アタシの悪魔

つくも せんぺい

命のトレード

 二歳のアタシをぶっ殺してやりたい。


 ボタンが失くなった。誰か覚えていないけど、洋服から外れた時に貰った、キラキラの宝物。二歳の頃の話だ。

 おもちゃ箱をひっくり返し、タンスの洋服を引っ張り出し、トイレットペーパーをくるくるして、探して探して見つけたのはボタンじゃなくて、悪魔。


 ちょっと色黒だったけど、人間の子どもと変わらなかった。

 アタシは一緒に探してって頼んで、代わりにからって言ったらしい。

  

 そして、今に至る。


「はっぴばーすでーとぅーみー」


 悪魔は二歳のあの日から、思い出したように時たま会いに来る。けれど誕生日には必ず来るから、今日はその内顔を出すだろう。


 ――ずっと一緒にいて。


 悪魔が望んだボタンの対価。

 二歳のあの日、アタシが悪魔に売ったのは、「死ぬ権利」というものらしい。記念すべき二〇〇〇年生まれだったアタシが、今度は二百年以上の時を経て、記念すべきゾロ目を見ている。


 人によってはこの死なないという境遇を、泣きながら替われとアタシに懇願こんがんするでしょうけど、死ぬことを知らないからよく分からない。

 けれど、別れの悲しみは覚えている。両親や友達が時間と共に順番に居なくなって、ひとしきり泣いた。


 そして、すっかりおばあちゃんになったある日、もう泣ける相手も居ないだろうと、悪魔に若い姿に戻された。二十代前半くらいの身体。若い方が好きなのかと彼に聞いたら、老婆と違って移動が便利とだけ言いやがったことはまだ根に持っている。


 それから、人としては独りぼっちだ。


 たまに立ち話をするくらいの人には出会えるけど、定期的にアタシは移動しているから、名前も知らないままのさよならがほとんど。

 ずっと一緒にとか言ったわりに、悪魔はいつもは居ないし。


 何故側に居ないのかと前に聞いたら、人間と時間の感覚が違うだけで悪魔としてはちゃんといつも居るとか言ってたから、の意味を彼が欠伸をするまで説教した。


 あぁそうだ、約束はちゃんと守ってくれたわ。ボタン。

 契約したからか、目の前で成長して急に大人になった悪魔。


「すぐ近くにある」


 髪をかき上げながらそう話す姿は、ちょっとかっこよかったです。

 二歳の初恋。というよりは、変身に憧れたのかも。まぁ、そんな感情はボタンが見つかって消えたけど。

 ……その日、アタシのお尻からぷりっとね。

 成長するヒマがあったなら、そっちをなんとかしてほしかった。宝物は一瞬で宝物じゃなくなって、トイレに流した。





 二百二十年経って、技術は進歩していた。

 立体映像や、その辺をお遣いで歩く有機AIロボット、車はまだ無理だけど、バイクは浮いてる。

 昔々観たSF映画みたいになっていく世界。


 その外側の空き家の屋根に、アタシは居る。個人認証のために、体内にチップを入れるようになって数十年。戸籍を作れないのだ。

 幸いと言うべきか、この国は人口が減って、空き家は多くあるから転々とするなら住むところには困らないし、現金が無くなったわけではないから買い物なんかは特に問題ない。


 お金? アタシが一度おばあちゃんになって働けなくなった時に、悪魔に甲斐性というものを叩き込んだわ。若くなって風俗なんかは抜け道も多いけど、それはダメだと彼が言ったから、そこら辺は独占欲があるらしい。

 よく分からん。


「ハッピーバースデイ」

「やっと来た」


 空き家の屋根に住人が二人になった。

 音もなく現れた悪魔は、すっとアタシの隣に立つ。特にお祝いの言葉を告げた後に何か話すこともなく、同じ方向を向いていた。


 毎年告げられる祝いの言葉。

 悪魔がハッピーだなんてとある時茶化したら、記号みたいなものだと言われた。

 それでも必ず言ってくれるのは、アタシには意味があると分かってくれているのだろう。


 二人並んで、しばらくそのまま。慣れたものだ。もう少ししたらいつもアタシから話し出すのだが、今日は違った。

 

「渡すものがある」

「……どうしたの? 改まって」


 悪魔が取り出したのは、くすんだ円形の何か。アタシの人さし指の爪くらい? 小さい。

 プレゼントにしては、汚いわね。


「これが何?」

「……覚えてないのか?」


 悪魔の形の良い眉がピクリと上がる。彼の表情はほとんど変わらない。

 けれど、長年見てきてなんとなく読み取れるようになっていた。この顔は、アタシがピンときていないことに驚いている。

 もう一度、手に乗せられたものを観察した。石みたいに見えるが、小さな穴が開いている。


「ボタン?」

「そうだ。思い出したか?」

「思い出すも何も、あなたとアタシのボタンって言ったら一つしかないけど……こんなボロボロじゃなかったわよ? それに、捨てたわ」


 お尻から出たからね。


「本来は、渡せれば物はなんでも良い。あの日お前はすぐに捨てたが、お前と私を繋いだ物だから……回収しておいた。今日という日に渡すにはこれが良いだろう。受け取れ」


 差し出された手のひらのボタンを、アタシはじっと見つめた。手は出さずに、じっと。

 洗ったと悪魔は言うが、そうじゃないと首を振る。


 悪魔がアタシに直接何かを手渡ししてくれたことは、一度もない。

 二百年以上、一度も。

 食べ物や衣服も、その辺にいつも置いて示していた。アタシがおばあちゃんだった時も、あーんなんてしてくれない。徹底していたと思う。

 

 だから今、この手の意味が、差し出されるものが、誕生日だからなんて簡単なものなわけがない。


「これ受け取ったら、どうなるの?」

「要らないのか?」

「そうは言ってないでしょ? 何が変わるのか、教えて」

「……死にたいのだろう?」


 いつもと同じ口調、同じ表情で悪魔は問う。

 答えになってない。質問を質問で返さないで。

 たまに交わすなんでもない会話なら、そう文句も言うのだけれど、言葉にすることは出来なかった。

 悪魔から何かを差し出すことは、アタシに命を返すこと。死の権利を返すこと。そういう意味だ。


 もう、アタシが要らなくなった?


 アタシは次の言葉が見つけられず、沈黙が流れる。

 モヤモヤとした気持ち悪い感情が、言葉ほどまとまることはなく浮かんでは消える。

 考えがまとまらず、そのままじっと見つめていると、悪魔の手がほんの少しだけ震えていることに気がついた。視線を顔に向けると、ほとんど無表情で変わらないように見える彼の顔。

 でも、何かを思い出させるような、そんな顔。



 ――ずっと一緒にいて。



 ……そうだ。子どもの見た目じゃないけれど、あの時の顔。

 長い時間が経っても、忘れていない。間違いない。

 でも、どうして? いくつも考えが頭を巡る。


 寂しいのに、プレゼントを渡そうとしたの?

 アタシが退屈そうにしていたから?

 その震えは……、アタシのために終わらせようとしているの?

 

「ふふ……」


 思わず、声が漏れていた。自然と口角が上がる。

 アタシは彼を見ていると、いつも思う。


「アナタ、どこが悪魔なの?」

「む……」


 少し不服そうに眉をひそめる仕草に目を細める。

 分かってしまえば、アタシが望むことは単純だ。

 けど、少しイジワルな気持ちにもなる。


「ねぇ、それ今日決めないとダメ? 退屈だったのは確かだけど、急に言われても決められないわ」

「……そう、かも知れないな」

「でしょ? だから、明日また……聞いて?」

「明日?」


 アタシの言葉を繰り返す彼に、また思わず笑みがこぼれる。

 明日。もう一度口に出して頷く。


「それでも決められなかったら、そのまた明日」

「……」

「それでも決められないなら、その次の日。いい?」

「死を、終わりを望んでいたのではないのか?」

「そうよ。けど、心の準備だって必要でしょ? アナタに出会った二歳の子どもじゃないのよ? ボタンのために死を差し出したり、受け取ったり。すぐに決められるわけない」


 アナタの手を見て惜しくなった、とは言わない。悪魔を安心させてはダメ。急に言われて怖いのは本当だもの。

 怪訝そうな表情のまま、彼はしぶしぶ了解した。

 これから毎日、悪魔はアタシの前に契約更新に現れる。

 アタシの気まぐれが、その終わりを受け入れるまで。毎日。


「ふふ。なら、この話はおしまい。アタシのことばかり分かったけど、アナタには終わりは来ないの?」

「……私の終末は、祖国の王が握っている」


 アタシとの時間の終わりを意識したからなのか、悪魔はすんなりと答えた。

 その祖国は、もちろんこの世界ではない扉があるみたいだけど。


「ならアタシがその王様からアナタの死の権利を貰ったら、交換しましょう」

「……お前は向こうへは渡れん」

「そんなの分からないわ、アナタとは契約できたのだもの」


 二百年生きてるのだから、何とかできるんじゃないか。アタシはなんとなくそう思えた。そんなあっけらかんとした言葉に、


「お前、本当に人間か?」


 うっすらと、悪魔は笑った。

 その反応に満足し、アタシは背伸びを一つして、彼に片眼を閉じて笑いかける。


「人間よ。だから、途中でイヤになるかも知れないから、毎日そのボタン渡しに来てね」

「……わかった」


 その言葉を最後に、悪魔の姿は消えた。時間にすれば一緒に居た時間なんてほんの少しだ。

 けれど、明日もまたアタシに会いに来る。

 ずっと隣にはいないけれど、悪魔には悪魔の事情があるのかも知れない。今はそれで良かった。


 屋根の上に寝転がると、光の柱が伸びているみたいだった。

 夜が近づいてきても、アタシの見つめる人の住む世界は明るい。今夜はその光も、眩しいとしか感じない。

 単純なものだと、我ながら笑ってしまう。


 二歳のアタシは幼かった。幼いという理由だけでは許せないほど、取り返しのつかない選択をした。

 でも今日の彼を見て、想う。

 いつかアタシが終わりを望んだ時、彼にも寂しさが訪れなければ良いのにと。


 命の交換。


 ボタンじゃなくて、どうせなら指輪なんてどうかしら。

 なんて……誕生日が嬉しかったのねと、自分を誤魔化したくなるくらい恥ずかしくなる。

 二百年二十年。いまだにそう想える悪魔。

 二歳のアタシの見る目だけは、褒めてあげないといけない。





 

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アタシの悪魔 つくも せんぺい @tukumo-senpei

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