七夕祭りの夜

第1話

 君は星や空の話が好きだったね。

 ある時は夏の大三角形についてだった。七夕祭りが近かったから、学校からの帰り道に商店街の店先に笹の葉が飾ってあるのを見つけ、そこからベガとアルタイルの話題になったのだ。そう、あの頃の君はまだ学校に通っていた。君はおなじみの彦星と織姫の切ないラブストーリーについて僕の大まかな粗筋を語ってくれた。もちろん僕はその話を既に知っているのだけれども、衣替えしたばかりで見慣れない君のセーラー服姿ばかりが気になって、ろくに内容なんか聞かずに適当な相槌を打っていた。

「―――そういうわけで二人は一年に一度、七夕の夜にしか出会えなくなったの。悲しいと思わない?」

「そうだね。でも年に一回しか会えなかったらお互い近くにいる別の人を好きになるんじゃないかな」

「私が言いたいのはそういう事じゃないよ」

 僕の平凡な返答に君は眉を顰めた。

「たとえ知らない人でも、遠い昔話でも、ただの言い伝えであっても恋人たちが離れ離れになるのは悲しい。」

 そう言い終わると、君は僕の方を向いてもう一度「悲しいよ」と呟いた。実際、心の底から悲しんでいる表情だった。いったい自分に関係のない話の何処がそんなに胸を痛めるのだろうと当時の僕は不思議に思った。それでもこの話を今でもよく覚えているのは、僕が「離れ離れになった恋人たち」の片割れになってしまったからだろうか。


 また、ある時は流れ星についてだった。これは冬だったかもしれない。気温が低かったせいか君はしばらく高熱を出して僕と会うことができなかった。ようやく面会を許可されたものの、君は体力を消耗していて身体を起こすどころか瞼を持ち上げる気力もなかった。目を閉じたまま掠れた声で、流れ星の正体について教えてくれた。

 君に因ると流れ星の正体は星ではなく宇宙を漂う塵屑であり、それらが地球に飛び込んできた際に地球の大気と衝突し、そこで放たれたエネルギーが地球上からは「星が流れている」ように見えるらしい。

「いいなあ」

 君が薄く目を開けて言った。真っ白なベッドに横たわった姿があまりにも弱々しくて僕は思わず君の姿から目を逸らして窓の方へ顔を向けた。

「流星群ならここからでも見えると思うよ」

 窓からは見慣れた田舎の風景が広がっていた。君の病室は最上階の四階にあった。過疎化が進む僕たちの地元には空を遮るような大きな建築物も夜まで煌々と電灯がついているようなこともない。綺麗な空気のおかげで澄んだ空を眺めることができたから天体観測にはうってつけの環境だろう。

「星が見たいんじゃない。私も流れ星みたいに燃え尽きて光って消えたいって思ったの」

「…そんなこと冗談でもいうもんじゃない」

「本気だよ」

 はっきりと口には出したことはなかったが、僕と彼女で残された時間が何倍も違うことをもうとっくにお互いに知っていた。それでも今まで話題にしてこなかったのは僕が現実と向き合うことを避けていたからだ。

「だってそうでもしないとあなたは忘れちゃうもんね」

 いつかの七夕の話を根に持っているんだろうか。

「でも綺麗な星になったらあなたの記憶に残れるかな」

きっと君は僕を試していたんだろう。ただこの時の僕は決定的に間違えた。

「ごめん」

「…いいよ、仕方ないもんね」

 咄嗟に点滴のチューブが繋がった青白い君の手を掴んだが、君は握り返してくれなかった。当たり前だ、僕のたった三文字のせいで君はどれだけ深く傷付いたのだろう。

「宇宙の欠片たちは何を思って地球に向かって燃え尽きていくのだろうね」

 君は僕の方を見ないで独り言みたいに呟き、そのまま黙って考えていた。輝きのない真っ黒な目をしていた。

どうしてあの時、僕が君のことを忘れるはずがないと強く否定してあげられなかったのだろう。


 今夜は朔だった。月明かりのない真っ暗な闇の中で僕はただひたすらに足を動かす。虫の鳴く声に混ざって何処からか遠く、野犬の吠える声が聞こえる。見知らぬ景色の中を進んでいると自分が知らない世界に踏み込んでしまったような気がしてくる。しかし恐怖は感じない、あるのは不思議な高揚感のみ。初夏のじめじめとした湿度の高さも夜のひやりとした冷たい空気も今の僕には不快ではなかった。

 実はこの非日常感に何かを期待しているのかもしれない。

 ふと足を止め、足元を照らしていた懐中電灯のスイッチを切って空を仰いだ。

「わあ……」

 背の高い木々の隙間から溢れんばかりの星々たちが白く輝いている。想像以上の星空に僕は思わず感嘆の声を漏らした。しばらく時間を忘れて夜空を堪能した。そして再び、足元を照らしながら夜道を歩き始める。

 今日は君が息を引き取ってちょうど一年だったから、僕は君が眠っているはずの場所を訪れる事にした。わざわざ昼ではなく夜を選んだ理由はその方が静かだろうと考えたからだ。そのおかげかここに来るまでの道筋で君とのやりとりをいくつか思い出すことができた。それでもやっぱり僕は全て覚えていることは出来なかった。

「久しぶり」

 墓地に着き、目当ての名前が刻まれた墓石の前に腰を下ろす。懐中電灯を消して蝋燭に火を灯す。何か言おうと口を開いたものの音は出てこない。僕は間抜けにぽかんと口を開けたままでいる。

この一年間はとても空虚だったから、君に伝えるべきことなんてひとつもないような気がしてしまう。それでも時間をかけてやっとのことで言葉を絞り出す。

「さっき、見上げた星空がすごく綺麗で、思わず振り向いて君の姿を探してしまったよ」

「君がいないなんて信じられないと思いながらこの一年間過ごしていた」

「あの時、君の求める言葉が言えなくて本当にごめん。毎日悔やんでいる」

 当たり前だけど、返事はない。夜の静寂が痛いくらい耳に響いているだけだ。

「君はちゃんと流れ星になれたよ」

 僕の心に焼き付いて、熱くて痛くて仕方がない。僕はきっと君のことを記憶では忘れたって、その光の残像だけは抱えて生きてゆくのだろう。

 蝋燭の火が消えた。僕は立ち上がって、君に向かって微笑んで挨拶をした。


「じゃあまた来年」


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七夕祭りの夜 @sinonome_shikimi

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