Part9 涙

*ハイド*


 接近警報が鳴るよりも早く、ハイドは敵の接近を映像から確認した。


 無理もない。

 キロ単位で広がっていた建造物群が、そのまま人型になって飛んでいるのだ。


 崩れかけの泥人形を思わせる風貌の巨人が、青白い噴射炎を纏い、赤茶けた地上から上がってくる。

 遠近感の狂いそうな、腕に対して異様に大きな手を伸ばして。


 その人型というにはいびつな形状からして、本来はイレギュラーな手段に違いない。


 しかし、だからこそ、そんな姿になってもハーキュリーズに追い縋る姿からは、「貴様を生きて帰しはしない」というあの通信の男の憎悪が感じられた。


 だが僕にだって、帰らなきゃならない場所がある。

 必ず帰ると約束した人がいる。


 その意志は、ハイドに断固たる行動を選択させた。


 こちらもイレギュラーで対抗してやる。


 ハーキュリーズを周回軌道に乗せ、ウォーレッグ形態に戻す。


 振り向くのは、これで最後だ。


 兵装セレクタからトライブラスターキャノンを選択。

 おなじみのパスワードと4種類の生体認証を抜けた所で、コンソールモニターに"ライフル喪失により使用不能"という内容のメッセージが表示された。


 大丈夫。

 使だ。


 ここからはマニュアル操作で発射準備を進めていく。


 まずは射撃管制用のセンサーを起動。

 片方が割れたままのバイザーが上がり、頭部のランプセンサーが走査を開始する。


 弾き出された諸元を基に、機体全体で照準を調整。

 射撃管制センサーが損傷して信頼性が落ちているため、半分以上は勘だ。


 続いて肩のブラスターランチャーを伸長。

 イロアダイユニットが深刻なダメージを受けていないので、問題なくフルバレルモードにできた。


 問題はエクスブラスターライフルだ。

 ガルガリンとの戦いでブラスターライフルが失われている以上、残っている拡張用パーツを直付けするしかない。


 右腰装甲を開き、ワイズマン・リアクターへの直通コネクタを出す。


 エクスブラスターパーツの接続作業は、手動操作だ。


 右タッチパネルに呼び出したイロアダイユニットのコントロールパッドで、パーツを保持するアームを慎重に操作していく。

 前後からコネクタを挟み込むようにして、パーツは直接接続された。

 一見簡単なように見えるが、コネクタもソケットもそれほど大きくないために、コンピュータによる補助なしでは非常に困難な作業になる。


 何がともあれ、これで発射準備は完了だ。


 変形要塞都市は、既にキュビズム絵画のような顔がよく分かる距離まで接近していた。

 大きさに対して明らかにスピードが速い。


 の各所から火柱が上がり、外装が見る間に剥がれ落ちていく。


 その隙間から、乱雑に配置された青い光点が明滅しているのが見えた。

 ワイズマン・リアクターの光だ。

 少なくとも13個。


 この大きさで、この出力は、共振稼働で間違いない。


 だがそれは不安定な状態に陥っていることも意味している。

 きっかけさえあれば即座に自己崩壊を起こすはずだ。

 巨大な爆発を伴って。


 チャージに移行する。


 イロアダイユニットのリアクターと、エネルギー生成タイミングを手動で慎重に同期に近付けていく。

 ハーキュリーズも、機体に蓄積したダメージを無視できない状態にあるからだ。

 共振稼働はできれば短時間で済ませたい。


 コンソールモニターに表示した、エネルギーの充填率を示すゲージと機体の損害状況を示す三面図を交互に確認しながら、二つのリアクターを静かに共振状態へ到達させた。


 そこで遂に、要塞都市がハーキュリーズの居る高度に辿り着いた。


 まだチャージは終わらない。

 ここは緊急手段だ。


 左右から敵機を捕らえようと迫る、巨大な壁のような掌の存在を意識の外に締め出し、ハイドはただ、一際強い光を放つ巨人の胸部を見据える。


 シザープレッシャーのアームをパージ。

 頭上に高く掲げるように勢いを付け、投げ放つ。

 真っ直ぐ飛んでいった近接武器は、目標の胸部に正確に突き刺さった。


 要塞都市の上昇が止まり、通常のウォーレッグを軽く超えるサイズがある指が、痙攣するように震えながら離れていく。


 そしてコックピットにはチャージ完了を告げる通知音が鳴り響いた。


 同時にハーキュリーズからほとばしった緑の光が、残り数百メートルまで来ていた敵の動きを更に鈍らせる。


 余剰エネルギーの放出が始まったのだ。

 この損害でこの状態が続けば続く程、自壊の危険性は増していく。


 一方変形要塞都市にも、最期の時が近付いていた。


 その巨体をここまで浮かせてきた噴射炎が弱まりつつある。


 ハイドはその時初めて、都市のがクラスターロケットのような形をしていることを知った。


 今しかない。

 ハイドはほとんど反射的に操縦桿のトリガーを引いた。






*テオドリック*


 胸に衝撃を感じた時、テオドリックは己の中で決定的な何かが終わるのを感じた。


 限界が、来た。


 ノイズデータを受け止めきれなくなった脳神経が、遂に破綻をきたし始めたのだ。


 指先から溶けていくように触覚が失われていく。

 視界がカメラの映像と本来の目の間を不規則に行き来し、バッドトリップめいた酔いに引き込まれていく。


 要塞都市のメインリアクターに、キグナス1の左腕に装備されていた近接兵装が突き立っていた。


 地の底から響く唸り声のような音が、テオドリックの本来の耳に届く。

 暴走だ。


 敵機を捕縛した後はそのまま火星に落下・自爆することを想定していたため、緊急ロックが働かない自己破壊モードでリアクターは稼働している。


 共振稼働状態にあるサブのワイズマン・リアクターも、連鎖反応で次々とオーバーロードを起こしていく。


 まず脚部に形成されたスラスターが、その膨大な出力に耐えかね、崩壊した。

 小爆発が数度起きた後、唐突に噴射が止まる。


 そこでテオドリックはようやく悟った。

 この戦いが終わっても、自分には帰る場所など無いことを。


 LCSの接続が不安定になり、マロー・チェンバーの水面に映った自分の顔と正対する。


 肌は浮腫むくんでたるみきり、目からも、口からも、鼻からも、耳からも血が流れ出して顔を赤く染めている。

 今も口から血が溢れ出し、ナノマシンの池に降り注いだ。


 酷い顔だ。


 彼の胸に初めて、後悔の念がよぎった。


 "エキドナの子"にただ、自分達のような者が居るのだと知らしめたかっただけなのに、何故こんなことになってしまったのだろう。


 火星の重力に引き寄せられ、高度が落ち始める。


 キグナス1が手の届かない場所へと離れていく。


 私達には一体何が足りなかったのか。

 奴にあって私には無かったものは何だ。


 答えは分かり切っていた。


「そうか……お前には……」


 帰る場所があるのだな、という言葉はしかし、再び込み上げてきた血に遮られ紡がれることはなかった。


 視界が霞むのは、意識が遠のいているからだけでは、きっとない。


 直後、キグナス1から放たれた閃光が、テオドリックのを包み込んだ。






*ハイド*


 トライブラスターキャノンから放たれたビームが、要塞都市の胸部を貫いた。

 そのまま背部へと突き抜け、赤い大地に光の柱を立てる。


 射撃が終了した時、その異形の機体の中央には、大きな風穴が開いていた。

 ばらけながら、遥か下へ向かって真っ直ぐ落ち始める。

 すぐに距離と崩壊によって姿が見えなくなる。


 それから数呼吸置いて、火星の地表で巨大な爆発が起こった。


 ハイドは肩で息をしながら、一部始終をただ見つめることしかできなかった。


 機体の冷却を待つ彼の頭の中では、通信の男の言葉が反響し続けていた。

 顔すらも知らないアーガスの構成員達との、唯一の接点。


 あの男の憎悪の奥底には、"エキドナの子供達"に何かを奪われた者達の哀しみと怒りが確かにあった。


 ハイドにもそれが理解できないわけではない。


 自分も統合大戦で、同じ強化人間として共に戦ったきょうだい達を失っているのだから。


 そうだと知っていれば、戦いになる前に何かできたのではないか。

 それはアーガスの者達に向けられた問いであり、ハイド自身に向けられた問いでもあった。

 だがどれだけ問い掛けても、答えが返ってくることはなかった。


 ただ一つ、確かなことがある。

 未来への切符を手にしたのは自分だ。

 罪を背負ってでも、前に進まなければ。


 ハーキュリーズにゆっくりと回れ右をさせる。


 まずは帰ろう。

 リーナの許へ。


 ハイドはハーキュリーズを高速巡航形態に変形させ、宇宙の闇の彼方に浮かぶ青い星に向けて発進した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る