第5話 テンペスト

 ドンと身体中に圧力を感じて目が覚めた。

 目が覚めたというか、現実に戻ったというべきか。わたしはやっぱりじゅうたんの上にいたが、たたきつける雨のせいで身体中ずぶぬれだった。それはキースさんもで、じゅうたんは木の葉のように風に振り回されている。

「カナカ? さっき白目をむいてたぞ。大丈夫か!?」

 キースさんが叫ぶ。普通に言ったんじゃ横のわたしにも聞こえないくらい、風がびゅうびゅう鳴っている。

「だ、大丈夫です。なんか幻、見てたっぽくて」

「私が見せたのよ。もっとも、奏歌自身に破られたけど」

 ぞっとするほど低い声が降ってきた。

 黒い雲と風にまかれ、翻弄され続けているじゅうたんの前方に、人影が現れた。強い風に舞い上がる青い髪、広がる濃紺と銀糸のドレス。

「エメライア……君はそんなことができたのか?」

「あなたは私の夫なのに、私の能力すら忘れたの? ついでにいうと、あなたたちを閉じ込めたこの嵐も、私がやってることだから。わかるかしら、雨風の神霊さんたち、楽しそうでしょ? 楽しくて楽しすぎて、やりたい放題ね。まあ、一応結界を作って、外に影響ないようにはしているけれど」

 お母さんはゆっくりと両腕を組んだ。

「私が授かったのは夢を見せる力。これは神霊の皆さまをお鎮めするために使うべきなんだろうけれど、困ったことに私、思う存分暴走して楽しんでほしいという気持ちの方が強くって。どうやら私、女王より魔女に向いていたようなのよね」

 お母さんはふう、と、ひとつ息をつく。

「それに気づいたら、やってられなかった。女王の役目って、神霊を抑圧してお行儀よくさせることだもの。これじゃまずい、適性がない。そう思ったから逃げたのよ。離れたら、まあなんて生きやすかったことか」

 お母さんは目を細め、キースさんをにらみつけた。

「まあそういうわけだから、私は行かないし奏歌も行かせないわよ。与えられた役目をこなすなんて、不自由きわまりない。王宮行きは遠慮なく妨害させていただくわ」

 キースさんが、きっと顔を上げる。

「返すも何も、カナカはここにいることに前向きだ! カナカには王女に戻ってもらう!」

「あなたの立場のために? だいたい前向きったって、どうせ王女はいいぞって丸め込んだだけでしょ。奏歌だって、この先自分がどうなるかなんてわかってないのよ」

「君はやたらと自分の血筋と役割を嫌うが、王女になって悪いことなんかないはずだ、生活も将来も安泰なんだからな。“あちら”での君の生活は? 見事なまでに普通だろ」

「普通で何が悪いのよ。私にいわせれば、王家なんかに入るほうがよほど将来暗いわよ。自分じゃ何も選べない、合わなかったら苦痛しかない。生活が安泰? ばかばかしい。自由な方がよほどいいわ」

「カナカは“こちら”にいさせる!」

「奏歌は“あちら”で育てる! 何度も言わせないで!」

「――ふたりとも、ストーーーップ!!」

 お母さんとキースさんが、一瞬息を止めてこっちを見た。

 わたしも叫んだ瞬間に雨風を吸い込んで、息が止まりそうになっていた。雨が目に入る。ぬれた髪からぼたぼたとしずくが垂れる。それでもわたしは顔を上げた。

「お母さんもキースさんも、誰の話してるのよ。わたしぬきで勝手に話をしないでよ」

 ふたりが、う、と唸ったように見えた。

 わたしはじゅうたんの上に立ち上がった。

「将来がどうとか言ってるけど、それ決めるのは親じゃないよ。だいたいお母さんは、選べないことが苦痛って言っていながら、なんでわたしのことは勝手に決めようとするの。それじゃお母さんに役割を押しつけた人たちと変わりないじゃない。わたしの意志をちゃんと聞いてよ!」

 お母さんは何も言わず、わたしをみつめている。

「わたしがキースさんに話を聞いたのはついさっきだし、お母さんが丸め込まれたって思うのもわからなくはないよ。でもわたし、別に王女様に憧れたから王宮に行こうって思ったわけじゃない。どっちかというと、憧れたのは神霊の姿。いつも見ている海の中みたいで、のびのびしてて……ほんの少ししか見なかったけど、あれこそが世界そのものだって、わたし思った」

 また目に水が飛び込んだ。わたしはぬれた顔をごしっとぬぐい、お母さんをまっすぐに見上げた。

「わたし、王宮に行っちゃだめ? お母さんは苦労したみたいだけど、わたし、お母さんからつながってる役割と、自分の能力に興味あるの。やれるなら、やってみたいの」

「奏歌、」

 お母さんはそのあとを続けずしばらく黙り込んだが、やがて空中をふわりと移動してきて、わたしの前に降り立った。

「言うようになったね。確かに、あなたの話を聞かないで決めつけちゃだめだった。ごめんなさい」

「……」

「ただ、私もむやみに反対したんじゃないわよ。ここはあなたにとって異世界だし、王女なんて聞こえはいいけど、そんな楽しいもんじゃない。一度王宮に行ったら最後、もう抜け出せないかもしれない……とまでは言えないか、私は逃げ出したものね」

 苦笑いで呟いて、お母さんは続けた。

「なんであれ、道を選ぶときは、他を捨てる覚悟が必要よ。それをあなたはわかってる? それでも行く?」

 わたしは少し考える。

 お母さんの言葉には、重みがあった。でもどうしてなのか、ためらう気持ちは出てこなかった。それはさっき、魚たちに似た穏やかな神霊たちに魅せられたからか、お母さんから聞こえ始めた音楽が不思議と優しかったからか、それとも音楽が聞こえること自体が誇らしかったからか、自分でもわからないけれど。

「ここで、元の世界に戻ることを選んだら……」

 わたしは言った。

「逆に、王宮に行く道を捨てるってことになるよね?」

 お母さんが、ほんのりとほほ笑んだ。

「なるほどね。わかった。私は行かないし助けないけどがんばって」

「冷た」

「あら、背中を押したって理解しなさいよ。じゃあキース、奏歌をよろしく」

「おいおい、本当に君は戻らないのか」

「なによ、奏歌だけ残せって言ったくせに未練がましい。それに私がいたら奏歌が甘えるでしょうよ。じゃあね」

 最後のじゃあねはわたしに向けたものだった。お母さんは手を振り残し、じゅうたんから離れたかと思うと、灰色の雲を連れてどこかへ飛んで行ってしまった。一気に空が晴れ渡り、周囲に色が戻る。

「……あーあ、我が妻との関係修復はならずか」

 キースさんが、お母さんが消えた方向を見やりながら頭をかいた。

 そりゃそうだろとしか思わないが、言葉の中にはどこか寂しそうな響きがあった。夫婦仲が悪かったなんて言っていたけれど、がんがん口ゲンカして、あれはあれで楽しそうだった気もする。

 まあ、ふたりの仲を取り持つのはわたしの仕事じゃないけど。

「キースさん、それより連れてってください。あれが王宮なんでしょ?」

 わたしは丘の上に映える、ピンクオレンジの建造物を指さした。

「君も割り切りが早いな。いきなり母親と離れることになって大丈夫なのか」

「大丈夫です。島の子たちはたいてい高校に行くとき親元を離れるんです。少し早くなったって思うだけ」

 キースさんが笑った。

「たくましいたくましい。エメライアの娘だからかな」

 最初はわたしだけ島に残す気だった人がよく言いますね――と憎まれ口を言おうとしたとき、じゅうたんが加速した。あっという間に、王宮が近づいてくる。

 じゅうたんの端っこのフリンジから、さっきの風雨で吸い込んだ水が、粒になって飛び散り続けていた。ピンクオレンジの石の色を映したそれは、まるで桜の花びらみたい。

 卒業式みたい? ふとそう思った。

 ううん、花が散るころだと、入学式かな。

 どっちでもいいか。

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トゥッティ ~神さまと精霊の国で~ 岡本紗矢子 @sayako-o

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