触れないままより、触れてみる

香坂 壱霧

【ぼくにれないでください】


 ドアノブの横に貼られた名刺サイズくらいのメモには、弱々しい筆跡でそう書いてある。泣きながら書いたんか、ペンが滲んどる。それを剥がそうと思たけど、やめた。


「こんなに小さい文字と気づかんわ」

 そう呟いたあと、辺りを見回して誰もおらんことにほっとする。それからドアの前に立って、「おるんやろ?」と言うてみた。

 部屋のぬしは、ここに俺がおるとわかっとるはず。俺が部活をやめたこと、アプリで知らせとるから。


「誰とも会いたないって、なんやそれ。そんなメッセージ見たら、心配するやん。俺やったら構いたくなるん、知っとって……わざとやろ?」

 わざと大きな声を出す。


「わざわざドアにこんなメモ書きまでして、ほんと、莫迦ばかやなあ」

 メモをドアにれんようにがして、小さく丸めてポケットにいれた。

 部屋の中から、わずかに聞こえたんは、たぶん足音やろう。ゆっくりドアに向かっとる気配もある。


「俺は、おまえのこと嫌いやなんて言うてない。ぐじぐじしとるんは確かに嫌やけどな。なんもわからんことにいらついてるだけや。なんもできん自分にいらついとるんよ。おまえのこと、嫌いになるわけないやろ?」


 部屋の中から聞こえとった足音が止まった。

 鍵がかかった部屋やから入れん。

 俺は、ドアにれたりせん。それにれるということが、あいつの心を無理やりさわることになるみたいやから。


「このドア、塗装剥げよるやん。好きな色に塗り替えたら、気持ちがちぃとは変わるんやないか?」


 あいつの心に、この言葉の真意が伝わればええな。

 あいつがここから出られるようになるまで、俺があいつを守る。


 ポケットのスマホが震えた。手にとって画面を見る。あいつからや。

『話を聞いてほしい。鍵あけるから、入ってきてや』


 鍵が開いた音を聞いて、扉を開ける。


 何があったのかわからんけど、あいつがかたくなに拒んできた過去せかい、すこしでもええから、良い未来に繋げられるんなら。

 どれだけかかっても、話を聴くことからはじめようと思う。

 


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触れないままより、触れてみる 香坂 壱霧 @kohsaka_ichimu

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