第3話 津島透子
透子の頭上を、灰色の重たそうな雲が左から右へゆっくり流れる。風は、頬の感覚が麻痺するほど冷たい。今日、つまり2039年12月25日、東京は夜半から雪の予報だった。透子の腕時計はちょうど5時を示していた。
(ここから飛び降りるのはやっぱり無理だな)
候補地が一つ減る。
透子は今、SKYSTAGEの端に立っている。
SKYSTAGE は20年前に作られた渋谷駅直結の商業ビル、渋谷スクランブルスクエアの屋上にある展望施設で、地上230メートル上空から、東京を一望することができた。
かつては観光客が引きも切らず訪れたこの場所も、今はすっかり寂れていた。2,500平方メートルの敷地には、透子の他に人の姿はない。
透子はSKYSTAGEの端から東京を見渡す。大きなビルと中くらいのビルと小さいビルが、でたらめに組み上げたブロックのように凹凸を作っている。とてつもなく広い共同墓地のようだ、と透子は思う。ひときわ高くそびえるスカイツリーは、ここに来る前に訪れた祖父母の墓がある三鷹の寺院の、五輪塔によく似ていた。
東京が墓地ならば、その下に眠るのは、一つ前の世代の東京だ。その下には、もう一代前の東京が眠っていて、その下にはさらに前の世代の東京が横たわる。幾重にも重なる東京のそれぞれの層で、自分の知らない無数の人間の暮らしがかつて営まれていたのだと考えると、透子は宇宙の果てに思いを巡らせて目眩を覚えた、少女の頃の気持ちを思い出す。
かつて東京で生きてきた人たち、そして今東京で生きている人たち、その数えきれないほどたくさんの、異なる人生が集まってできた星雲を、透子は頭の中に思い描く。近づいて見れば、星と星とは数億キロメートルから幾万光年の距離に隔てられていて、孤独だ。けれど遠くから望遠鏡で観察すると、それらは大きな一つの塊だということがわかる。星々は、本当は孤独ではなく、きっとお互いが密接に関わり作用し合っているのだ。
けれど星には、そのことがわからない。一つ一つの星には、自分を含んだ星雲を、遠くから観察する望遠鏡が与えられていない。
私もそうだ、と透子は思う。
私も孤独な星なのだ、と透子は思う。
もしも私を星雲ごと、天体望遠鏡で観察することができれば……。
けれど星も人間も、もちろん透子もそんな望遠鏡を、手にすることはできないのだった。
墓参のせいだろう。透子は小学生のとき、家族で祖父母の店を訪ねたことを思い出す。渋谷スクランブルスクエアが開業する1年前のことだ。
店は桜丘町で60年続いた老舗のドジョウ料理屋だった。地区開発のため閉店を余儀なくされ、店の最後の日を息子一家と迎えたいという祖父の願いを透子の父は聞き入れた。
その頃透子の家族は父の転勤で東京から九州へ引っ越したばかりだった。しかも店の閉店日は平日だ。父と母は休暇を取り、透子も学校を休ませて、朝から出発した。夕方、祖父母の店を訪ね、母と透子は店を手伝い、父は店の様子を持参した一眼レフで撮影した。閉店後、皆で夕食を食べ、ホテルに一泊し、翌日九州へ戻った、というようなあらましは後年両親から聞かされたものだったが、透子自身も古い店の佇まいや慣れない接客、最後に店の前でみんなで記念写真をとったこと、そのとき雪が降っていたことなどを鮮明に覚えていた。
客が席に着いたらおしぼりを渡すのが透子に与えられた仕事だった。
店内は満席で、料理から立ち上る湯気や、たばこの煙で白く霞んでいる。透子は飴色をした木製のカウンターの内側で、店の入り口をじっと見ている。格子戸が左に引かれ、2人組の男が入ってきた。4人がけのテーブルに座ったのを見届けてから、透子はお盆に黄色いおしぼりを二つ載せた。
男たちの前まで来ると、お盆から片手を離し、おしぼりを一つ取って、左側の席の男の前に置く。父より年寄りだが祖父よりは若い。50歳くらいかな、と見当をつけたことを、透子はSKYSTAGEの上で思い出していた。
「慎太郎さんのお孫さん?」
男の息は酒臭く、透子は呼吸を止め、小さく「はい」と答えた。猥雑な雰囲気は、普段慣れ親しんだショッピングモールの清潔な店とは違い、濁っていて居心地が悪い。「小さいのにじいちゃんの手伝い?偉いねぇ」と言って馴れ馴れしく微笑みかける男にどう対応して良いか分からず、戸惑いながら、もう一つのおしぼりを右側の男に渡した。やはり50歳くらいだろうか、がっしりした体格で、角刈りにした頭の所々に白髪が見える。左側の男と対照的に、ニコリともしない。
カウンターに戻った透子と入れ替わりに、祖母がメニューを持って男たちのテーブルへ向かった。透子に話しかけた男は祖母と談笑している。角刈りの男は真一文字に唇を切り結んだまま、睨むようにメニューを見ていた。
やがて二人の男の間に、湯気の立つ小鍋が運ばれてくる。角刈りの男が箸を付け、口に運ぶ。硬かった表情が、ふんわりゆるんだように見えた。
記憶はそこから店の外に変わる。透子は祖父母と一緒に店の前へ立っている。10月の末にしては随分寒かったことを、透子の頬は今も覚えていた。SKYSTAGEに吹く冷たい風が、記憶と混じる。見上げると、電柱の灯りに照らされて、白い綿毛のような雪がゆっくり落ちてきたのだった。10月に雪? 透子は成人してから2018年10月25日の天気をネットで調べたことがあった。確かにその日の夜、東京の一部で雪が降っている。
桜丘町へ向かう途中、透子は先ほどまで屋上に立っていた渋谷スクランブルスクエアを振り返った。節電のためなのか、空室が多いせいか、夕刻だと言うのに灯りの少ないビルは、230メートルの背丈を持て余す、疲れ切った老人のように見えた。スクランブルスクエアだけではない。渋谷の街全体が、疲労の色を滲ませていた。
2024年、アメリカの株価暴落を契機に起きた世界同時不況によって、すでに活力を失っていた日本は経済的に止めを刺された。東京はもちろん、全国の都市が、虫にたかられた植物のように萎びていった。
ローンを払えない人が増えたため、空室だらけになった博多のマンションで、透子は10代と20代を両親と過ごした。家族三人がそれぞれの不安を抱えていて、でも口に出すと恐れていることが本当に起こってしまいそうだから、みんな黙っていた。以前は賑やかだった食卓が、とても静かになった。
かろうじて入学できた大学を卒業してもまともな就職先はなく、アルバイトでしのいでいるうちに、30歳を超えていた。彼女と同年代の、ほとんどの若者が同じような境遇だったから、自分だけが不幸だとは思わずに済んだけれど。
以前にもまして自ら命を落とす人が増えたけれど、だれも騒がなかった。
(仕方ないよね)
(それも一つの選択だよね。未来を選ばないという選択)
自死への諦めと黙認とが、霧のように日本を覆っていた。
祖父母の墓参りのため、というのが東京行きの口実だった。博多で死ぬより東京で死ぬほうが、離れている分だけ両親の悲しみも和らぐのではないか。それに東京でなら、行方不明だと思わせることだってできるかもしれない。それなら確実に死体が発見されてしまう飛び降り以外の方法がいい。けれど他の手段を思いつかないまま、透子は東京に到着してしまった。
墓参は口実ではあったけれど嘘ではなかった。祖父母に謝ろうと思っていた。墓参りを利用したことを。何より、自分のことで精一杯で、ここ数年は二人を多い出す余裕がなかったことを。三鷹にある寺院墓地を訪れると、透子は厳粛な気持ちで手を合わせた。
結局、飛び降り以外の方法を思いつかず、山手線の沿線でビルをいくつか周った。渋谷で降り、SKYSTAGEに上がり、祖父母の店での最後の一夜を思い出したことで、透子は「桜河岸」があった場所も訪ねてみる気になった。
落書きだらけのビル。補修されないままの道路。散乱するゴミ。高度230メートルからは見えなかった町の荒廃ぶりを、博多と比べながら透子は歩く。大きな看板が倒れて歩道を塞いでいる。脇道がないから踏みつけて通るしかない。素材がわからないので慎重に足を乗せた。強度のある、分厚い樹脂の感触が靴の裏側から伝わる。
看板には、ゴシック体で「甦れ、河の町東京」と大きく書かれていた。透子は足を止め、題字の下の本文にも目を通した。
〈甦れ、河の町東京は、2025年にスタートした首都復興プロジェクトのひとつです。江戸が東京に変わり、埋め立てられてしまった川やお堀を復活させ、人口運河を船が行き来する、水上交通網を整備します。さらに河川ではドジョウやフナなど、かつて豊富に採れた淡水魚を飼育することで、懐かしい情景と環境に優しい物流ネットワーク、そして豊富な水産資源を擁するネオ東京を構築します〉
透子はイヤリング型の端末に「河の町 東京って?」と聞いてみた。端末は10秒後に、計画のより詳しいあらましを、透子が好きなアニメのキャラクターの声で教えてくれた。途中で予算が尽き、中途半端な状態で休止したままであること。その名残として、建設途中の運河や試験養殖場、何軒かのドジョウ料理専門店などが残されたこと。
端末の説明が終わる頃、透子は祖父母の店の跡地に着いていた。20階建てのビルが視界を塞ぐ。外観はまだ美しいけれどやはり空き店舗が多い。目の前の光景に2018年の記憶を重ね合わせてみる。一致する要素は何もなかった。
20階建ビルの隣にもビルがあり、その間が路地になっていた。路地の入り口に看板が置いてある。 「どぜう鍋 この奥スグ」と書かれた文字に引き込まれるように、透子の足は路地に向かった。ドジョウを焼く香ばしくて懐かしい匂いが漂ってくる。
入り口のしつらえは、記憶の中の祖父の店と驚くほどそっくりだった。
透子が呆然として立ちすくんでいると、格子戸が開いた。70代くらいの老人が、暖簾を手に、出てくる。がっしりした体躯と角刈りの頭。祖父ではない。しかし見覚えがあるような気がした。
「お食事ですかい」
入り口に暖簾を掛けながら、訝しげに老人が訊ねる。
暖簾は紺地、勘亭流で「どぜう 轟」と、白く抜かれていた。
「はい、ええと、昔……ずっと昔、この近くで祖父が店を、ドジョウ料理の店を」
老人の眉間の皺がぎゅっと深くなって、しばらくすると緩んだ。
「ちょいと待ってくれ」と言い、掛けたばかりの暖簾を外す。
その時、透子の頬に、冷たいものが触れた。雪だ。
「……その店にさ、俺は行ったことがあるんだよ」と老人は言った。
夕闇に包まれた透子と老人の上に降る雪が、見る間に激しさを増した。
「今日はクリスマスだろ。クリスマスにドジョウ食いにくる客なんてそんなにいないからさ。ま、とにかく入って入って」
老人に促され、透子は店に足を踏み入れた。
木造のどっしりした構え、磨き上げた8人がけの木のカウンターに4人がけのテーブルが6つ。店の中も、21年前の記憶と同じだ。
「あんたのおじいちゃんが、店じまいの日の写真を送ってくれたんだよ。俺にじゃない。俺の友達の谷垣って男にだ。その谷垣が、写真を焼き増しして俺にもくれた。この店は、その写真を参考にして設計したんだ」
かつて東京で生きてきた人たち、そして今東京で生きている人たち、その数えきれないほどたくさんの、異なる人生が集まってできた星雲を、透子は頭の中に思い描く。近づいて見れば、星と星とは数億キロメートルから幾万光年の距離に隔てられていて、孤独だ。けれど遠くから望遠鏡で観察すると、それらは大きな一つの塊だということがわかる。星々は、本当は孤独ではなく、きっとお互いが密接に関わり作用し合っているのだ。
けれど星には、そのことがわからない。一つ一つの星には、自分を含んだ星雲を、遠くから観察する望遠鏡が与えられていない。
私もそうだ、と透子は思う。
私も孤独な星なのだ、と透子は思う。
もしも私を星雲ごと、天体望遠鏡で観察することができれば……。
「……何から話そうか」
老人がひとりごとのように、言う。
老人の顔に、もう一人の老人が……透子の祖父が重なって見える。
透子は突然思い出した。祖父の店の最後の日、夕食を食べながら、私がおじいちゃんの店を継ぐ、と言ったことを。
老人も思い出していた。もう20年以上も昔だろうか。クリスマスの夜に見た夢のたことを。
望遠鏡は、あるのかもしれない、と透子は思う。
東京へ来たのは、生きる理由と出会うためだったのかもしれない、と透子は考える。
店の外から、かすかに、クリスマスソングが聞こえてきた。
桜丘町、クリスマス マツ @matsurara
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