私の方がもっと変だ
アキちゃんはちょっと変だ。
「ハルカ、最近学校行ってないんやって?」
先生からの電話でその事実を知ったらしいアキちゃんが部屋に入ってきた。
私は上半身を起こしてベッドに腰掛け、アキちゃんに視線を合わせないまま、俯きがちに黙ってゆっくりと頷いた。
「そう。じゃあ、ラーメン食べに行こっか」
「……え?」
「たまには、インスタントじゃなくてプロのラーメンも食べやんとね」
アキちゃんはなんで学校をサボっていたのか聞きもせず、珍しく外食を提案してきた。やっぱり、ちょっと変だ。
将来が不安だった。
何のために高校へ通っているのかわからなくなった。
周りのクラスメイト達が、輝いて見えた。
そんなわけないのに、私だけが悩んでいるように思えた。
アキちゃんはちょっと変だ。
いつも左足を引きずりながら歩くから、一緒に出かけた時に周囲から向けられる視線が痛かった。力が入らないらしくて、自転車も漕げない。地面に擦れて、アキちゃんの左の靴はボロボロだった。
私は去年高校に入学して春から始めたバイトの最初の給料で、アキちゃんにスニーカーをプレゼントした。
「まあ。そんなん、ええのに。……でも、ありがとうね」
そう笑ったアキちゃんだったけど、そのスニーカーを履いているのをまだ見たことがない。
「履かな意味ないやんか」
ある日私がそう言うと、アキちゃんは困ったように答えた。
「意味あるよ。仕事行く前にクローゼット開けると、ハルカの買ってくれた靴の箱が目に入るやろ? それで、今日も一日頑張ろうって思うねん」
私はそんな神棚のような扱いを受けるつもりじゃなく、軽い気持ちで買ったのに。やっぱり、ちょっと変だ。
「なんでママやのに名前で呼んでるの?」
小学生の頃、不思議に思う子が時々いた。
「昔から、そう呼んでたから」
私は事実通りにそう答えていた。
「なんでハルカのママは足を引きずってるの?」
当然の疑問を投げかけてくる子もたまにいた。
「昔から、ずっと引きずってるから」
それも事実通り、私は答えていた。
アキちゃんはちょっと変だ。
「ちょっとハルカ。これなんて書いてあるの?」
中三の冬、こたつに足を突っ込みながら寝転んで漫画を読んでいた私に、アキちゃんが声をかけてきた。
「どれどれ……」私は体を起こしてテーブルの上の封筒に目をやった。「都道府県民共済……保険の案内やね」
「ああ、けんみんきょうさい。それならもう入ってるわ。ありがとう」
学校からのお知らせとか、市役所からの通知とか、アキちゃんは私でも読める漢字が読めないことが多い。あと、簡単な計算も苦手で、よく通帳や家計簿と長時間にらめっこしている。
アキちゃんは、隣町の食品加工の工場で勤めている。朝6時に家を出て、夕方の6時半頃に帰ってくる。多分、片道1時間以上歩いていると思う。
「残業させてほしいって言うたんやけどね。正社員じゃないとさせられへんねんて」
私が中2の時、うちの経済状況もよくわからないまま私立の高校へ進学したいと話したら、会社に相談したんやけどね、と次の日そう切り出された。
「そんな足で、そんな頭で、安い給料しかもらえてないお前に、ハルカが育てれんのか!」
幼稚園の年長の時。母さんのお葬式のあと、じいちゃんの家の居間で寝ていた私は、二人が言い争う声で目を覚ました。
「娘にそんなこと言う父さんのもとに、ハルカは預けられへん。姉ちゃんが私にしてくれたみたいに、私がハルカを大切に育てる」
「……か、勝手にせぇ! 後で泣きついてきても知らんからな」
これから私はどうなるんだろう。そう思っていた6歳の私が耳にしたアキちゃんとじいちゃんのその会話は、今でも胸に焼き付いている。
空は夜の帳が下り始めていて、濃紺に染まっていた。
「もうすぐ、国道に出るね。楽しみやね。ラーメン」
軽く息を切らしながら、アキちゃんが明るく笑った。
ふと、立ち止まる。懸命に、前へ前へと足を踏み出すアキちゃんの背中を眺める。……その足には、私がプレゼントしたスニーカーが履かれていた。
「ハルカ?どうしたん。すぐ、そこやで。もうちょっと」
立ち尽くす私に気付いたアキちゃんが振り返り、私を励ました。
「うん。お母さん」
なぜか、私はアキちゃんを初めてそう呼んだ。
「……え?」アキちゃんは驚いたように足を止めた。遠くで、カァカァとカラスが鳴く声が聞こえる。「もう、変な子」
アキちゃんは、笑みを浮かべながらそう答えると、再び左足を引きずりながら歩き始めた。
新品のスニーカーが地面に擦れてみるみる汚れて、削れていく。
アキちゃんはちょっと変だ。
でも、アキちゃんの言う通りだ。
そんなアキちゃんが大好きな私は、きっと、もっと変なんだろうと思う。
ー了ー
私の自作小説です。
できるだけ長く、詳しく、事細かく、評価と感想をください。
掌編集『青めく流星』 六月 碧 @SixMoonGarden
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