らかに複数の声だ。

 テオドリックはその声全てに聞き覚えがあるような気がした。


 急に足が軽くなる。

 弾かれるように走り出す。

 丘の斜面を、真っ直ぐ駆けのぼっていく。


 頂上に、ロングテーブルと6つの椅子が置かれているのが見えてきた。

 足に込められた勢いのまま、一息に上り切る。


 そこにはテオドリックが良く知る5人が居た。


 吊り目に好戦的な光を宿すマリアンネ・ガブリロワ。


 相変わらずボマージャケットが似合っていないシンドウ・ノゾミ。


 最年長らしいおごそかな雰囲気を纏ったフリッツ・フロイツハイムは、軍用正装に左眼のHヘッドMマウントDディスプレイ、そして左腕の義手で、オーラに拍車を掛けている。


 浅黒い肌の大男ジェイムズ・ブレイクの傍らでは、やせっぽちのチェン・ウェンミンが五分刈りの頭を撫でられている。

 まるで本物の親子のようだ。


 彼らは共に最後のパーティーを開いた、アーガスの幹部達だ。


 皆、ここで待ってくれていた。

 必ず帰ってこようと、名前を刻んだ椅子があるこの場所で。


 自然と目頭が熱くなる。


 仲間達に向かって数歩歩いたところで、テオドリックは足がもつれて前のめりに倒れた。


 すぐに丸太のように太く、黒々とした腕に抱き止められる。

 受け止めてくれたのはジェイムズだった。


「すまない……」


 口を衝いて出たのは謝罪の言葉だった。

 ジェイムズの手を借りて立ち直ろうとするが、足に力が入らずその場にへたり込んだ。


「すまない。君達には、取り返しのつかないことをしてしまった……」


 否応なく、自分が虚しい人間だったことに向き合わされる。


 アーガスの者達に、"エキドナの子供達"への憎しみ以外の何を与えられたか――

 分かり切ったことだ。

 何も与えられなかった。


「こんなことになると分かっていたのなら、君達を戦いに向かわせたりなどしなかった。私が憎しみなど与えなければ、君達がこんな所に来ることもなかった。私が復讐など考え付かなければ、君達は命をもっと有意義なことに使えたはずだった。許してくれ……許してくれ……」


 今なら言える。

 今だから言える。


 全ての発端は自分が抱いた憎しみだった。

 自分が憎しみなど抱かなければ、こんな悲劇を起こすことなどなかったのだ。

 テオドリックは、自分を許すことができなくなっていた。


 彼の短い懺悔の後、口を開いたのはマリアンネだった


「准将、あなたが行いを悔いる必要など、どこにもありません……」


 静かな声だったが、確かな芯のある声だった。

 思わず顔を上げる。


「私達は、貴方に救われました」


 ノゾミが一言付け加える。


「我々は一人ではない。それを教えてくれたのは准将、紛れもなく貴方だ」


 フリッツが片方しかない眼で真っ直ぐ見つめる。


「ぼく達に復讐という道を示してくれたのも准将です」


 ウェンミンの顔にはほぐれきった笑顔が浮かんでいた。


「准将、お前の憎しみが、俺達を新たな家族に引き合わせてくれたんだ。だから俺達はこうしてここにいる」


 ジェイムズがそう言って締めくくった。

 彼らの表情は皆、晴れやかだった。


 背中を押されるまま自らの名が刻まれた椅子に座る。

 テオドリックの目から溢れ出したものが、頬を伝い落ちた。


 自分には、こんなにもたくさんの物があった。

 己の奥にある憎しみを肯定し、集まってくれた仲間達が居た。

 例え"エキドナの子"への復讐を完遂できなくとも、ここには変わらない絆がある。


 そうだ。

 私が帰る場所はアーガスの仲間達が居る場所だ。


 それに気づいた時、テオドリックはようやく安堵を覚えた。

 今なら自分は、自分の心に素直になれる。

 腹の底にずっと封じていた感情が込み上げてくる。


 辛かった。

 悲しかった。


 全て吐き出してしまえば、楽になる。

 仲間達の暖かな視線を感じる。


 嬉しい。

 心地いい。


 自分のどんな姿を見ても、彼らはきっと受け入れてくれる。


 そして口を開き、溢れ出す衝動のまま声を上げた。

 声にならない声が、空に響き渡っていく。


 みっともないと言われてもいい。

 今はこのままでいたい。


 テオドリックは笑いながら泣き、泣きながら笑った。


(Chapter8 おわり/Chapter Finalへつづく)

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