コインランドリーにて

かいばつれい

コインランドリーにて

 一人暮らしの亨は、二日に一度、近所のコインランドリーに通っている。二四時間営業しているランドリーは、彼のように日中、働いている人間にとって欠かせない存在であった。今日も二日分の洗濯物を抱えて亨はコインランドリーを訪れていた。

 コンビニエンスストアを改装したコインランドリーは広々とした作りで、壁際には白いカラーベンチが設置され、洗濯物を待つ者が腰掛けられるようになっている。 

 亨は洗濯が仕上がるまで、このベンチに腰掛けて読書をするのが常であったが、今日だけは読書どころか腰掛けることすら不可能だった。見知らぬ老人がベンチを占領して仰向けで寝ていたからだ。

 「参ったな」

 おそらく、七〇代前半であろう老人は、上下グレーのスウェット姿で、茶色いジャンパーを毛布の代わりにして、大きないびきをかいていた。ベンチの真下には空のカップ酒が転がっており、老人からは強い酒の臭いがした。おそらく、転がっているカップ酒以外も相当飲んでいるのだろう。露になっている禿頭は真っ赤に染まり、さながら茹で蛸を連想させた。

 「困るな・・・。家で寝てくれよ」

 老人は起きる気配が全くなく、すっかり熟睡している。

 「もう二二時だってのに。いつから寝てるんだろう」

 何故、この老人はこんな場所で寝ているのか。自宅まで歩けないほど飲み歩いたのか、それとも家を失ったばかりのホームレスだろうか。いずれにせよ、自分の安易な考えで周囲がどれだけ迷惑しているか、少しは考えてもらいたいものだ。

 「ベンチが撤去されたりしたらどうすんだ」

 亨は老人に呆れていた。

 洗濯機が止まるまであと四〇分ある。他に座る場所が無いため、亨は二軒隣のドラッグストアで時間を潰すことにした。

 

 「こんばんは」

 「あら、いらっしゃい亨ちゃん」

 顔見知りの近所のおばさんが店番をしていたので、他に客がいないということもあり、亨は老人について何か知っているか訪ねてみることにした。

 「今さ、洗濯しにそこのランドリーに行ったら、見掛けないおじさんがベンチで寝ててさ。あのおじさんが誰だか知ってる?」

 おばさんは少し間をおいてから口を開いた。

 「ああ、芳村さんのことかい?」

 「芳村さん?」

 亨には聞き覚えのない名だった。

 「一二、三年くらい前に、この町に住んでたのよ。でも、息子さん一家と暮らすことになって引っ越したんだよ。息子さんとお嫁さんが声を掛けてくれたらしくてね。あの当時はお孫さんも小学校に上がったばかりで、孫と一緒に暮らせるって喜んでたのを覚えてるわ。男だから野球を教えるってはりきってたんだけどね」

 そう言っておばさんは視線を落とした。

 「?」

 「あまり話したくないんだけど、亨ちゃんなら他に言ったりしないだろうから話すわね。実は去年の暮れにね、その息子さん一家が交通事故でいっぺんに亡くなったの」

 「え・・・」亨は衝撃を受ける。

 「芳村さんが、お孫さんの大学進学祝いに温泉旅行を贈ってね。その温泉に向かってる途中の自動車事故だったそうよ。対向車が飲酒運転で車線を飛び出してきて・・・。以来、息子さん一家の自宅を引き払って、こっちの昔住んでた家に暮らしているの」

 「そんな」

 亨は芳村という老人のあまりの不幸に驚きを隠せなかった。

 「このことは、芳村さん本人が帰ってきたばかりのときに話してくれたの。きっと、誰かに打ち明けて気を紛らわしたかったのね。でも落ち込むばかりで・・・。温泉旅行なんて贈らなければ息子たちは死ななかったって自分を責めてとても辛そうだった。元々、お酒はやらない人だったんだけど、家にいても息子さんのことばかり思い出すからって飲み歩いて」

 「他にご家族は?」

 「芳村さん一人よ。早くに奥さんを亡くされて男手ひとつで息子さんを育て上げた立派な人だった。だから余計に辛いんだと思う」

 亨は自分を恥じた。老人の身の上を一切知らなかったとはいえ、彼を邪魔に思い、あまつさえ、軽蔑までしてしまったことを酷く後悔した。

 「たぶん、コインランドリーで寝ているのも、できるだけ家にいないようにするためなのね。ランドリーのオーナーさんも昔馴染みだからそっとしてくれているみたい。それでね、あたしたち近所のみんなで話し合ったんだけど、地域で芳村さんを見守ることにしたのよ。だから亨ちゃん、お願い。時間が解決してくれるまで芳村さんをそっとしといてあげてほしいの。今すぐは無理かもしれないけど、きっと時間が解決してくれるだろうから」

 おばさんの目には涙が浮かんでいた。

 「そ、そりゃあ、そんな話聞いたら腹立てたりなんか・・・。でも、あまりにも可哀相で・・・」

 世の中にはこんなにも不幸な目に遭う人間がいるというのか。妻を失い、それでも男親を続けて息子を一人前にし、嫁と孫にも恵まれたというのに、運命というものはあまりにも理不尽だ。あの老人が何をしたというのだ。もし本当に神様がいるのだとしたら、いくらなんでも非情ではないだろうか。亨は老人に対して、何かしてあげられることはないか考えた。老人への贖罪の念から、彼を救済したいと思った。

 ドラッグストアで時間を潰し、亨がランドリーに戻ってきた時、老人はまだベンチで眠っていた。

 亨は眠る老人の顔をまじまじと見た。よく見ると、瞼は赤く腫れ、目尻から涙が流れている。毎日泣いて過ごしているに違いない。

 「昭生、行くな」

 亡くなった息子の名前だろうか、微かな声で寝言を呟いているのが聞こえた。もうこれ以上、見ていることができなかった。いても立ってもいられなくなった亨は老人に歩み寄り、そっと声を出した。

 「なぁ親父、おれはどこにも行きやしないよ。それより、寝るなら、ちゃんと布団で寝ろよ。こんなとこで寝てたら風邪引くぞ」

 思考より先に身体が動くということが本当にあるのだなと亨は実感した。今の発言も脳を通さずに、反射として口から出たものであった。一体、何が自分を動かしたのか、この哀れな老人を何とか救いたいという思いが自分を動かしたのだろうか。それは亨自身にも全く分からなかった。

 尚も老人は目覚めることはなく、亨は老人のジャンパーを胸まで掛けてやってから、自分の洗濯物を回収してランドリーを後にした。もし、またランドリーで彼が寝ていたら、再度息子のふりをして語り掛けてあげようと思った。それで彼が救えるかは不明だが、何もしないよりはいいと思った。

 

 それから二日が過ぎ、亨は再び洗濯をしにランドリーにやってきた。今日は老人の姿はなく、ベンチには、女子大生らしき女性がワイヤレスイヤホンをつけて音楽を聴いているだけだった。

 あの老人はどこにいってしまったのだろう?

 亨は洗濯物を仕掛けてドラッグストアに向かった。

 「おばさん、あのおじさんが・・・」

 「聞いてよ亨ちゃん。芳村さんがお酒をやめたのよ!」

 おばさんが亨の話を遮るように言ってきた。

 「え?」

 「おとといね、芳村さんがここに顔を出したのよ。息子が夢枕に立って、布団で寝ろって怒ってたんですって」

 「息子さんが?」

 「きっと、いつまでも燻ってないでしっかりしろって息子が言ってるんだって言ってね、シルバー人材センターの紹介で仕事にも行き始めたそうよ」

 「そう、それは良かった。うん、ほんとに良かった」

 亨は内心驚いていた。正直、こんなに上手くいくとは思っていなかったのだ。あの老人が救えたことが素直に嬉しかった。

 「でもね、芳村さん、ひとつだけ気になることがあるんだって」

 「気になることって何?」

 「夢枕の息子さんが、芳村さんのことを親父って呼んでたんだって。息子は俺を父さんとしか呼んだことないのに、それが不思議でならないって首を傾げてたわ」

 その言葉で亨は一瞬動揺してしまったが、すぐに平静を装った。

 「そ、それで、おじさんはどんな仕事を始めたの?」

 「二丁目のスーパーで警備員をしているわよ」

 洗濯物を回収して亨は老人が働いているスーパーに向かった。

 老人は警備員の制服に身を包み、来客の車を交通誘導していた。誘導灯を振り、手際よく仕事をこなしていく様を見た亨は、あの人はもう大丈夫そうだと胸を撫で下ろした。

 老人の働く姿を見届けた亨は、まだ温かい洗濯物が入ったバスケットを両手で抱え、満足げな表情で帰路についた。

 夜の湿った空気が梅雨の訪れを静かに告げていた。

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