初恋
私が正直な気持ちを口にすると、誰もが鬱陶しそうな顔をする。学校でだって、家でだって。昔から、私の居場所はどこにも無かった。
その時も、お姉ちゃんの偏屈な話に調子を合わせて両親が大笑いするもんだから、否定的な意見をした。すると、三人とも表情を曇らせて冷たい目で私を見た。
……ああ、またか。私は思ったことを言っちゃいけないんだ。
そう思っていると、初対面のケイが微笑んだ。
「ミキは素直ないいコだな」
そう言って、私の頭を撫でてくれたんだ。
彼はそれから、よくウチへ遊びに来るようになった。大学へは行かず、社会人として働くケイは、一つしか違わないお姉ちゃんより随分大人っぽく見えた。
「ははは。ミキらしいな」
酔ったケイが私の言葉で笑う。私はどこにいたって除け者にされる。なのに、彼だけは私を認めてくれている気がした。
「甘やかさないで」
お姉ちゃんは決まって、そのやりとりを不満そうに遮った。
「……私も飲む!」
私はそれが面白くなくて、半ばヤケクソでテーブルの上のチューハイを手に取ろうとしたら、誰よりも先にケイが声を張り上げた。
「ダメだ!ミキ! ……ハタチになったら、一緒に飲んでやるから」
「……本当?」
「ああ」
「じゃあ、我慢する」
「うん。素直ないいコだ」
彼はそう言って、初めて会った日と同じように私の頭を撫でた。私は私のままでいいんだ。そう、思えた。
お姉ちゃんが三回生になり、私が高校に入学した頃、ケイが一人暮らしを始めた。
「ミキもおいでよ」
彼の言葉にお姉ちゃんは最後まで渋っていたが、結局私もついていくことになった。
家の車以外に乗るのが初めてだった私は、ドキドキとワクワクを存分に味わった。上手くいきそうにない高校生活を思い憂鬱だった気持ちも、あっけなく吹き飛んでいった。後部座席から見た知らない街の桜並木はまだ満開で、とてもとても美しかったのを覚えている。
そうして夏が過ぎ、秋も終わり、十二月に入ったある日の夜。めっきり家にやって来ることがなくなったケイの車が、家の前に停まっているのを偶然二階の窓から見つけた私は、急いで玄関に駆け降りた。
すると、お姉ちゃんが頬を抑えながら家の中に入って来て、勢いよくドアを閉めて鍵をかけた。お姉ちゃんは、泣いていた。
「どうしたの!」
母さんが、ドアの閉まる音を聞きつけてやってきた。
「母さん、ケイが……ケイが……」
彼が、お姉ちゃんをぶったようだ。お姉ちゃんはわんわん声を上げた。
「何だ、何事だ!」
泣き声に驚いて、父さんも玄関に現れた。
その時、私はゾッとした。お姉ちゃんが被害者になって、ケイだけが悪者になる未来が見えたから。
私は知っていたんだ。お姉ちゃんが最近、ケイ以外の男とよく会うようになっていたことを。
(悪いのはお姉ちゃんなのに)
私の心の奥で、何かが弾ける音がした。
「確か、この先ね」
それから数日後の日曜。私は並木道をひた歩いていた。桜の木には、散っていった花や葉の代わりに、淡雪が積もっていた。
アパートまでやって来ると、白い息を吐きながらインターフォンを押す。ほどなくして扉が開き、ケイは私を見て驚いて言った。
「ミキ、なんで……」
「一緒に飲もう」
私はコンビニの袋を見せた。
「バカ、お前」
「私はノンアル」
それを聞くと、観念したように彼は私を部屋に招き入れた。
部屋の中のテーブルの上には、ビールの空き缶が乱雑に転がっていた。私はそれを気にも留めず腰を下ろすと、ノンアルのプルタブを開けてゴクリと喉に流し込んだ。
「軽蔑してるだろ。俺のこと」
「全然」
「女に手を上げた男だぜ」
「彼氏以外の男と遊び回る女の方がひどい」
「……知ってたのか」
「私は」残ったノンアルを一気に飲み干して、私は続けた。「私はたったひとつの出来事で全部を否定しない。例えケイが私をぶっても」
「バカ言うな。……そんなの、ダメだ」
私はベッドに腰掛けて俯くケイの隣に行くと、彼の頭を抱き寄せた。
「ダメじゃないよ。私は何があっても、ケイの味方だから。私がケイを守ってあげる。そう、決めたんだから」
彼はそれを聞くと、黙ったままギュウと私を抱きしめ返して来た。弱りきった彼が、一層愛おしく思えた。
「ミキは素直ないいコだね、って。言ってくれないの?」
彼が、私の胸の中で潤んだ瞳をこちらに向ける。私は髪を耳にかけると、清廉な少女が優しく花を摘むかのように、ケイにそっと口づけをした。戸惑いを伴ってわずかに震えた彼の温度が、唇から伝わってくる。全身の血液がじんわりと熱くなり、頭の中がぼうっとする。
ああ。どうやら私は酔ってしまっているらしい。
ノンアルに? キスに? 彼に?
ううん。きっと、これが恋だと知った自分自身に。
—了—
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